6/16(火)「愛の乞食」とは誰なのか?

↑2010年に上演した時には「一本足の憲兵」が寂しくたたずむ様子を優先しました。
今やると、どうなるでしょうか(撮影:伏見行介)
昨日の続きです。
名作『愛の乞食』のタイトルについて考えてみます。
「愛の乞食」とは誰なのか。
まず、「一本足の憲兵」こと「シルバー」が「愛の乞食」なのだと
私は考えます。自らが殺してしまった「万寿シャゲ」の名を叫ぶ
終幕が、そのことを端的に裏付けています。
それに、「シルバー」は劇中では、肩の「オウム」の声を借りて、
「小春」の名を唱えることもありました。
つまりこうなのです。
「シルバー」は、自分を慕う女房「小春」を捨てて、もう一つの海を
探す旅に出た。また、「シルバー」は自分を慕う「万寿シャゲ」の
首を絞めて殺した。が、後悔はいつも後にやってきて、結局はその
二人の名前を叫んで世界を彷徨うことになった。
だから、「愛の乞食」的です。
自業自得といえばそうですが、自分が捨てた相手への強烈な愛情に
気づいて後悔に苛まれる、世界の名作としてはプーシキンの
『オネーギン』と同じ構造です。
また、「愛の乞食」ということば自体、唐さんは前年に書いた
『少女仮面』で「少女・貝」に言わせたのを気に入って、
翌年に上演する劇のタイトルに転用した経緯から考えると、
『嵐ヶ丘』における「ヒースクリッフ」と「キャサリン」の
一筋縄ではいかない愛憎関係が、「シルバー」と「小春」、
「シルバー」と「万寿シャゲ」に転用されたと考えられます。
時代を超えて、殺してしまった「万寿シャゲ」を求め、
世界を彷徨う「愛の乞食」=「シルバー」。
そういうエンディングです。
一方、オンライン本読みに参加している方のなかには
「万寿シャゲ」が「愛の乞食」なのではないか、という意見を
持つ方もいました。これにも理があります。
何しろ、時代を超えて歳もとらず、少女として「一本足の憲兵」を
待ち続けている。そういう存在だからです。
具体的に、現在の私には次の2パターンのエンディングが
思い浮かびます。両方、テント公演を想定すると、
1.最後に登場する「一本足の憲兵」がテント背後の幽霊船に乗り、
「万寿シャゲ」の名を叫びながら愛を求めて彷徨う
2.最後に登場する「一本足の憲兵」はステージ前面に出て、
「万寿シャゲ」の名を叫び、テント後方を行くのは「万寿シャゲ」である。
これは、どちらも理にかなっていると考えます。
1は「憲兵」の孤独を強調します。2は、「憲兵」と「万寿シャゲ」が
すれ違って結ばれることのない関係性をあぶり出します。
「愛の乞食」は一人か二人か。どちらが良いか考えてみてください。
いずれにせよ、『ジョン・シルバー』『続ジョン・シルバー』『愛の乞食』
『あれからのジョン・シルバー』という連作のなかで、『愛の乞食』だけは
「シルバー」を描き、他の3本は「小春」を描きます。
「小春」を主軸に置いたシリーズのなかで、一本だけ「シルバー」の側から
見た物語をつくった。そういう意味で、私は『愛の乞食』をスピンオフと
捉えています。

