9月6日(日) 臨港パーク 最終日
2015年9月 8日 Posted in 25_特別野外公演_青頭巾
中野です。
あっという間に二日が経ってしまいました。
ちょっとさぼってしまいましたが、そろそろ最終日のことを書いておきます。
9月6日(日)片付けと打ち上げの日
昨夜は26時まで夜更かししてしまったのだが、6時には目が覚める。
いつものように少し本を読んでから、散歩に出かけた。
家から2キロほど行くと、浅間神社という神社がある。
近くの大きな交差点は浅間下という名前。
さらに進むと軽井沢小学校というのもあって、まるで長野県のミニチュアのようになっている。
どうしてだろう?
7時半に帰宅して身なりを整え、みなとみらいに向かう。
予報では今日は雨とあったけれど、日差しが強い。
現場に到着してみれば、むしろ昨晩のベタベタした風も止んで、爽やかなくらいだ。
晴れているうちに片付けてしまおうと、士気は高い。
都内に住んでいる学生も、まったく遅刻せずにやってくるからなかなかのものだ。
今日は、作業スタートからあらかじめ二班に分かれている。
臨港パークで荷物を送り出す班と、大学でそれを受け取り、片付けをする班。
搬入の日と同じように2台のトラックを往復させ、ピストン輸送する。
その際、トラックの座席を利用して人員をも大学に運ぶことで、徐々に人数の比重も、徐々に現場から大学へと変化させていこうという作戦だ。
ちなみに、こういう動きはいつも齋藤が事前に考えて、昨日の本番前に示し合わせてある。
慣れきった片付け作業は実にスムーズに進む。
自分は箱トラックの運転を担当したが、積み込みの精度に時間をかけるより、むしろ現場が近いので、テンポよく3往復しようということになり、さらに移動は活発に。
今日は全体の最終片付けでもあるので、業者さんから借りた機材や物品は、大学に着き次第、キレイに掃除もする。
14時過ぎ。
遅めの昼食を済ませるころには、ほとんどの荷物とメンバーが大学にいる状態になった。
最後に現場に残った数名で、トラック最終便の出発前に臨港パークの床を磨く。
15時には警備員さんに挨拶をして、臨港パークを辞した。
帰り際、ヘリポートにも寄る。
今日もクルージングのお客さんがいっぱい集まって流行っていたが、 本番中こちらのイベントに配慮していただいたお礼を伝えることができた。
この時点で、翌日から始まる集中講義の準備ために、自分は別動。
椎野と禿も、別の仕事で主力部隊を離れる。
その後、大学であらかた積み降ろし作業が済んだころ、ちょうど雨が降りはじめた。
自分たちは逃げ切ったのだ。
あとは粘り強く片付けを行うだけ。
劇団員は週末には次の公演の準備で再び集まるが、学生はこれで解散なので、特に衣装や小道具など、きっちりと整理させる。
それも17時過ぎに終了。
ひと息ついてイスやソファに倒れこんだら、次の予定は20時に平沼橋の中華料理屋に再集合して打ち上げを残すのみ。
大所帯なので先々の予定を合わせるのは難しい。
それで、ちょっとタイトだけれども、当日に打ち上げの運びにした。
帰ってシャワーを浴びる者、直接お店に向かう者、それぞれに動く。
20時に、よく劇団で利用する「雲海」という中華で乾杯した。
ここは食べ放題、飲み放題で約3,000円というリーズナブルな店で、以前から愛用している。
こうなるともう好き放題で、初めからラーメンを頼んでとりあえずお腹をふさぐ者もいれば、オレだけビーフン、わたしだけチャーシュー、という人もいる。
店の人も心得たもの、チャーハンなんか大皿にてんこ盛りにして運んできてくれる。
この重量感がたまらない。
食べて、食べて、食べて、飲んで、皆と別れた。
22時も過ぎたし、外は大雨なので、あとはもう個人個人で二次会に行くなり好きにしてもらう。
自分と重村は、ちょっと臨港パークの床磨きをやり残していたので、再度現場に戻って24時くらいまで作業をした。
雨天下の方が、床磨きはやりやすい。
見渡せば、雨が降って盛り上がった夜の海は、音も立てず、ダイナミックにうねっていた。
昼の波は細かくて、バシャバシャ音もするが、あれは行き来する船やボートが起こしたものだったのだ。
ここでは夜の番をしなかったので、最後になってやっと気づいた。
日付が変わる頃、打ち上げでのビールを我慢して付き合ってくれた重村に、お礼のビール代を渡して解散。
このとき降っていた雨は二日経った今も断続的に続いていて、台風まで近づいている。
つくづく自分たちの僥倖を感じずにはいられない。
さあ、土曜日からは、また次の作品の準備だ。
〈完〉
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