8月6日(木) 東北巡業1日目

2015年8月 7日 Posted in 25_特別野外公演_青頭巾

中野です。今日から毎日ゼミログを書くことにしました。
これを書いている今はすでに秋田にいて、
春先から準備していた東北ツアーが始まったからです。
予定通り事が進めば、横浜に帰るのは8月25日。
それまで自分の体験を書いてみます。

ちなみにこれには、怪優・大久保鷹が一役買っています。
わたしたちは去年も野外劇で方々を巡りましたが、
すべてが終わって時、大久保さんから
「もっと言葉した方がいい。」と言われました。
聞けば、大久保さんは、旅先で唐ゼミの連中が何を発見するのか、
お土産話を愉しみにしてくれていたらしい。
さらに、言葉にすることで、旅公演が単にそれぞれの場所での公演に止まらず、
全体でひとつの作品になるのじゃないか、とも。
いつもの熱いパッションで、まくしたてるように、大久保さんはそう言ってくれた。
唐さんだって『日本列島南下の目次録』を書いたのだから、
自分も『北上』の記録をつけてみよう。
どうでしょう、大久保さん?

そこで第1日目。
昨日、8月6日(木)AM5:00にわたしたちは出発した。
今回の編成は13名の劇団員に学生9名を加えた計22人によるものだが、
そのうちの約半数が、秋田竿灯祭で開かれている屋台村のステージで、
9日に控えている秋田公演の宣伝をすることになった。
これが17時にスタートするものだから、参加する隊はどうしても、16時前には到着したい。
そこで、家が遠い者は前日から大学に泊まり込んで、日の出とともに横浜を出たのだ。
先発の車は、10人乗りのハイエース1台と2トントラックが1台。
宣伝ステージに関係ない9人は後発隊で、2トントラック3台に乗って7:00に発ち、
先発チームを追いかけるという段取り。
いずれも首都高で横浜から都内を抜け、浦和から東北自動車道、岩
手で秋田自動車道に入り、秋田中央という出口を目指す。
朝が早かったこともあって、途中、渋滞などのストレスはなかったが、
やはり秋田は遠い。特に宮城、岩手と、一県一県がでかいのだ。
東北はスケールが違うなあ。
往き慣れた東海道に例えると、静岡県のあの大きさ長さ、
それを一県一県が体現しているという感じ。
たどり着いたらすぐに宣伝のショートステージなので、
そのために用意した短編の準備をしながら秋田を目指す。
宮城の長者原SAにある公園の木陰でミーティング、
降り口の手前にある西仙北SAでは着替えとメイクを済ませた。
秋田中央の降り口では、料金所のおじさんがハッピを着ていた、
今日は3日から続く竿燈祭りの最終日なのだ。
期間中、係りの人たちは皆この格好なのだという。さあ、いよいよやろうじゃないか。

15:30に秋田公演の会場でもあり、
駐車場を借りている千秋公園に着くと、すぐに稽古を開始。
予想通り、出演者の体の動きはとにかくにぶい。緩慢だ。
なにせ、昨晩は遠出前の興奮で騒いで寝ていないし
、狭い車の中に10時間くらい押し込められていたのだから。
煽って煽って、彼らをどんどん走らせ、跳躍させて、強引に叩き起こしてやった。
バス停も近く、通行人が好奇の目で見ていたが、かまうものか。
景気付けに45分間の秋田初稽古。それが終わると急いで徒歩移動。
祭りで賑わう街をダラダラ喋りながら歩くので、2列縦隊を命じて急かした。
風景を楽しむのは、終わった後にしてくれよ。

約束の屋台村に着くと、予想通りすごく盛り上がっている。
竿燈祭の最終日なのだ。優に1000人にいる。
ここは祭りのメインストリート、竿燈大通りのすぐ近く。
屋台村を取り仕切っている浅野さんと司会のMAYUさん(秋田のアイドル・プラモの一員)に
挨拶を済ませて、実際のステージを見ながらミーティング。
現場に合わせて動きを示し合わせた後、出番を待った。
楽天ゴールデンイーグスのチアとマスコットのダンスが終われば、
いよいよわたしたち、いや、オレたちの出番だ!

まずはリーダーのライオネル田中が登場。
トラメガのボリュームが少し小さかったが、堂々としたものだ。
残りのメンバーを呼び出して決めポーズすると、
あとは次から次へと仕込んだ演目を立て続けに打ち込む。
屋台村だから、お客さんは皆、食べながら、飲みながら、
しゃべりながらで、あまりステージを見ない。
だからとにかくテンポを引き締めて、駆け回り、騒ぎまわって、
やりたい放題やらせてもらった。
その中で、こちらを見てくれている人には、言葉を届け、歌詞を届ける。
このステージは主に経験少ない学生チームの仕事だったが、
人前に立った者の本能がよく働き、声も動きもいつもより大きかった。
稽古でどれだけ観客を見るように、言葉を伝えるように口を酸っぱくして言っても直らなかったが、
実際の観客を前にすると、人は自分の営みを人に届けたくなるものなのだ。
15分の充実した緒戦だった。

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終わってから広い会場内をチラシまき、

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さらにプラモのステージを客席から応援、記念撮影もしてらって、その場を辞す。


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汗を拭きながら千秋公園に戻り、後発隊と合流。軽く打ち合わせをして、祭りに繰り出した。

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灯を連ね、稲穂を模した竹の棒を、男たちがバランスを取りながら支える。

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ある者は手のひらに、ある者は肩に、中には、額で5mを超える竿燈を支える猛者もいる。
力強く、あとはひたすらその姿勢を維持する。
時々バランスを崩す人がいれば、周りが支えて復旧する。
初めて見た竿燈は美しかったけれど、時間が経ってもずっと同じだ。
変化には乏しく、正直期待したほどは面白くなかった。
けれども、劇団員の禿がおもしろいことを言う。忍耐のお祭りだねえ。
そうだよな。米を作るってこういうことなのだ。
じっと竿燈を支え持っている人々を見ていると、命懸けで突っ立っていたという土方巽さんを思い出した。
そうだ。自分たちは唐さんのかわりに、土方さんの故郷に芝居を届けに来たんだ!
宿舎にチェックインしたら、食べて、呑んで、風呂に入り、とにかく寝る。


 →東北巡業 2日目を読む


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