4/14(火)『24時53分”塔の下”行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』本読みWS 第1回 その②

↑唐さんの描いた塔。青年のかぶる山高帽はベケット風

今日は劇の内容に入ります。
劇が始まると、舞台となる町には塔がそびえており、
人々はその塔にのぼり、笑いながら落下して死ぬという情景がくり返されます。

それから、老婆のうた。
童謡『かなりや』もまた執拗にくり返されます。
このうたはどんな歌か。

かなりや 
作詞:西条八十  作曲:成田為三

唄(うた)を忘れた金絲雀(かなりや)は
後(うしろ)の山に棄(す)てましょか
いえいえそれはなりませぬ

唄を忘れた金絲雀(かなりや)は
背戸(せと)の小藪(こやぶ)に埋(う)めましょか
いえいえそれはなりませぬ

唄を忘れた金絲雀は
柳(やなぎ)の鞭(むち)でぶちましょか
いえいえそれはかわいそう。

唄を忘れた金絲雀は
象牙(ざうげ)の船に銀の櫂(かい)
月夜(つきよ)の海に浮(うか)べれば
忘れた唄をおもひだす

要するに、無用になった「かなりや」をさまざまな方法で始末しようとする歌です。
最後まで聴くと、「かなりや」は再び歌うことを思い出して生き延びますが、
唐さんが繰り返しているのは、「かなりや」殺処分の光景です。

どういうことか。

「老人A」「老人B」が出てくると、彼らのにこやかなやり取りとは裏腹に
この劇世界がなかなかにブラックであることが明らかになります。

なぜなら、彼らは一生の間に得ることのできた、実にちょっとした
勲章や名誉に満足して一生を終えていこうとしているからです。
彼らのやり取り自体は、先ほども言ったように、睦まじく、慎ましく、
わきあいあいとしてコミカルですらあるのですが、行き着く先が
塔の上からの投身自殺というところに問題があります。

要するに、唐さんは、彼らこそ自分の生まれ育った下町の
人間模様と言っている。長屋を横から見れば塔になるわけですから、
そこで生まれ、生活し、やがて死んでいく一生に苛立っている
という世界観が見えてきます。

これが、苦渋に満ちた様子でなく、にこやかなものだからこそ、
野心あふれる若き日の唐さんにとっては、甘い罠にも感じられ、
余計にし焦りがつのったことに違いありません。

続いて登場する「男」こそ、この町の不気味な管理人です。

いかにも無名時代の、何者でもない青春時代の若者が描く、
思弁的な世界観、不安と焦燥にかられた風景です。
この時点で、誰か主人公が何かを乗り越えて変化していく
ような「物語」には、唐さんは未だ至っていません。
が、こういった現象を、しかし下町情緒に基づいて展開する
ところは、紛れもなく唐さんです。

もちろん、S.ベケットや別役実さんの影響はあります。
けれど、すでに登場した「老人A」と「老人B」、「老婆」と「息子」の
やり取り、そこにある人間の機微を見ていると、ああ、唐さんだ
という感慨が湧いてきます。


ZOOMオンラインワークショップ
『24時53分〝塔の下〟行は竹早町の駄菓子屋の前で待っている』を読み解く(全2回

第2回(最終回)5月3日(日)19:30〜21:30