8月6日(木) 東北巡業1日目
中野です。今日から毎日ゼミログを書くことにしました。
これを書いている今はすでに秋田にいて、
春先から準備していた東北ツアーが始まったからです。
予定通り事が進めば、横浜に帰るのは8月25日。
それまで自分の体験を書いてみます。
ちなみにこれには、怪優・大久保鷹が一役買っています。
わたしたちは去年も野外劇で方々を巡りましたが、
すべてが終わって時、大久保さんから
「もっと言葉した方がいい。」と言われました。
聞けば、大久保さんは、旅先で唐ゼミの連中が何を発見するのか、
お土産話を愉しみにしてくれていたらしい。
さらに、言葉にすることで、旅公演が単にそれぞれの場所での公演に止まらず、
全体でひとつの作品になるのじゃないか、とも。
いつもの熱いパッションで、まくしたてるように、大久保さんはそう言ってくれた。
唐さんだって『日本列島南下の目次録』を書いたのだから、
自分も『北上』の記録をつけてみよう。
どうでしょう、大久保さん?
そこで第1日目。
昨日、8月6日(木)AM5:00にわたしたちは出発した。
今回の編成は13名の劇団員に学生9名を加えた計22人によるものだが、
そのうちの約半数が、秋田竿灯祭で開かれている屋台村のステージで、
9日に控えている秋田公演の宣伝をすることになった。
これが17時にスタートするものだから、参加する隊はどうしても、16時前には到着したい。
そこで、家が遠い者は前日から大学に泊まり込んで、日の出とともに横浜を出たのだ。
先発の車は、10人乗りのハイエース1台と2トントラックが1台。
宣伝ステージに関係ない9人は後発隊で、2トントラック3台に乗って7:00に発ち、
先発チームを追いかけるという段取り。
いずれも首都高で横浜から都内を抜け、浦和から東北自動車道、岩
手で秋田自動車道に入り、秋田中央という出口を目指す。
朝が早かったこともあって、途中、渋滞などのストレスはなかったが、
やはり秋田は遠い。特に宮城、岩手と、一県一県がでかいのだ。
東北はスケールが違うなあ。
往き慣れた東海道に例えると、静岡県のあの大きさ長さ、
それを一県一県が体現しているという感じ。
たどり着いたらすぐに宣伝のショートステージなので、
そのために用意した短編の準備をしながら秋田を目指す。
宮城の長者原SAにある公園の木陰でミーティング、
降り口の手前にある西仙北SAでは着替えとメイクを済ませた。
秋田中央の降り口では、料金所のおじさんがハッピを着ていた、
今日は3日から続く竿燈祭りの最終日なのだ。
期間中、係りの人たちは皆この格好なのだという。さあ、いよいよやろうじゃないか。
15:30に秋田公演の会場でもあり、
駐車場を借りている千秋公園に着くと、すぐに稽古を開始。
予想通り、出演者の体の動きはとにかくにぶい。緩慢だ。
なにせ、昨晩は遠出前の興奮で騒いで寝ていないし
、狭い車の中に10時間くらい押し込められていたのだから。
煽って煽って、彼らをどんどん走らせ、跳躍させて、強引に叩き起こしてやった。
バス停も近く、通行人が好奇の目で見ていたが、かまうものか。
景気付けに45分間の秋田初稽古。それが終わると急いで徒歩移動。
祭りで賑わう街をダラダラ喋りながら歩くので、2列縦隊を命じて急かした。
風景を楽しむのは、終わった後にしてくれよ。
約束の屋台村に着くと、予想通りすごく盛り上がっている。
竿燈祭の最終日なのだ。優に1000人にいる。
ここは祭りのメインストリート、竿燈大通りのすぐ近く。
屋台村を取り仕切っている浅野さんと司会のMAYUさん(秋田のアイドル・プラモの一員)に
挨拶を済ませて、実際のステージを見ながらミーティング。
現場に合わせて動きを示し合わせた後、出番を待った。
楽天ゴールデンイーグスのチアとマスコットのダンスが終われば、
いよいよわたしたち、いや、オレたちの出番だ!
まずはリーダーのライオネル田中が登場。
トラメガのボリュームが少し小さかったが、堂々としたものだ。
残りのメンバーを呼び出して決めポーズすると、
あとは次から次へと仕込んだ演目を立て続けに打ち込む。
屋台村だから、お客さんは皆、食べながら、飲みながら、
しゃべりながらで、あまりステージを見ない。
だからとにかくテンポを引き締めて、駆け回り、騒ぎまわって、
やりたい放題やらせてもらった。
その中で、こちらを見てくれている人には、言葉を届け、歌詞を届ける。
このステージは主に経験少ない学生チームの仕事だったが、
人前に立った者の本能がよく働き、声も動きもいつもより大きかった。
稽古でどれだけ観客を見るように、言葉を伝えるように口を酸っぱくして言っても直らなかったが、
実際の観客を前にすると、人は自分の営みを人に届けたくなるものなのだ。
15分の充実した緒戦だった。
終わってから広い会場内をチラシまき、
さらにプラモのステージを客席から応援、記念撮影もしてらって、その場を辞す。
汗を拭きながら千秋公園に戻り、後発隊と合流。軽く打ち合わせをして、祭りに繰り出した。
灯を連ね、稲穂を模した竹の棒を、男たちがバランスを取りながら支える。
ある者は手のひらに、ある者は肩に、中には、額で5mを超える竿燈を支える猛者もいる。
力強く、あとはひたすらその姿勢を維持する。
時々バランスを崩す人がいれば、周りが支えて復旧する。
初めて見た竿燈は美しかったけれど、時間が経ってもずっと同じだ。
変化には乏しく、正直期待したほどは面白くなかった。
けれども、劇団員の禿がおもしろいことを言う。忍耐のお祭りだねえ。
そうだよな。米を作るってこういうことなのだ。
じっと竿燈を支え持っている人々を見ていると、命懸けで突っ立っていたという土方巽さんを思い出した。
そうだ。自分たちは唐さんのかわりに、土方さんの故郷に芝居を届けに来たんだ!
宿舎にチェックインしたら、食べて、呑んで、風呂に入り、とにかく寝る。
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