3/26(日) 室井先生がお亡くなりになりました。
2023年3月26日
劇団唐ゼミ☆ができる全てのきっかけを作って下さった室井尚先生が
3/21にお亡くなりになりました。
横浜国立大学へ唐さんを教授として密航させ
ちっとも演劇青年や演劇少女ではなかった学生たちをも
次々と唐十郎の世界に巻き込み、痺れさせ、
公演ごとに一緒に舞台を磨きあげ、
劇団唐ゼミ☆を支え続けてくれました。
下記の文章は代表中野敦之が3/24、facebookに書いた文章です。
室井先生、本当にありがとうございました。
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室井尚先生が亡くなりました。
今、京都から横浜に戻る新幹線の中でこれを書いています。
椿昇さんと私が水戸でバッタのテスト設置を終えた翌日、
3/21(祝火)12:10に先生は旅立ちました。
68歳の誕生日まであと3日というところでした。
先生の希望でごく限られたメンバーで葬儀を行い、
自分と椎野と禿もその中に加えてもらいました。
2016年春に先生が私を連れて劇場を訪れ、眞野さんに頼んでくれたからです。
それからは椎野裕美子と禿恵の方がそばで室井先生を支えてきましたが、
2020年3月コロナ禍の始まりの時に開催した最終講義は、
久々のご奉公と思って大学の教育文化ホールで徹夜で準備しました。
今朝に火葬が行われましたが、
昨晩は最後に先生と一緒に過ごすことが出来ました。
葬儀場近くのラーメン屋で食事して銭湯に行き、
皆さんが引き上げた後も繋ぎで残ってくれていた禿から引き継いで先生のお供をしました。
完全にテント番のノリでしたが、唯一違ったのは、
今朝未明にたまたま去年の英国研修でお世話になった劇場の年次総会が
オンラインで行われたことでした。
「オマエは絶対に英語を喋れるようにはならない!」と断言してきた先生に、
私の叩き上げのイングリッシュを浴びせることができました。
ところで、私の実の父は昔から私に大甘で、
42歳になった今でも私のことを「敦之くん」と呼びます。
そういう自分にとって、人並みに反抗の対象となり、
いつも目の前に立ちはだかってきたのが室井先生でした。
先生はよく「オマエはまだまだである」「オマエは間違っている」と
得意の全否定を私にカマしましたが、こちらもたびたび先生にブチギレてきました。
それで自然に一緒にいるという関係でここまでやってきました。
先生はもちろん哲学者であり美学者なのですが、
そっち方面の先生を丸ごとシカトした私にとって、
室井さんは何より道徳の先生であり続けました。
約束は守れ、嘘はつくな、時間に遅れるな、悪いことをしたら謝れ、
頼られたら全力で応えろ、まず一人で考え抜け・・・、そういう具合でした。
そして、ひとたび先生がアートプロジェクトの現場にやってくると、
お返しに、手の焼ける自称「総合プロデューサー」のお世話をしてきました。
先生は最後まで会うたびに私に精神的なマウントを取り続けましたが、
それはこれからも全く変わらずに続くと思います。
「室井さんなら今の自分の行いについて何と言うだろうか?」
という問いが完璧に内面化されてしまった自分にとって、
これからも先生の呪縛からの解放はあり得ないと観念しています。
そういうわけで室井先生、これからも宜しくお願いします。
68歳のお誕生日、おめでとうございます。
※写真は2014年に行なったトラック演劇の横浜公演より。撮影は伏見行介さん
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