6/9(金)小田原での二日間

2023年6月 9日 Posted in 中野note
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↑有名な鈴廣や籠生のほかにも蒲鉾ブランドがいっぱい。
今回買ったのは「山一」というお店

昨日と今日の二日間は小田原で過ごしました。
神奈川県民ホールの仕事で、まだ新しい三の丸ホールを中心に
ある企画が進行中のため、街の皆さんに挨拶まわりをしたのです。

車で小田原に行くには二つの方法があり、
横浜新道から西湘バイパスへと繋ぐ道、
東名に乗って小田原厚木道路を往く道がありますが、
大磯から海沿いを走ることのできる西湘バイパス方面の
朝はたいがい激混みです。

そこで小田原厚木道路を進むことになるが、
なかなかどうしてこの道も素敵です。
制限時速70キロという高速道路にしては低めの
スピード設定に加え、この道は覆面の警察車両が常に
回遊しているのだと、神奈川の仕事を開始したばかりの頃に
小田原の知り合いに教わりました。

だから、感覚的には極めて低速で直線的な道を進むが、
まず、途中にある平塚がなぜ「平塚」という名前なのかがよくわかります。
本当に、まあ平らなのです。

そして、二宮を超えて風祭トンネルを抜けた先に広がる
小田原の景色はいつも素晴らしいと思います。
一気に視界が開けて、JRや小田急の線路が結集する線路を中心に
右は緑濃い山が広がり、左手に海が見え、何より空が広い。

小田原に行く時はいつも朝の渋滞を恐れて早朝に行き、
小田原東のインターでうどんを食べるのがずっと日課になりました。
昨日も今朝もこの調子です。

コロナやイギリスを挟んだので久しぶりの感がありますが、
こうして日常的に各地に行っていると、ああ、神奈川の仕事をしている、
そういう気分と高揚感が高まってきます。


6/8(木)室井先生追悼の会の準備

2023年6月 8日 Posted in 中野note
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気づけばすでに3週間を切っているので、
室井先生追悼の会への準備について、尻に火がついてきました。

https://muroilabo.wixsite.com/2023yokohama


空間をどうつくるかは齋藤を呼び出して相談に乗ってもらい、
進行を考えて、出席してもらえる人の中からエピソードを披露して
もらえそうな人たちに電話をかけまくっています。

どうも、参加を申し込んできた卒業生の中には、
「何か喋らされるのではないか・・・」と恐れて申し込みを
躊躇した人もいると聞きましたが、さすがに私も大人です。
そんな無理強いはしませんから、安心して下さい。

というわけで、事前の丁寧な申し入れを行なっています。
ケータイ電話番号を知らない人にも、
facebookのメッセンジャー通話でかけられるから便利です。

あの、着信する時の♩ドロロロロロロ、ドロロロロロロ
という音はなんだか気持ちが悪いですが。

電話で話す人の中には、当然ながらかなり久しぶりの人が多く、
隔世の感に打たれまくっています。

あとは、腕利きのK山くんに頼んで煽り映像を作ってもらいます。
彼には、こちらがストーリーを組むのが遅くなりすぎて、
負担をかけすぎないようにしなければと思っています。

あと16日後。

申し込みにはまだ10名強の余裕があり、フォームはこちらです。
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSe8TFtwqQ_3CIG1PPdznwfvUqeUIhwFOWohh9WWE0DH2iDVhQ/viewform

6/7(水)ちょっと弱っているので勇気の出る一言

2023年6月 7日 Posted in 中野note
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↑前は中公文庫ビブリオでお手軽に買えました。
今は中古のみだけど・・・


なにかむずむずと調子が悪い。
特段、熱を出したり風邪をひいたりというのでは無いのですが、
舌の付け根がなんだか痛い。

これは、22歳の時に『動物園が消える日』金沢公演を
終えた後にかかった急性扁桃炎以来の症状です。

あの頃は体力も、ペース配分の知恵もなかったし、
すぐに次の予定もなかったので公演後は緊張感がなくなり、
芝居を終えるたびにガクッときてしまっていました。

そのなかでも金沢公演のあとはビッグウェーブで、
初めて舌の付け根を痛いと感じました。
あの時以来、舌の付け根は喘息と並んで自分の体の「弱い部分」
となり、危険を察知するセンサーの役割を果たしてくれるように
なった、とも言えます。(前向きに言って元気を出そう!)

致命傷ではないがちょっと調子が出ないな。
現在はそういう感じです。

こういう時に思い出すのは、皆さんも好きな
エルネスト・チェ・ゲバラのこの言葉。
「打撃は絶え間なく与えなければならない」。

これは有名な『ゲバラ日記』でなく、
それよりは読む人の少ない『ゲリラ戦争』という本の一説です。

自分はこれを、こう捉えています。
「調子の悪い時は悪い時なりに、
ほんの小さな軽石を投げるくらいでも良いから打撃を続けよ、
そうでなければ、敵が安心してしまう。安心は相手の回復を
増長を生み出してしまう。そうなれば不利だ」と。

まあ、自分の場合は創作や生活上の目標があるのみで、
「敵」というほど大げさなもんではありませんが。
それにゲバラに対して私が捧げている敬意は
偉大な革命家としてよりも、喘息持ちなのにゲリラ戦の過酷を
やってのけた人、という意味合いが圧倒的に強い。

というわけで、今日は軽めの小石としてのゼミログでした。

6/6(火)ピーターからのメッセージ

2023年6月 6日 Posted in 中野note
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↑立体駐車場での演奏会のリハーサル。曲目は惑星組曲だったらしい


イギリスのピーター・フィッシャーからメッセージが来ました。
それによると、彼の参加するフィルハーモニア管弦楽団は、
今年もペッカムというガラの悪い地域の立体駐車場での
コンサートを行ったらしい。

去年、さまざまなライブを観ましたが、
あの場所は特に気に入りの会場のひとつでした。
何せクラシックのコンサートを、屋根こそあれ半野外の、
国鉄を往き来する電車の軋みが響き渡る場所で行うのです。

日本では考えられませんが、
英国トップクラスのオケであるフィルハーモニアは嬉々として
この場所でコンサートを行っていました。

自分はひとつも見逃すまいと、去年ここで行われたすべての
ライブを聴きました。

スクリャービンの『神聖な詩』
グレツキの交響曲3番
ラフマニノフのピアノ協奏曲2番

が、それぞれメイン、という具合でした。

当時、ピーターは「来年もあるかどうか分からない」
と言っていましたが、今年も同じように実施されて、
曲目はホルストの惑星組曲だったらしい。

空に近いあの場所で、遊び心のあるナイスな選曲だと思いました。
今年に入って、仕事や友人がらみ以外の演奏会に行くことは絶えて
ありませんが、フィルハーモニア管弦楽団がそのうちに来日したら
必ず駆けつけようと思っています。

ピーター、ツアーメンバーに入ってくれると良いけれど。

6/2(金)本棚のホフマン全集

2023年6月 2日 Posted in 中野note

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↑唐さんが持っていた創土社の全集。インパクト大の装丁!



昨日の夜、ホフマンについてお話しする機会がありました。

ドイツ文学における後期ロマン派の作家として活躍した、

あのE.T.A.ホフマンのことです。


自分は本当の専門家では無いのですが、

集まっている人間の中ではよく読んでいる方だったので、

10分でホフマンについて説明して欲しい、

というオーダーに応えることにしました。


18世紀の後半に起こったロマン派のムーヴメントについて、

ナポレオンやベートーヴェンや絵画の印象派や

もちろん、ドイツ文学史上の先輩であるゲーテやシラーを紹介しつつ、

ちょっと変わり者の後輩としてのホフマンを紹介しました。


私がホフマンをよく読んでいたのは20代半ばのひどく暇だった頃です。

あの頃、バルザックやドストエフスキーとともに、よく読みました。

そして、その背後には、確実に唐さんの影響がありました。


大学に入ったばかりの頃に緊張しながら唐さんの研究室を

訪ねると、そこにはまだ、後にできる小さな木組みの

ステージや暗幕はなく。タイル床とじゅうたん敷きの

スペースが半々になっていました。


壁一面の本棚に本はなく、ただそこにぽつんと、

創土社のホフマン全集のみが置かれてありました。

きっと唐さんが、室井先生にリクエストして

慣れない研究費の活用で古本屋から買ったのかも知れません。


大学1年の頃の自分に、ホフマンは未知の作家でした。

ただその装丁のサイケデリックなことと、

唐さんが好きなのだから必修課題であることだけが

インプットされました。


後から考えたら、2000年春、

唐組がホフマンの『黄金の壺』『砂男』に想を得た

『夜壺』を初演した背景には、あの全集が一役買っていたのだと

思います。あの全集は当時から貴重品で、自分は文庫本や

国書刊行会のものを掛け合わせて一作一作を読んでいきました。


皆さんの前でホフマンを語ることができたのも

そういうわけで、唐さんのおかげなのです。

6/1(木)車の6ヶ月点検と唐十郎

2023年6月 1日 Posted in 中野note
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↑私の想像する唐さんの過去車。こんな風だったのだろうか?


今日のお昼は仕事を一旦置き、車の点検に行きました。
自分がまだロンドンにいた頃、12月半ばに納車されたホンダ フリードが
半年点検を迎えたのです。

つい先日、釘3本によりパンクしたタイヤを交換してもらった
ばかりだったので、今日はオフィスにいた担当の店員さんに
慰められました。劇団をやり、劇場に出入りしていると、
どうしても釘との遭遇率は高くなる。
自分ではそんな風に自らを納得させています。。

劇団をやっていると、20代の頃は自家用車を持つことなど
思いもしませんでした。しかし、神奈川県や財団の仕事で県内を
行き来するようになり、日産ラフェスタから自分のキャリアが
スタートしました。まだ小さな子どもが病気になった時など、
車があるのが本当にありがたく感じられます。

駐車場、保険、車検、修理、固定資産税、まれに違反の罰金・・・
多分に漏れず維持費はかかるけれど、助かっています。
2代目のフリードはどこまで走ってくれるだろうかと案じながら
すでに14,000km走行。これはなかなかの数字だと言われました。
よくメンテナンスしていきます。

点検の待ち時間に唐さんと車のことを考えてみると、

『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』・・・海辺をひとっ走りの車
『続ジョン・シルバー』・・・小春の愛車ムスタング
『吸血姫』・・・人力車と救急車
『虹屋敷』・・・岸信介が乗りつけたキャデラック
『赤い靴』・・・少女の誘拐に使われたハイラックスサーフ

などが連想されます。きっとまだまだあるでしょう。

唐さんご自身は大学に来る時、辻孝彦さんの運転する
ブルーのBMWに乗ってやってきました。
私が知り合う前の唐さんは、ピンク色の車に乗っていたとも聞きます。
ちょっと想像がつきませんが、いかにもファンシーな唐さんらしい。

自分は車にこれ以上の贅沢を望みませんが、どうか長生きして欲しい。
初めて乗ったラフェスタのことも思い出しつつ、そういう気持ちを
現在のフリードに託しています。

5/30(火)読売新聞夕刊!

2023年5月30日 Posted in 中野note
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↑掲載写真は、1997年10月に初講義を終えた唐十郎教授と室井先生です


今日は昨日に引き続き本読みWSのレポートをする予定でしたが、
嬉しいことがあったので、予定を変更します。

今日、5/30付の読売新聞夕刊に、3月に亡くなった室井先生と唐さんに
関する記事が出ました。関東版のみの掲載らしいのですが、
取材を受けた私としては、勇んで夕刊を開きました。

書いてくださったのは山内則史記者です。
山内さんと言えば、ずっと前から紅テントでお目にかかり、
唐さんを特集した映像DVD『演劇曼荼羅 唐十郎の世界』や
新聞連載小説『朝顔男』を世に送り出した方でもあります。

唐十郎という存在に対して室井先生がした仕事は、
演劇界的な営みとしては評価するのが難しい営みでした。
室井先生は美術や文学や映画や、もちろん舞台の批評だってして
いましたが、こと唐さんに関する限り、同じ演目であっても
観られるだけ紅テント公演を追いかけていたからです。

そんな観劇体験をしようとする人はあまりいませんし、
それはもはや「観劇」では無かったようにも思います。

山内さんがあらわした通り、
生命体として唐十郎を追いかけている。
そういう感じでした。

ともあれ、そういった捉えどころのない室井先生の探究を
巧みに書き表してくださったことは、自分にとっても嬉しく
山内さんに感謝するばかりです。

皆さんもぜひ読んでみてください。
ちなみに、同じ紙面には野田マップに出る唐さんの息子さん、
大鶴佐助も特集されていて、なんだか痛快です。

5/26(金)おもしろいのは"使者"

2023年5月26日 Posted in 中野note
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↑高橋睦郎の修辞では「女怪」と表されるスフィンクスと私

上演する以外に年に3本は重点的に台本を研究したいと思っています。
去年はロンドンで孤独だったのでずいぶん時間があり
3本どころではなく、『腰巻おぼろ 妖鯨篇』や『下町ホフマン』も
含めて6本研究することができました。

研究とは、パソコンで書かれていることを丸写ししながら
読むことです。ひと言ひと言に気をつけながら洞察し
同時に台本をデータ化して使いやすくします。

『鐵假面』稽古が本格化する前に研究しているのは
『オイディプス王』です。最近出たギリシャ悲劇の本を読んで
いっぺんやってみようと思ったのです。

翻訳にはこだわりがあり、高橋睦郎さんが修辞したものが相手です。
これは蜷川幸雄さんが築地本願寺で上演した時に作られた台本ですが、
単行本に収めたものがかつて売っていました。

私はそれを、大学受験の前の晩に新宿紀伊國屋で買ったのです。
ずっとお店の棚にあって汚れていたけれど、紛れもなく新刊本でした。

よく読んでみると、特におもしろいと感じたのは「使者」役です。
オイディプス王が自らの出自や運命を自覚し始めたあたりで
登場する使者は、王に父親たる隣国の王が亡くなったことを知らせます。

そして、まだまだ警戒心を解かないオイディプスを慰めようとして
かえって真実を明るみに出してしまう。
真実を伝えたらご褒美ください、というようなおねだりぜりふも
あって、相当なお調子者です。そして結果的に地雷を踏んでしまう。

この様子はゾクゾクします。空気の読めないマヌケな男が
自覚なく周囲を地獄に叩き落とす。
このやらかしっぷりに自分は好感を持ちました。

『オイディプス王』でどの役をやりたいか、
どの役が面白いかと問われたら、私は「使者」と答えます。

↓大学受験の時に買った小沢書店の高橋睦郎修辞『オイディプス王』
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5/25(木)恐怖!クギ3本の罠!

2023年5月25日 Posted in 中野note
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↑空気を入れて水をかけると、穴が空いているところがブクブクいいます
ブクブクいうということは穴が空いているということです

ここ数日、暑い。
暑い時は車の窓を開けて移動します。
すると「カチッ、カチッ」という音が聞こえたような、気がしました。
が、面倒なので、気にしないようにしておきました。
それが先週木曜日のこと。

それから、日曜に藤沢に餅つきに行き、
昨日などは川崎→横須賀→大和と渡り歩きましたが、
なんだか運転しながら自分が車体が左に傾いているような気がしても、
きっと道路の傾斜だろうと思っていました。
いや、思い込むようにしたのかも知れません。

それが、今日の昼に移動しようとした際、タイヤが明らかにブヨブヨする。
足でグイグイ押してみて、こりゃいかんと観念しました。

お店に行って見てもらったら、釘が3本刺さっていました。
どこで3本も!と思いましたが、
即座にタイヤ交換。交換してもらったら速いもので、
1時間ちょっとでパンクしたタイヤ一本だけ取り替えてもらいました。

不都合な真実と向き合うのは大変で、今回も逃避を続けてしまいましたが、
大事に至らなくてホッとしています。それにしても、どこで3本も刺さったのだろう。
怖ろしいことですが、これは避けようがありません。
お金もかかったけれど、事故ったり、何かが決定的に滞ったりするよりはマシ。
と自分を慰めました。やれやれ。

5/24(水)初めての山羊

2023年5月24日 Posted in 中野note
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この前の日曜日、
本読みワークショップの前に藤沢に行きました。
ずっと参加しているドリームエナジープロジェクトの餅つき大会が
藤沢市の弁慶農園というところで行われたのです。

子どもたちも連れて行きましたが、
餅つき自体は自分の方が興奮し、ついたくさん食べました。
自分なりにソースを用意しようと、生まれて初めて、
ずんだ餡をつくった達成感も、餅へのタガを外させました。

子どもたちは餅には淡白でしたが、
同じ農園にいた山羊と馬には興奮していました。
自分は山羊は初めてで、ずいぶん神秘的な表情だと魅入られました。
『もののけ姫』のシシ神さまに通じる表情です。
角もたいそう立派でした。

が、内面は暴れん坊で、これまで幾人もの人にタックルを見舞ってきたそうです。
こんな知恵者のように面差しで、実は乱暴者だなんて。
感動とともに、今日は短め。

5/23(火)『鐵假面』研究の日々

2023年5月23日 Posted in 中野note
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まだまだ助走段階ですが、『鐵假面』の台本読みをしています。
唐ゼミ☆ではこの演目を2007年にも上演していますが、
当時を知っているのはすでに椎野と齋藤のみ。

台本の下地となる情報を伝えながら、まずは知識を入れる段階。
それを経て、台本を読める段階に進もうと、
地道な本読みをオンラインで行っています。

『少年王者』がどんな紙芝居か。
『ジロリンタン』がどんなラジオ番組だったか。
紙芝居屋とは。せんべいソースとは。『子連れ狼』とは。

そんな話をクリアして、知らないことが無くなったゾ!
という段階になれば、せりふの端々に振り回されず、
大掴みに登場人物が何を言おうとしているかが見えてきます。

2007年にこの芝居を上演した時、
自分には生活は人生に対する体験が足りませんでした。
だから、約50年前に大阪千日前で起こった火事の衝撃とか、
被害に遭った人たち、その家族たちのその後など、
いまに比べてまったく想像が及んでいなかったのだと
改めてこの台本を読みながら痛感しています。

彼らの人生が沁みるように伝わって、
そこから、唐さん一流の喜劇的な飛躍がある。
泣き笑いというか、笑いがなければやっていられないのが昂じて、
大哄笑の世界が現れる。そういう舞台を夢見ています。

津内口や林麻子、ちろ、椎野らの劇団員に加えて、
昨日は『唐版 風の又三郎』に出てくれた井手晋之介君も来てくれました。
たった一度かかわった唐十郎作品に惹かれての参加がうれしい。

この面白さを共有して、さらに体現できる人たちを
もっともっと世の中にはびこらせたいと思っています。

5/19(金)大阪の夜

2023年5月19日 Posted in 中野note
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↑関西テレビのたもとにトラック野外劇場をつくった時の写真です
2014年9月に上演した『木馬の鼻』より


現在、新大阪のホテルにいます。
今日は神戸に出張して、明日の朝の帰りを楽にするために
終電で移動してホテルに入りました。
ずいぶん以前は漫画喫茶に泊まったりして大阪の夜を過ごしたこともあり、
自分も大人になったものだと思います。
とはいえ、格安のビジネスホテルですが。

初めて唐ゼミ☆が大阪に来たのは、
まだ学生時代に上演していた『鉛の心臓』を持って、
天王寺のアベノロクソドンタという劇場に呼んでもらったのが始まりでした。
劇場経営者にして劇団KIO主宰の中立公平さんが呼んでくれた。
2003年のことでした。

それから、近畿大学が唐さんのフェスティバルを開いてくれたのが2005年。
一軒家で合宿しながら近大に通い、雪の中で『少女都市からの呼び声』を
上演しました。まだ3月だったから寒かった。

それからは、同じ関西である京都での公演が増えて
大阪にはもっぱら芝居を観に来るようになっていきました。

唐さんが近畿大学の学生たちと上演する劇も観たし、
特には唐組の春公演を一番早く観るために大阪に来ました。
『行商人ネモ』をよく覚えています。
維新派や犯罪友の会の劇も駆けつけて観ました。

2014年に上演したトラック版の『木馬の鼻』が、今のところ大阪で
上演した僕らの最後の芝居です。あの時は扇町公園で三日間やりましたが、
最後の日に台風と激突して、それでも、観客が13人集まってくれたので
強引に上演しました。翌日に踏み荒らした公園を整備したのは
大変でしたが、唐ゼミ☆のキャリアの中で面白い上演でした。

あれから10年が経とうとしているので、何かやりたい気持ちに駆られます。
青テントは設置と解体にコストがかかり過ぎるの、何か身軽な公演を持って。
明日の8:00には新幹線に乗り、横浜に帰ります。

5/18(木)『RIO BRAVO(リオ・ブラボー)』を観る!

2023年5月18日 Posted in 中野note
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↑画面ごしに撮影した痰壺。コインがまさに壺に投げ入れられようとするところ


昨日に書いた映画『RIO BRAVO(リオ・ブラボー)』のDVDが届きました。
ワークショップの常連メンバーFさんの証言によれば、
この映画の中に唐さんの『二都物語』に影響を与えた場面があるらしいのです。

勇んで観始めると、そのシーンはさっそくやってきました。
早撃ちの名人ながら失恋ののちにアル中になっているディーン・マーチンが
悪党にからかわれる場面。酒場で無一文ながら物欲しそうな視線を向ける
ディーン・マーチンに対し、悪役はコインを取り出し、それを柱のたもとに
設えられた壺の中に投げ込みます。

ディーン・マーチンが酒欲しさに仕方なくコインを取ろうとすると、
保安官役のジョン・ウェインがそんな情けないことをするなと壺を
蹴飛ばす。ここまで一切のせりふ無し、のなかなか見事な場面です。

これ。正直に言うと、今回のことが無ければ、
ほんの少しの時間で過ぎていくこの場面の壺が他ならぬ痰壺であることに
自分は気づかなかったと思います。
と言うのも、自分は実働しているリアル痰壺を見たことがないのです。

調べてみれば、2005年まで痰壺は法律でも容認されていたそうなのですが
自分が物心ついた1980年代の後半には、すでにその役割を終え、
本来は衛生環境を守るための痰壺がむしろ不衛生なものと見做される
に至っていたのではないかと推察します。
ですから、痰壺そのものに馴染みが無かった。

映画の冒頭シーンはほんの一瞬です。
Fさんの指摘のおかげで、自分は『二都物語』だけでなく、
ハワード・ホークス監督の『リオ・ブラボー』そのものもまた、
よく理解することができました。

それにしても、この一瞬の場面を覚えていて自らの芝居に盛り込み、
本来の映画以上にドギツいシーンに仕立てる唐さんは、
やはり剽窃の名人です。さまざまなディティールに鋭く反応し、
それを自分流にアレンジ仕切って見せる。唐さんの見事な手腕です。

5/17(水)『二都物語』に寄せられた情報

2023年5月17日 Posted in ワークショップ Posted in 中野WS『二都物語』 Posted in 中野note
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↑早く届け!と心待ち


いつも本読みワークショップに参加してくださっているFさんから
目下、研究している『二都物語』について情報が寄せられました。

この劇中、
有名な場面のひとつにリーランが100円をせがむシーンがあります。
彼女はすれ違う人たちに常に100円をくれるようお願いして回る。
が、これが単なる物乞いと違うのは、リーランが自らに課した過酷な
条件によります。

彼女は、お客に対して痰壺に100円を投げ込むよう頼む。
痰壺という極めて不衛生、普通だったら嫌がるものから硬貨を
拾い上げてみせると約束することで、まるで自分を見世物に
してみせる。これがリーランが自ら設定したアイディアです。
なかなか残酷で、忌まわしい仕掛けです。やはり印象的。

ワークショップでこのシーンを読んでいる時、
Fさんから、このシーンはある映画の影響だと指摘がありました。
その場では俳優ロバート・ミッチャムの出演作だという話になりましたが、
翌日にわざわざ訂正の連絡を頂きました。

どうやら正解は、ハワード・ホークス監督、
ディーン・マーチン主演の『RIO BRAVO』ということです。
1959年の映画。唐さんは西部劇が大好きなのでこれは当たりでしょうし、
ネットで調べたところ、確かに冒頭にそういうシーンがあるらしい。
唐さんは若き日にこれを観て『二都物語』に援用したに違いありません。

ずいぶん前の映画なので、格安DVDを注文しました。
ネット・レンタルも良いけれど、将来、何人かで観る可能性がある。
そこで買って持っておくことにしました。

明日には届くそうです。届いたらさっそく観てみるつもり。
Fさん、ありがとうございます!

5/16(火)みんなの2022年

2023年5月16日 Posted in 中野note

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唐ゼミ☆、ハンディラボで集合しています


ハンディラボに集まって夏の稽古日程について話し合ったり、

zoomで台本を読んでいます。

タイトルが『鐵假面』ですから、必然的に最も重要な道具は鉄仮面です。

その造形をどうするか。本読みを通じて

どうすれば効果的になるかを探っていきます。


去年、イギリスにいた時にはずいぶん鎧兜を見ました。

そういう中で参考になるものを見せたりもします。

ヨーロッパで流布していた鎧を眺めていると、

剣や槍や矢で刺されないように隙間を塞ごうと必死です。

しかし、隙間を塞ぐほどに重量は増し、可動域は減り、

これでホントに身動きが出来たのだろうかという仕上がりです。


人間の必死は、それを俯瞰で見るとコミカルに見えます。

ひとつの芝居を巡って延々と考え、話している風景も似たようなものか。


時には、2021年に『唐版 風の又三郎』に出てくれたメンバーと再会し、

旧交を温めたりもしています。


ワダ・タワー、佐藤昼寝、赤松怜音、渡辺景日、鷲見武。

みんなゴッツくなっています。

体格ではなく、存在というか、肝が太くなった感じがしました。


あれから一年半経つ間に、多くの出演を重ねたそうです。

自ら企画を手がける立場になったり、逆に所属団体がピンチになったり、

舞台以外の声優の仕事に盛んに挑んでいるという話も聞きました。

それぞれのチャレンジ、時には修羅場を潜り抜けてきた事が

伝わってきました。


自分はイギリスにいて、時間が飛んでいるような感じです。

行動が連続していないので断絶した感じ。

あの11ヶ月がどういう風に自分の行いに影響してくるのか。

公演準備が進むと見えてくるはずです。


劇団員の齋藤は私たちの集合場所であるハンディラボを活用して

仕事をしていたそうです。他の団体の舞台監督を受けてやっていた。

重点的に掃除をしたらしく、倉庫の中の空気がキレイになった感じが

しました。具体的に動いていると、皆の変化が見えてきます。

5/15(月)『二都物語』本読みWS 第2回レポート

2023年5月15日 Posted in 中野note
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↑パーカーの万年筆。元日本人たちはこの偽物を路上販売することで
生活しているという設定です。万年筆への憧れ。一定世代以上、年齢が上の
人たちは持っていると聞きます


本来は毎週日曜日に行う本読みWSですが、
昨晩は特殊な予定アリだったために振り替えて本日に行いました。
月曜にも関わらず多くの方が参加してくださり、ありがたい。

今回、『二都物語』2回目はついにヒロインのリーランが登場しました。
彼女は働き先のレストランでお客に100円をせびり、クビになったのです。
それで職安に返されてきた。ところが課長が率いる職安の部下たちには
彼女に仕事を紹介した記憶がありません。

強かな彼女は嘘を言ってこの職安に連行されたのです。
それからは100円を巡る問答。彼女がなぜ100円をもらうことに固執するのか。
それは次に起こることへの伏線です。

リーランはお母さんのお腹にいる時に朝鮮海峡をわたり、
日本にやってきました。そういう出自もせりふから明らかになります。

一方、課長率いる噂の職安連中もまた、朝鮮半島から日本に渡ってきた。
ただし、ここが重要なのですが、彼らはあくまで日本人です。
正確に言うと元日本人。

戦前戦中に日本から大陸にわたり、戦後も内地に帰らなかった人々。
それが彼らの正体です。あるいは、帰れなかったのかも知れません。
いずれにせよ、今では自分たちの戸籍が日本にあるのかわからない。
しかし、彼らは日本に帰ってきた。

そして、日本で働いて生きようにも戸籍がないので仕事が見つからない。
だから噂の職安を開いたり、夜はつぶれた工場からかっぱらってきた
万年筆を行商します。同情を引いて粗悪品をお客に捕ませる商売です。
(ここの描写がおもしろい)

昨日やったシーンの終わりでは、本物の職業安定所の役人が
刑事を連れて課長たちのニセ職安を摘発しにやってきますが、
実はその刑事もまたニセモノであり、ニセモノ勢が勝ってしまいます。

大切なのは、ニセモノ勢=元日本人だということです。
同じ「海峡を渡ってきた者」にしても、リーランは朝鮮にルーツを持つ者。
課長たちは日本で生まれ育ちながら大陸に渡り、戦後もそこで暮らした者。

同じ戸籍が無いにしても、この部分が違うことは先ほども書いた通りです。
『二都物語』というと、どうしても「朝鮮半島から日本に渡ってきた人たち」
の迫力で押されてしまって、彼らの差異は二の次な印象を受けます。

私たちのWSでは、両者の違いに丁寧に注目しながらこの先を読み進めます。
次回はリーランの過去が語られます。悲劇的な記憶に触れつつ、
その分、美しい主題歌も立ち上がる。愉しみに参加してください。

5/12(金)盛れば盛るほど

2023年5月12日 Posted in 中野note
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↑高校1年生(手前)と3年生の大豪院邪鬼(奥)では、こんなに
身体のデカさが違う(『魁!男塾』より)


話を盛りすぎること、大歓迎です。
自分だって同じ話をするたびに自然と話を盛ってしまう。
そういう性質の強い方だと自覚しています。

GWこの方、さまざまな本を読みましたが、
シュリーマンの超有名著作『古代への情熱』を初めて読み、
これを大いに愉しみました。

シュリーマンが自ら築き上げたストーリーをざっくり振り返ると、
次のようなあらましです。

幼い頃に読んだホメロスを人生の聖典とし、
商才、語学の天才を生かして一代で財を成す。
しかし、それは彼自身にとって副次的なもの、
築き上げた富を投じて遺跡調査に乗り出し、
傍の良妻に支えられて見事に伝説の宮殿を発見する。

事実は小説より奇なり、と言いたいところですが、
彼のレポート自体が書かれたものであって、必然、自らの人生が
より劇的に、自説が有利になるよう、それは盛りに盛られて
ここまでに膨れ上がった。
そういう感じがすることに好感を持ちました。

事実より、自分がこうであったらと願う誇大妄想、
こんな風にしちゃえという改ざんにこそ、より人間味があるからです。

唐さんで言えば、同じバングラデシュ行を唐さん自身が書いたものと、
状況劇場の劇団員だった山口猛さんの書いた記録との隔たりにこそ、
この二人の真骨頂があります。

『ギルガメシュ叙事詩』なんかを読むと、
古代の王は800年くらい平気で生きています。
しかし、それが一概に嘘かというとそうでもない気がします。
往時の時間感覚からすれば、1週間は悠久の時かもしれないからです。

同じ伝でいけば、ガルシア=マルケスの『族長の秋』など、
現代においてもそういう時間感覚を活かすことに成功していて
喝采します。この物語の中で独裁者は数百年を生きており
だからこそその独裁の強烈さが読者に伝わってくるのです。

そういえば、ずいぶん以前に見た深夜番組の中で
伝説の400勝投手、金田正一は「ワシの球は180キロは出ていた」
と豪語していました。「ありえない数字だ!」と芸人が詰めよると
金田さんは平然と「心の180キロだ!」と言ってのけました。
さすが金田さんは冷静さも持ち合わせている。
ホンモノを感じさせます。

子どもの頃に読んだ『魁!男塾』の大豪院邪鬼もそう。
登場した時に身長3メートルを超えて描かれた彼は、
後に、ひ弱な一年生たちの畏れによって実物より遥かに巨大に
見えていたのだと語られます。これもまた一つのリアリズム。

絵画に印象派があることからも分かるように、
人間を信ずる限りこれらはすべて真実に他なりません。

5/11(木)青梅で思い出した唐十郎作品

2023年5月11日 Posted in 中野note
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↑青梅駅構内には駅にちなんだ映画の看板
真ん中は唐さんの好きなあの名作

ゴールデンウィークの最終日に青梅に行きました。
目的は映画を観るためです。シネマネコという、
可愛らしい木造の映画館が目的地でした。

が、映画以上に、青梅駅周辺を歩きながら思い出したことがあります。
それは、唐さんがかつて上演した『紙芝居の絵の町で』という芝居
でした。初演は2006年。唐さんが一日、都内を歩いてネタを探し、
使い捨てコンタクトレンズをヒントに書いた、紙芝居作家たちの
物語でした。

あの中に、当時は丸山厚人さんの演じた
「群青疾風(ぐんじょうはやて)」という看板描きの青年が出てくる。
カッとしがちだけど腕が立つ看板絵師の彼の仕事場こそ、
この青梅駅周辺でした。

確かにあの街には、古き佳き映画の看板絵がそこここにあって、
青梅を訪れた人の関心を誘う名物になっていました。
唐さんが好きな『鉄道員』の看板もあって、
自分は唐組での『紙芝居の絵の町で』だけでなく、
『ジョン・シルバー』の冒頭に映画『鉄道員』の
テーマミュージックを使ったことも思い出しました。

唐さんのおじさんは満州から引きあげてきた後に
国鉄田町駅の助役となり、そういった連想からも
唐さんは『鉄道員』が好きなのです。
ということまでも思い出しながら街を巡りました。

2006年春公演の台本を書くための取材は
きっと2005年10〜11月頃だったはずです。

その時、唐さんもまた同じ青梅の街を巡り、
あの、長大で流麗な群青疾風の長ぜりふが描写したせりふを
構想したはずです。そういう唐さんの姿を想像しながら
青梅を歩いていると、すばしこい唐さんの、あの歩行の
緩急が見えるようで、雨の青梅がずいぶん愉しいものになりました。
遠かったけれど、またひとつ唐さんの足跡を追うことができました。

5/10(水)透明人間は囁く

2023年5月10日 Posted in 中野note
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林麻子と丸山正吾、この二人と観に行きました!


唐組『透明人間』の花園神社初日を観ました。
良かった。だから、あれからずっと『透明人間』とは
どんな劇だったのか考え続けています。

今までの上演も良かった。
タイトルを変えて上演された『水中花』も『調教師』も含め、
何度も再演されてきた『透明人間』はいつも傑作だったけれど、
今回は特に、ただ面白さに流されるだけでなく、
この劇を真正面から読み解いてみたい、
そういう風に誘いかけてくる上演でした。


この劇は、戦中の中国と1990年初演当時の日本にいる、
二人の「モモ」という名の女性を軸に展開します。

一人は太平洋戦中を生きたモモ。
もう一人は、バブル期のさなかに日本にやってきたモモ。
両方とも、モモは中国に生まれた女性です。

"女性"と書いたのには理由があって、
特に太平洋戦争下のモモは、犬の名前でもあるからです。

唐組が2003年に初演した『泥人魚』のヒロイン・やすみは
「ヒトか魚かわからぬ女」でしたが、戦下のモモは
「ヒトか犬かわからぬ女」として書かれています。
ここがこの芝居の唐さんらしい不思議さであり、面白さです。

1989年に当時10代の木村拓哉さんをフーテンに配して再演された
『盲導犬』の痕跡が、ここに感じられます。
あの劇は、ヒロイン・銀杏が犬になぞらえられる物語だからです。

ともあれ、どちらのモモにも共通するのは、
彼女らがアジアに進出する日本によって組み敷かれた存在であること。
過去には軍事的な力により。1990年当初は経済力により。

ただし、その中には真実の情愛が宿ることもあるわけで、
「辻(つじ)」という男は父子二代で彼女らを利用し、
同時に心底愛しもする。

今回、過去に連なる「モモ」を大鶴美仁音さんが演じ、
現在のモモである「モモ似」に藤井由紀さんが扮しました。
この配役が素晴らしい。

まず、美仁音の優れたところは「犬」を濃厚に体現したことです。
隠喩としての「犬」でなく、「犬」そのものとして舞台にいた。
辻の父親との種を超えた愛を表現する佇まいに驚きました。
そして、藤井さんはリアリズム。中国から日本に
出稼ぎにやってきた水商売の女の哀しさと強かさを演じ切ります。

その上で、今回の上演が優れていたのは、
タイトルが『透明人間』であることを存分に考えさせてくれたことです。
二人のモモだけなら、この芝居は唐さん自身が一度は改題したように
『水中花』でも良い。また、この劇の元になった小説のタイトル
『調教師』でも良い。けれど、この芝居はあくまで
『透明人間』として書かれたのです。

どうしてなのか。そのヒントを
この劇にとって第三の女性である「白川先生」が与えてくれます。
欲求不満の分裂症である彼女には「透明人間」が見える。
悪意や情愛という相反する情念に私たちをけし掛ける透明人間。

2幕エピローグ前の暗転時に彼女が黒板消しを投げるのは、
その寸前に起きたカタストロフの元凶を、彼女が突き止めようと
しているからに他なりません。

典型的な保健所員=小役人を自覚する主人公・田口、
腸が長いだけのつまらない日本人であることを嘆く田口が
二幕の後半になって突然に「経済」を口にする時も
やはり「透明人間」がカギになります。
(思えば、序盤に合田が田口をからかって言う、労働とは何か?
というせりふが終盤でグッと生きる仕掛けになっている)

経済や軍事を推進する人間、同時に情愛に満ちている人間。
人間の得体の知れなさ、乱反射する人間の欲望を突き動かす
存在「透明人間」を唐さんは描いている。そう実感しました。

唐さんにとって、バブル経済を生きる人々、
人々を駆り立てる欲望は得体が知れなかった。
日本を戦争に駆り立てた衝動もまた得体が知れない。
その正体を見極めようと、唐さんは『透明人間』を書いた。
『透明人間』の輪郭を見極めるには白墨の粉が必要だ、
そう思って、黒板消しを白川先生に託した。
もちろん白川先生は、幼少期の唐さんにとって
「すべてを識る者」だった女教師・滝沢先生の面影があります。

・・・と、これが今現在の私の『透明人間』です。
明日になれば、さらに深化した『透明人間』に気づくかも知れない。
もう一度観れば、もう一つ『透明人間』に接近できるかも知れない。

そんな風に観劇後も頭の一部を侵されることこそ、
唐十郎作品の醍醐味です。この優れた劇の正体に向かって
自分もエイヤッと黒板消しを投げたい。
そういう衝動に自分を突き動かしてくる。
これぞ傑作の効能と言えましょう。

5/5(祝金)今日は『秘密の花園』のために

2023年5月 5日 Posted in 中野note
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端午の節句です。
用事があって近所を歩き回り、それから都内にも出ましたが、
道々目にする和菓子屋にお客が殺到していました。
柏餅。皆さんがあれを食べようと躍起になっているのを見て、
"日本"は私たちの中にまだ生きているな、と思います。

私は今日は混んでいるので行きません。
来客用に和菓子を用意していく中で、今年はすでに二度、
柏餅を食べました。殊に味噌あんが好きなのですが、
そのようなわけで満ち足りています。
今年に三度目があるにしても、明日以降でいいや。

他方、唐十郎研究において今日はより重要な意味をはらんだ日です。

今年に入ってから『秘密の花園』について本読みWSをやりましたが、
あの芝居に出てくる数々の小道具の中で、突出して重要なのが
菖蒲の葉です。1幕には、端午の節句の銭湯で子どもたちが
我先にと立派な菖蒲の葉を奪い合う描写も出てきます。

下町を体感的に知り尽くした唐さんの景色です。

これまでは漫然としてきましたが、
ああして台本に取り組むと、俄然、実際の銭湯が
気になり始めました。果たして、あの大きなお風呂に
満々と菖蒲の葉が浮いているのかどうか。

そこで、実際に行ってきました。
お馴染みのカフェ・バー・タケウチにも用があったので、
まずは吉原に行き、それから『秘密の花園』の舞台、
日暮里の周辺へ。外国人観光客の多い谷中に朝日湯という
銭湯があって、電話したら、ちゃんと菖蒲の葉を浮かべている
ということでした。

果たして、実際に菖蒲の葉はありました。
もちろん、唐さんが書いたほどの量はありませんでしたが。
銭湯の中ゆえにスマホで写真を撮ることはできないものの、
しっかりと目に焼き付けました。こうして、またひとつ
せりふの中身に説得力が持たせられると思います。
役者にアドバイスする時にも、実感が伝えられようというものです。

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5/4(祝水)ヘラ絞り、その底無しの魅力

2023年5月 5日 Posted in 中野note
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↑これが見て良し、触って良しのヘラ絞り製タンブラー

最近、何を見てしまうといって、ヘラ絞りの動画を見てしまいます。
その作業の行程、ヘラによって滑らかに湾曲していく金属板の波。
仕上がりの厚みの恐ろしく均一なこと。そして、その手早さの妙。

とにかく魅入られてしまって。
蕎麦屋に入って蕎麦が出てくるまでの間とか、
電車を待つ間、打合せの合い間にも、気になって熟練の職人仕事を
収録した動画を見てしまいます。

そこへきて、
先日に恐竜ショーをやっていたヒカリエに行った時、
8階で神奈川県の特産品をやっているのに気がつきました。
こちらはここ5年間、特に神奈川をウロウロするのを仕事にして
きましたので、これは見逃せないと中に入りました。

そこで見つけた、憧れのヘラ絞りによるタンブラー。
川崎市高津区にある相和シボリ工業という会社の製品とのことですが、
これがめっぽう美しい。いや、美しいというレベルを超えて
艶かしい。普通だったらツルツルにする絞りの跡をわざと
残したデザインが、絶妙な触り心地を生んでいます。

買いました。
といっても自分のためではなく、近く外国から来る人に
地元の名産品をプレゼントしたいと思っていたので、
この上ない逸品だと思ったのです。

そして家に持ち帰ると、
取り出せる梱包のために中身を外に出してはしげしげと見てしまう。
手に取りながらまたまた動画も見てしまう。
お渡しするまでの間、ずっとこれが続きそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=tn6vkuj5oLM

5/1(月)すごいぞ!ディノサファリ

2023年5月 1日 Posted in 中野note

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↑想像していたよりデブちんで可愛らしい体格! アンキロサウルス


本来であれば、今日は昨晩のワークショップのレポートをする日です。

が、昨日のお昼に観に行ったショーに大興奮したので、

その話題を先に紹介します。『愛の乞食』最終回は明日にしましょう。


もともと、東横線に乗りながら『恐竜ライブ ディノサファリ』の

中吊り広告を発見しました。何がソソると言って、

"動くトゲトゲ戦車"鎧竜アンキロサウルス初登場!と銘打ってあります。


そして、当のアンキロサウルスの姿がシークレットになっていました。

アンキロサウルス・・・


私は恐竜に興味がありませんでした。

多くの子どもたちが恐竜を好きらしいのですが、

小さい頃から全く興味がない。


ところが、息子の真義(さねよし)は恐竜が好きなのです。


そして、好きになりたての頃、数ある恐竜フィギュアの中から

彼が選んだのが、今回のショーのスペシャルとして紹介されている

アンキロサウルスでした。


初めて恐竜フィギュアを買ってやろうとした時、

もっと売れ線のティラノサウルスやトリケラトプスでなく、

アンキロサウルスを選んだ息子をどうかと思いました。

トゲトゲしているし、格好もずんぐりしてシャープではない。


けれども、初めて観に行ったこの恐竜ショーでは、

アンキロサウルスは実に見事にエースとして登場し、

気は優しくて力持ち、という振る舞いを見事に体現しました。


尻尾の先に付いている妙な膨らみは、

実は敵に対しハンマーの役割を果たし、大変な威力なのだそうです。

感心!


ショー全体としても、シンプルな空間で魅せながら、

恐竜たちの造形と動きが実にシャープに再現され、

躍動する姿にはとにかく見応えがありました。

私の人生で、初めて恐竜に興味を覚えました。


来年もまた新種を加えて新しい展開があるらしい。

あの恐竜の造形。あの動きの面白さ。気になる。


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4/28(金)5月から『二都物語』

2023年4月28日 Posted in 中野note
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↑5〜9月はこの単行本に集中!

今度の日曜日、『愛の乞食』本読みが完結します。
「愛の乞食』が終わったら、5月からは『二都物語』に取り組みます。

『二都物語』こそは、唐さんにとってエポックな、
伝説的な演目です。その初演を観た人は誰れもが冒頭シーンに
度肝を抜かれたと言い、大久保鷹や李麗仙がすごかったという。

一方で、じゃ、どんな話だったのかというと、
よく思い出せない人がほとんど全員という謎めいた演目でもあります。
話を思い出せなくったって、すごいものはすごい。
いや、話を思い出せないのにすごいからこそ、ホントにすごい!
とも云えます。

前にも書いたことがありますが、
『二都物語』こそは、私が唐さんに上演を止められた二演目の
うちの一つです。もう一つは、韓国で『泥人魚』をやろうとして
断られました。

『二都物語』については、「あれは李(麗仙)のものだよ」
というのが理由ですが、著作権とか、筆を動かしたのは自分とか
そういうものを超えてインスパイアされた作品という仁義が
そう言わせたのでしょう。『泥人魚』の場合も、
「あれは唐組のものだ」と。

秋に『鐵假面』を上演します。
当然、『二都物語』が終わったら上演に合わせて『鐵假面』を
題材にオンラインWSをします。

大ヒット作というだけでなく、『鐵假面』の前段という側面からも
『二都物語』を読みます。一冊の単行本に収まった二本の理想上演が
皆さんの脳内で立ち上がります。

4/27(木)ミミの快挙とドガドガプラス

2023年4月27日 Posted in 中野note
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ミミがブッシュ・シアターのエクゼクティブ・ダイレクターに!

今日はロンドンから嬉しいニュースが届きました。
去年、The Albanyでいつも自分をサポートしてくれた
ボスで相棒のミミが、Bush Theatre という高名な実験劇場の
エクゼクティブ・ダイレクターに就任することが決まったそうです。
https://www.bushtheatre.co.uk/bushgreen/introducing-our-new-executive-director-mimi-findlay/

これはもう、掛け値なしの快挙であり、カッコ良いことです。

ミミはナショナル・シアターで長いこと働いていたそうです。
いわば古典と現代劇の保守本流です。
それからThe Albanyで地域の多様性を表現に変える
コミュニティワークに取り組みました。
そして、ブッシュ・シアター。

ここは私も観にいきました。
さほど大きくはありませんが、ロンドンでは実験的な演劇をすることで
有名な劇場です。私はここで、3人の黒人青年がフットサルをやりながら
演じる会話劇を観ました。機敏な劇場、そういう感じがしました。

ミミのこのキャリアの積み方は相当にカッコ良い。
演劇の基礎を働きながら学んで地域貢献に従事し、
そのあとは実験的な劇場を取り仕切るようになるわけです。

実に軽やかで、"人間"に根差したステップアップをしています。
30代後半の小柄な黒人女性であるミミは明らかに優秀です。
そんな彼女が、当たり前のように劇の本流と地域貢献を併せ持つ
存在として頭角を表そうとしているのに、思わず喝采してしまいます。

すごいぞ、ミミ!!!


また、今日はドガドガプラスを観に行くことができました。
コロナの影響で何度も中止の憂き目に遭ったことも知っていましたし、
望月さんに並々ならぬ想いがこちらにも伝播する内容でした。

実際、今回から始まったシリーズは問題の多いAV新法に触発されたもので、
アダルトビデオ黎明期の真っ只中を生きた望月六郎のキャリアが
縦横に活きた完全新作でした。そういう業界の実態を詳らかにされる
だけで、大きな価値と愉しみがあります。

加えて、独特のリズムを持った面白いキャストが揃っています。
特に始まってから1時間半はストーリー展開よりも個々のエピソードの
応酬で、ひたすら個人技で見せていく軽快な無意味さを心地よく
味わいました。後半30分は思弁的になって難しくもありますが、
これはあくまで第一作であり、さらにシリーズが続くことを
予感させて終わります。見知った役者、初めて見る役者、
それぞれに楽しく、久々に観られて本当に良かったと思わせる内容でした。

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4/25(火)他人のせいにして悪さをする男

2023年4月25日 Posted in 中野note
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↑あなたはジャギさんです!

『愛の乞食』に登場するミドリのおばさんこと元海賊の尼蔵(あまぞう)。
芝居に登場する3人組海賊の兄貴分である彼はなかなか魅力的な悪党です。

彼の名前、尼蔵は明らかに尼港事件の「尼」から取られたネーミングです。
初演時には麿赤兒(当時:赤児)さんが演じて、冒頭に公衆便所で、
小便器に向かって吐いている後ろ姿だけで、それはもう相当な
気持ち悪さだったと聞きます。これは実際に舞台を見たという人の証言。

当時の状況劇場は評判の劇団とはいえ、本格的に観客が押し寄せた
1972年『二都物語』からだそうなので、なかなかレアな体験といえます。

劇の中で、尼蔵とシルバーは敵対する存在です。
不良兵士たちのリーダーである尼蔵と、
兵士たちの不品行を取り締まる立場の憲兵シルバー。
同じ日本軍兵士でありながら、その中に悪人と善人がいる。

この構図を踏まえないと、この芝居はよく分かりません。
なんだか誰も彼もが悪党に見えてしまうと、話についていけなくなる。
ここを押さえれば、実はシルバーは海賊ではないことがわかります。
彼は、尼蔵たちによって濡れ衣を着せられ、海賊であるとの
風評をたてられた被害者なのです。

他人のせいにして悪さをする男といえば、
私の世代の男性にとっては、冒頭に挙げた彼のことを思い出します。

『北斗の拳』に登場する北斗四兄弟の中で、
ラオウ、トキに次ぐ3番目の男としてジャギは登場します。
主人公ケンシロウは末弟。末弟が後継者となったことで起こる
兄弟間の闘争が、第一部後半の主題でした。

3人の兄たちの中で最初に登場するジャギは
兄弟の中で抜きん出て弱く、また卑劣な男です。
かつてケンシロウに試合で敗れたことを恨みに持った彼は、
ケンシロウのトレードマークである7つの傷をわざと胸につくり、
各地で悪行三昧をします。

そして決め台詞「おれの名をいってみろ」と被害者たちに迫り、
「ケンシロウ=悪」というレッテルを各地で拡めるのです。

まさに尼蔵のようではありませんか。
原作者の武論尊先生が唐さんの『愛の乞食』を観ていたかどうかは
わかりません。が、私は『愛の乞食』を読みながら、
「ア、アニメで見たジャギみたい」といつもこの愛すべき悪党を
思い出すのです。

4/21(金)オルガンと唐十郎②

2023年4月21日 Posted in 中野note
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『煉夢術』と小説版『ガラスの使徒』。それぞれ単行本になっています

今日は、昨日書いた演奏会の本番でした。
オルガン・プロムナード・コンサートというのはいつも
昼間のランチタイムに行っているから、今回のも12:10開演。
私のようなテント者、芝居者にはなかなか不慣れな時間だと
思いながら本番にあたりました。

400回記念ということで豪華メンバーによる出演でした。
なにしろ、4人のうちの3人が日本オルガニスト協会の会長経験者
(1人は現役の方)であり、一人は若手のホープである県民ホールの
アドバイザーなので、これで入場料500円とは大盤振る舞いでした。

曲の違いもさることながら演奏家によって鳴り方が違うものだと
聴き比べながら舞台裏で過ごすことができたことが贅沢でした。


ところで、昨日はオルガンと唐さんの関わりについて、
『煉夢術-白夜の修辞学或は難破船の舵をどうするか-』を紹介しました。
が、もう一本、大事な作品があるのを忘れていました。

それは、2005年に封切られた映画『ガラスの使徒(つかい)』です。
唐さんがシナリオと主演を行い、金守珍さんが監督した作品です。

あの映画では、巨大な望遠鏡を作るための"レンズ"が重要な役割を
果たします。唐さんはレンズ職人に扮し、主人公サイドの
経済的ピンチを救うために、とびきりのレンズを研磨します。
しかし、そのレンズ磨きには特殊な砂が必要でした。

その砂は、今はダムの底に沈んだ小学校の校庭にだけあり、
ヒロインはそれを取りに行きます。そして、小学校の校舎に、
同じく水底に沈んだオルガンを発見する。水中でオルガンを弾くと、
一音一音が大きな気泡となり、遥か上方の湖面を目指して
踊るように舞い上がっていく、というシーンが描かれます。

いわば、主人公たちが絶体絶命の危機を乗り越えるための
反撃の狼煙を歌い上げるのが、湖底のオルガンの役割でした。

面白いことに、この水底のオルガンのイメージは、
65年に書かれた『煉夢術』にすでに現れています。
あの劇にも、海底からオルガンの音が
空気の塊となって浮上していく、というせりふがある。

20代の頃に得た着想が40年を経ても揺るがない。
唐さんの自らのアイディアに対するこだわりを、オルガンが登場する
二つの作品を通じて味わうことができます。

4/20(木)オルガンと唐十郎

2023年4月20日 Posted in 中野note
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↑4/21(金)オルガン・プロムナード・コンサート
 400回記念スペシャルのチラシ。

今日はこの公演の準備をして過ごしました。

今年に入って勤め始めた神奈川県民ホールの小ホールには
ドイツ製のオルガンがあって、このコンサートは月に約1回弱の
ペースで行われます。この習慣は開館した1975年以来、
48年に渡って続けられてきたもので、それが明日で400回。

この定例シリーズ以外にもオルガンに関わる公演はいくつもあって
かなり驚異のペースといえます。他面、オルガンを持つということは
日常的に演奏家に弾いてもらってコンディションを維持しなければ
ならない。巨大ですが繊細な楽器でもあるようです。

そして、せっかく弾いてもらうならばお客さんにも聴いてもらいたい。
という思いが重なって400回。明日は特に豪華で、通常は1人の演奏家に
よるコンサートなのですが、4人の演奏家が揃い踏みします。

そのようなわけで、急速にオルガンに親しんでいます。
急に身近になったオルガンのある日常です。
思えば、去年たまたまイギリスにいたことはかなり役に立っています。
かなり多くのバリエーションの教会を見て、コラールにも参加したので
期せずしてキリスト教と結びついたオルガンの姿に
たくさん接してきました。


唐十郎作品の中でオルガンが登場する演目といえば、
『煉夢術-白夜の修辞学或は難破船の舵をどうするか-』です。

時計修繕を仕事にする青年が彷徨い込んだ街には高い塔があり、
そこからオルガンの音が鳴り響いている。そして実は
オルガンが聴こえる時に、この街では誰かが死んでいく、
という設定です。・・・かなり暗い。

唐さんが書いた3本目の台本です。
唐ゼミ☆では2005年初夏にこれに取り組みましたが、
その陰鬱なところ、思弁的なせりふがあまり会話にならず
モノローグ気味に展開するところに、かなり若書きの印象を受けました。

劇作を始めたばかりの唐さんが役者を得て彼らを活かすための
書き方を開発し、喜劇的に弾けまでの習作という感じです。
あと、唐さんだけでなく1960年代の日本の青年たちの、
ヨーロッパに対する強烈な憧れを感じる劇でもあります。

オルガンに少しずつ詳しくなり、響きを身近に感じ始めた今だったら、
だいぶ違った風に上演できるようにも思います。
角川の文庫にもなっているので、ちょっと読み返してみよう。

4/19(水)軍歌というもの

2023年4月19日 Posted in 中野note

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↑軍歌活用ランキングNo. 1はこの場面でしょう

『唐版 風の又三郎』唐ゼミ☆2021年公演より(写真:伏見行介)



軍歌を愛好しているというと、戦後民主主義社会では波紋を呼びます。


が、唐十郎作品の中にも軍歌は登場します。

一番見事に軍歌が使われた例は『唐版 風の又三郎』で活躍した

『荒鷲の歌』です。あの、帝国探偵社の面々がふんどし姿で跳び回り、

♪ぶんぶん荒鷲、ぶんと跳ぶぞ〜と歌い上げる場面は、

誰がどうやっても盛り上がり、爆笑に包まれる鉄板シーンです。


いま読んでいる『愛の乞食』にも軍歌は登場します。

『独立守備隊の歌』『満鉄の歌』など、一瞬にして満州の空気を

充満させる効果が絶大です。


私が聞いたところでは、初期の紅テントにおいて、

芝居がはねた後の車座の宴会では、どんぶりを箸で

チンチン叩きながら、たびたび軍歌が歌われたそうです。

いわば座興の盛り上げソング。


初めてこれを聞いた時は驚きました。

初期状況劇場といえば進歩的な人たちの集まりであったはず。

どちらかといえば反体制的、左翼的な傾向が強い面々にあって、

彼らが軍歌を歌い上げている光景は想像し難い。


けれど、澁澤龍彦さんなども軍歌で盛り上がるクチらしいのです。


こうした事実を面白いと思います。

歌に込められた思想信条は別にして、小さい頃から高揚した歌に

身体が勝手に反応してしまう。そういうこともまた、

歌が持つ強い側面だということです。


小さい頃に観ていたアニメソングみたいなものか、とも想像します。

刷り込みが効いているので、『ドラゴンボール』や『聖闘士星矢』や

『北斗の拳』の主題歌に、思わず体が反応してしまう。


自分はそういう世代です。気づけば全て少年ジャンプ系。

4/18(火)兵2の衝撃

2023年4月18日 Posted in 中野note

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↑唐ゼミ☆2010年公演より。右が重村大介この時も兵2は彼のもの

(写真は伏見行介)



日曜に読んだ『愛の乞食』二幕一場について、

私たち唐ゼミ☆劇団員が素通りできないエピソードがあります。

それは、今は唐組で頑張っている元団員の重村大介について。


彼が横浜国大に入学してきた時、周囲は一様に驚きました。

よく「オレって人とは違うんだよね」とか、「いや、オレこそが」などと

自意識過剰な青年世代は個性的であることを競う合う風潮があります。

が、重村こそはダントツの、飛び抜けて変わり者でした。


あの喋り方、オドオドとして、その実けっこう自信満々な物腰。


4年間の浪人生活を終えて大学生となった彼は、

当時、皆に「ヨン様」と呼ばれていました。

そして、彼が大学の講座で『愛の乞食』により初舞台を踏んだ時、

それを観た学生たちは度肝を抜かれました。

・・・とにかく、何を言っているのかよくわからない。


決して唐さんのせりふが難解だからではなく、

重村のあの喋り方によって、日本語がまったく聞き取れない。

彼は顔を真っ赤にして目をつぶり、大音声で叫び続けました。


初めて登場したのはガードマンの役、長ぜりふは散々でしたが

しかし、一人二役を兼ねて2回目に登場した時、奇跡が起きました。


「兵2」です。兵2が登場するのは兵1に次いで二番目。

兵1がしたやり取り、言ったせりふを兵2もそっくり繰り返してやる、

そういう仕掛けのシーンで、重村は爆発しました。


どんな筋立て、やり取りかはあらかじめ兵1がやってくれているので、

観客は事前に何が行われるかを知ることができました。

その上で兵2に扮した重村は、他の誰にも真似できない行き方を突き進む。


例えば、「キャラメルはありません」という何でもないせりふ。

重村にかかると「ぎゃらべりばせん!」という叫びに変化しました。

重村がひとこと発する度に、狭い研究室に詰め込まれた30人が湧き、

部屋が揺れました。思えば、あの時の演出は唐さんの跡を継いで

大学に来てくださった久保井さん。


・・・あの頃に比べると、重村のせりふはずいぶん分かりやすくなりました

少し寂しいような気もしますが、あの時は同じやり取りを繰り返す

兵2だからこそ威力を持ったのです。


『透明人間』での素晴らしいせりふ回しに期待しましょう。

4/14(金)滝沢先生の棲家

2023年4月14日 Posted in 中野note
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↑坂本小学校跡地の角から撮ったパノラマ写真。右手が言問通り

先日、台東区に行ったので、恐る恐る入谷坂本町に寄りました。
渡英前に2週にわたって大掃除に加わって以来、約15ヶ月ぶりです。
唐さんの卒業した坂本小学校は一面平らなコンクリートになっていました。

もともと校庭だった場所はフェンスで囲われ、
ずっとそうであったようにサッカーのクラブ活動が継続されていました。
が、他はガランとして、変わり果てた平らな土地が広がっていました。

ロンドンから、facebookでの投稿を見ていましたから、
小学校が解体されるプロセスも知っていたつもりですが、
やはり感覚的にはあまりに一足飛びで、愕然としました。
立体的にあったものが、こうまでさっぱりしてしまった。

坂本小学校をはじめ周辺の小学校は、
1923年に起きた関東大震災後に建てられた建物がいくつもあります。
そのために頑強につくられていて、当時の日本の勢いを反映し、
さまざまな意匠も凝らされていました。

太平洋戦争中は福島に疎開していた唐さんは
戦後に下谷万年町に戻り、この場所にあった坂本小に通いました。
相当に内気な少年だったらしいのですが、それが、担任の滝沢先生に
朗読をするよう命じられ、これをうまくやってのけて褒められたところから、
芸能開眼したとのことでした。

当時、滝沢先生は校舎に住んでいたそうです。
それが戦後の混乱期の日常なことなのか、宿直的なことなのか
分かりませんが、夕方、校舎の窓から下校する子どもたちを見送る
滝沢先生を、唐さんはよく憶えているそうです。

それに影響されて、自分もまた坂本小学校を訪ねると、
滝沢先生はどのあたりにいたのだろうか、と想像を膨らませたものです。

ああ、あの校庭と校舎を使って『黄金バット〜幻想教師出現〜』を
上演する機会は永遠に失われてしまったのだと実感しました。
これまでの間に、もっとやっておくべきことがあったのではないかと、
後悔が募ります。

4/13(木)三浦半島にて

2023年4月13日 Posted in 中野note
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↑東京湾入り口にある観音崎はひっきりなしにタンカーが往きます


今日は三浦半島に行きました。
いろいろな場所がありますが、これまでに一番気に入って、
折に触れて訪ねてきたのは横須賀美術館のある観音崎という場所です。

まだ横浜に来て数年の大学生時代、
アルバイトしていたコンビニの店長は、私をいろんな場所に車で
連れ出してくれました。時には深夜のアルバイトを終えて
朝6:00から遊びに行き、朝食を食べさせてもらったこともあります。

その度に、神奈川にはこんな場所があるんだと教わりました。
観音崎もそのひとつで、だから、横浜に来てから2年ほどで、
私はあの場所に親しむようになりました。

2007年3月に初めて『続ジョン・シルバー』に挑んだ時、
「海の見える喫茶店ヴェロニカ」というト書きに悩みました。
あの公演は新宿梁山泊のアトリエ芝居砦・満天星が会場でしたから、
東中野の地下空間にどうやって海を持ち込むかを思案しました。

結果、観音崎に行って映像を撮りました。
そして、深夜に横浜国大のサークル棟にまっさらなパネルを
一面に立て込み、撮影した海岸線から海の映像をプロジェクションしながら
描いたのです。劇団員総出でやった、楽しい作業でした。

喫茶店ヴェロニカはまるでお風呂屋さんのタイル画のように、
海の絵がすべての壁面に描かれたカフェになりました。
芝居が始まる前、会場時間中はそこに撮影した映像を重ねると、
不思議な風合いが出て面白い効果を得られました。

観に来てくれた状況劇場出身の田村泰二郎さんが
「アンゲロプロスの映画みたいだったね」と言ってくれました。
自分にとって望外の賞賛でした。

だから自分の中で、
三浦半島はまっすぐに『ジョン・シルバー』シリーズに繋がっています。

4/12(水)去年と今年の砂

2023年4月12日 Posted in 中野note
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↑砂といえば、去年の初夏はThe Albanyで "Sun and Sea" という
インスタレーションオペラを招聘した。砂の仕込みが大変だった

昨日からしきりと、周囲が黄砂のことを話題にし始めました。
「明日、明後日はひどいことになるらしいよ」とか、
「外に洗濯物は干せないね」とか。

今朝、ベイブリッジを渡ったら「風速14メートル」という表示が出ていて、
この大風に乗せられて、砂は西から東へ、遥かゴビ砂漠から日本へ
やってくるのだと実感しました。

目下、本読みWSで取り組んでいる『愛の乞食』には、
愛すべきキャラクター、チェ・チェ・チェ・オケラの
万里の長城から小便すれば、ゴビの砂漠に虹が立つ
という気楽な鼻歌があって、これを思い出したりもしました。
しかし、車がザラザラになったりして、特に九州や西日本の人たちにとっては
気が気ではないでしょう。

黄砂は日本だけかといえばそうでもなく、去年に暮らしたロンドンで、
大家さんのダイアンから、春にやってくる砂について聞いたのを思い出しました。
ダイアンの家は頑強で分厚いレンガづくりで、そのために冬は暖かく、
夏でも涼しさをキープしています。そのために気温が40度に迫った
異常気象の盛夏ですら、冷房なしで過ごすことができました。
窓は二重窓。

その二重窓に、春になると砂がつく。
キレイ好きなダイアンは毎週水曜にやってくるハウスキーパーの
ロミオに頼んでいつも窓を外から拭いてもらっていました。

その砂はどこから来るかといえば、北アフリカのモロッコからやってくる
のだと聞きました。日本では西から東に吹く風が、イギリスには、
南東から北西の吹くのだと妙に感心したりして。

It's quite romantic that the sand is brought all the way from Morocco!

と伝えたらダイアンは笑っていました。
エリアス・カネッティのモロッコはロマンティック、
チェ・チェ・チェ・オケラのゴビ砂漠は愛嬌いっぱい。
二つの砂は自分にとってそんな感じです。

4/11(火)そりゃないぜ、乱歩版『鐡假面』

2023年4月12日 Posted in 中野note
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↑残念ながら、こっちの方が断然良かったです!

ずいぶん前に江戸川乱歩版『鐡假面』を入手したと書きました
なにせ昭和20代の本で陽灼けしていたが、読む分には何も問題もなく、
むしろすべての漢字に振り仮名がふってあるから読みやすい。
児童用の本につき文字も大きめでした。

しかし、何かが読みにくい。
ボアゴベの原作は、最後まで苦味ばしった大人の魅力がつきまといます。
虚無感と言ってもいい。悪政を敷く大臣を倒すべく青年たちを率いた
主人公モーリスが投獄され、残された恋人、仲間たちが数十年に渡って
彼を救い出そうと試みるも、ついにその願いは叶わず、
やがて歳をとり死んでゆく話です。

獄中でモーリスがかぶせられたのが鉄仮面であり、
モーリスを中心とした若者たちの夢も希望も、時間さえも、
息苦しい鉄仮面が無惨に覆い尽くしてしまうところに味わいがあったわけです。

ところが、乱歩版は違う。
全てがミステリー。全てが冒険譚。要するに怪人二十面相のノリなのです。
時代がかった口調で、それ自体は慣れてくれば読みにくくはないのですが、
全体にB級感、軽薄さが漂う。

驚いたのは大きなプロットを丸ごと無視しているところで、
時のフランス王の双子が秘密裏に幽閉されており、彼が国王と瓜二つの
顔を見られてはいけないために鉄仮面を被せられている、という設定が
丸ごと無し。主人公モーリスを救い出そうとした一党が、この王の双子を
助け出してしまうという運命の皮肉が思い切りパスされていました。

その代わり、なんだか怪しげなドクロ顔の男が登場したり、
別の姿に化けていたあの男は実は・・・、と言った具合に、
明智小五郎がいつ登場してもおかしくない言い回しばかり。

最終的に、あの原作が持つ無常感、そこからくる抒情性はどこへやら、
いきなりとってつけたようなハッピーエンドで、
主人公モーリスは仲間たちの思惑とはぜんぜん別のところで
勝手に脱獄を成功させ、老体ではあるけれど、
悪徳大臣を倒す他国の抵抗勢力に将として加わっている、
という具合に結ばれます。どうも白々しい。

特に最後の方の展開はグダグダで、取ってつけた感が半端ない。
なんだかんだと時間をかけて読んできて、ラスト数ページの結びに
思わず「・・・そりゃないぜ」と呟いてしいました。

唐さんが幼少期にこれを読んだことは間違い無いでしょうが、
読後の感触としては原作にかなり劣ります。
少なくとも私にとっては。

・・・というわけで、同じ児童文学化されたものだったら、
冒頭に写真を上げた、さとうまきこさんのバージョンが格調高く、
明らかに原作の持ち味を生かしています。

口直しに読んでみようと久々に引っ張り出しました。
唐さんが何を読んでいたかがわかったというのは収穫でしたが、
乱歩版は内容的には問題あり。まあ、こういうこともあります。

4/7(金)こんなものまで!〜唐組初期の舞台映像VHS

2023年4月 7日 Posted in 中野note
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↑ヤング・ガン『愛の乞食』公演チラシに掲載されていた広告欄が気になる!


昨日、紹介した唐組ヤング・ガン公演『愛の乞食』のチラシを
しげしげと眺めていると、さらなる発見がありました。

唐さんの書籍の広告が並んでいるなかに、
「唐十郎からあなたへ・・・」の意味深な文字。
さらに「4つの感動をもう一度!」という具合に、
唐組が初期に上演した作品についてビデオ販売が行われています。

『ジャガーの眼』(110分)
『電子城』(120分)
『セルロイドの乳首』(125分)
『透明人間』(95分)

・・・知らなかった。
自分は恥ずかしながら、このような映像が市販されていたことを
知りませんでした。昨日に紹介した年表から考えると、1989-90年に
公演した4本を収録して販売したということになります。

この情報を得て納得がいったのですが、
だから、9年前からYouTubeに上げられている唐組版『ジャガーの眼』は
おそらくこのビデオを違法にアップしたものだということです。
それも分かってきました。

この4本だと、やっぱり観たいのが『透明人間』初年ですね。
パッとネットの中古市場を見たところ見当たりませんが、
これは今後、いつも頭に置いて探したいもののひとつ。

Kさんが送ってくださったチラシの効能がここにもありました。
という報告です。再度、感謝!!

4/6(木)第一級資料、来たる!

2023年4月 6日 Posted in 中野note
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これは凄いぞ!
先日、3/28(火)の投稿「誰か教えて!〜ヤングガン公演」に対し、
貴重な、あまりにも貴重な第一級の資料とお手紙が寄せられました。

送ってくださったのは、おそらく長年の唐十郎ファンであり、
私たち劇団唐ゼミ☆の常連でもあるKさん。
中には、私が気になっていたヤング・ガン公演『愛の乞食』のチラシが
入っており、Kさん自らが丁寧に整理してくださった手書き年表も
付いていました。

整理すると、下町唐座〜劇団唐組の黎明期は次の公演があったようです。

下町唐座
1988年春 『さすらいのジェニー』
1988年秋 『少女都市からの呼び声』

劇団唐組
1989年春 『電子城 背中だけの騎士』
1989年秋 『ジャガーの眼』
1990年春 『セルロイドの乳首』
1990年秋 『透明人間』
1991年春 『電子城Ⅱ フェロモンの呪縛』
1991年秋 『電子城Ⅱ フェロモンの呪縛(再演)』+ヤング・元公演『愛の乞食』
1992年春 『ビンローの封印』

という具合です。
Kさんの説明で、かなり基本的なこともわかりました。
例えば、唐さんのWikipediaで作品リストを見てみると、
それが初演のみの記述であることがわかります。

下町唐座の『少女都市からの呼び声』再演。
唐組での『ジャガーの眼』再演と『電子城Ⅱ』の春秋連続公演。
もちろん、ヤング・ガン『愛の乞食』はウィキ情報からは抜け落ちています。
このあたりの流れがよく分かったのは大きな収穫です。

これら再演物の多さは過渡期にあった唐さんの試行錯誤を
如実に想像させ、90年代半ばのカンテン堂シリーズや
2003年の『泥人魚』演劇賞総ナメ=唐組スタイルの完成の重みを
より深く、熱く感じさせます。

一方、私の仮説は崩れました。
作品内容から言って、ヤング・ガン公演『愛の乞食』→『透明人間』執筆の
流れを想像していましたが、事実はその順番に反していました。

一方、Kさんからは、1987年に李麗仙さん演出の秘演会で『愛の乞食』が
取り上げられたという情報も寄せられました。状況劇場末期のことです。
これらをどう考えたら良いのか、本読みワークショップを進めながら
同時に思案していきます。

Kさん、ありがとうございます!

4/5(水)3月末〜4月頭に行ったイベント

2023年4月 5日 Posted in 中野note
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↑「カプカプひかりが丘×新井一座 人材育成講座」実施中

先週末、2022年度末〜2023年度頭にかけて、
これまで準備してきたイベントを二つ実施しました。今日はその報告です。

一つは、「カプカプひかりが丘×新井一座 人材育成講座」です。
実施は3/30(木)。横浜市旭区の福祉事業所カプカプひかりが丘と
体奏家の新井英夫さんを中心とした一座が集まって行うワークショップの手法を
学ぶ受講生たちが集まり、一日を過ごしました。

受講生たちは皆、腕に覚えのある人がたくさんいて、
そのことも豪華な集まりなのですが、それぞれが新井一座に影響を受けた
アイディアを試すなど、主体性の強い回となりました。

終了後は車座になって2時間半くらい語り明かしましたが話は尽きず
きっと2023年度も続けていこう!と言い合って別れました。
ロンドンにいた2022年6月頃に持ち上がった企画でしたが、
カプカプの日常、新井一座の手腕、受講生してくれた皆さんとの関係が
スタートしたこと、どれをとっても絶大な実りを自分にもたらしてくれました。

あと二年は継続して、受講生の皆さんがきっちり活躍し始め、
他の福祉施設でもこういった活動が行われる端緒まで持っていきたい。
明確な結果を目指して逆算しながら事を進めていくつもりです。
ワークショップやって良かった!ではなく、実際に各地で受講生が
福祉×舞台芸術の力で、出会った人たちの日常を変えていく状況が
続いていくことが目標です。続く!

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二つ目は、4/1(土)にKAAT1階のアトリウムと県民ホール前庭で開催した
「クラウンパレード 2023 in KANAGAWA」。

これはクラウン(=道化師)たちの表現の盛んなウクライナのパフォーマーを
支援するために日本のクラウンたちが有志で集まって開催したもので、
1月末に相談が持ちかけられて以来、突貫で進めてきたものでした。

元プロモーターでサーカスや興行師に関する優れた著作の多い
大島幹雄さんの仕切りで17組ものメンバーが集まりましたが、
熟練の技術とアイディア満載の芸が披露されるのを愉しみました。

特に晴天に恵まれて行った県民ホール前庭でのライブは、
会場がイベント用の一等地であることを教えてくれた機会ともなりました。
今後に向けて協働していくパフォーマーとの出会い、新たな会場の発見
という意味でも多くを得た一日でした。

以上2つ。充実!!

4/4(火)チェ・チェ・チェ・オケラとは・・・

2023年4月 4日 Posted in 中野note
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↑初演でチェ・チェ・チェ・オケラを演じたのは唐さん本人です

一昨日のワークショップで参加者の一人からとても良いアイディアを聞きました。

これまでに何度も『愛の乞食』を読んだり、一度は上演もしましたが、
「チェ・チェ・チェ・オケラ」というおもしろいキャラクターの由来が
なんなのか分からずにきました。

ところが、参加者のKさんが「チェ・ゲバラではないですか?」
とコメントをくれたのです。1970年初演という時代的にも、
これはかなり説得力があります。「チェ」といえば誰よりも「ゲバラ」。
「ゲバラ」と「オケラ」という語感も似ていますから、これはまず
間違い無いでしょう。

言われてみれば何で今まで気づかなかったんだろう?
とも思いますが、これがみんなで話し合いながら台本を読み進める
ワークショップの効能です。Kさん、ありがとうございます。

最近ではあまりそういう表現をしなくなっているように思いますが、
「オケラ」とは、財布の中が空っぽ、持っているお金が無いことです。

10代の頃にアニメで見たりマンガで読んでいた『美味しんぼ』
という漫画の主人公・山岡士郎は、いつも給料日前になると
「給料日前、オケラ・・・・」と言って同僚をはじめとした周囲に
おごってもらったりしていました。

バブル期の一部上場企業(新聞社)の社員にして見事なその日暮らし
だと今にして思いますが、それ以外に会話の中で「オケラ・・・」という
せりふを聞いたことはありません。自分も言ったことがない。
しかし、なかなか愉快な、味わい深い日本語です。

『愛の乞食』後半になると、チェ・チェ・チェ・オケラが狂言回しの役割を
コミカルに務めます。演者がおもしろく喋る、私の好きなシーンです。

3/31(金)年度末だった

2023年4月 1日 Posted in 中野note
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↑明日、KAATの1階と県民ホールの広場でこういう催しをします
エイプリルフールにウクライナの芸人さんたちを支援しようという取り組みです


今日は3/31。年度末に伴うさまざまなことがありました。
まず、事務所内の引っ越し。私はKAAT&県民ホール館長の秘書もやって
いますが、今まで館長室だったところを引っ越すことになりました。
それで膨大な本を片付け始めたのですが、これが大量。そして重い。

午後に始めて4時間、ひとりで四苦八苦しましたが、
途中から津内口や小野寺が手伝いに来てくれてスピードとパワーが
著しくアップし、その3時間後には終了することができました。
まだやり残したことは多いけれど、格好はつきました。

また、自分にとって関わりの深い人たちが退職しました。
KAATの小沼知子さんは、2013年にやった『唐版 滝の白糸』を
担当してくれたプロデューサーです。

あの時、かなり無作法だった自分の教育係、という感じで
あらゆる相談に細やかに乗ってくれ、仕事の合間に個人的な話もよくして
大変に助けられました。それ以来、ずっと友情を感じてきました。
来年度からは別の劇場で活躍するそうですから、担当公演に注目していきます。

もう一人は、佐藤泰紀さん。
佐藤さんは、立ち上がったばかりの共生共創事業のシステムを整えて
くれた人でした。2018年度にこの事業を立ち上げた時、スタッフは3人でした。
ボロボロになりながらたどり着いた年度末シンポジウムの聴衆は、
確か、会場のキャパシティが300人に対し20人くらいでした。
全てがボロボロ。

そこへ、STスポット館長だった佐藤さんが現れて、
事業を支えるシステムをつくってくれました。
初めは数人でやっているのに過ぎなかったグループは、
共生共創課になり、財団内のバリアフリー対応や教育事業を吸収して
社会連携ポータル課となり、課長さんのいる8人とチームになりました。

自分はロンドンから帰ってきてから、今の自分は県民ホールの事業を
メインにしていますが、ここまできちんとした編成になったのは、
明らかに佐藤さんの確かな仕事のおかげでした。
今後、また別の職場に移って活躍するそうです。
狭い業界ですから、また会おう!と言って別れました。

小沼さんと佐藤さん、自分にとって大きな存在でした。

また、年度末ということで唐ゼミ☆で申請していた助成金の結果が発表になり、
採択の内定をもらうことができました。ホッとすると同時に、
『鐡假面』をやらなければ!という切迫した思いが込み上げてきます。

今回、第一報は『オオカミだ!』プロデューサーのテツヤさんから
もたらされました。会議をしていたらテツヤさんからLINEが届いて、
唐ゼミ☆が助成を獲得できたことを知りました。きっとテツヤさんも、
別にプロデュースしている団体の結果を見ていたのでしょう。

以前は、こういうニュースを持ち込んでくれるのは、
ネットサーフィンの鬼である室井先生でした。
ああ、先生はいないのだな、と実感したり、新たに私たちを応援してくれる
テツヤさんがありがたいな、と思ったり。

人の不在を胸にせまる中にも、確かに新たな関係性があることを実感する
感慨深い一日でした。

明日は、冒頭のポスターにあるように、クラウンたちが大集結して
芸を披露するクラウンパレードを行います。
サーカスの興行師にして研究者でもある大島幹雄さんから持ち込まれた
企画です。大島さんの著作の大ファンを自分としては、きっちり運営を
支えようと意気込んでいます。

3/30(木)あまりに人間的な

2023年3月30日 Posted in 中野note
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↑手製のアンパンマン号とおもちゃセット。これが1歳児の心をわしずかみ


年度末なのでさまざまなイベントの仕上げをしています。
ロンドンにいた時から準備してきた「カプカプひかりが丘×新井英夫一座」の
ワークショップもそのひとつ。

本当は3/1で終わるはずだったけど、
12月に予定していた回が延期になり、3月末が最終回になりました。
おかげで、春のひかりが丘団地を味わうことができた。

初めは5回のつもりが、準備のためのオンライン会議や
中止になった回をササマユウコさんがフォローしてくれた回を含めると
10回くらい集まった感じです。

すでに福祉×アートの現場で活躍している人、
これから活躍したい人、ジャンルや職分、世代もバラバラの人たちが
集まって、良い集まりでした。元締めをやったおかげで色々な知り合いが
一気に増え、視野が急激に拡がりました。

中には乳児連れで参加してくれた人もいて、
写真はアンパンマン号を椎野が作って持たせてました。
椎野は年度末の事務処理があって現場に来ることができませんでしたが、
赤ちゃんが何を与えれば喜ぶか、遠隔操作でもたちどころに当てることに
驚きました。

お母さんのワークショップ参加をサポートしようと思って自分が
子どもの相手をしようとすると泣かれましたが、
参加者のみなさんがずっと子どもの相手をするのが上手くて、参りました。

最終回だったので終わった後の話し合いは2時間半におよび、
みんなが別れを惜しみながら帰っていきました。
助成金が取れたらまたやる! そういう締めをしました。

車で人を送った後は良い気分になり、
CDを買ってから帰ろうと横浜ビブレに行きました。

妙に閑散としている店内を不思議に思いながらエスカレーターを上がると
タワーレコードにお客が一人もおらず、21:00閉店だったことを初めて
知りました。(以前、地下一階にあった時は22時だった)

閉店時間に着いた私が諦めようとすると、
「買うものが決まっているなら」と店員さんが待ってくれました。

時短のために狙っていたものを一緒に探し、見つけると、
締めるのを待たせておいたレジ打ちをしてくれ、
「ひょっとしたら止まってしまっているかもしれないから」
と、その人がエスカレーターまで送ってくれました。

こうした"個人の裁量"的な部分は、現在では絶えてないことです。
(ロンドンではたくさんあったな)
こうしたことをネットで書くと、むしろ「我も我も」とワガママ客が
訪れる可能性を生み、店をあげて「やはり閉店時間きっかりに終わりましょう」
などとかえってルール徹底するような世の中でもあります。

このブログは社会に対して大した影響力が無いだろうから書きました。
やっぱり人間的な対応を受けて、希望を持ったからです。

明日は職場の掃除。良い年度末です。

3/29(水)期せずして夜桜、そして力道山

2023年3月29日 Posted in 中野note
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夜の散歩中。
『鐡假面』探究のために公衆トイレを求めてウロウロしながら、
初めて池上本門寺に行きました。

階段を登ると立ちはだかる仁王像の乳首の造形に感心。
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さらに歩くと約400年前に建てられた五重塔があり、
若者たちが連れ立って写真撮影をしていました。
そのたもとには、彼の力道山の墓を案内する看板あり。
この場所にお墓があるとはとんと知りませんでした。

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去年亡くなったアントニオ猪木さんも、
きっと何度もここに足を運んだんだろうな、
と思いつつ、うねうねと続く墓地の隙間の道を下って帰途につきました。

公衆トイレは無かったけれど夜桜の花見を一人でしました。
自分は花鳥風月に疎く、今の時期だからといって花見をしようとは
思わないのですが、結果的にはベストな場所に躍り出てしまった。
なかなか良い夜の徘徊でした。柄になく雅やかな気分です。
今日は短め!

3/28(火)誰か教えて!〜ヤングガン公演

2023年3月28日 Posted in 中野note
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↑見よ。70年代、唐さんのヤングガンぶりを!


唐組の春公演の仮チラシを手に入れました。演目は『透明人間』。
『透明人間』こそは『秘密の花園』と並ぶ唐組の当たり狂言です。
いやむしろ、本多劇場の柿落とし公演として書かれた『秘密の花園』より、
そもそもが唐組初演の『透明人間』こそ、ザ・唐組の演目と言える!

聞くところによれば、
『透明人間』は1990年に初演された後、90年代半ば過ぎに
現在の座長代行である久保井研さんによって再発見されたそうです。

久保井さんは夏に行う内輪向けの新人発表のために『透明人間』を
取り上げ、これが好評を博す。結果、水戸芸術館で(テントでなく劇場内)、
1998年2月に二日間のみの上演につながり、2001年秋に
新宿西口に『水中花』というタイトルでの上演・・・・・という具合に
再演を重ねていったそうです。

私が観たのは大学3年時に上演されたこの『水中花』からで、
初見で、なるほどこれは傑作だと痺れました。
その後、シアターコクーンで南河内万歳一座の内藤裕敬さんが
演出した『調教師』も含め、その再演を見逃さずに過ごしてきています。

さて、「ヤングガン公演」の話題です。
目下、唐ゼミ☆本読みWSで取り組んでいる『愛の乞食』こそ、
唐組の初期に「ヤングガン(=若い銃)公演」と銘打たれ、
劇団に集まった若手を登用して取り上げられた演目でした。

私の想像では、このヤングガン公演『愛の乞食』の後に
『透明人間』は書かれ、だからこそこの二作品は大変に似ています。
どう似ているかはまた今度お話ししますが、
自分にとってどうもはっきりしないのは、
ヤングガン公演および初期唐組の活動全般です。

下町唐座を経て、唐組が発足する。
『電子城』があるか思えば、YouTubeに上がっている『ジャガーの眼』を
大久保鷹さんも出演して上演した形跡があるし、ヤングガン公演もある。
このあたり、自分はどうも整理しきれていません。

せっかくなので1990年前後の唐組の活動について整理したいと考えてみます。
久保井さんにお願いして飲み屋でご教示願うのが良いかもしれませんが、
案外、関わってきた本人も憶えていないかも知れません。

ヤングガン公演を観たという人がいたら、誰か教えてください!

3/24(金)駄菓子屋讃歌

2023年3月24日 Posted in 中野note
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↑外装、照明が洗練された現代の駄菓子屋「ヴィルトゥ・サトウ」
横浜の片倉町、TSUTAYAやとんぱた亭の近くにあります

最近、駄菓子屋に行きました。
人生で最後に駄菓子屋に行ったのはいつかは思い出せませんが、
中学生の時以来だと思います。

ここは、『オオカミだ!』公演を一緒につくった
プロデューサー・テツヤの奥さんがやっているお店で、
横浜市の片倉町にある駄菓子屋です。
名前は「Virtu Sato(ヴィルトゥ・サトウ)」と駄菓子屋らしからぬ
カッコよさですが、コンペイトウ10円からの買い物が出来ました。
確かに駄菓子屋です。

自分が「駄菓子屋」を発見したのは、
あれは小学校二年の時だったと記憶しています。

一年生の遠足の時、自分はまだ駄菓子屋を知りませんでした。
だから、上限200円と設定されたおやつ代を二品で使ってしまった
のです。ところが、友人に連れられて駄菓子屋を始めて訪ねた時、
"革命"が起きました。何しろ、200円もあれば延々と買い物が
できるのです。ヨーグルトとか、五円チョコとか、
カゴに山盛り選んで買えるようになりました。
メンコも買った覚えがあります。

「ヴィルトゥ・サトウ」では、娘は10円のコンペイトウを二つ買い、
息子は60円のシャボン玉製造機を買いました。
4月に小学生になる息子はすでに世の中の道理を理解し始めており、
これまで知っていた100円均一を凌ぐリーズナブルな買い物に
甚く感動していました。自分が駄菓子屋を発見した時と同じ、
「オレの持ち金でしこたま買い物ができる!」というあの喜びです。

韓国やベトナムに行った時、これだけ食べてこの安さ!
と感動した感覚まで思い出しました。ロンドンは高すぎましたが。

一個10円のコンペイトウの商売の中で、
原材料費、製造料金、輸送料金、ヴィルトゥ・サトウの利益が
どう含まれるのかは謎ですが、ともかくも駄菓子屋は目の前に
建っています。行くべし!

『オオカミだ!』のTシャツとポストカードも売っていて、
このひと月ちょっとで何点か売れたそうです。

3/22(水)『愛の乞食』掲載の歴史

2023年3月23日 Posted in ワークショップ Posted in 中野note

昨日から本読みワークショップが新たな演目に入りました。

『愛の乞食』です。もともと1970年に初演された本作ですが、

いくつもの掲載誌がありますので、内容に入る前に、

今日はざっとそれらを紹介しましょう。


1970年2月 文芸総合誌「海」1970年3月号に掲載

文芸総合誌「海」.jpg



1971年11月 中央公論社より単行本『煉夢術』に掲載

IMG_1410.jpg


1975年7月 角川文庫より『戯曲 吸血姫』に掲載

戯曲『吸血姫』角川文庫.jpg


1979年6月 『唐十郎全作品集 第二巻(冬樹社)』に掲載

唐十郎全作品集 第二巻.jpg


という具合です。

この台本に関して、私は版の違いによる比較検討はまだしていません。

ワークショップは全作品集版をもとに行なっていきますが、

やはり気になるのは初演より約半年前に掲載された文芸誌「海」版です。

上演を通じた現場の事情により、唐さんが台本を書き換えることは

ままあり、だからこそ着想のままに書いた原典版への興味はつきません。


この中でオススメなのは角川文庫版です。

手に取りやすく、『吸血姫』『愛の乞食』というゴールデンペアが

一冊になっています。安く見かけたら、買い!です。


ちなみに、上演記録では、この作品を状況劇場が初演した際

タイトルは『ジョンシルバー 愛の乞食篇』と銘打ってあります。


確かに「ジョン・シルバー」が大きなモチーフになっていますし、

『ジョン・シルバー』『続ジョン・シルバー』と続いてきた流れに

属する作品です。

が、内容的に第三部にあたるかといえばそうでもありません。

『愛の乞食』は独立した意味合いの強い劇ですが

おそらく、唐さんは興行成績を強く意識して公演の際に

そう名付けたものと考えられます。


その辺りは本読みを進めるうちにわかってきます。

内容はまた明日!

3/21(火)水戸に行ってきた② 回天神社その他

2023年3月21日 Posted in 中野note
関鉄之助の墓の旗_230320.jpg
↑ずっと前に、NHKで関鉄之助を川谷拓三さんが演じた番組を見たこと
あって、それがずっと印象に残っている


今回の水戸行きはなかなかタイトな日程でしたが、
それでも、バッタ以外にも水戸を楽しみました。

まずは、水戸芸術館に入っているレストラン「チャイナテラス」。
以前はフレンチレストランだったと記憶していますが、
それが今は中華料理に。でも、単なるアートセンター付属の
食べ物屋さんに終わらず、かなり豪華なレストランであるという
特性は変わっていませんでした。リッチに昼食を食べたり。

夜は、水戸芸術館の学芸員さんに教わった「中華料理 北京」。
水戸の夜の繁華街である大工町の中にありましたが、
これがなかなかの店でした。個性的なおじさんが厨房、
ホールをすべて一人でこなしており、その手際の良さ、
喋りの面白さ、私たちが食事している間にやってくる常連さんの
個性派ぶりに唸りました。

↓中華料理・北京の外観
中華料理・北京_230319.jpg


アンコウやウナギも美味しい水戸からすれば
セオリー無視の昼夜ともチャイニーズでしたが、これが美味しかった。
帰り際、北京のおじさんには系列別店舗も薦められ、
9月に来られたら行ってみたいと思いました。商売上手!

あと、最終日の早朝に回天神社まで走ってみました。
那珂川を望む場所にある神社で、ここには、幕末の水戸を生きた
人々が眠っています。

安政の大獄のリーダーだった関鉄之助。
幕末の青年藩士たちの精神的支柱であった藤田東湖。
その息子で、天狗党の乱のリーダーの一人だった藤田小四郎。
誰より、水戸天狗党の人たちのお墓がずらりと並び、
その墓跡の姿形の同じこと、並び方の整然としたことから
往時の政争に敗れた面々への処刑の凄惨さが実感できました。


↓お墓の中央に桜が植えられていた
回天神社の桜_230320.jpg


時代は違いますが、水戸黄門で有名な「格さんのお墓」があって、
何かホッとさせられました。千波湖や偕楽園など、
他にも久々に行ってみたい場所はありますが、それはまたいずれ。

↓いつも常磐道で利用していた守谷のSAも様変わりして新しく!
守谷サービスエリア_230318.jpg

3/20(月)水戸に行ってきた① 巨大バッタの実験

2023年3月20日 Posted in 中野note
バッタ ボランティアと_230319.jpg
↑初期唐ゼミ☆メンバーを含め、バッタを通じて多くの人と知り合って
きました。今回もまた新たな人たちに支えられました

3/19-20と水戸に行ってきました。
水戸芸術館で巨大バッタのバルーンを設置するためです。
バッタ自体が表に出るのは2014年以来9年ぶり。
作品を収蔵している水戸芸術館での設営は・・・、
ちょっと思い出せません。

今回は久しぶりのテストということで、
スタッフ募集以外は広報もせず、あれが今も設置できるかどうか実験し、
各機械が正常に稼働し、摩耗や汚れの修復可能性について調べるために
巨大バッタを出したのです。

土曜の深夜に水戸に付き、日曜の朝から作業スタート。
10名を超えるボランティアの皆さんと、プロの業者さん、
水戸芸術館のスタッフ、室井先生とバッタをつくった椿昇さんと
協力して、昼過ぎにはバッタを膨らませることができました。

唐ゼミ☆メンバーの齋藤がいれば、バッタに空気を送り込むための
扇風機(ブロアー)の付け方や、安全性や姿勢のカッコよさを
確保するためのロープワークがスムーズにいったはずです。
今回は自分だけで行ったので少し思い出すのに時間がかかりましたが、
それでも、確かに膨らみました。

初期の頃より明らかに張りが弱くブヨブヨしていますし、
ところどころ汚れのひどい箇所もあり、そういう部分を今後どうしたら
良いか、調査しながらの設置でした。

内部に入って、積年溜まったゴミを掃除機を持ち込んで掃除しました。
養生テープや砂利、草など、ずっと前にバッタに入ったきり
一緒に収蔵庫の中に入っていたものが吐き出されました。

水戸芸術館では、秋に本格的な展示をしようと計画しているそうです。
今回とったデータがひとつひとつ検討され、もっと立派に展示できるべく
学芸員の皆さん動いてくださるそうです。

何より、今回、久々にバッタを出すことで、
設置のためのノウハウが参加した人たちにシェアされたのが大きい。
あれは小学生でも理解できるすごく単純な仕組みで動いていますが、
とにかく作業に人数が必要なために頻繁に出すわけにはいきません。
出さなければ、みんなやり方を忘れてしまいます。
それが、伝授されたことを喜んでいます。

学生時代に一緒だったメンバー、過去に水戸に来た時に知り合った
人たちとの再会がたくさんありました。
以前は一軒家のレジデンスでみんなで雑魚寝していましたが、
今回はキレイなホテルに泊めてもらい、豪華な朝食付き。
月日が経ったことに感動もしました。
水戸への移動自体も、一人で自家用車を駆ってスイスイ。

秋の本格展示は、唐ゼミ☆の動きや神奈川県民ホールの仕事次第ですが
もちろんできる限り駆けつけたいと思っています。

巨大バッタ@水戸_230320.JPG

3/17(金)冬に覚えた味

2023年3月18日 Posted in 中野note
先ほどから雨が降り始めました。
予報によると明日、土曜日いっぱい雨だそうで、
そのために3/18(土)に水戸で取り組むはずだった巨大バッタの
テストが日曜日からになりました。

本来は夜のうちに水戸にいるはずが、家に帰ってきました。
そして、帰ってきた格好のままで、床にバタンと寝てしまった。
本当にバタンキューな感じで、さっき起きて笑ってしまいました。
現在、3:33。数時間遅れで、ゼミログを書き始めました。

今年に入ってから、実はこんなことが数回ありました。
正確に言うと、昨日はなんだか倒れ込んでしまっただけなのですが、
これまでは、いつも次のものをかじった結果、バタンキューでした。

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チョコレートのラミーです。
ラムレーズン、つまり少しアルコールが入った冬季限定のお菓子です。
今はもう春の兆しを受けて店頭から消えてしまいましたが、
ちょっと前まではスーパーには潤沢にこれがあって、
椎野が好きでよく買い込んできました。

で、私は帰宅後にこれをかじる。
すると、どうにも良い気分になりました。
良い気分になって、いつもは帰ってからしてきたこともできずに
そのまま床でグダグダと寝てしまうのです。

要するに、私は酔っ払っていました。
お酒を飲む人には笑われるでしょうが、体質的に酒の飲めない
私にはこのラミーが「適量」だったのです。

フワフワして何もしたくないし、何もできない。
意識が鈍くなるのがちょうど良く、そのまま寝てしまう・・・。
ああ、酔っ払いの人はこんな感覚で過ごしているのだ。

この冬は何回かそう思いながら気持ち良く過ごしました。
そういう感覚にハマって数回、かなりだらしなく寝ました。
もちろん、私の中の酔っ払いの筆頭には唐さんがいるわけで、
大好きな「いいちこ」を飲んで、「バタンキュー!」と言っていた
唐さんはこんな感覚だったのかも知れないと、追体験してきました。

昨晩はラミーは無かったので、単なるバタンキューです。

さらに思い出すと、私が子どもの頃、
深夜まで働いて帰ってきた父が、居間にワイシャツのまま
転がっていたことがありました。
数時間前の自分はまさしくそういう感じだったので、
そんなことまで思い出しました。

これから始まる一日は雨が降り続けて、気温も低いままだそうです。
でも、これを超えたら、春に向けて季節がぐっと変わるはずです。
水戸のバッタが日曜になったので、明日はひとつイベントに参加します。
6歳になった息子は、保育園の卒園式を迎えます。

3/16(木)小山祥平くんにばったり

2023年3月16日 Posted in 中野note
小山祥平くんと_230316.jpg
↑小山祥平くんとポスター前で記念撮影しました

新国立劇場に『ホフマン物語』を観に行ったら、小山くんに会いました。
小山くんとは、彼が大学一年生の時からの知り合いです。

一見、無表情に見えるがなかなかの熱血漢で、
いろいろなものに好奇心旺盛に飛び込む。
往々にして若手はみな女子の方がアグレッシブですが、
小山くんは今時の男子にしては珍しいタイプです。

望月六郎監督の指導する講座で映画を撮ったし、
他のさまざまなイベントにもフットワーク軽く参加してくる。
新宿中央公園で『唐版 風の又三郎』を公演した時には
航空兵のひとりとして出演してくれ、ずいぶん助けられました。

ほとんど初舞台のようなものでしたが、
特訓の稽古を行っているうちに、メキメキとせりふも伸びました。
全体の稽古とは別に、航空兵練習の日を設けたのをよく覚えています。

小山くんは少しボンヤリした風貌が不敵で、それでいて熱演します。
自分から見た彼の人柄もそんなふうで、大人しそうだと侮っていたら、
全裸で何人もの青年たちが全力疾走する映画を撮ったり、
その後には『死神 ドクター・テケレツ』という作品を監督して、
活躍しています。

新国立劇場のトイレでばったりあった時も、
一般に敷居の高いオペラを小山くんが観に来ていることに
驚きました。若者向けの割引を利用してたびたび観るらしく、
なかなかにアンテナを張っています。

しかも今回の『ホフマン物語』では、彼が興味を持つ
「人口美人」「自動人形」のオリンピアが原作『砂男』により
登場するために、それで注目して来場したのだと言っていて、
納得しました。

同じような主題では『長谷雄草紙(はせをぞうし)』という
日本の古典があり、これも、ある男が女性の死体から美しい部分を
繋ぎ合わせた「人口美人」に対する話だよ、と伝えました。
実はこれ、唐さんからの受け売りです。

『下町ホフマン』や『夜壺』からもわかるように、
唐さんもホフマン好き。今度会ったら、そのことも伝えたいものです。

↓唐さんから教わって買った『長谷雄草紙』の絵巻が入った本
『長谷雄草紙』_230317.jpg

3/15(水)深夜の公園めぐり

2023年3月15日 Posted in 中野note
目黒区民センターの公衆トイレ_230316.jpg
↑目黒区民センター公園には変わった公衆トイレがあった

三月は忙しない。

助成金申請や神奈川県民ホールでの仕事、
観に行きたい劇やオペラやイベント、
週末の水戸バッタの準備などありますが、
深夜に公園めぐりをしています。

秋にやろうとしている『鐡假面』の舞台は公園。
公園にある公衆トイレに夜な夜なホームレスたちが集まり、
ファッションショーを繰り広げている、という設定です。

劇の後半ではそれが見世物小屋に変わります。
公園を管理する役所の公園課長が夜な夜な見世物小屋を
開いている、という突飛な設定です。

唐ゼミ☆が初めて『鐡假面』に取り組んだ2007年、
自分はまだ26歳で、その時点で交流することのできた社会人は
ごくごく限られた人たちでした。
それが、あれから15年が経ち、何人もの県庁や市役所、
区役所とやりとりする機会を持つことになりました。

さまざまなタイプに接してきましたが、
やはりオフィスでの静かな働き、堅実な実直さはどの人も
共通しています。だからこそ、あの中の誰かが夜な夜な
公園の公衆トイレを見世物小屋に改造してショーをしていたら。
具体的に考えるほど面白い。
以前よりはるかに具体的に想像して笑えるようになりました。

各地に出かけながら、気になる公園を覗きます。
ファッションショーや見世物小屋になるにふさわしい景色、
公衆トイレはないものか。
そんな取材が息抜きにもなっています。

3/13(月)あっぱれな看板

2023年3月13日 Posted in 中野note
コロナ堂看板_230313.jpg
↑あまりの堂々ぶりに目を疑い、そのあとで勇気が出た

土曜と日曜は鎌倉に行きました。
鎌倉といっても大船駅から歩いたところにある鎌倉芸術館です。
ここで、県民ホールが主催するオペラ『ヘンゼルとグレーテル』の
子ども用ハイライト版が上演されたのです。

そこで帰り道にあっぱれな看板を見ました。
決然とした迷いの無いロゴです。
宝飾品、メガネ、補聴器、時計などを扱うお店だそうです。
創業は1946年。この創業年にも力強さを感じます。

パンデミックが起きて数ヶ月があった頃、
ニュースでコロナビールが倒産したと聞いて愕然としました。
まったく関係ないことが誰にもわかっていながらアウトなのです。

その中で、このお店はよく自らを貫き、生き抜いたものです。
信号待ちをしながらこの堂々たる看板を見て、喝采しました。

そういえば、前回に同じ鎌倉芸術館に来たのは2019年に
安藤洋子さんのシニア向けワークショップでのことでした。
あの時、多くの鎌倉市民の皆さんとの出会いがあり、
皆さんの参加は今も続いています。

当時、ワークショップ会場の下見と打合せを終えたあと、
大船駅に向かう間の道にあった焼肉屋で昼ごはんを食べた記憶があり、
今回、久々にその前を通りました。

まだ営業している!
コロナが流行してから焼肉やお鍋の店は大変だったはずです。
けれども生き残っている。お互いよく生き延びたものだと、
こちらにも嬉しくなりました。

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3/10(金)ここでもおぼっちゃまくん状態

2023年3月10日 Posted in 中野note
マック2台.jpg
↑奥から手前に乗り換えています。親亀の上に子亀みたいに。

子どもの頃、多くの親たちに忌み嫌われた『おぼっちゃまくん』
という漫画がありました。私はアニメから親しみ、
後にコロコロコミックを買って読むようにもなりました。

あの中で繰り広げられる下品なやり取りが大好きでした。
最近になって自分が子どもを持ったことで、
例えばおぼっちゃまくんと彼の父の間に繰り広げられる
コミュニケーションが、かなりリアリズムであることも
分かってきました。
あの漫画の輝きと説得力はいやますばかりです。

さらにおぼっちゃまくんは、自分に別の影響を与えました。
何せ、同じ服ばかり買ってしまうのです。
ご存知のようにおぼっちゃまくんは同じ服を際限なく持っていて、
いつも着替えて清潔を保ちながら、
見た目は一向に変わらないという生活を送っています。

自分もまた同様で、気に入りの服や持ち物が
モデルチェンジせずに売っている間は同じものを買ってしまう。
だから、見た目にはずっと同じ服を着ているわけで、
人によっては内心、不衛生なヤツだ!と思っているかもしれません。
でも、ちゃんと着替えて同じ格好をしています。

スティーブン・ジョブズではなく、おぼっちゃまくんの影響です。

実は今、パソコンを更新しています。
コロナ禍の始まりの頃、娘が当時使っていたラップトップに
ヨーグルトドリンクをたっぷりかけて破壊しました。

それがきっかけで定額給付金で新調。
以来、ずっと使ってきたものがバグり始めたので、
かねて買ってあった新品に乗り換えつつあります。
一緒に海外研修を乗り切った相棒でもありました。

新しい方を買ったのは2022年1月。
渡英直前です。昔、室井先生がサバティカルでヨーロッパに
行った時、パソコンを盗まれて大騒ぎしていたのを思い出した自分は、
恐怖に駆られてスペアを買っていきました。

幸い盗難も紛失もありませんでしたが、
ここにきてようやく新品の稼働となりました。
もちろんおぼっちゃまくんのように外見は全く同じものです。

最近、このパソコンを見た人に
「中野くん、向こうで男の人に誘われなかった?」と訊かれました。
このピンク色は、そっち系がオッケーのサインらしいのです。

オッケーではありませんが、気に入り色なので引き続き使います。

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3/9(木)あのロープワークはどうだったのか

2023年3月 9日 Posted in 中野note
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2007年の展示より。ちょうど『鐡假面』に初めて挑んでいた頃だ!

来週末、3/17(金)に久々に水戸に行きます。
目的は、水戸芸術館に収蔵されているバッタのバルーンを
久々に膨らませるため。実施自体は3/18(土)-19(日)です。

昨日はそのための打ち合わせがオンラインで行われました。
水戸の学芸員さんたちと、椿さんと、4人での話し合い。

室井先生の代理を引き受けたものの、
東京都千代田区で最後に膨らませてからもう10年近く経つし、
どういう作業行程だったかあまりよく覚えていなかったのですが、
話すうちにまざまざと思い出しました。

水戸芸術館の収蔵庫の様子。
クレートと呼ばれる車輪付きの巨大な箱にバッタ生地が
収められている様子。ブロアーと呼ばれる扇風機が予備も含めて5台。
アンカーを打つためのペグやロープ。カラーコーンとバー。

それらを収蔵庫から出し、噴水の前の庭に持ってくるまでの道筋。
仮設電源からコードを引っ張ってバッタのお腹の部分に持ってきた時の
あのバッタの干物状態。そこでロープワークをして・・・

話しているうちに、
水戸でバッタを膨らませながら絡んだ
パフォーマーのユキンコアキラさんや
ドラッグクイーンの恰好で野点(のだて)をするきむらとしろうじんじんさん
のことも思い出しました。

久々に思い出したのでネットサーフィンし、
現在も活躍されていることを知って嬉しくなりました。今もやってる!

ただし、先ほど書いたロープワークだけはずっと劇団員に任せきりで
きたので、あとで齋藤に連絡してどんな結び方をしたか聞きます。

来週末ではありますが、今のところ天気予報は晴れ。
ボランティアスタッフも集まり、なんだか女性が多いようです。
これまでもそうでしたが、女子は積極的。男子も集まれ!

最後に水戸に行ってからずいぶんと時間が経ち、
一人で車を運転して深夜に水戸入りすることになった。
そんなことにも感慨があります。

3/7(火)岡山市に行ってきた

2023年3月 7日 Posted in 中野note
ハレノワで_230307.jpg
↑ハレノワに、神戸、三重、神奈川から劇場で働くメンバーが集まりました。

今日は『秘密の花園』レポートその②、と思っていたのですが、
精も根も尽き果てて頭が動きません。
そこで、この二日間にあったことを書きます。

昨日から岡山市に行ってきました。人生初の岡山です。
目的は9月にオープンする新劇場ハレノワを見るためで、
単に施設見学するだけでなく、三重や神戸から集まった
劇場界の仲間や先輩と会合を持ちました。

噂には活躍を聞いていたけれど初対面の人。
オンラインでやりとりしてきたけれど、直接に話すのは初めての人。
何人もが、それぞれの土地で熱心に活動していることを知り、
話し合いが盛り上がりました。

自分はロンドンやイギリスで体験したことを報告して、
将来は移動型公共劇場をやりたいという目標を語りました。

月曜の夜に岡山入りして飲み会。
それが終わると深夜徘徊がてらランニングをして、
目ぼしいラーメン屋に飛び込んだところ、これが大当たりでした。
少し並びましたが、自分の後ろにいた地元の二人が街や飲食店について
説明してくれて、人にも恵まれました。

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↑醤油ラーメンの名店 中華そば山冨士

深夜にホテルに帰り、マグカル助成に応募するための企画書を書き、
少し寝て、早朝からはロンドン体験のプレゼン準備をしました。

紹介したい写真を整理していると、イギリスで世話になった多くの人が
思い出されて、彼らがどうしているだろうかと気になったり、
まだ何も成し遂げていない現状に苛立ったりもしましたが、
あの国で生活して体感が甦ってきました。

朝食後に市内を走りましたが、
想像していたよりかなり大都会で、喫茶店が多くあり、
面白い屋号や看板をたくさん発見しました。
見つけた大衆演劇の劇場も、時間があったら入ってみたかった。

文化施設もいくつか見て回り、
ホテルでシャワーを浴びて改めて出かけると、
噂に聞いていた福祉事業所「ありがとうファーム」を訪ねることもできました。

高級な牛肉の切り落としを使ったカレーはかなり美味く、
店にいた人たちにこの施設の取り組みについて説明を受けることもできました。
なんと!、メインスタッフの方が自分がKAATで働き始めた頃に
ベトナムから招聘したヌーボーシルク『AO SHOW』を観に来てくれていたと聞き
感激しました。

ありがとうファームで_230307.jpg
↑右から「ありがとうファーム」の馬場さん、深谷さん、一番左が元同僚で
今は神戸に移った熊井さん

飛び込みで行ったりにも関わらず、
手厚く相手をしてくれたファームの皆さんに感謝が尽きません。

主目的の新劇場ハレノワは、開館直前の狂騒が伝わってきました。
4時間以上たっぷり、熱心に話して、冒頭の集合写真を撮って別れました。

現在は岡山地区限定の高級きびだんごを買って、新幹線の中です。
疲れたけれど、良い疲れです。本読みながら帰ります。

劇団員の林麻子は以前に水害に遭った真備町の出身で、
彼女がどこから上京し、あの時は心を痛めながらどのように帰省したのか
想像できるようになりました。前に劇団員だった土岐くんも岡山出身です。
今度会ったら、彼らと岡山について熱く語り合うつもります。

3/3(金)清水に行く

2023年3月 3日 Posted in 中野note
木村剛さん、齋藤と@清水.jpg
↑終演後に齋藤を囲んで。右側は大学院の先輩にして、
かつて戸塚高校定時制に唐ゼミ☆公演を読んでくれた木村剛先生


昨日は清水に行ってきました。駅前にある劇場マリナート。
これは2013年以来、実に10 年ぶりのことです。前回は、唐さんの娘さんの
ミニオンが出演する『美しきものの伝説』を見ました。

桐山知也さん演出の、ズラリと棺桶が並んでドキリとさせられる舞台でした。
あの時は、椎野や禿と一緒でした。

今回は、劇団員の齋藤亮介が舞台監督を務める
話題のダンスカンパニー・ケダゴロの公演を観に行きました。
『ビコーズカズコーズ』という作品です。

福田和子さんを題材にした75分のダンスでした。
殺人を犯すも警察に捕まらず、美容整形をして各地を逃げ回った女性。
時効寸前で逮捕された彼女がインスピレーションのもとになっていました。

逃げ回ろうにも、結局は「逃げられない」。
作品の中でカズコーズ(8人いるから複数形)を追いかけるのは
アイザック・ニュートンとアインシュタインで、彼らの論理から地球人は決して
「逃げられない」。新型コロナウィルスからも決して「逃げられない」というのが、
全編を読み解くキーワードでした。

要するに私たち人類は皆、福田和子なのです(タイトルそのまま笑)。
なかなか痛快な断言です。そういえば唐さんもかつて、
「世界はすべて台東区なのだ!」と高らかに断言したことがあります。

・・・実は、あまりにギリギリで会場に着きすぎて、
タイトルの意味、福田和子さんが題材になっていると知ったのは終演後で、
それでだいぶ得心がいきましたが、本当にサラの状態で見ながらも、単純に

「よくここまでダンサーの体をいじめるもんだ」
「よくこのようなセットと音楽の組み合わせを思いつくもんだ」
「よくこういった特徴ある演者を集めたもんだ」

という感心で75分間を観て、さらに終演後の客席でパンフレットを読んで
自分がいま観たものが何かを大いに納得したという鑑賞体験でした。

終演後に会った齋藤からは、ツアーを全うできた清々しさを感じました。
唐ゼミ☆もまた荷物軽めの公演を組んで、旅をしたいものです。

行きは鈍行の東海道線。
思ったより早く上演が終わったので、帰りもまた2時間半ほどの鈍行で
帰ってくることができました。交通費も安く、車中で読書して過ごす
小旅行の経験も良くて、イギリスで各地に旅した感覚を思い出しました。

行き帰りで読み切った本は、団鬼六の『真剣師 小池重明』です。
これがまた破格の面白さだった。なんだか、『ビコーズカズコーズ』とも
重なる世界を持っているような気がする。

時間が無くて漁港や海鮮丼とは無縁だったけど、充実の清水行きでした。

3/2(木)まるで温泉のような

2023年3月 2日 Posted in 中野note
カッパ様と自分_230301.jpg
↑工房カプカプの前で。亡くなったミオさんを偲ぶ河童様像の前で

昨日は横浜市旭区にあるカプカプ光ヶ丘でのワークショップでした。
私の会社、センターフィールドカンパニー合同会社が主催して行っている
福祉×舞台芸術の担い手養成講座です。

カプカプ光ヶ丘で長年にわたりワークショップを継続してきた
新井英夫さん率いる一座と、カプカプ光ヶ丘に通所するメンバーが講師になり、
これから福祉×舞台芸術の取り組みを各地で実践していこうとしている
受講生を鍛え上げるために行ってきました。

カプカプ光ヶ丘の鈴木励滋さんから「こんなのやりたいんだけど・・・」
と相談を受けたのはロンドン滞在中でしたが、椎野や津内口が活躍し、
自分の不在中でも助成金をとって道をつけてくれました。

集まった受講生たちは、業界のレジェンドである新井さんの奥義を
見ようと集まってきた、これまた腕に覚えのある面々、これからの業界を
背負って立つだろう有望なルーキーたちです。

神奈川県でこういった仕事を始めて以来、
自分はまだ5年ちょっとなので、かえって主催者の自分が、
各地で行われてきた皆さんの活躍を知る機会にもなっています。
休憩時間にはそんな話を聞いたりして充実しています。

またこの事業は、カプカプーズ、
つまりカプカプで働いている障害を持つメンバーを講師としてお迎え
しているのも大きなポイントです。
些少ですが、講師料をお支払いしています。

人にものを教えて対価を得る、
少ない金額しか出せなくて心苦しくもありますが、
それが地震とよろこびになるのだと言われて、嬉しくなりました。

昨日は、このワークショップ以外には仕事を入れず、
それだけを考えて過ごしました。いつも複数の場所を移動しながら
働いているので、これも実に嬉しいことです。

新井さん一座とカプカプーズによる巧みなワークショップを見守り、
メモをとりつつ、ジャージ姿でストレッチしながら一日を過ごしました。
流れている時間そのものが、普段の自分を取り巻くものとは
ものすごく違っています。

新井さんは、温泉に浸かりにきたようなものだと言っていました
できれば、まだ助成金をとって継続していきたい事業です。

今年度最後の回は、3/30に開催されます。

3/1(水)発見!スカルコッタス!

2023年3月 1日 Posted in 中野note
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↑どことなく高貴な感じのする、CD店の店員(おそらくオーナー)さんでした

面白い作曲家を発見しました。
ギリシャの作曲家ニコラス・スカルコッタス。
誰だ? と思うでしょう。私もそう思っていました。

ロンドン研修中にとあるCD屋に入ったところ、
そこのおじさんが思いのほか良い人でした。
品揃えも良かったのですが、さりとて特に欲しいものがない。

一方、店員さんが親しげに話しかけてくる。聞けば、ギリシャ人だというのです。
憧れのギリシャ。一度は行ってみたいアテネ。
研修先の劇場でもイオシフィーナとい美しい名前のギリシャ人スタッフと
知り合って興奮しましたが、この時も胸がときめきました。

せっかくなので「ギリシャ人作曲家でオススメはありますか?」
と質問しました。すると店員さんは、「ギリシャのクラシック作曲家で
もっとも偉大なのはニコラス・スカルコッタスである」と教えてくれたのです。

そのお店はナクソス・レーベルのCDがとても充実していました。
ナクソスといえば、ありとあらゆる作曲家のマイナー曲を網羅していることで
お馴染みのレーベルです。値段も安い。ギリシャ人に勧められると
"ナクソス"というレーベル名までもが好もしく感じられました。
まあ、このレーベルは香港に本社があるらしいですが。

ともあれ、一番良さ気なものを買いました。
が、正直に言って買うものがなくて購入したCDなので、
さして期待せず、約半年間も開封せずに来たのです。

昨日、それを何の気なしに開け、車の中で聞き始めたところ、
アタリでした。ブレヒトと組んだことで有名なクルト・ヴァイルに似て、
リズミカルでコミカルで、ちょっと諧謔味を持ちつつ、スイスイと聴けるのです。

改めて良い作曲家を教わったのだと実感しました。
ギリシャ人のおじさんよ、ありがとう。
ニコラス・スカルコッタス、なんだか名前の響きも
ガイコツやシャレコウベが踊っているような感じで面白い。

初期の唐さんは人体模型人形を愛し、お友達でした。
『煉夢術』には人体模型人形も出てくる。そんな妄想も働きます。
スカルコッタス、別の曲も聴いてみようと思います。

2/28(火)江戸川乱歩の『鐡假面』

2023年2月28日 Posted in 中野note
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↑ネット上の写真によれば、こういう箱入り、カラー挿絵多めのものが
届くようです。期待!

今年の公演目標は『鐡假面』。
2007年以来、二度目にやるからには完全無欠の『鐡假面』をつくろう。
そういう意気込みなのですが、実務的な公演会場おさえや予定組みをしつつ、
もう一つしなければならないことがあります。

それは、江戸川乱歩の『鉄仮面』を読むこと。

数々の不思議な短編や、怪人二十面相シリーズで有名な乱歩ですが、
その仕事には海外作品の翻案も含まれています。
「翻案」であって「翻訳」でないのは、けっこう書き変えてある、らしい。

『鉄仮面』もその仕事のひとつであり、
おそらく唐さんは少年期にこれに親しみ、乱歩版の読書体験をベースに
唐版『鐡假面』を生み出した、らしい。

らしい、らしい、と書いたのは、自分はまだ読んでいないからです。

これまでずっと探していたのですが、見当たらなかった。
それで、文庫になっているボアゴベの翻訳、つまり大人向けの長いものとか、
それをさらに少年少女に読みやすくしたものとかに目を通して、
2007年は劇をつくりました。

が、肝心なのは、やっぱり唐さんが何に影響を受けたか、です。

乱歩の作品はたくさん出版されています。
有名なポプラ社のものなど、人気作家ですから手に入りやすい。
私が小学校の頃には図書室にずらりとシリーズが並んでいました。

けれども、翻案物に関しては新しく出版し直すのが難しいらしいのです。
きっと著作権が複雑に入り組んでいるからでしょう。
オリジナル作品とは違って、出版努力の割に売れなさそうでもある。

そのようなわけで、ずっと引っかかっていたのですが、
ネットの古本屋で探したら昭和35年に出版されたものが高くない値段で
出ていたので注文しました。63年前の本です。
どんなコンティションでくるのだろう?
中には戦前に出版されたものも並んでいましたから、
これで最新の方なのです。

いずれ届く乱歩版を読めば、ここ15年抱き続けてきた負い目が解消されます。
もちろん、何か発見があることを第一に期待しつつ、本が届くのを待っています。

公演を組むということは社会的な活動ですから、
場所を決めるのも、出演者に交渉するのも、それぞれの人たちの事情があります。
一喜一憂あって、ラッキー!と思うこともあれば上手くいかない時もある。

そんな中にあって、よし!乱歩版を読むぞ!という行動は自分次第でできるので
息抜きになります。それでいて、劇に向かっている感じがする。
何か発見があったら、それこそ有頂天です。

唐さんが読み、見たであろうものを追う。
文章だけでなく挿絵が多そうなので、そこにすごいヒントがあるかも知れません。

2/24(金)あのオルガン曲を聴けた!

2023年2月24日 Posted in 中野note
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帰国後、今年から県民ホールに勤めるようになり、
音楽事業も担当するようになりました。
中でも、小ホールにあるパイプオルガンを活用したオルガンコンサートの
担当から、自分の音楽プロデューサーへの道が始まっています。
もちろん、メイン担当がいて、私はサブですが。

オルガンコンサートは毎月恒例で行われ、
大規模な特別会もあるので、たくさんの曲を聴くことができます。
今日も本番があって、働きながら愉しみ、また勉強にもなりましたが、
ここ一月半でいちばん感激したのは、バッハのBWV.540を初めて生で
聴けたことです。

これは、唐さんが大好きな映画『Phaedra(邦題:死んでもいい 1962年)』の
エンディングでかかった曲です。

継母フェードラ(メリナ・メルクーリ)との許されぬ恋を父親に咎められた
青年アレキシス(アンソニー・パーキンス)が、映画の終わり、
海外沿いを車でかっ飛ばし、車ごと投身自殺を図る。

その時、車中で彼が流したのがこのバッハのオルガン曲でした。
曲に合わせ、アンソニー・パーキンスは独白し、歌いもする。
元がギリシャ悲劇ですから、普通の映画ではあり得ないシーンですが、
これが不思議とハマる。

車、オルガン、長せりふのスピード感が一体になって、
唐さんが痺れたもの頷けます。亡き根津甚八さんのブログによれば、
当時の状況劇場劇団員はこぞってこの映画を観たそうです。

唐ゼミ☆も上演した『続ジョン・シルバー』では、
このオルガン曲と長せりふを真似たト書き指示があり、
唐ゼミ☆で初めてこの作品に取り組んだ2006年に、
私は聴けるだけのCDでこのBWV.540を聴きました。
だから思い入れがあります。

映画でかかった演奏スピードはあまりに速く、
CDや実演とはだいぶ違いますが、それでも初めて生で演奏される熱演を
客席後方で聴いて痺れました。役得です。

2/23(祝木)綾瀬で旧交を温める

2023年2月23日 Posted in 中野note

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↑真ん中が三上宥起夫さん、向かって右が嶋田勇介さん。



今日は久々に綾瀬市に行ってきました。

綾瀬シニア劇団のメンバーを対象に、とりふね舞踏舎の

三上宥起夫さんがワークショップをしてくださるというので、

久々に現場を覗きに行かせてもらいました。

 

ロンドンに行く前に会って以来、1年数ヶ月ぶりの再会でしたが、

皆さん、ありがたいことに自分のことを憶えていてくれて、

元気そうな様子を確認できました。

また一緒にワークショップを受けて、特にマッサージのコーナーが

気持ち良すぎて、寝てしまったりして。

 

今日の会場は公民館だったのですが、

合い間に綾瀬市オーエンス文化会館も訪ねて、

ずっとお世話になってきた副館長さんとも話しました。

地域の人たちにすごく頼られて、

通り過ぎる多くの人たちが次々に挨拶して行く様子も以前と同じ。

 

何より嬉しく、面白かった再会は、

三上さんのアシスタントとして来ていた嶋田勇介さんに会えたことでした。

嶋田さんは、自分がほんとうに駆け出しの頃、

まだ横浜国立大学で唐十郎ゼミナールの発表公演をやっていた時から、

とりふね舞踏舎の新人ダンサーとしてチラシ折り込みに来てくれたり、

北仲スクール時代にはバンカートのスタッフとしていつも丁寧に

接してくれた人でした。これを期に、

またちょくちょく会う関係になりそうです。

 

初めてお話しすることのできた三上さんとは、

もと演劇実験室天井桟敷のメンバーでしたから、

1969年に起きた渋谷での状況劇場の乱闘がどんなだったか、

結局は誰が原因をつくったのか、というかなりニッチな話題で

盛り上がりました。

 

そういうお話ができる相手を得て、久々にボルテージが上がりました。

やっぱり一番のイタズラ者は、愛すべき四谷シモンさんということで、

一致を見ました。

2/20(月)『オオカミだ!』を終えて

2023年2月20日 Posted in 中野note
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↑バラシは90分足らずで終わった。何もない本多劇場の舞台で

『オオカミだ!』3日間の公演を終えました。
特に土日の11:00開演は不思議な感じがしました。
何しろ、終演して外に出てもまだ13:00くらいなのです。

私たちが観てもらいたい子どもたち、彼らは午後にお昼寝をします。
だから設定した開演時間でしたが、自分たちがひと仕事を終えてから
周辺の劇場がやっとマチネの幕を開ける光景は不思議な感じがしました。

日曜のバラシだって14:00には終わり、
二日間とも昼間から飲みに行き、夕方からは少し別の仕事もできました。

「作・演出」とクレジットされた公演でしたが、
創作に関わった4人のうち、パントマイム的に一番遅れを
とっていたのは自分でした。だから、よってたかって色々なことを
教えてもらったような創作でした。

いつもとあまりにも勝手が違って、
短い稽古期間の中で毎日、内容が変化し、
毎日、台本を書き換えて印刷し続けました。

稽古は午後の8時間。
テツヤさんとケッチさんはその後によく呑んだし、
飲み会の中の会話にも創作のヒントが溢れていたので、
帰宅後はまったく頭が動かず、翌朝の5時からが
作・演出プランを練り直す時間。

朝早く始めても気づけばお昼くらいになっており、
遅刻しそうになりながら稽古場に出かけていく日々でした。

ずいぶん長い時間を過ごしたようですが、稽古スタートは2/7。
3週間前にはまだ何も象を結んでいなかったのが信じられません。

うまくいく時はうまくいくもんだ。
そう自分に言い聞かせていました。

ひょっとして『3びきのこぶた』を知らない子のために
ストーリーを紹介するものとして紙芝居を使いましたが、
唐さんの紙芝居好きと、椎野が地区センターで借り出しては
演じる紙芝居に、うちの子どもたちが異様に食いついていたのが
ヒントになりました。

台本のおおもとはすべてロンドンでつくったので、
当時の生活も一緒に甦って来ます。

バラシを終えた後、少しの時間、
空っぽの劇場客席に座って唐さんのことを考えました。
1982年11月。唐さんは真新しい本多劇場を洪水で埋め、
ボートを泳がせたのです。いつかあの場所に『秘密の花園』を
還してみたいと思いました。

今までは少し斜に構えて見ていた下北沢がなぜ芝居の街であるかも、
その温かさも、体感することのできた公演でした。
お互いがお互いの公演を支え合って、これからデビューしようという
若手を戦力に変えながら、同時に教育機関としても機能している街。
みんなが居付き、愛し、活躍してからも還ってくる理由がわかりました。

敏腕プロデューサー・テツヤからのオーダーで、
荷物も人も軽くつくりました。それでいて、内容が豊かで、
子どもたちに人間の凄さや可能性を伝える公演を目指しました。

これから旅する公演となって、多くの地域、観客との出会いを
求めて行きます。外国へも持って行きたい。
夢でなく、具体的なプランとして狙っています。

座組と劇場、観客の皆さん、ありがとうございました。
この公演には必ず次があるので、また会いましょう!

2/17(金)『オオカミだ!』初日を終えて!

2023年2月17日 Posted in 中野note

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↑初日開場を前に、創作に関わった7人で記念撮影しました


現在、初日を終えて少し食事し、東横線で横浜に引き上げています。

稽古期間は短かったけれど、ようやく初日に辿り着きました。


パントマイムの公演をつくるのは初めてで、

ケッチさんとSATOCOさんとテツヤさんが

自分を指南しつづけてくれたような公演準備でした。


稽古はじめから3日間が特に混乱の極み。

でも、ケッチさんの創作がテクニックの羅列に終わらず、

リアリズムを基調としていることがわかるにつれ、

自分にもやりようがあることを悟りました。


唐さんの台本だって、

今ここにないものを演者の力で舞台上に現出させることに妙味があります。

ことばと所作の違いはありますが、踏まなければならない手続きに

似たものを感じました。


一方で、揺るがせにしてはならない台本があるのと違い、

現場の判断ですべてを更新していくオリジナル創作は、

リスクと希望が一緒に噴出していて、

自分の責任を痛感しながら日々を過ごしました。


初日の感触を確かめながら、

あそこはカットして、ここには小道具を足して、効果をこう加えて・・・

などと楽屋で相談するのも愉しい。


お互いに、一国一城の主が寄り集まって公演しているので、

公演の全体にそれぞれが思いを馳せ、お客さんのことを慮るチームです。

複眼チェックなので穴も少なく、目一杯サービスします。


これからいろんな場所で公演していくのが希望です。

そのために荷物も人も少数精鋭でつくってあります。

明日も、ところどころ工夫して臨みます。


午前9時集合、11時開演!

2/16(木)ロンドンからの宿題

2023年2月16日 Posted in 中野note
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↑これが記念撮影用のバナー。ロビーに置いてある。

『オオカミだ!』公演準備。
今日は明かり合わせを終えて、初めて劇場での通し稽古をしました。
明日には最終リハーサルをして、初日を迎えます。

いろんなところに持って行きたい。
言葉なしのショーなので世界にも持って行きたい。
そう考えて出演者2名、スタッフ2名の最小チームでやってきました。
音響も照明も舞台監督もプロデューサーもやるテツヤさんには
たいそうな負担ですが、私もロビーでお客さんの記念撮影などして
最後までお客さんへのサービスを全うしたいです。

そのためのグッズも届きました。
記念撮影用のバナーや、販売用のTシャツやポストカードなどです。
井上リエさんのおかげで、この公演のビジュアルは大したものに
なりました。それを活かしたデザイナー・金子さんの手腕でも
あります。

気楽に笑いながら観られる1時間のショーです。
人間が身体で表現する芸の凄さも味わってもらえるようにしました。

考えてみれば、ずっとロンドンの部屋で
この公演について考えていました。パントマイムを観た自体が少なく、
どんな風につくるのだろうと?マークいっぱいの頭で知恵を絞って
きました。ボツになったアイディアもたくさんあり、事前にずいぶん
準備をしましたが、結局はこの10日でエイヤッとつくった感が
あります。

けれども、この公演の原動力のすべては、ロンドンで暮らした
ダイアンの家にあったと思います。
毎日、23:00頃に帰っては、ドアについた四つの鍵を閉めました。
締め忘れると翌朝には必ずダイアンに注意され、ロンドンの治安の
悪さをこんこんと説かれました。

そういう体験を通じて、私は『3びきのこぶた』の真髄を理解しました。
ケッチさんの愛嬌と面白さによって、オオカミはずいぶん愛くるしい。
けれども、危険なオオカミからいかに逃れるかがキモなのです。

今日、たまたまロンドンから電話を受けました。
聞けば、自分の後にダイアンの家に入居した人からで、
ついでに久しぶりにダイアンの声を聞きました。

日本に帰って以来、自分がロンドンにいたことを夢のように
現実感なく感じてきましたが、今日は紛れもなく自分があの街で
レンガづくりの家の小さな部屋でずっと寝起きしていたことを
実感しました。

ここ1ヶ月半、日本の良さを満喫しながら過ごしてきましたが、
今日は少しだけロンドン暮らしを懐かしみながら、
明日の仕上げ稽古プランを練っています。

2/15(水)絵のある生活

2023年2月15日 Posted in 中野note
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↑肝心なところが反射してしまっていますが、
こうして人生初の絵画購入が成りました。我ながら大人の買い物


昨日、23:30頃に帰宅すると、すでに家族は寝ていました。
が、テーブルに書き置き。「なにかあるかもね」と息子の字で
書いてありました。

振り返ると、恐竜のフィギュアが逆さ吊りになっている。
風呂に入れば、なぜか風船が壁伝いに逆さ吊りになっている。
彼なりに私の誕生日を祝ってくれたようでした。大笑いしました。

今日の現場入りは13:00。
テツヤさん率いるスタッフ陣は朝から本多劇場に入って仕込みを
していましたが、昼過ぎに行けば良い日程でした。

そこで、朝は県民ホールの会議に出て、
それからケッチさんを黄金町近くのホテルに迎えに行き、
一緒に下北沢を目指しました。

国際性と場数において百戦錬磨のケッチさんの発する言葉は
さまざまな教えに満ちており、稽古以外ではめっぽう面白く
おしゃべりします。

例えば「子どもはバカな大人に物を教えるのが大好き」。
なるほど、これは至言だと思いました。
公演を見にきてもらえばわかりますが、そうした言葉通りに
ケッチさんは動き、子どもの力を引き出すのです。

午後に現場入りしてからは、明かり合わせをし、
かたやケッチさんとは決め切れていなかった場面を
確信が持てるまでに煮詰めて、場当たりに備えました。

夕方から始まった場当たりは時間切れで最後までいくことは
できなかったけれど、どこをどう改善し、残りの作業をどう
潰せば公演が完成するのか、道筋が立ちました。

それからテツヤさんと食事をし、明日に必要なものを
車に積み込んで別れ、そうして帰宅したところです。

今年は、娘と自分の誕生日に絵を買いました。
『オオカミだ!』のイラストを担当してくれた井上リエさんから
一点、購入させてもらったのです。人生で初めて絵を買いました。

ロンドンのダイアンの家で暮らして、絵のある生活は良いものだと
知りました。うちには大暴れする子どもたちがいて、あんな完成度
には程遠いけれど、ともあれ、少し雰囲気が潤っています。

段取りの整理や音響をブラッシュアップしながら、明日に備えます。

2/14(火)厄年が終わった

2023年2月14日 Posted in 中野note
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↑下北沢の街には『オオカミだ!』のポスターがいっぱい
協力してくれた皆さんに感謝


今日は誕生日でした。
つい3日前に娘の誕生日だったのでケーキも買いませんでしたし、
この年で誕生日がどうということもないのですが、
厄年が終わってホッとしました。

41歳の大半を過ごしたイギリス生活は物価が高くて
栄養価がかなり低く、丸ごと厄だったような気もしますが、
人殺しにも泥棒にも会うことが無かったのは幸いだと思います。
そんな風にして42歳になりました。

今日は初めて本多劇場の舞台に立って、稽古をしました。
休憩時間にはブラームスの弦楽六重奏をかけたりして、
こけら落とし公演がどうだったのかを夢想しました。
『秘密の花園』にドキドキしながら、何人もの出演者とスタッフが
あの楽屋や舞台裏をウロウロしていたはずです。
もちろん、その中には42歳の唐さんもいたわけです。

私の方はといえば、すでに馴染んだ4人で稽古をして、
本番の舞台での見え方など、チェックと工夫を繰り返しました。

いつも2月半ばは年度末で忙しく、悲惨なスケジュールな中を
ケーキをホール食いする荒くれた誕生日が多かったのですが、
今年は年始に帰国したばかりで請け負っている仕事が少なく、
何年かぶりに心に余裕のある一日でした。

追い込んでつくるいつもの公演とは違い、
今回の『オオカミだ!』が平和に楽しむキッズプログラムであることも
影響していると思います。

あと3日で本番初日。まだ根本から練り直している場面もあり、
台本に沿ってつくるいつもの創作とは違ったスリルを味わっています。
チケットは完売。ありがたいことです。

2/10(金)英国ケータイ問題のその後と『オオカミだ!』チケット完売

2023年2月11日 Posted in 中野note
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↑ケッチさんとの稽古。新たに加わる衣裳や小道具を使いこなしながら、
新しいパフォーマンスを完成させていきます。


ちょっと前に書いたイギリスのケータイ問題、あれが解決しました。
幸せなことに完勝である。改めて契約解除の手続きがなされ、
余分に引き落とされていた1月末〜2月末の利用料金が
返金されることになりました。やれやれ。

助けてくれたのは、イギリスで知り合った友人・マイさんでした。
彼女は5年以上の英国滞在経験があり、ご近所さんでもありました。
旅行の時、帰国の手続きの時、渡英中もずいぶんお世話になり、
こうして帰国後も助けてくれました。

zoomをつなぎながら一緒に問い合わせ方法を見つけ出してくれて、
キャリアであるVodafoneとのチャットに付き合ってくれました。

日本でもイギリスでも、今のケータイ業界はチャットで問題を解決するのが
主流らしい。まずは契約を止め、それから返金を願い出ました。
それぞれに「あなたはそういう手続きをしていませんよ」と言われましたが、
「店に行ってお願いしたら、"手続き完了!"と言われたんたんだよ。
ホラ、これがその親切で、実は何もしてれていなかった店員さんとの
記念写真だ!」と写真データまで送ったら、すべてこちらの申し出を
飲んでくれました。

解決後はつい幸せな気持ちになってしまったが、
考えてみたらこれは当たり前のこと。
2時間くらいかかってしまったし、引き落としのレシートが届いてからの
モヤモヤを考えれば、完全に余計な手間を取られてしまいました。

が、これぞ英国流、ああ、自分は紛れもなく1年近くをロンドンで暮らしたのだ
という実感が湧いた。何より、マイさんのありがたさが改めて身にしみた。
足を向けて寝られない存在である。
彼女が一時帰国する時には、全力で御礼したいと思っています。

そういう小さな(それにしては面倒だったが)ストレスを解決しながら、
『オオカミだ!』の稽古は進んでいます。稽古4日目にして大型の流れ、
作品の構造を作り出すに至っていますが、日々、昼過ぎから夜までの稽古、
さらに深夜・早朝の作戦練り直しに迫られて、自分を全開にしている感じ。

そんな中、プロデューサーのテツヤによると、チケットが売り切れたそうです。
初日1週間前にして稽古場で喜び合いましたが、これは「予約がいっぱいに
なった」という状態で、支払いと発券手続きをしない人がいれば、
また空席が出てしまう状態だそうです。希望しても見られない人たちのために、
予約の人には、きちんと発券もして目撃してもらいたい。
心からお願いします!


2/9(木)ドリプロもやっていた

2023年2月10日 Posted in 中野note
終演後のドリプロメンバー_230205.JPG
↑遡ること前回の日曜日。ドリームエナジープロジェクトが出演する公演に、
即興ダンスの応援に行ってきた。


現在、『オオカミだ!』公演の稽古3日目が終了したところです。
やってみて、今、ものすごく苦しい。

一応、書いてきた台本通りにはすでに流れを組んだのですが、
なにかこう、ケッチさんとSATACOさんの肉体から、
稽古場からでしか生み出すことの出来なさそうな、
とても大切なものが決定的に出そうで、まだかたちになっていない。
いわゆる産みの苦しみというやつなんですが、それを味わっています。

フィジカルシアター、パントマイム、サイレントコメディ・・・
呼び名は色々あれど、自分にとって初めての経験だし、
稽古初日に、ケッチさんと会うのがやっと2回目という状況の中で、
残る稽古場での稽古はあと三日間のみ。

異常にヒリヒリしています。眠れん!

こうしてゼミログを書いている間にも、
アイディアが湧いては中断してメモを取り、それが実現可能か、
どれほど面白いものになるか、考えながらゼミログ文章を書いています。

同時に、明日は雪が降るのだろうか。そうすると、やはり車は危ない。
稽古場にどんな風に行こうか。などと、垂れ流しの思考が身をもたげたりします。
それどころか、こういう時に限って過剰な雑念が溢れ出てくる。

今回のショーでは「紙芝居」が重要な役割を果たすのですが、
それは唐さんの影響からかも知れないな、と思います。
唐十郎作品には『黄金バット〜幻想教師出現〜』や『紙芝居の絵の町で』
という台本もあり、唐さんが幼少期に興奮した紙芝居の影響が如実です。

時代を下って、確か『ちびまる子ちゃん』にも紙芝居屋の描写が出てくる。
いずれも、学校帰りの小学生たちを狙って、飴やたこせんを売って
紙芝居を見せるという、あの商売が描かれます。

さすがに自分が子どもの時には、あの紙芝居屋さんはいなくて、
大学生になってから行ったラーメン博物館で遭遇するのみだったのですが、
保育園の先生がやってくれたし、今、息子と娘も、地区センターで借りてくる
紙芝居を椎野が家でやってあげると、かなり楽しんで聞いています。

・・・と書きながら、うん、やはり紙芝居だ!などとアイディアをまとめています。
稽古中の現在の私の頭の中はこんな感じ。

そうだ!
リラックスした時に考えがまとまる、とも聞きますので、違うことも考えます。
先日の日曜日は、久々にドリームエナジープロジェクトの皆さんのサポートを
しました。杉田劇場で行われる公演に、ドリプロが出演者のひと組として出演、
即興ダンスを披露したので、短い舞台稽古から立ち会いました。

だから、冒頭の写真は終演後に上手くいってホッとしている時のもの。

おお!良いアイディア出てきた! 明日の稽古、いけるかも知れん!!!
一気に作品がまとまるかも! ・・・という具合に、千々に乱れた考えを
やっとまとめながら、現在も準備しています。

2/8(水)売り切れてきている

2023年2月 8日 Posted in 中野note
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↑井上リエさんが宣伝用に作ってくれたビジュアル

今日は『オオカミだ!』公演のための稽古2日目。
音楽や効果音をラップトップで動きに当てながら稽古しています。

ケッチさんの技の応酬を間近で見て、大変にぜいたくな思いです。
それ以上に、稽古の合い間の話し合いから聞くことのできる
エピソードが面白い。技を活かすためにケッチさんが過ごしてきた思考
アイディアを面白く聞いています。

そう。ステージ上では言葉なしなのに、稽古が止まるとやたら喋っています。

技自体はすでに誰かが生み出したり、
他の人だって自分のものにしているわけです。
けれど実際には、エスカレーター=が〜まるちょば として多くの人の心に
刻み付けられている。それはなぜなのか。そういう話を聞かせてもらえる
わけです。

稽古場には、舞台上でケッチさんをサポートするSATOCOさん
というマイム・アーティストもいて、彼女の話もたくさん聞けます。

カナダに行ってパントマイムを志した話だとか、
が〜まるちょば が始めた道場で学んだ話、
最近はあるキッカケを境に手話を学び始め、
現在では英語よりも手話の方が上手いのだそうです。
手話のできるマイム・アーティスト。

パフォーマンスの上で、何気なく二人が掛け合う姿を見ていると
実に見事で、その呼吸に長年の付き合いを感じます。
これも自分にとって、以前には無かった経験です。


ところで、来週末の三日間、一日に一回ずつ行う公演のうち、
すでに2/19(日)11:00の回は完売しています。
残すところ、2/17(金)19:00と2/18(土)のみ。
土曜日の回も徐々に埋まりつつあります。



2/7(火)稽古純度の高い1日『オオカミだ!』

2023年2月 7日 Posted in 中野note
ケッチさん・サトコさんとお.jpg
↑テツヤPが写真を撮ってくれました。

今日は『オオカミだ!』公演の稽古はじめでした。
通常の演劇づくりとは異なり、稽古期間は1週間。
その後に現場入りしてから3日で初日を迎える弾丸企画です。

主演のケッチさん、黒子として参加してくれるSATOCOさん、
テツヤP、私の4人で稽古場である若葉町ウォーフに集まり、
7時間ほど稽古しました。その後も話は続く。

考えてみたら、こんなに稽古のみの一日を過ごしたのはほんとうに
久しぶりでした。いつも別の仕事から仕事へ渡り歩きながら稽古も
してきましたので、朝に二、三の用事は捌きましたが、それ以外はずっと稽古のこと。
時には休憩時間を長くとっておしゃべりして、ぜいたくな時間でした。

ケッチさんに会うのは、去年の5月末にブライトンで会って以来、二度目でした。
今日は全体の進行を確認しつつ、主にケッチさんの技の数々を把握するところ
から始めました。百戦錬磨のケッチさんのこと、技の引き出しが豊富で、
パントマイムの何たるかという基礎も一緒に教わりました。

用意してあった進行台本を最後まで読み進めましが、
実地に検証する中で、シーンのつながりを整えつつも新たな技を思いつくなど、
私たちが実際に上演するものへの視界が一気に開けて、
今晩から明日にかけては宿題が山積です。

とにかく、「あ、パントマイムの公演ってこうやってつくるんだ!」と
発見に満ちた1日でした。

短期決戦なので、集中して自分が持っているすべてを出し尽くそう。
現在のケッチさんの芸における挑戦に伴走していこう。
そう思って稽古後の今も作業を続けています。

「写真を撮る時は目を開くこと!」とケッチさんに教わりました。
そういうわけで、記念撮影の写真まで力がみなぎっています。
明日も早朝から準備をして、昼からの稽古に臨みます。

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2/3(金)下北沢の唐組『赤い靴』より

2023年2月 3日 Posted in 中野note
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↑私が撮り忘れたので、重村大介が写真を送ってくれました。今日も頑張れ!

昨晩は下北沢で『赤い靴』を観てきました。
女性二人による少女誘拐事件に端を発して、彼らに犯行用の車両、
ハイラックスサーフを売ってしまった青年が取り憑かれたように
その事件の真相に迫る話です。

舞台にスクリーンが登場したり、奥行きなしでも演じられるようになっているのは、
この演目が渋谷の映画館ユーロスペースで初演されたためです。
林海象監督の『海ほおずき』に主演した唐さんは、その上映と並演するために
この『赤い靴』を書きました。1996年のこと。

新人公演と銘打った出演陣の中には、ずっと応援してきたメンバーもいるし、
新たに加わった人たちもいて、 多士済々でした。。
全体に、みんながいきなり主役級を張って肩に力が入っていたけれど、
それも誰もが通る道で、観ていて気持ち良い。

唐さんの役柄を演じるのは、
共感や感情移入といったリアリズムを持ちつつ、それをズラすのがコツだと思う。
与えられたせりふや役柄によってそのバランスは異なり、空間によっても
適切なバランスは変わる。

テントよりも劇場でやる方が、ちょっとリアリズム寄りに寄せてみよう、とか、
今の自分だったらそんな風に組み立てるけれど、それには経験も必要です。

皆さんには、こうした実演の上手くいった部分を頼りに、
偉大な先輩方の表面的な喋り方、演じ方の真似に終わらず、
自分の素直な生活感覚で役をとらえて、そこから唐さん流にジャンプする術を
やはり自分流で見つけていって欲しいと思いました。
昨晩より今日、今日より明日が良くなっていくだろうから、もう一回観たい、
そう思わせる舞台です。

一方で、舞台を観終わって帰りながら、
これまで接してきた様々な上演を思い出しました。
私は初演には間に合わなかったけれど、大学に入って唐さんに入門してから、
山中湖乞食城での新人発表や赤レンガ倉庫での公演、中央線沿線の小劇場、
唐組アトリエ......、さまざまな上演を観て来ました。
だから、それぞれの舞台で活躍して来た歴代のキャストが自分を駆け抜けました。

また、2009-2011年に室井先生を中心に運営された馬車道の北仲スクールでも
学生たちが久保井研さん演出によりこの演目を演じていて、その記憶も蘇りました。

その時、主人公の一人「韋駄天あやめ」を演じていた元学生のSさんが
昨日の回を観に来ていて、帰りに井の頭線の中で思い出話と近況を交換しながら
彼女が衣裳のワンピースを着ていた物腰、1幕の終わりで「カーレン!」と言った声を
まざまざと思い出しました。

あの時のメンバーはみんな社会に出て活躍しているそうです。

そうそう。室井先生によれば、
唐さんが横浜国立大学の教授になるかどうか逡巡していた際、
その回答をもらったのは、初演の舞台上でのことだったそうです。

まだ40代だった室井先生が舞台を観にいった時、
唐さんはそれまでとは違った演じ方をしてみせて、舞台上から回答をした。
それを受け取った室井さんが終演後に唐さんに応答することで、
教授就任が決まったのだそうです。
(ということは、室井さんが唐さんのメッセージをキャッチしなければ、
自分は唐さんのもとで学べなかった)

昨晩、主人公の灰田瞬一がスクリーンを切り裂いた場面を思い出しながら、
そんな風に翌日、今この瞬間も鑑賞しつづけています。
昨日、熱演してくれた皆さんに感謝。

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2/2(木)車の1ヶ月点検に来た

2023年2月 2日 Posted in 中野note

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↑ホンダの店舗から見たミツ沢の景色。横浜国大に入ってから20年以上

この場所に親しんできたが、こんな風に眺めるのは初めて!


今朝は劇場の仕事を少しして、それから横浜市民ギャラリーに行きました。


唐ゼミ☆を横浜国大で活動し始めた時からずっと見守ってもらい、

時には川崎市市民ミュージアムでの公演をプロデュースしてもらった

仲野泰生さんが、展覧会に参加しているからです。


仲野さんの作品は、近年に行き来してきたメキシコ文化と

お住まいのある川崎の遺跡、縄文文化が融合していて、

端正なものでした。ちょっと怖いようなリアリズムもあって

まことに二枚目! 一方で、自分は仲野さんが展開してきた

小型のエロ本シリーズが好きなので、あれもまたやってほしいと

伝えました。


それから、劇団員のちろさんに会いました。

ほんとうに久しぶり。彼女にはイギリス留学経験があり、

自分は渡英準備の中でさんざん世話になりました。

だから御礼を伝え、不在の間の出来事や、これからのことを

話し合いました。ロンドンで買ったお土産をやっと渡すことも

できました。


実はまだ、林麻子と米澤と佐々木あかりには会えていません。

彼らにも会って、早くお土産を渡したいと思いつつ、

後手後手で1ヶ月。早く公演場所の算段をつけて、

具体にどうしよう?っている相談をする状況を整えたいと

思います。お土産、ずっと車に乗っています。


それから、車の1ヶ月点検を受けに来ました。

今、その待ち時間にこれを書いています。

横浜国大近くのホンダ三ツ沢店が担当店舗です。


自分が不在の間、椎野は自転車でここまで行き来し、

今乗っている車を用立ててくれました。

大学時代から慣れ親しんだミツ沢上町の交差点ですが、

店舗の中から見るとまた違った風景です。


帰国してからの1ヶ月で、走行距離は3,500kmを超えています。

ハードワークは仕方ないとして、大事に乗っていきたいと思います。

それに車の販売店の、このホスピタリティの良さよ!


今日はこれから車を家に戻し、下北沢に唐組を観に行くつもりです。

重村や山本十三、立派になった美仁音の活躍に期待!

どうだったかは明日に書きます。

2/1(水)ハンディラボに帰ってきた!

2023年2月 1日 Posted in 中野note
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↑中の様子は変わっていたが、木馬マチュピチュも健在だし、やっぱり
良い空間だと思った。なんだかインスピレーション!


今日は朝からドタバタしました。
朝から映像作家の飯塚聡さんを迎えに行き、それからカプカプ光ヶ丘へ。
今日はカプカプ×新井一座のワークショップを開催したのです。

福祉×舞台芸術の分野で活躍したいメンバーが受講生で、
業界のレジェンドたちのノウハウを実地に学び、
今後の普及につなげたいと思ってやってきました。

ご本人が発表していますが、WSを主導してきた新井英夫さんは
去年にALSという筋肉が衰えていく病気を発症されました。
類まれなる新井さんのノウハウを次の担い手に伝え、
実践できるようになってもらいたい。時間との闘いです。

午前の部が始まりそうなところで、神奈川県民ホールに移動して
会議に参加しました。音楽学者の沼野雄司先生に会いましたが、
会議終わりに室井先生や渡邊未帆ちゃんの話ができました。
案外、共通の知り合いがいるものです。
北仲スクール時代に三人で働いた時のことを思い出しました。

それから財団スタッフの何人かと喋って、またカプカプに戻りました。
午後の部の終盤に混ぜてもらうためです。
何をやっても笑われることがない空間なので、
思い切って動いたり吠えてみたりしました。爽快でした。

相手の動きを感じ取って自分なりにアレンジして返すと、
相手はそれを踏まえて次の動きに移る。このつながり、
連鎖にアンテナを立てます。私たちの間に発生するやり取りを実感しました。

それから振り返りの会をして、体験を経た後で新井さんたちのノウハウに
ついて質疑応答しました。新井さんのノートを見せてもらって痺れました。
精緻に計画し、現場で即興的に取捨選択する。
その後で何がウケ、何がウケなかったを検証していました。
伊達にインプロをやっていない。周到さと直感が高度に結びついていました。
すごい!

それから、再び飯塚さんを日吉の家に送って、
今日は吉原文化研究のセミナー「燈虹塾」に参加しました。
本当は会場の西徳寺に行きたかったけれど、開始時間に間に合わないので
オンラインでの参加。そのために、日吉から近いハンディラボに一年ちょっとぶりに
帰ってきました。久しぶりだ! ハンディラボ!!!

ずっと維持して来たので、なんだか感激しました。
ここから、また再び地道な創作をしたい。そういう思いを新たにしました。

1/26(木)秘儀、ブレイク・ソサエティ

2023年1月26日 Posted in 中野note
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↑1ヶ月前にはブレイクゆかりのフェルパムに彼の行きつけを訪ね、
ランチを食べていた。自分でも信じがたい・・・


今朝は早起きをしました。
何しろ、午前4時半からのオンライン会議に参加したのです。
ザ・ブレイク・ソサエティの会合。
英国時間の19:30開始が、日本時間の翌日4:30開始でした。

ロンドンで発見した会員制教会コンサートに参加するために
ホームページづてに連絡をとったのが縁で入会したこの会合。
1年に一度の年次総会が行われたのです。

私にとって初めての参加が年次総会となりましたが、
これはなかなか興味深い体験でした。
まず、開会前はいかにも神秘的な、そうプラネタリウムにでもかかりそうな
音楽が鳴っていて、ブレイクの版画がスライドショーされている。

定時になり開会すると出席者のうちの何人かが顔を出すわけですが、
皆、一様におしゃれな部屋からのオンライン参加か、背景画像に
やはりブレイクの版画を使ったりしている。

年次総会なので決算報告などもありましたが、
総じて、参加者の一人であるオーストラリアの方が、彼の国での
ブレイク需要を発表したのを面白く聴きました。

英語は、あまり衰えを感じません。
というか、都営期間中の最後だってトップスピードで話されると
よく振り切られていたので、もともとが低空飛行だ、という意味で
違和感がないのです。わかることはわかる。わからんことはわからん。

ともあれ、こんな風にロンドンでの体験の後の愉しみに繋がるのは嬉しい。
いつか、唐さんの『吸血姫』の劇中歌について説明する日が来るかも知れません。
半世紀ちょっとまえの極東に、こんな影響がありましたよ、と。

参加人数はそう多くなく、20数名というところでした。
それだけに秘密の集まり感があって、それがスパイスになっていました。
題材が秘密めいていますし、スタイルが秘儀っぽい。
次回もよろこんで参加します。

1/25(水)横浜中華街に行く

2023年1月25日 Posted in 中野note
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↑移動後の新店舗。張記小籠包は遠藤啄郎さん気に入りの店だった

久々に横浜中華街に行った。
ひどい寒さの割りに、お客さんが戻ってきている感じがする。
1年ぶりだったせいもあり、ただ歩いているだけコロナが流行ってから
今までのことを丸ごと思い出した。

2020年の春先。
緊急事態宣言により全てのお店が閉まった時のこと。
その軒先で、50枚で3,500円するマスクを売る露店が幾つもあったこと。
それらがあっという間に値下がりして、店の人たちに悲壮感がつのっていたこと。

中華街といえば、山下公園側の大通りに面した"張記小籠包"という店に
通ってきた。ここは横浜ボートシアターの遠藤啄郎さんから教わった店で、
ボートの公演終了後に連れてきてもらってから通うようになった。

自分の酸辣湯麺好きはここから始まって、
それから何軒も食べたけれど、ちょっと替わりが見つからない。
寒いロンドンにいた時も、ああ、あそこの酸辣湯麺を食べることが
できたら、と何度か思った。

SOHOのチャイナタウンは値段が高くて気軽に行ける場所では
なかったし、街場の中華料理屋にはいつも違和感ばかり覚えて、
会計後に後悔してばかりだった。

さて、"張記小籠包"。
久々に!と思ってお店の前まで行ったら、
別の、中華料理屋でもなんでもない居酒屋になっていて愕然とした。

繁盛店だったからお店の人の健康に何かあったのかと
悲嘆に暮れたが、ネットで調べてみると「移転」とあり、
なるほど、中華街の真ん中らへんに懐かしい看板を発見した。

店に入ると懐かしい店員さん。
久しぶり!という話になり、しばらく来なかった理由を伝えたり、
引越しの理由を聞いたりした。賃貸契約の更新時期を区切りに
移動したらしい。

いつもの!と頼んだら大盛りで持ってきてくれた。
酸辣湯麺を食べながら、遠藤さんに「僕が初めてこれを食べたのは
1970年代のパリ」と言われたのを思い出した。
ヨーロッパが身近になったので、以前よりその情景が想像できる。

遠藤さんは2020年2月上旬に亡くなったから、
ギリギリのタイミングでコロナを経験しなかった。
いつも陽性の雰囲気を持つ人だったから、コロナによる
様々な制約を知らずに逝ったことが、遠藤さんらしいと思う。

以前よりアクセスがスムーズでなくなった分
頻度は減るだろうけれど、また通おう!

1/23(月)くたびれ果てたので楽しい話題を

2023年1月24日 Posted in 中野note

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↑典型的に愚兄賢弟の三男。なるほどかしこそうです


今日は月曜日です。

いつもならば日曜に行ったワークショップのレポートをする日。

けれど、心折れました。


すべての仕事を終えて帰宅したのが24:15。

そこから食事してレポート執筆にかかりましたが、

ようやくあらかた書いたところでシステムエラーが起こり、

完全に消えてしまいました。

ほとんど、9割がた完成していたというのに・・・


ですから、レポートは明日に回します。

今日は短くて楽しい話題をやりましょう。


井上リエさんからオオカミとこぶたのイラストが届きました。

『オオカミだ!』のパントマイム・ショーの中に出てくる

紙芝居をデザインし、宣伝ビジュアルも作ってくれているリエさんが

新たにイラストをプレゼントしてくれたのです。


チラシに載っているオオカミだけでなく、こぶたもいます。

井上リエさんはオシャレな輸入食品を扱うカルディのビジュアルを

担当されているクリエイターで、あのユーミンのコンサート

ビジュアルも何度も描いてきました。


知れば知るほど良い作家に引き受けてもらったものだと思います。

肝心のケッチさんのショー部分を考える際も、リエさんの絵に

大いに助けてもらっています。


以上、愉しい話題でした。現在26:00を過ぎています。

もう風呂入って、寝る!


↓カルディといえばこの絵でしょう!

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『オオカミだ!』チラシの完成

2023年1月20日 Posted in 中野note

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↑『オオカミだ!』チラシができました。さっそく撒き始めています。


公演日時と場所はこんな感じ!

2/17(金)19:00

2/18(土)11:00

2/19(日)11:00

於:下北沢 本多劇場


今日のお昼に劇場の下見に行きました。

これまで下北沢には何度となく足を運んできましたが、

自分が公演する側になるのはこれが初めてです。


普通だったら必ずや通り過ぎるであろう下北沢ですが、

テント演劇をやっていると空き地を求めて彷徨ってしまう。

だから初体験です。


現在はちょうど修繕中だったのですが、

セットも何も無い舞台を初めて見ました。

唐さんの『秘密の花園』によりこの本多劇場が

スタートしたのだと思うと感慨がありました。

それに、駅前の変化したこと。


渡英していた11ヶ月の間に、駅前から劇場に至る道はかなり

スムーズになり、両側には新たな飲食店が多くオープンして

多くの人たちが気持ちよさそうに昼食をとっていました。


渋谷駅から井の頭線に乗り換えるルートも久々に歩きました。


すでに1月下旬に差し掛かっています。

稽古は2月に入ってからですが、

しなければならない準備は山ほどあります。


帰国以来、日本で再会した仕事や生活を定着させるために

過ごしてきましたが、今日を境に意識の中心を創作に切り替えます。


チラシを渡しながら何にかに訊かれましたが、

大人ひとりでの観劇ももちろん大丈夫です!

1/19(木)床屋の値付けにビックリ

2023年1月19日 Posted in 中野note
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今日は午前中の予定に余裕がありました。
そこで、家から日の出町あたりまで走り、鶏ひき肉を買うことにしました。
日本に帰って以来、外食に対するモチベーションがあまり湧きません。
明太子とか塩ジャケ、納豆などの良いものを味噌汁とやるのがひどく美味く感じます。
今日は鶏肉の専門店に行きたくなって、そんな風に走ることにしたのです。

途中、上の写真を見て驚きました。
あまりにも安い価格設定。文字の大きさとゴチック体のフォントが、
決然としたお店の意志を訴えていました。右の方に「男性客も大歓〜」という表記が
見えますが、要するに男性客を歓迎する旨が書いてありました。
つまりここは、女性用の店なのです。

丸刈り→490円です。それにしてもこの安さよ。

思い起こせば、ロンドンの床屋はひどく態度がデカいところばかりでした。
まず、寝ると怒られる。おそらく髪が切りにくいからでしょう。
はっきりとDon't sleep!と言われる。Pleaseは付かない!

それに、頭の向きを変えるときにはガシッとつかんでグイと方向をチェンジ
させられます。なかなかの力の込めよう。そこに優しさはありませんでした。

極め付けは「耳ファイヤー」。
これはアラブ系の床屋に限ったことらしいのですが、
耳の周辺の産毛を一掃するため、時にお線香の巨大な感じのやつに点火し、
立ち上る炎で耳を炙るのです。反射的に身をのけぞらせて熱がると、
周囲のお客さんと一緒に「ワッハッハ!」と笑われました。ドS!

散発のスピードは極めて速く、一人15分とか、その程度です。
値段は顔剃りなしで2,500円くらい。
都心の高級なところに行かなかった私が悪いのかも知れませんが、
グリニッジ周辺の3軒はいずれもそんな感じで、割と優しめな店員を見つけて
腰を据えました。ただし、その人がいなければやはり他の荒らくれに
グイッとやられてしまう。

日本に帰って来られて幸せです。

1/18(水)井上リエさんのアトリエに行く

2023年1月18日 Posted in 中野note
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↑帰り際に記念撮影もしました

今日はたくさん移動しました。
朝から、横浜→深川→関内→鎌倉→吉原と巡って横浜に帰ってきました。
特に、鎌倉の腰越にある井上リエさんのアトリエには初めて行きました。

リエさんは、神奈川の仕事で県内を巡る中で知り合いましたが、
クリエーターとしてお訪ねしたのは初めてのことです。

来月に控えている『オオカミだ!』という子ども用の公演の中で、
リエさんには劇中に登場する紙芝居をデザインしてもらい、
それをチラシのイラストにも使わせてもらっています。

ロンドン滞在中に仕事を依頼、引き受けてもらってから
ずっとメールや電話やZoomでやりとりしてきました。
以前とは違った関係で直接に会うのが不思議な感じがしました。

腰越のアトリエに着くと、幾つもの作品が壁にかけられ、
机とか、マットとか家具類などにもデザインが溢れていました。

イギリスで暮らした家の中にはあらゆるところに絵や写真が飾られていたので
自分の家にもこういったものがあると良いと夢想しましたが、
3歳の娘の攻撃にさらされるのが目に見えているので、
もっと先のことだと思い直しました。

けっこう話し込んでしまった後に東京に向かいました。
台東区吉原のお寺で行われる江戸文化研究の勉強会に
ずっと参加しています。酒井抱一という人がいかに書や画の技芸を
体得していたかという話を聞き、その多才ぶりに驚きました。

日本に帰ってきてから、会いに行くべき人に片っ端から面会しています。
初めはリストをつくっていたのですが、かえって気が急いて混乱することに
気づいたので、行けるところから行くというやり方に切り替えました。

2月第2週から『オオカミだ!』の稽古が始まるので焦っています。
リエさんのアトリエに一緒に伺ったテツヤさんと話しながら、
そういえば下北沢で自分が公演をするのが初めてだと気付きました。

学生時代に初めて大学を飛び出して新宿で公演した時、
日々、あの街に通うのだと想像しただけで興奮したのを思い出しました。
1ヶ月後には千秋楽を迎えていることを、信じがたく感じます。

1/17(火)桃山邑さんの納骨式

2023年1月17日 Posted in 中野note
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↑崇禅寺本堂 入り口のカラーコーン。よく見るとお地蔵さんがくり抜かれている。
このセンスに接して、さすがは桃山さんが頼みにしたお寺だと唸った


1/15(日)に羽村市に行ってきました。
去年に亡くなった桃山邑さんの納骨式に参加するためです。

桃山さんの具合が悪いと聞いたのは、去年1月末に渡英して
約ひと月が経った頃のことでした。
それから5月の公演に向けて出たチラシには「桃山最後の野戦攻城」とあり、
桃山さんは新聞取材を受ける中で自らの病状を語っていました。

自分はロンドンから、多くの関係者が羽村に桃山さん最後の舞台を訪ねるのを
眺めていることしかできず、その後、10月半ばに桃山さんは亡くなりました。
イギリスでできることもなく、実感を持てないまま過ごしてきました。
帰国後、桃山さんの納骨式があることを知った時、すぐに参加を希望しました。

桃山さんの死を実感したのは、羽村の崇禅寺に着いて席に座った時でした。
水族館劇場の関係者はいるのに、桃山さんはいないのです。
それまでどうにもピンときていなかった自分は、
桃山さんがいつも一緒にいた人たちの中に桃山さんが不在なのを感じて、
ようやく桃山さんが亡くなったのを体感しました。
いつもカーテンコールで一人一人の名を叫んでいた桃山さんの声と、
あの独特の話し方の訛りを遠くに感じました。

お坊さんによる式の進行は水族館劇場と桃山さんへの理解に溢れるもので、
古風とポップが入り混じっており、この方に支えられて桃山さん最後の
公演が成ったのだと、温かな気持ちになりました。
その後、桃山さんのお骨は共同の墓地に納められました。

係の人が重い石板をずらして骨壷を納める作業をしているのを見て、
しばしば舞台の床下に役者が入ってく水族館の芝居を思い出しました。
それから、一人一人お線香を手向けました。

私の理解する水族館劇場の主義からして、桃山さんは劇団の代表らしきもの
ではありましたが、一劇団員として自分を貫いてきたのだと思います。
カーテンコールで役者・スタッフすべてを同等に紹介していましたし、
だからこそ、桃山さんが亡くなっても水族館は続かなければならない。

仮設の舞台を組んで公演する場所の確保、
土地を運営する方から理解を得ることは、ますます難しくなっています。

桃山さんは崇禅寺への埋葬を望むことで、最後に大きなお願いをしたのだと
思います。水族館劇場をよろしくと桃山さんが言っているようでした。
次も、次の次も、水族館劇場の公演が続きますように。

同じ仮設の興行を目指す者として強く望みます。
桃山さん、ありがとうございました。これからも期待しています。

1/13(金)ロンドン生活の名残り

2023年1月14日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑ここ数日で読んで面白かった本。本文と関係なし

ロンドンから荷物が届いた。
ダンボールにぎっちり詰め込んだものが二箱。
12/23に送ったものが案外と早く着いて、私が不在の間に重い重いそれを
係の人が階段をのぼって届けてくれた。

さっそく荷をほどきをして、
上の方に入れた衣類を出し、全体のいくらかをクリーニングに出した。
夏の間にずっと着ていて汚れたジャケットなどがリフレッシュしてくれるのは
嬉しい。戦争の影響で日本から荷物を送ることができないと知った時は
途方に暮れたけれど、なんとかTK-MAXXXXという安く衣類を売る店で
揃えることができた。それらを着て歩きまくった日々は確かにあったのだと
思い出させてくれた。

CDも大量に出てきた。
容積と重さを軽減するため、一度ケースを外してやっと収納したが、
日本に着くなり注文しておいた大量買いのプラケースに復帰させることが
できた。ピーター・フィッシャーを筆頭に、サラ・コノリー、
ハリー・クリストファーズ、ジャッキー・ダンクワースなどが
サインやメッセージを書いてくれたもの。
お墓に持って行ったレジネルド・グッドオールのものもあって、
ここ数日はほんとうにロンドン生活があったのかどうか
半信半疑の感覚が強まっていたけれど、一気にそれぞれの時を思い出した。

また、昨年夏以来、ずっと奥歯の痛みが気になってきた。
必ずや虫歯に違いないと思ってきたが、実際に歯医者に行ってみて、
それらが決して虫歯ではないとわかった。

なんだかんだと英国生活は緊張の連続だったから、
朝起きると奥歯を噛み締めて寝ていたこともしばしばだった。

・・・という具合に、わずかに残った作業も一つ一つ味わっている。
そうだ! 文化庁に提出するはずのレポートも残っている。
これも日本での仕事が軌道に乗る前に倒してしまわなければ。

1/12(木)結局どんな職業なのか?

2023年1月12日 Posted in 中野note
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↑忘れてはならない『夢十夜』

ここ数日、『秘密の花園』冒頭について語りながら、
触れそびれてきたシーン、人物がいます。
それは「中年男」とされる登場人物。

劇の冒頭中の冒頭、プロローグと言ってよい始まりの部分に登場して、
主人公のアキヨシを妖しい世界に導きます。彼とアキヨシの現実感の無い
会話によって、この劇は一気に幻想譚の雰囲気を帯びます。

中年男は赤ん坊を背負いながらアキヨシに声をかけ、
まずはアキヨシが押さえた額の心配をします。
という心配りや優しさからアキヨシに言葉巧みに接近し、
どこか胡散臭がられながらも、気の弱いアキヨシと会話を続ける。

アキヨシはお姉さんのことが特別に好きらしい、
そういう様子に敏感に気づくのも、この中年男の年の甲という感じや
会った瞬間に相手の素性や無意識を見抜いてしまう、占い師めいた雰囲気に
繋がってきます。

そして二人の会話が極まると、
中年男はズリズリとおぶった赤ん坊を背中から引きずり出し、
陸橋から落とそうとする。アキヨシが止めにかかると、
「おまえをおぶうように、坂の上の姉さんから」頼まれたと
アキヨシを翻弄します。

この中年男は、夏目漱石の『夢十夜』の第三夜にインスパイアされています。
もともとは、我が子を背負った男が突如として背中に重さを感じ、
耐えかねていると、いつの間にか赤ん坊に自分の殺した敵が乗り移っていた
という怖いお話です。

それが唐さんの手にかかると、
お前も背負って赤ん坊にしてしまうぞ、というユニークな迫り方に転化する。
次なるシーンは、いちよがアキヨシに語る『青い鳥』、
「未来の王国」に影響された生まれる前の子どもたちの場面ですから、
生まれる前の世界、赤ん坊の世界、彼らがみている夢や無意識、
という具合に繋がってきます。

このようにして中年男はなかなか不思議な存在なのですが、
自分の職業を「ベビー預かりの大番頭よ」と宣言します。
なかなかハッタリの効いた唐さんにしか生み出せない言葉だと思いますが、
よくよく考えてみると、これは0歳児保育で働くおじさん、保父さん、
のことだと考えられます。

自分もまた年の甲で、学生時代に始めてこの台本に触れた時とは
違って人の親になりましたので、こういう風にも考えられるようになった。
唐さんは子育て熱心な人ですから、ちゃんと社会に生きる一人として
「中年男」を思い描きながら、彼が「赤ん坊を背負う」のに過剰な情熱を
持っていたとしたら、と発想したに違いありません。

保父さん、保育園の先生、という風にも地に足をつけて考えながら
ベビー預かりの大番頭、という押し出しを楽しんで幻想性を持たせる
唐さんを読み解く時のコツが、この役柄の捉え方ひとつにも込められて
いると考えます。

1/11(水)身内にも分からないほどの顔面の変形

2023年1月11日 Posted in 中野WS『秘密の花園』 Posted in 中野note
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↑北宋社『紅い花 青い花』
後に唐さん同じ出版社から『ユニコン物語 台東区篇』を上辞します


引き続き『秘密の花園』のことが気になっています。
劇の冒頭でおでこを押さえている青年・アキヨシ。
なぜ押さえているかというと、日暮里駅前に生えているうるしにかぶれたから。
どれほどかぶれているかというと、ついさっきまで一緒にいた実のお姉さんにも
アキヨシだと見分けがつかないほど、という設定です。

・・・という具合なので、これだけで相当なかぶれ具合、
アキヨシの顔面が大いに変形してしまったことが想像できます。

しかも、ことが起こったのはほんの僅かの時間だという。
どれくらいかといえば、一緒に日暮里駅に降り立ったお姉さんがトイレに行き、
戻ってくるまでの間。どう考えても10分ほど。長くても30分とかからない間に
すっかりかぶれて見分けがつかなくなってしまった、という設定がおもしろい。

なかなか奇抜な発想といえますが、これは唐さんオリジナルのものでは
ありません。唐さんの好きな泉鏡花の『龍潭譚(りゅうたんだん)』という
短編に、唐さんのアイディアのもとになった少年とその姉が登場します。

『龍潭譚』
少年がお姉さんに禁じられた外出をするところから物語は始まります。
しかも行ってはいけないと諭されていた方角に進み、
少年は咲き乱れた躑躅(つつじ)に魅せられ、かぶれます。
この小説の場合はうるしではなく躑躅です。
それでいて、顔がかぶれてしまうところは一緒です。
少年が迷子になりながらも家に引き返そうとするうちお姉さんを発見しますが、
必死で弟を探す姉には少年の正体がわかりません。

結局、家の使用人に助けられて家に戻ったところでこの短編は幕を閉じ、
自分の慕うお姉さんに他人の扱いを受けてしまった体験も含めて、
少年には夢魔として一連の冒険が記憶されるという話です。

比較してみると、唐さんの場合はほんのトイレにたった隙の一瞬の
出来事である点が、一層の効果を上げていることがわかります。
現実的には、ほんの刹那に肉親からも分からないほどにかぶれてしまうのは
かなり理不尽ですが、それが『秘密の花園』という台本が持つ
強い魅力につながっています。

執筆当時の唐さんは、後に親しくなる文芸評論家の堀切直人さんと
知り合っています。北宋社という出版社で、日本の現代作家が書いた
花に因む短編を集め、『紅い花 青い花』というアンソロジーが編まれたのが
きっかけだったそうです。この本には泉鏡花も、別の機会に触れたい夏目漱石も、
唐さんの作である『銭湯夫人』も収められています。
これを、唐さんはニューヨークに行く際に持っていったのだそうです。

古本で手に入り辛いですが、興味のある人は探してみてください。
『龍潭譚』の方は、岩波文庫の『泉鏡花短編集』などで簡単に手に入ります。

1/6(金)栄養状態の改善

2023年1月 6日 Posted in 中野note

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↑おお!なんと美しい塩ジャケの切り身よ

馴染みの魚屋で、こんなものとも感動の再会を果たしている



帰国して以来、明らかに体の調子が良くなってきています。

時差ボケこそあるものの、お正月休みによる睡眠時間の増加。

温暖で快晴の気候、など理由はいくつかありますが、

なんといっても食生活の改善が大きく影響しています。


ロンドンでの食事は貧しくならざるをえませんでした。

イギリスの食事が必ずしも不味いわけではないですが、

とにかく値段が高かった。パンを一個買おうと思うと、

例えばクロワッサンが450円します。


だから、悩んで、悩んで、

これでお腹が膨れるだろうか、とか

そもそもオレはほんとうに空腹なのだろうか、とか

散々に考えてから、よくやくオーダーの列に並びました。


食事の一回一回が真剣勝負で、

意を決して予算投下して食べたものがハズレだった時には

かなり落ち込みました。


日本に帰ってから、馴染みの肉屋に行ったり、

野菜たっぷりの鍋をつくって食べることで、

身体の痛みがみるみるとれてきています。


イギリスでは視力を落とさないようにするためのブルーベリーと

手に取りやすいオレンジジュースだけがフルーツとの接触でしたが、

日本ではイチゴやパイナップルを安価に食べることもできる。


昨日は約1年ぶりに日本そばを食べました。

あと一週間もすれば慣れてしまいそうですが、感動が続いています。


物価の安さについて、

日本が国際間の経済競争に遅れをとっている危機を感じながらも、

スーパーで見かける値段にどうしてもホッとしてしまう。


現在のように万全であの英国生活が送れたらさらに

ステキだったろうとも思いますが、アウェーなので仕方ありません。

もうすぐクロネコヤマト・ロンドンに託した段ボール二箱も届きます。

不調ながら方々に出かけ、手に入れた公演資料を本棚に並べるのを

たのしみにしています。

1/5(木)メンテナンスという贅沢

2023年1月 5日 Posted in 中野note

靴と靴zyみ.jpg

↑靴と靴墨


仕事が始まったとはいえ、いまだペースはゆっくり。

まだ休みを続けている人もいるし、本格始動は来週からという

雰囲気なので、幸い、自分ごとに時間が使えます。


朝はゆっくりで良かったので、ネットで取り寄せた靴墨を使って

革靴をキレイにしました。この革靴はイギリスに持って行ったもの。

普段はスニーカーで動きましたが、少しフォーマルな場所に出向く時

これを履いて出かけました。


グラインドボーン音楽、ジェントルマンズクラブ、

クリスマスにテンプルホールというサロンで行われた

サラ・コノリーのコンサートにもこれを履いて行きました。

ダイアンの誕生日に出かけた時も、洗練された彼女に合わせて

身綺麗にした方が良いと思い、これを履きました。


が、合計10回ちょっと利用したにも関わらず、

一度もメンテナンスをしませんでした。

泥がついたのを拭き取るくらいのことはしましたが、

こうして汚れをとり、靴墨を塗って色を濃くし、光沢を出す作業は

できなかった。向こうでは、道具の調達が面倒すれば無駄が出るし、

高価でもありました。


こうして日本に帰ってきて、一緒に歩いた土地を思い出しながら

靴を磨くのは愉しい。この靴墨は簡単に塗れて値段も安く、

かなりキレイになります。なかなか贅沢な気分に浸らせてくれます。


新しいものを買うよりもさらに贅沢な感じです。

オレも大人になった。そういう満足があります。


そういえば、初めて畳の張り替えをやった時、

あれもかなり爽快で、やはり贅沢な感じがしました。

同じくメンテナンスの贅沢です。


今の家のもかなり陽に焼けてきたし、あれをまたやりたい。

が、下の子がもう少し落ち着いてからの方が良い気もする。


唐ゼミ☆としても畳屋さんにはずっと助けられてきました。

テント演劇をやる際、よく要らないゴザをもらってきたのです。

さらに、今年に上演すると決めた『鐵假面』の主人公は「タタミ屋」

という設定で、キャラクター名もズバリ「タタミ屋」。

ならば、やっぱり春になったらやろうと思います。


主人公の職業について身近に観察する機会になるはずです。

1/4(水)日本での仕事を再開

2023年1月 4日 Posted in 中野note
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2022.8の演奏会。北アフリカから東南アジア、中国に至る奏者をサヴァールは
揃えた。本を読みながらあの音楽を改めて味わう。

一昨日、昨日は家の中を整理しました。
日本にいた時から使ってきた衣類で、英国生活で摩耗させきって捨てた服が
たくさんあったので、その替わりを購入してまわりました。
店舗にないものはネットで注文。
お店の場所やメーカ自体の名前も変わっていたりして、
11か月間の変化を実感します。

昨日、1/4(水)からは神奈川の財団での仕事を再開しました。
まずは挨拶回りから始めましたが、オフィスの様子や人の配置も変化しており、
ここでも新たな気持ちになりました。まずは、自分の不在中にどんな風に
みんなが過ごしてきたのか聞くところから始めています。

途中、皆さんの好意でうなぎや鱒寿司をご馳走になりました。
懐かしいお菓子にも再会しました。ここでもやはり、もとあったお店が無くなり、
新たな店舗がオープンしているのにも気づかされました。

それから有隣堂で本を買いました。
英国にいた時は送料が上乗せされたので、なんて懐に優しいのだろうと
喜ばずにいられません。買ったのは『アイヌ神謡集』と『イブン・バットゥータ』。

『アイヌ新謡集』の翻訳をした知里幸恵さんのことを、私は渡英中に知りました。
YouTubeで過去のドキュメンタリー番組を見て、帰国後すぐに読もうと思って
きましたが、やはり命を削った結晶という感じがします。
幸恵さんが出自に敬意を払い、本作りに関わった人たちが幸恵さんに敬意を払う。
そういうリスペクトが連鎖して編まれている神話です。

『イブン・バットゥータ』は14世紀イスラム世界を旅した冒険家。
エジンバラで彼をテーマにしたジョルディ・サヴァールの演奏を聴きましたが、
この冒険家自体を私は知りませんでした。『アイヌ神謡集』の近くに、
バットゥータについての評伝が新刊されているのに気づいて買い求めました。

復習の愉しさです。本を読みながら、あの時に聴いた音楽がより像を結んで
塗り替えられていくようです。今となってはあまりに基本的なことですが、
ロンドンでの生活を通じて、自分は初めてイスラム教徒の人たちと
身近に接することができたのです。

11か月間の情報量が膨大だったので、
こうして自分に定着させていこうと思います。
お正月のうちに日本のものを観はじめたいとも希望しています。

1/3(火)時は動きだす

2023年1月 3日 Posted in カテゴリを追加 Posted in 中野note
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↑日本人留学生のKordy.M(牧野)くんが撮影してくれました。

現代社会。
たった一日の間にかなりの距離を移動できるものだ実感しています。

現在、羽田空港に着いて二日半が経ちましたが、つい先日まで
歩いていたあの石畳の道、自分を取り囲んでいた石造りの建物の数々、
あれは何だったんだろうと思わずにはいられません。

特に帰国前日はロンドンからドーバー海峡に向かって2時間ほど行ったところに
あるケント州にいたものだから、ギャップが凄まじい。
本当に遠くまで行っていたものだとつくづく思います。

飛行機に乗っていたのは13時間半。
到着時の検疫に関するチェックもさほど気にならないものでした
日本に着きしな、羽田に車で迎えに来てくれた椎野と何ヶ所か回り、
お土産を配って回ってから帰宅しました。

実家から来てくれていた家族が子どもを遊ばせてくれていた公園で
彼らに再会したら、とたんに逃げました。恥ずかしがるようになった分、
子どもたちの成長が感じられました。

家に帰ると、自分のいない物の配置や生活リズムがそこにはあり、
あれから二日、服とか、歯ブラシとか、少しずつ自分も含めた暮らしが
家の中に復活してきています。

感動的だったのはいつも使っていた腕時計を、11か月ぶりにはめたことです。
この時計は装着していることで発生するエネルギーで動くので、
まさに時が動きはじめた感じがしました。

この時計は自分には高級品、大切な貰いものです。
日本でメンテナンスを重ねながらずっと使ってきましたが、
治安の悪いロンドンで不幸な目に遭っては大変と置いていったものでした。

1月2-3日と休んで家の中を整理し、だいぶ日本での生活の誤差も埋まりました。
明日1月4日から仕事をし始めます。ずっと夏休みみたいな状態だったので、
そもそも休養は充分なのです。

一方で、自分がいなくなったグリニッジ、
研修先のThe Albany周辺の街が今日も正常に機能していること、
それが不思議でなりません。
至る所に壮麗な教会建築があり、異人種が行き来する景色が夢のようです。

1か月に1回はZoom会議しようとミミと約束しました。
その時に、英語が聞き取れ、ある程度しゃべることができる状態にしなければ
なりません。今後の日本生活に加わった、新たな課題です。

12/31(土)今から飛行機に乗ります

2022年12月31日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
ヒースロー空港を出発.jpg
↑ヒースロー空港にて。

荷物の重量オーバーや日本独自のコロナ対応への申請作業など、
不安も多かったが、無事にチェックインを済ませることができた。

今から飛行機に乗り帰国する。
1/31以来つづけてきた「2022イギリス戦記」もこれでおしまい。
読んでくれた皆さん、どうもありがとうございました。

12/30(金)イギリスの習慣ともお別れ

2022年12月30日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
オオカミだ!.jpg
↑『オオカミだ!』仮チラシも完成。すでに走っている!

ロンドン生活も大詰め、名残惜しさに美術館と演奏会場を回った。

家での梱包作業や掃除や、私が帰国した後にダイアンが
不自由しないよう買い物をして回らなければならないので、
11か月の中で気に入ってきたものを、短時間で。

一軒目はナショナルギャラリー。
ダヴィンチもゴッホもヤン・ファン・エイクもタダで観られるこの場所で
自分が一番気に入ったのはレンブラントのこの絵だった。
作者自身、画題に興味があるというより、明らかに自分の得意技を発揮できる
一コマを日常から切り取った感じがして、気に入った。
これで、4度目。

レンブラント.jpg

二軒目はザ・ウォーレス・コレクション。
ここも入場無料。お金持ちによる私設の美術館だがタダ。
一番有名な絵画はフラゴナールの『ぶらんこ』だが、
正直に言って初めて生を観た時から全く感銘しない。

フラゴナールが描く人物の目はどれも瞳孔が開ききっており、
なんだか頭が悪そう。キューピーのお人形と至近距離で
向かい合っているような感覚。
何を考えているかさっぱりわからない目をしている。

私がここで気に入ったのは鎧兜のコレクション。
昔、子供の頃にガンダムシリーズに「騎士ガンダム」というのがあって、
西洋の甲冑に憧れた。が、実際に観てみると、とにかく戦いの中で
自分の体が傷つかないよう必死過ぎる。
あらゆる隙間を塞ぎにかかった結果、それはとても重そうで、
兜など、ほとんど視界を覆ってしまっているから逆に危ないのではないか。
もっとも、こんな装備を身につけるような人物は、後方で指揮を取るのみで
乱戦の場には立つことがないような気もする。

鎧兜.jpg

最後に通い慣れたウィグモアホール。
ここは高級そうでいてけっこう親しみやすい。
目当ての演奏家がくる時はもちろん、特に観聴きしたいものが無い時こそ
ここに来て音楽を聴いた。そうして聴いた知らない音楽家の中に、
ずいぶんユニークな人たちがいることを知ることができた。

昨日もホールに寄ることが目的だったから、知らない演奏家だった。
グリーグに『ホルベルク組曲』というのがあり、あれのピアノ版があるのを
初めて知った。ルズヴィ・ホルベアという17世紀後半から18世紀前半を
生きたノルウェーの劇作家を題材にした曲だ。

「北欧のモリエール」というのがホルベアのあだ名だった。
彼は喜劇の作家だったのだ。
音楽は颯爽として、ホルベアの疾走感が伝わってくる。
思わず胸がすき、開放的な気分になった。

ウィグモア.jpg

イギリスの美術館は写真撮影OKだし、コンサートホールではグラスを客席に
持ち込んで飲みながら演奏を聴いて良い。そういう習慣ともお別れの日だった。
日本に帰ればそれらは禁止事項だし、またマスクを付けての生活が始まる。

けれども、やっぱり日本での仕事と生活のためにこの11ヶ月間を
過ごして来たから、試してみたいことがたくさんある。

勝手知ったる日本に帰れる。そういう開放感が強い。
やっと自分の持ち場に戻る!

12/29(木)行き残した場所 フェルパム

2022年12月29日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
叛逆のカモメ.jpg
↑この景色はブレイクの過ごした220年前も同じだったのではないか。

昨日はFelpham(フェルパム)に行った。
ロンドンから南に2時間ほどのところにある海岸沿いの街だ。
真南に行くと有名なブライトンがある。
海沿いに西に行くと日本人が名前だけ知っているポーツマスがある。
フェルパムはその間にあるマイナーな街。

ここは詩人ウィリアム・ブレイクの関連地で行き残した最後の場所だった。
ずっと気にかかっていたが、遠出でもあるし、特段イベントもなく
いつでも行けるものだから後回しになり、ついに帰国の日が迫ってしまった。
それで、早起きして行くことにした。

生きている間は不本意な仕事しかできなかったブレイクは
生粋のロンドンっ子で、70年の生涯のほとんどをロンドンで過ごした。
けれども、あまりの困窮に3年だけロンドンを離れる。
そこで移り住んだのがフェルパムだった。
明らかな都落ちだから、きっと寒村だろうと想像していた。

けれども、実際に訪れたフェルパムは観光地で、店も多かった。
ブレイクが暮らしたのは1800-1803年だから一概に同じとは言えないが、
暖かで風光明媚なことに変わりはなかったと思う。
昨日は寒いし、雨だし、強風だったけれど、
ここが冬でなければとても過ごしやすい土地であることはすぐに分かった。

ブレイクが暮らしたコテージは博物館として保存されている。
残念ながら修繕が間に合わずに中に入ることはできなかったが、
外から眺めることができた。この場所で彼は中年の三年間を過ごしたのだ。
今までは、何か寂しげな三年を想像していたが、実際に来てみると
英気を養うような期間だったのではないか。そう思えてきた。

ブレイクのコテージ.jpg

そのコテージの目と鼻の先にあるパブ、The Fox Innで食事した。
創業は1790年だからブレイクが越してくる10年前からここにあったわけだ。
このパブでブレイクは反動的な演説を打ち、逮捕されたという。

フォックスインにて.jpg

さらに3分ほどのところにある聖マリー教会。
誰もいない建物の周囲をウロウロしながら、たまたまやって来た男性に
声をかけると、電気を点けて中を案内してくれた上、ブレイクを記念した
ステンドグラスの場所を教えてくれた。ちゃんと隅の方にキャプションがある。

ブレイク・ステンドグラス.jpg

一番の収穫はビーチだった。
行きしな、小雨・強風の荒々しい海辺づたいに歩いて縁の地一帯に辿り着いた。
風が強過ぎて傘がさせない。体を前に傾けないと進めないような風。
あまりに強過ぎて、すれ違う人たみなと笑いながら挨拶を交わし合った。

ふとみると、カモメが何匹も飛び立とうとしていた。
海の方に向かって風に乗ろうとする。けれど、誰も彼もが押し戻されて
着地を余儀なくされていた。けれども、飽きることなく、もう一回、もう一回。

海辺とカモメのこと。
この景色はブレイクの頃と変わらずにあるものだろう。
これを見て、彼は励まされたかも知れないと思った。
そうしてロンドンに戻ったのかも知れない。
1803年から20年数年間、ブレイクはロンドンで足掻いた後に亡くなる。

移動時間合計5時間。滞在時間2時間半という小旅行だった。
強風すぎて傘もさせず濡れたから、帰国前に風邪をひかないようにしなければ。

12/28(水)重量オーバー決定!

2022年12月28日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

トランク二つ.jpg


渡英した時、トランク一個。リュック一個。書類かばん一個で出発した。

書類かばんはわざわざ買った。なぜかというと、ロンドンではリュックを

してはいけないと聞いたから。治安の悪いロンドンでは、

背負ったリュックですら気付かぬうちに背後からの盗みに遭う。

そういう触れ込みだった。書類かばんは肩からかけると体の前にくる。


が、ここで暮らすうちに、リュックは大丈夫だとわかってきた。

都心ではいつも足早に歩いているか、催し物会場の中にいる。

あまりカフェにもパブにも行かない。それが良かったのだろう。

幸い、泥棒には遭わなかった。書類かばんを持って、

荷物が常に自分の前にくるようにしていたのは

ほんの半月ほどの間だけだった。


ともかくも、行きの時にはトランクの重さを量りさえしなかった。

春夏用の服は後で送って貰えばいいやと高を括り、

当座の衣類しか持って来なかったことも荷物を軽くした。

この計画は、渡英後に起こった戦争により挫かれることになった。


だから服を買った。それからCDを買い、少し本を買い、

何より書類が増えた。300以上観た公演に関する全ての付属資料、

当日パンフレットとかチラシとか、それらをいちいち保存してきたから、

とてつもなく重くなってしまった。


で、現在である。

先週、ダンボール二個を日本に送り出した。

24kgの荷物が二つ。制限25kgだからパンパンに詰め込んだ。


それから昨日はトランクを二つ作った。

23kg制限で二つ。

こちらでできた友だちに体重計を借りて、いちいち掴んで乗り、

自分の体重を引きながら量る。結果、一つは22.5kgで収まったが、

残る一つは8割入れたところで30kgに達した。

完璧な超過である。仕方ない。料金を払って凌ぐしかない。

それにしても、お金で全てが解決できるわけではなく、

オーバーも9kgまでが限界だそうだ。最後まで闘いは続く。


しかし、20kgくらいの荷物でやってきて、

帰りは100kgに到達してしまっているということだ。

生活は恐ろしい。帰国したのち、これらがどこに収納させるのかという

問題もある。闘いは続く。

12/27(火)最後の食事

2022年12月27日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑イギリスでは汁物にありつくのが難しかった。Deli-Xでよくこれを食べてきた

いよいよイギリスを離れる前に、何軒か店を回っている。
どれも格別に親切にしてくれたレストランと喫茶店。

まずは、イタリアンのマルチェラ。
イギリス人にはアルデンテという概念がなく、
大概のスパゲッティを食べると猛烈に後悔する。
実際、イギリスのサイゼリヤのような店でカルボナーラを頼み、
水っぽくてブヨブヨしたものを食べた時はずいぶんと
落ち込んだ。ひたすら胡椒をかけてごまかす。しかも2,000円強。

が、このマルチェラは違う。
研修先の劇場のすぐそばにあり、決して安くはないが、
クオリティが抜きん出ていた。渡英直後に初めてまともな食事をしたのが
ここだった。それから、ちょっと贅沢したいときに行き、
知り合いを招いての食事に使ってきた。最後にシェフたちに挨拶した。

マルチェラのシェフたち.jpg

それからDeli-X。
ヴァイオリニストの友人ピーター・フィッシャーとの溜まり場だが、
コメダ珈琲的に居心地が良いので、一人でよくパソコン仕事をした。
電源を繋ぐことができたからだ。夏の暑い盛りは、ここでミネストローネを
食べて凌いできた。通常は2枚のパンがいつも3枚付いてきたのは、
オーナーのダニエルさんの心づくしだった。

ダニエル&ピーター.jpg


あとは、自炊。
イギリスでは一度も料理をしたことがなかったが、
12/25クリスマスはどの店も閉まり交通機関も停止したために、
前日に材料を買っておいて初めて料理した。最初で最後の料理。

ステーキ.jpg

今週は最終週だから、フィッシュ&チップスやパイ&マッシュも食べるつもりだ。
特に後者の店で食べられるウナギの煮凝り、ジェリード・イールには相当に
はまってきた。イギリス人のほとんどが忌避するそれを私は気に入ってきた。
和食屋の付き出しに出てくる魚の煮凝りのような感じで、美味いと思うのだが。

12/23(金)二つの卒業

2022年12月23日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
ギャビンと.jpg
↑いつもカフェで気さくに話してくれたギャビン。威圧感が微塵もない人た

昨日、12/22(木)に語学学校を卒業した。
当初は12/9(金)の卒業予定の10ヶ月コースだったが、
通い始めて2ヶ月目にはAlbanyの活動が軌道に乗り、
毎週火曜日を休まざるを得なくなった。
そこで、休む分を延長してくれたのだ。

そのようなわけで、初めの半年は週4で通っていたが、
8月に入ってからは地方遠征が増えてやや崩れた。
もう躍起になって各地を廻り、Albanyでのミーティングも増えたから
不良学生に転落していった。
極め付けは11月以降。帰国を控えて来年の企画が本格化するに従い、
英国時間の朝=日本の夕方にオンライン会議を組まざるを得なくなった。
しばらく不登校みたいになり、登校すると「久しぶり」と言われるように
なってしまった。

今週はすでにクリスマス休暇の学生も多くて、
閑散とした学校に最後の思い出として通った。

初期に自分のモチベーションをかなり高めてくれたエリザベス先生は
先週で年内の仕事がおしまいだったから、初めて食事に行った。
「スシが食べたい」と言われてグリニッジの良さげな店に行き、
ばらちらしの食べ方を伝授した。

刺身をつける醤油にわさびを溶くのは御法度だが、
ちらし寿司に限ってはそれで掻っ込む無作法こそ美徳となる。
『江戸前の旬』という週間漫画ゴラク掲載の有名なマンガにも
そういう教えを説いた回がある。そう伝えておいた。
帰りに本をプレゼントされて、帰国後の英語での読書を推奨された。
良い先生だったし、友人として付き合ってくれた。

そしてAlbany。
12/24(土)にキッズプログラムを観に行くのが私のAlbany納めだが、
昨日は最後の総括としてギャビンと話した。

スタッフの雇用形態とか、レジデントカンパニーとの関係性、
後継者問題から来年度の運営形態に至るまで、ここぞとばかりに
しつこい質問をした自分に丁寧に答えてくれた。
最後にWhatsAppを交換して、今後も連絡を取りやすくした。

貴重な時間をとってくれたのだから、
昨日のギャビンとの時間には多くの準備を費やして臨んだ。
質問事項をあらかじめ紙に書き出したり、今年に自分が観てきた
プログラムを整理した表を見せながら喋った。

Albanyのプログラムは72公演を観た。
レギュラーのキッズ・ファミリープログラム有り。
貸し館あり。もちろん2022年に注力したフェスティバルプロあり。

3月23日19:00には、2022年を総括するミーティングが行われる。
ミーティングと言っても、テレビ番組みたいな仕立てで面白い。
今年の3月に誰が誰ともわからず参加した時には、英語がまたまだ
難しくて難儀したけれど、全てを知り尽くした今度の会議は愉しめそうだ。

日本時間では、3/24 AM4:00からの開催。
久しぶりにみんなに会えるのだと思うと、喜んで起きるだろう。
折り詰めの寿司でも買っておいて、見せびらかしながら参加しよう。

12/22(木)会心のフィナーレ

2022年12月22日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑光るパペットとともに歩く4,000人強の人たち

昨夜はAlbanyのメンバー、ソフィー、メグらと連れ立って
Beckenham Place Parkに行った。
ルイシャム地区の南の方にある大きな公園だ。
発音が難しい。カタカナにするとベッケンハム・プレイス・パークとなる。

しかし、私にはどうしてもバッキンガムパレス・パークに聞こえてしまう。
打合せ初期、私はずっとバッキンガム宮殿の前の公園で
何か催しをやるのだと思い込んでいた。
同時に、一年間行ってきた地域のフェスティバルの終幕を
どうしてルイシャム外でやるのか?マークで頭がいっぱいだった。
が、チラシを見て得心した。
確かにルイシャム地区には似た発音の公園があったのだ

公園に着くととても暗かった。
こちらも日本での野外イベントの経験が多数あるが、
安全管理上、日本だったら明らかに問題がある暗さだった。
足元が見えないし、好き放題に走る子どもをすぐに見失ってしまいそうだ。

その中で、各所でリハーサルが進行していた。
合唱したり、楽器が演奏されたり。霧がかった広くて暗い公園のあちこちで
ポツリポツリと人々が動き、合唱したりしている光景は、
UFOを呼ぶ儀式のようだった。

スタート1時間前だから、まだ人の気配は薄い。

この公園でのメインコンテンツはサーカスである。
若手のフィジカルパフォーマンス系のサーカス団がテントを建て、
12月半ばから1月上旬まで興行を行う。
それを土台に、先ほど道すがら見てきたフィナーレが展開するという趣向。

まずはテントに入り、セレモニーに立ち会った。
今年一年間のフェスティバルを記念して、Albany代表のギャビンや
ルイシャムカウンシルの偉い人、代表的なクリエイターが次々と登壇し、
スピーチを行った。面白いのは、こういう場で、皆さんはポケットに手を
突っ込んで喋ったりする。これが普通なのだ。

ギャビンの紹介で、これまでやってきた数多くの、
ほんとうに数多くのイベントの映像がダイジェストされた。
その場にいた中で、自分は最も多くそれらに立ち会ったのではないか。
まるで走馬灯のようだった。それぞれの場にいた聴衆、スタッフ、クリエイターを
思い出して、各地各時間に繰り出された莫大なエネルギーの総量を思った。
ほんとうに途方もない。

イベントの中には数千人を集めて大いに熱狂したものもあった。
が、中には、荒削りなもの。チラシが完成したのはやっと10日前だったもの。
聴衆がさっぱり集まらなかったものも多数あった。

けれども、こちらのメンバーはそういったことを引きずることもなく、
とにかく乱打戦を制するように協力しあって前進してきた。
聴衆がほとんど関係者だけだった時も、限られたメンバーで
熱心に拍手して、胸を張って一つ一つのイベントを凌いだ。

ダイジェスト映像に見入っていると、
自分にはなぜか、そういう爆発しきれなかった光景の方が胸に迫った。
よく凌ぎ切ったスタッフたちへの敬意が込み上げてくる。

小一時間ほどそんな会があって外に出ると、驚いた。
その前まで閑散としていた公園に、4,000人超の聴衆が溢れていた。
自分はこの企画にはノータッチだったから、あまり内容も知らず、
本当に初見の一人として驚きながらこれに加わった。

最後のイベントは、こんな具合。

林の中から、光るパペットが生まれて、それは小学校一年の子どもの大きさくらい。
彼が別に光る球体を追いかけて、公園の歩道を進む。聴衆はその周りをゾロゾロと
ついて行く。途中、合唱や、ライトを振り回すダンスや、この地区の皆さんによる
パフォーマンスに遭遇し、コミュニケーションしていく。

ある地点までいくと、光るパペットは成長し、巨大な4メートルくらいの大きさになる。
彼は多くの人たちにハイタッチしながら、木を愛でたり、鼓笛隊と絡んだりしながら
公園中を闊歩し、やがて大きな教会の前まで来て皆に仕草で挨拶をした。
そして、その光を失い、建物の中に消えていった。

その前のテントでのセレモニーが終わった時、すでに気温は4度くらいだった。
初め、あまりに寒かったので、風邪を引かないかどうか心配だった。
このイベントは1時間くらいあると聞いていたから、かなりビビった。

けれども、始まってすぐに時が経つのを忘れた。
4,000人以上の人々を引き連れて霧深い闇の中を光る人形が先頭をゆく。
大行進だった。ルイシャムらしく、あらゆる人種の人たちがいた。
子どもも、赤ん坊も、お年寄りも、車イスの人も。犬もいた。

そういう人いきれが大移動していく光景に見惚れながら歩くうちに
あっという間に終わってしまった。寒さも感じない。
高揚して、風邪など引こうはずがない。

終着地点の教会の前で熱狂する人々を見て、
気がつくと代表のギャビンが立っていた。
普段から、こういう場所でギャビンはいつも傍観しているのみだ。
実際に手を動かしているのを見たことがない。
そして、けっこうな割合で一人ポツンと立っている。

ここに集まった人たちはそれぞれによく働き、よく楽しみ、
熱狂の中で自分を燃焼させていた。
けれども、ここにいる人たちの中で、
一番基礎になっている人物こそギャビンだった。
彼がAlbanyを背負ってからの20年以上がなければ、
このイベントも、聴衆の集まりも、すべてがないのだ。

感動して後ろから彼の写真を撮っていたら、
振り返って自分に気づいたギャビンがこちらを指さして笑った。

彼の姿を、自分は一生忘れないでいようと思う。
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12/21(水)Meet Me のクリスマス・パーティー

2022年12月20日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

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↑小さな劇場、小さなカフェだけれど、いつも人の気が充満している

昨日はその最高潮だった


昨日は3月から参加してきたシニア向け企画

"Meet Me"のクリスマス・パーティーだった。


当初は近所のパブJOB CENTERで開催する予定だったが、

1週間前に店側からキャンセルの通達があり、

プロデューサーのソフィーはげんなりしていた。


そう。英国では店側から一旦受けた予約をキャンセルされることが

ままあるのだ。日本では考えられん。


気を取り直して、

結局はいつもの稽古場で手作り開催することにした。

Albanyにはカフェがある。

そこに調理場もあるので、カフェのスタッフたちが

ヨークシャー・プティングだとかチキンのソテー、

ベジタリアンには焼きナス、人参のグラッセ、

ブロッコリーなどの和え物、じゃがいもを焼いてくれた。


昨日の出席率は極めて高く、日ごろ休みがちなシニアも沢山来ていた。

初めは、カフェスペースで合唱する。いつもアート製作に

取り組んでいるシニアたちがメインの聴衆。

そこに、カフェを利用するお客さん、クリスマス用のキッズプログラムに

訪れていた家族連れのお客さんたちも聴く側として自然に加わる。


いくつものクリスマスソングを歌ううち、

劇場事務所からもスタッフがみんな顔を出し、合唱を応援し始めた。


要するに、劇場建物に居合わせた人たちみんなが集まり、

振り付け付きで大合唱する格好になった。

唐さんの出身である長屋の家族的雰囲気が溢れ、かなり感動的な

光景だった。


それからいつものリハーサルルームに移り、みんなで食事。

みんな帽子をかぶって、クラッカーを鳴らして、

職員もボランティアスタッフもみんなで食べた。


それから、クリスマス恒例のくじ引きがあった。

続いてシニア側の幹事からボランティアスタッフたちへの

表彰があり、その中には自分も対象として入っていた。


エンテレキーアーツのスタッフで、これから産休に入るジャスミン、

それから自分は特に手厚くしてもらった自分が、順番にスピーチした。


ジャズミンは短めだったけれど、

自分にとってこれが本当に最終最後の機会だから、

日本語で挨拶する時のように時間をとって喋らせてもらった。

これまでのことを思い起こしながら込み上げてくるものが多すぎて、

御礼を伝えるのに必死で時間が経つのを忘れた。


英語についてずっと自信無く過ごしてきて、

今も大して上達しなかったという感慨の方が強い。

けれど、10分くらい、自分が英語で喋っていることを忘れて

話せるようにはなった。


そのあとはお開きとなり、一人一人と別れを惜しみつつ、

人生の先輩たちに「アツシはワイフとチルドレンを大事にしろ」と

繰り返し繰り返し言われながら彼らを見送った。


自分が一番の基礎としてきた企画が完全に終わった。


あとは明日、CEOのギャビンと総括的な話をして研修は終わる。

その後に御礼のメッセージを方々に書いて仕込んだら、Albanyはおしまい。

やること多し。もうひと越えだ。


プロデューサーのソフィーと。見た目通り終始優しかった。↓

ソフィーと事務所で_2212200.jpg

私の八甲田山

2022年12月20日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

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↑雪のために道をはみ出して歩くことが難しいのに・・・


最近、なぜか映画『八甲田山』が観たくて仕方ない。

YouTubeで細切れの映像を観るのだが、やはり全体が観たい。


別にロンドンに雪が降ったからではない。

ロンドンに雪が降ったのは1週間前だが、それより遥か前、

1ヶ月半くらい前からなぜか『八甲田山』が観たいのだ。


考えてみれば、これは、すぐ隣にある危機への

シンパシーではないかと思う。英国では、通い慣れたはずの

道ですらすぐに危機が訪れる。


ストライキは起こり、予告もなしに駅は閉鎖される。

先日など、都心めがけてバスに乗ったところ、

道が混みすぎているからと運転手は一言だけ放送を入れ、

途中で勝手に進路を変えた。そして、最寄りの降ろしやすい

バス停で全員を降ろしてしまった。


看板に偽りありにも程がある。

しかし、不思議だが誰も文句を言わない。

渋滞によりバスの到着が遅れて遅刻した経験はあるけれど、

バスが引き続きの運行を放棄しての遅刻とは。

果たしてこれはよくあることなのか。さっぱりわからない。


ところで、先日はまたしても郊外に出かけた。

例によってコンサートを聴くためなのだが、

途中の道にはかなり往生させられた。


こちらはナビが2時間半での到着を予想していたところを

ビビって4時間半前に家を出た。だから最寄り駅に着くのも早すぎて、

シャトルバスが迎えに来るまでに1時間半もある。


ナビを見れば30分ちょっと歩けば良いと出ていたものだから

勇んで歩き始めた。が、あっという間に民家はなくなり、

原野みたいな光景。本当にこんなところに劇場があるのかと

思いながらも、Googleナビに従って歩道のない道を前進した。

が、道半ばでNo footwayの表示。


そんなの今さら言われても困るから、ドキドキしながら小走りに前進し、

途中ビュンビュン走る車に邪険にされながらも何とか目的地に着いた。


電灯の無い道だった。

日没したあとだったら、車は私がいると気付かずに飛ばしただろう。

陽が残っていて良かった。

あと2週間で帰国したら、何か食べながら『八甲田山』を観たい。

12/16(金)サラ・コノリーにもお別れ

2022年12月16日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑ミミと一緒に聴き、終演後にSarah Connollyに挨拶に行った。

一ヶ月くらい前に発見して小躍りしたコンサートに行ってきた。
今回はお世話になってきたミミを連れて。

開場前にミミの好きなレストランに行ってご馳走になり、
こちらはチケットをプレゼントした。

Middle Temple Hallという都心にあるサロンでのコンサート。
クリスマス用の特別な会だったから、休憩時間にドリンクサービスもあり、
内容も変わっていた。

サラ・コノリーの歌だけでなく、ヴァイオリンの演奏、
ベケットやクリスマスの童話を面白おかしく語る朗読。
Temple Church付属の男声合唱、子どもたちが登場してプレゼントを
置いていく演出まであった。

初めはかなり権威的な感じがして面食らったけれど、
休憩時間を挟んで後半になると、お客さんも酔っ払って
座が砕けた感じになり、面白かった。

サラ・コノリーはいつも通り素晴らしく、
シューベルトも良かったけれど、初めて聴いたフーゴー・ヴォルフが
特に美しかった。そして、彼女は遊びでピアニストと連弾をし、
さらに弾き語りまで行った。

終演後に挨拶に行き、ピアニストとしても称えた。
私のイギリスでのボスです、とミミも紹介して楽しく話すことができた。

ホールのスタッフの一人、黒人のおじさんはかなり面白い人で、
初めて訪れた私たちを丁寧に案内してくれた。下の写真は、
「ここでシェイクスピアの『十二夜』が初めてレコーディングされた」
という記述に注目して撮影した。

ここでの上演が、映像として記録されたということか?
ちょっと分からないけれど、私のカバンにはAlbanyでお土産にもらった
『Twelfth Night』のカッコいい本がたまたま入っており、
三人で盛り上がって撮影。 

ずっと一人でこんなこともしてきたと、ミミに伝えられて嬉しかった。
テンプルホールのおじさんと.jpg

12/15(木)Albanyのカフェで

2022年12月15日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑ こちらでの毎日が溢れている品々

昨日は水曜日だった。
The Albanyでは毎週水曜15:00にカフェで集まりがある。
別になんの強制力もない会。おやつとコーヒーが出るので、
オフィスにいる人、その時間に余裕がある人はカフェに集まっておしゃべりする。

今年のAlbanyはあまりに忙しかったから、これは今月の頭から始めた習慣。
昨日はミミと約束があり、特に時間前に余裕を持って行くようにして、
パソコン仕事をテーブルに座ってしていた。

すると、みんな集まってきて、いつもより盛んにコーヒーを勧める。
妙に熱心だから、進行中のメールづくりを中断して輪に加わった。

いつもはもっとフリーな雰囲気だけど、
不思議に思いながらコーヒーを注いでミルクを入れようとしたら、
自分のためにちょっとしたセレモニーと贈り物の時間が始まった。

来週、忘年会があると聞いていたから、その時がお別れで
その時に挨拶しようと思っていた。だから、これは不意打ちだった。
みんなの中には、今週末で仕事を終えてクリスマス休暇に入る人もいる。
だから、昨日になったのだ。

みんなの前で挨拶をして、Albanyの素晴らしさと感謝を伝えた。

ここは建物は小さいし、煌びやかな作品をいつもやっているわけではない。
けれど、日常を大切にしている。
今日も、周辺地域の人たちが望むことをやって、
多くのクリエーターたちが間借りした事務所で新たな展望を語りあって、
いつも活気のある食堂やパブのような劇場だ。

プレゼントを開いたら、
一年間のフェスティバルの中で体験してきた全ての事業のチラシ、
一緒にした作業の合間に食べて私が「美味い!」と気に入った現地のお菓子
(スーパーで売っているやつ)
私がいつも食べてみんなにもプレゼントしていたパン屋のパン、
自分が発見してみんなに教えた近所のカフェのキャンドル、
この作家が好きと話していた英国作家のビンテージ本などが入っていた。

こういう人たちなのだ。
彼らは、日ごろ自分とした会話をよく覚えていてくれて、
その証言を持ち寄って、今日のプレゼントを仕立ててくれたのだ。

ロンドン市から受託したフェスティバルのおかげで、
今年のAlbanyスタッフがイギリス人にあるまじき忙しさだった。
折に触れ、何人かに「もっと一緒に食事したり、出かけられなくてゴメンね」
と言われてきた。
その度に私は「気にしないで。おかげで、たくさんの催しを体験できるから」
と返事してきた。

プレゼントを見て、彼らが、自分との限られた時間、
なかなか上達しない英語でのコミュニケーションの中でも、
いつもこちらに興味を持って、注意を払ってくれていたのが伝わってきた。

英国は契約社会で競争も激しい。
何人かは契約を終えて劇場を去り、何人かは契約更新の是非を巡って
これから打ち合わせに入る。すでにステップアップを決めた人もいる。

けれど殺伐とせず、上記のような配慮を忘れない。
だからこそ、常に緊張感を持って自分の腕を磨いている。
システムや制度や肩書きや役割で振る舞うのではなくて、
人間の裁量を常に重視している。

これからの目標がはっきりと見えてきた。
なぜ自分が唐さんやテント演劇が好きで、
神奈川の仕事をするようになってからも、なぜ各地を走り回って、
シニアや障害者の人たちとの企画をつくってきたのか。
その中で何を押し通そうとしてきたのか。はっきりわかってきた。

12/14(水)最後の練習

2022年12月14日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑粘土細工しながらクリスマスソングを大声で歌うシニアたち

昨日は"Meet Me"というシニア用レギュラーWSの年内最終回だった。
いつも通り合唱をし、アート製作をし、ここ一ヶ月取り組んできた
特別プログラム"陶芸WS"も行った。

初めて参加した3月から半年以上が経ち、今では全員と顔見知りになった。
ボランティアスタッフの中には新たに加わる人もいて、こちらが道具の
しまい場所を教えてあげることもある。

シニアたちが休憩時間に飲むお茶について、
それぞれの好みを把握するまでになって、
みんなも打ち解けて話してくれるようになった。
何枚もクリスマスカードをもらって、こちらの習慣を実感した。

先週に都心の劇場で行ったイベントで年内一区切りという人もいるし、
二日前に降った雪の影響で欠席する人も多かったけれど、
いつも通り歌を歌った後に、皆さんにお礼を伝えた。

その後に先生の仕切りで、来年は何が歌いたいかという話し合いが持たれ
みんなが一曲一曲大合唱していくのが面白かった。
その中には、唐さんが『少女仮面』の中で使った『悲しき天使』もあった。

来週まで集まりはあるけれど、次回はパーティーだ。
お世話係のソフィーは、予約してあったはずのパブ「ジョブセンター」が
店側からパーティーをキャンセルしてきたことにゲンナリしていて
おかしかった。いかにもイギリスらしい。

来週は早めに集まって、パーティー会場になったいつもの稽古場を飾り付け、
料理をする必要がある。その時がほんとうに最後になりそうだ。
中には90代の人もいるから、今生の別れは必至。

数多くのアーティストにも会ったけれど、
ここで出会う近所の人々との交流こそめっぽう面白かった。
みんな自信に満ちていて強気だ。明らかに生命力が強い。
英語も、彼らによって鍛えてもらった。

12/13(火)後半の山場

2022年12月13日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑この人に会って一緒に食事した

今回の11ヶ月間の研修中、先週末は明らかなハイライトだった。
前半の山場は7/28-30に行ったThree Choirs Festivalだと感じた。
今回は後半の山場。

場所はミルトン・ケインズ。
友人のピーター・フィッシャーが誘ってくれたので、
ロンドン郊外のこの新興都市にジャズのクリスマスコンサートを聴きに行った。

正直、初めは侮っていた。
地方都市の郊外にあるさほど大きくもない劇場。
自分はJazzに詳しくないので、出演メンバーが誰かもわからなかった。
行きの車の中でピーターに、「今日は何のコンサートなの?」と聴いたくらい。

彼は色々と教えてくれたけれど、知らない固有名詞が多くて
自分にはよくわからなかった。

が、始まってすぐに異変に気づいた。
聴衆は近所の人たちばかりなのだが、やたらと質が高い。
だから終わる頃には、ピーターにくっ付いて翌日もこの演奏会に
立ち会うべきだと思った。

その後、バンドのリーダーとメインの歌手に誘われて、
彼らの家で遅い夕食をご馳走になった。美術館のようなお家だ。
すると、かなり高齢の女性がその食事に加わった。

彼女の名前はCleo Laine。95歳。
メインの歌手はJacqui Dankworth。
バンマスはAlec Dankworth。
Cleoの子どもたちだった。

毎年クリスマスになると、彼らは自宅の隣にある小さな劇場で、
恒例のクリスマスコンサートを開いてきた。
始まったのは50年以上前。Cleoは旦那さんのJohnny Dankworthと一緒に
この催しを始め、現在は子どもや孫を中心に集まる仲間たちに
それが引き継がれている。それがこのコンサートだった。

夜中にロンドンに戻り、翌日は夕方までの時間に買い物をした。
CDを買って、それからジャパンセンターで良さそうな梅酒を買った。
二日目はなお自由度が増したコンサートだった。

終わってまた食事。
乾杯の時に差し入れた梅酒で「カンパイ!」と言ってくれた。
そこからまた、ピーターとロンドンに戻ったのが午前4時。

二日経つが、いまだに現実感がない。
あれは何だったんだろうか。
「来年は家族を連れてきなさい」と言われたけれど。

12/9(金)マチルダとアンクル・ジョージ

2022年12月 9日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

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いつ日本に帰るのか?

そう訊かれることが増えてきたので、12月31日と答えている。

すると一様に、それじゃどこでハッピー・ニューイヤーか

分からないね、と言って笑う。


12月20日(火)と21日(水)に大きなパーティーがあるから、

大半の人たちとはそこでお別れになる。


と、思っていたら、一昨日は先制パンチを喰らった。

ずっとAlbanyのチケット売り場や入場管理係として

お世話になってきたマチルダが、任期満了で退職することになった。


たった11ヶ月の滞在でさえ、これまでに何人も同じような人たちを

送り出してきた。これがイギリス流の働き方で、だいたいが一年契約。

契約者と息が合えばそれを更新するし、他に行ってもみければ

新たにチャレンジする。そうやって次々と職場を移っていくのだ。


だからこそ、今接している人たちへの敬意と

何もかも自分の腕次第という緊張感を持って働いている

感じがする。一方で、体を壊したらどうするんだろう?とか。

産休とか育休は?とか。なかなか厳しい社会でもある。

終身雇用の方が安心して安定した力を発揮できる。

人間にはそういう側面もあると思う。


イギリスで住んでいるダイアンの家にはプリンターが無いから、

自分はいつもマチルダに添付ファイルを送って印刷してもらった。

明らかに仕事に関係ない、旅行の予約や公演チケットなどを

オーダーすると、かえって丁寧に封筒に包んでプレゼントしてくれた。

イギリス人としては異例に細やかなマチルダ。

またしても突然に切り出されて面食らったメレど、

何度も御礼を言ってマチルダとお別れすることができた。


それから、夜は都心でのコンサートを聴いた後、

強行軍でAlbany近くのライブハウスにも行った。


渡英直後、衝撃を受けた音楽表現の一つが、

このMatchStick PieHouseで聴いたSteamdownというバンドだった。

ジャンルはFolkとJazzのフュージョン。


当時は特に日本でのコロナ対策感覚が残っていたから特にたまげた。


超過密なスタンディングで皆が上着を脱ぎ捨て、

熱気でサウナ状態になりながら、毎週水曜日の定例ライブで

深夜まで盛り上がってきたのだが、いきなり年内最後だと

言われたので、行かないわけにいかなかった。


24時近くになってやっとライブが終わると、

一気に解放された出入り口から強烈な冷気が入り込んで

気持ち良かったが、片付けをしているジョージに話しかけた。


みんな、アンクル・ジョージと呼んで慕っている彼は、

ライブハウスでのギグを斡旋するプロデューサーだ。


明らかにあまり儲かりそうにない業態なのだが、

それだけにいつもミュージシャンとへの愛情と熱意に溢れていて、

ある時などは、二つの会場で別々のライブを同時進行させて

本人は自転車で30分ほどの距離を行き来していた。


Folkに関心があると伝えると、いま期待できるのは彼ら!

とすぐにオススメを教えてくれて、見知らぬ土地にある会場で

ジョージと待ち合わせたのも面白かった。


別日にこのライブハウスで行われているFolk Sessionにも彼は参加し、

自らギターを片手に即興で風刺的な歌を歌って全員を爆笑させる。


この会はアマチュアの会だから、中にはそれほど上手くない人もいる。

そういう時にみんなの私語がいきすぎると、

「音楽家と歌にリスペクトを持とう」と言ってみんなを嗜め、

歌い手を励ますのも彼だった。


「アツシはファミリーはいるか?」と訊かれて家族構成を伝えると、

「オレは奥さんに離婚されちゃったよ」と言っていた。

イギリスで出会ってきた中で、最も温かみを感じる人の一人。

忘れえぬ人だ。


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12/8(木)お別れの始まり

2022年12月 8日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑右から、司会でヴァイオリン奏者の女の子、リーダー、リーダーがハモる時の
パートナー、自分。そういえば、誰も名前を知らない!?

ああ、お別れの始まりだなと思った。
何をすれば良いか、何が観られるのかよくわからなかった初期の頃とは違い、
今ではロンドンのさまざまな催しをキャッチできるようになった。

だから、昨日も4択あった。
いつものウィグモアホールでバロック音楽を聴く。
ロンドンの南に小一時間行ったところの地方都市にルーマニアの楽団が来ている。
ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』が都心の劇場でかかっている。
そしてAlbany近くのライブハウスで行われるフォークソングの集まり。

悩んだけれど、4番目を選択した。
2週にいっぺん、火曜日の夜に開催されるこの会に何度参加してきただろう。
春までは欠かさず、夏場になると遠出やAlbanyの催しが重なって少し遠のく。
秋になって戻ってきたら、集まる人がずいぶん増えて、歌を楽しむより
飲み会の雰囲気が強まった。

まだ12/21にもあると思ったけれど、ひょっとしたらと思って
いつものMatchStick PieHouseに行ったら、冒頭に「今日が年内最後です」
というアナウンスがあって、やっぱり来て良かったと思った。

大人数が集まって超密度、
ホットワインの香りが充満し、揮発したアルコールに頭がクラクラしたけれど
クリスマスソングを皆が思い思いに持ち寄ったステキな会だった。

上手い人、素朴に一心に歌って味わいがある人、
騒ぎ屋の若者、いかにも腕に覚えがあるというおじさん、
色々な人がいるけれど、時間が経つと酔っ払って、一人の歌に
歌と楽器で次々に相乗りしていくインプロが始まって、
期待していた通りの面白い会になった。

この中で自分は、いつもオーガナイザーの女性が歌うのを楽しみにしてきた。
4年前にこの会を始めたという彼女は、いつも少しだけ仕切って、
あとはみんなが歌うままに任せて、でも、流れが途切れると、
自分が静かに歌い始めた。彼女が歌うとみんな静かになって聞き耳を立てる。
それだけの突出した声質と歌唱力を持っている。

正直に言うと、日に一度か二度歌う彼女の歌のために、
自分は熱心に通ってきたようなものだ。
あとは、日本では決して得ることのできない全体の雰囲気。

最後に挨拶をして、写真を撮ってもらった。
例えイギリスに来たとしても、今後この会への参加は至難だろう。

ひとつひとつ行うお別れがついに始まってしまったと思わずにいられなかった。

↓この空気感はまさしくここだけのもの。
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12/7(水)それなりの禁断症状

2022年12月 7日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑この作業中に強烈に思い出してしまった。


ロンドンでの滞在も残り3週間ちょっとになった。
正直、今は日本に帰る日が待ち遠しい。

何しろ、この慢性的な肩こり、奥歯の痛み、夜の部屋の寒さが
一気に解決するのだ。そう思って、残りの期間は我慢して過ごす。

せっかくいるのだから、
劇場でこちらの人たちと可能な限り熱くやりとりし、
少しでも多くのものを観聴できるよう予定を入れている。

人間は無いものねだりである。
帰国後、数日も経てばまたロンドンに帰りたいと思うに違いないとも思う。
だから、できるだけ後悔しないように。

食べ物の高価なのにはいい加減にくたびれた。
旅先に行けば、もっぱらタイ、ベトナム、韓国、インド料理が希望となる。
暮らし慣れた近所では馴染みの安心できる店があるが、
初めての土地は暗中模索である。

高いお金を出してハズレに当たると侘しい気持ちになる上、
悔しさまでが込み上げてくる。だから、ハズレの少ない上記4カ国が
生命線なのだ。

カーディフでも、夕暮れ後の寒空の下を2kmちょっと歩いてタイ料理屋
に行った。グリーンカレーを注文して、やはり間違いがない。

Albany近辺ではもっぱらベトナム料理。
三軒も良店があるので強いて日本食が無くてもオレはぜんぜん大丈夫!
そう思っていた。

が、昨日、自分がそこそこ飢えていることに気づかされた。

ロンドンに戻り、Albanyでの陶芸ワークショップをやっていたところ、
粘土をテーブルに押し付けて棒状にのばす作業をしながら、
つい日本蕎麦のことを思い出してしまったのだ。

私が蕎麦を本気で食べたいときには秦野市に行く。
野外劇『実朝出帆』に挑みながら発見した名店の数々が
あの街にはたくさんある。店周辺の景色の美しさも含め
都会ではちょっと勝ち目の無いクオリティだ。

もちろん横浜市内、自宅の近所にだってよく行くお店がある。
ああ、今年は年越しそばが食べられないのだな、と思ったりして。

昨日のワークショップでは、ファシリテーターが提供する
匂いにインスパイアされて形を造形する内容だったから、
例えばシナモンの匂いをかいだりした。

すると何故か、これまで大して好きでもなかった八ツ橋が
思い出されるのである。自分でも不思議だが、
シナモンの匂いは自分にとって決してアップルパイなどでなく、
あの「おたべ」のことだったのだ。

あまり自覚してこなかったが、無意識にこたえているらしい。

先日、実家の姉からLINEが来た。
「日本に帰ってきたらみんなでステーキを食べに行こう!」
という明るい誘いだった。・・・大変ありがたい呼びかけだが、
なぜステーキなのか!?

姉だって、学生時代にイギリスとタスマニア島で暮らした。
彼女は同じように感じなかったのだろうか。
特に長く滞在したタスマニアでは、牡蠣をはじめとした魚介が格安で
豊富で、恵まれていたのかも知れない。
姉ながら、どこか日本離れした不思議な感覚を持っている人だ。


↓一個700円以上する赤いきつねを、果たして誰が買うのだろうか?
赤いきつね.jpg

12/6(火)ウェールズへの旅

2022年12月 5日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
Goodall' book & CD@Brangwyn.jpg
↑Srangwyn Hall
迎賓館のようなホールだった。公演だけでなくパーティーもやるらしい

日曜と月曜の二日間、ウェールズに行ってきた。

実は、英国が4つの国からなることを知ったのは数年前のことだ。
今回の研修を意識するようになるまで、自分にはイギリスと英国と
グレートブリテンとイングランドとUKの違いがよく分からなかった。

さすがに研修の試験を受ける時には多くの人から教わって知識が入り、
実際にロンドンに来てからその感覚が掴めるようになった。
これまでロンドンを拠点とし、イングランドの様々な地域に行った。
スコットランドは3回。ウェールズとアイルランドは一度も行ったこと無し。

だから、というわけではないけれど、ウェールズに行った。
先週にオックスフォードで観たウェールズ国立歌劇場。
本当は本拠地カーディフで観たかったけれど、
気づけば年内の地元開催予定が終了していたので、
ソフトとハードをバラバラにしてコンプリートした。
実際にその出来は今年観てきたオペラの中でもNo.1の面白さで、
もっと早めに追いかけ始めれば良かったと思う。

カーディフの劇場では、すでに慣れ親しんだThe Sixteenの合唱を聴いて
指揮のハリー・クリストファーズさんとロビーでお話することもできた。

それから月曜にはさらに先のスワンジーという街に行った。
この街にあるBrangwyn Hallという空間で、1981年にウェールズ国立歌劇場が
『トリスタンとイゾルデ』を録音した。これは私の特別なお気に入りで、
だから当地を訪ねてみたかったのだ。

事前の申し入れが効いて、
催し物が無いこの日に特別に入れてもらうことができた。
技術スタッフのキースさんという人が丁寧に案内してくれて、写真も撮ってくれた。
一番感激したのは、私がノートパソコンから当の音楽をかけていたところ、
音響システムにPCを繋げてくれたのだ。

Kind Keith & Me@Brangwyn.jpg
キースさんの心配りには心の底から感激した↑
20世紀前半にこのホールをデザインした美術家の立派なカタログまで
お土産に持たせてくれた

指揮者レジネルド・グッドオールの伝記によれば、
1981年11月末に、この音楽はここで録音された。
大ボリュームでホールいっぱいに鳴り響く、音楽の里帰りだった。

現地に行って、なぜここが選ばれたのか事情がよく分かった。
カーディフから電車で1時間。すぐそばに海が広がるこの建物の駐車場は広い。
ホール自体も、時には結婚式などの催しに使われるものだから、
備え付けの客席ではなく、録音作業向きなのだ。

広い客席部分にテーブルや椅子を並べ、
100人を超す演奏家とキャストが録音に挑み、時にくつろいだのだと思う。
録音技師たちは、この平場にたくさんの機材をひろげたことだろう。
その中心には確かに80歳の小柄なグッドオールがいて、
采配を振るったに違いない。

On the stage@Brangwyn.jpg

すぐそばに海を臨むホール。
遥かこの海の向こうには、物語の舞台であるコーンウォールが広がっている。

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12/2(金)9つ持っている

2022年12月 2日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑寒空の下で屋外プロジェクション。スタッフが手分けして誘導

猫は9つの命を持ち、女は9匹の猫を飼っている。
前半は古代エジプトから伝わる言葉。
後半は17世紀イギリスの神学者トマス・フラーが付け足した。
・・・なかなかの名言だ。

猫の心はかくも気まぐれであり、
女性の心はさらに輪をかけて移ろいやすい。

昨日の晩、Catford=キャットフォードに行った。
アーケードの入り口に巨大な猫の像を持つこの街は
ルイシャム区の中心地であり、ここには市庁舎やタウンホールがある。

街の中心にある通りでパブリックプロジェクションが始まった。
初日をお祝いして、大きなパブでセレモニーも開かれた。

作品は、大気汚染を訴えるものだった。
人間の体内にいかに汚染された空気が入り込み、
時間をかけて堆積しながら人々を蝕んでいっているのかという映像。

ルイシャム・カウンシルのある庁舎から窓越しに映像を打ち込み、
向かいにある壁面に投射した。ここは南北と東西に進むバスが行き交う
交通の要所だから、両建物の間にはひっきりなしの車通り。
そのモクモクとした排気ガスを貫く仕掛けだった。

ロンドン市、ルイシャム区、Albanyの面々、
プロデューサー陣、アーティストたち。彼らを囲むロンドンのマスコミ。
日没後の気温は7度。1時間くらいスピーチやインタビュー、写真撮影が
行われた。

↓右側がパブ Ninth Life
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その後、近くにあるパブ、その名も"Ninth Life"のパーティールームを
貸切にしてセレモニー。スピーチが連続する会はこちらでは珍しいが、
何人かの偉い人が「長かったフェスティバルもあと1ヶ月。これからの
未来につなげて行こう」と語って、自分に日本を思い出させた。

それにしても、"Ninth Life"。9番目の命。
さすがキャットフォードのネコ像の向かいにある名物パブのネーミングだ。

Albanyのスタッフたちもこの店は初めての人が多く、
何人かとユニークな店名の話になって、私は冒頭の格言を披露した。
「それには続きがあって、女性は・・・」

みんな一様に笑っていたけれど、
それを私が知ったのが、10代の頃に見たテレビ番組
『恋のから騒ぎ』だったとは伝えようもない。

あの頃はバブル経済の香りがまだ残っていた。

新團十郎さんの奥さんと義理のお姉さんも、あの番組から出てきたのだ。
よく考えたら、番組タイトル自体もシェイクスピアの影響。
知的な番組だったのだと今にして思う。

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12/1(木)私にとってサドラーズ・ウェルズは・・・

2022年12月 1日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

サドラーズ・ウェルズのロビーで.jpg


テムズ川の北は観光客用の繁華街や高級住宅地が多い。

Aegel駅の周辺もその一つだ。


お洒落な服屋やカバン屋、カフェが並び、

行くたびに青山・表参道を思い出す。

246のような大通りこそないけれど、

Aegel駅の周囲にあるお店の雰囲気はまさしくそんな感じだ。


文化的にも、

ここにはアルメイダという有名な中規模の劇場と

人形劇専門の小屋がある。そしてなんと言っても、

サドラーズ・ウェルズ劇場。


ダンスで有名な劇場だ。

クラシックからコンテンポラリーまで、

様々なダンスカンパニーがここにやってきて公演する。


日本で一緒に仕事をしてきた安藤洋子さんも、

フランクフルトバレエやザ・フォーサイス・カンパニーで

よくここに立ったらしい。


実際に私もここでフォーサイスやピナ・バウシェ作品を観た。

そしてまた、野田さんの『Q』英国公演もここで観た。


昨日はマシュー・ボーンの『Sleeping Beuty』を観た。

初日ということもあり、集まっているお客さんたちも

洗練されたファッションの人たちが多くて、

とりわけ華やかな感じがした。


この劇場は、今回の研修の候補地の一つだった。

2017年にさいたまゴールド祭で紹介された劇場が

自分の研修先選びに大きく影響している。


サドラーズ・ウェルズ劇場はシニアたちのダンス表現にも

熱心に取り組んでいるから、候補の一つにあがったのだ。


が、なんだか自分には不釣り合いな気がした。

青山・表参道的な洗練、

コンテンポラリーにアーティスティックな様子が柄じゃないように思い、

今のAlbanyにたどり着いた。ワイルドなDeptfordは上野・浅草的で

妙に馴染む。自分は唐十郎門下なのだ。


一方、この劇場には特別な思い入れがある。

サドラーズ・ウェルズは今でこそダンスの劇場だけれど、

300年以上の歴史を持ち、ダンスに特化し始めたのは20世紀に

入ってからのこと。


かつては演劇やオペラも盛んだったこの劇場で

1945年にはブリテン『ピーター・グライムズ』初演と

1968年には『ニュルンベルクのマイスタージンガー』公演が行われた。


指揮は敬愛するレジネルド・グッドオール。

彼にとってそれらは、キャリアを決定づけるエポックな公演だった。


晩年を除いていつも不遇が付きまとったグッドオールにとって

1945年は初めて脚光を浴びた公演。

それから数年で長い低迷に入った彼が復活したのが1968年の公演だった。

特に後者はライブの様子がCDになっている。


最初こそおぼつかないものの、幕が進むごとに威力を増して、

最後は宇宙的に異様な盛り上がりを見せる。

実にグッドオールらしい演奏。


大手書店フォイルズでディスクを買うことができたので、

会場前の早めの時間に行って、受付の人に写真を撮ってもらった。

この音楽は確かに、54年前にここで演奏されたのだ。

11/30(水)肩慣らしは南アフリカ国歌

2022年11月30日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

シニア&小学生 合唱稽古.jpg


毎週火曜日は恒例WSの日と決まっている。

午後から合唱の練習があった。


もうすぐクリスマス、だから12/8(木)には

都心のオールド・ヴィック座で行われるイベントに参加する。

そこで歌うために、特別に近所の小学生たちと練習。


AlbanyのあるDeptfordは移民の街だ。

アフリカ、中東、アジア・・・、まんべんなくいる。

小学生たちは95%が黒人。これが可愛い。


そして、彼らのウォーミングアップが面白かった。

国歌を歌おうという合唱指導の先生の合図で、

彼らはイギリスでなく、南アフリカ共和国の国歌を歌った。

アフリカ系でない子もいるだろうけれども、今日は南アフリカ、

そういう感じだった。


こちらのシニアメンバーの中にはアフリカ系の人もいるから、

彼らも自然に歌い始めた。それでアフリカ出身なんだと自分が

理解できた人もいた。カリブ出身も多いから、肌の色だけでは

自分には判断がつかない。


こんな風に、いくつもの出身国が当たり前に入り乱れているのが面白い。

日本にも在日の人がいて、沖縄や北海道が独自の出身地であると

誇りにしている人もいると思うが、私は日本人という人との

数の多寡がはっきりしているために、だいぶ違う。


一方で、人間みな同じだなと思うのは、先生に対する反応だった。

昨日、いつも指導に当たっているレイチェルさんがお休みだった。

一昨日の晩、彼女は自分のバンドと一緒にライブがあったのだ。

半年以上お世話になってきたレイチェル先生だし、

どんなライブハウスでどんな風に歌うか興味があって駆けつけた。

ぜんぜん別人のレイチェル。



という風に完全燃焼した翌日だからレイチェルは休んだわけだが、

代わりを務める若手の先生も大したものだった、

が、シニアメンバーの何人かは納得しないのである。

レイチェルじゃないとダメ・・・という雰囲気を漂わせて身が入らない。

こういうところは人類普遍だと思って可笑しかった。


レイチェル先生だって曖昧な指示を出したり間違えたりするが、

皆は不満に思いもしない、が、若手がやると文句が出るのだ。

・・・という具合に来週に向けて準備をしている。


オールド・ヴィック座のステージ裏に入れるのは愉しみだ。

劇を観にいったことはあるけど、裏に入るのは初めて。

高校時代、初めて手に取ったシェイクスピアの文庫本は、

新潮から出ている福田恒存訳『リチャード三世』だった。


表紙を開くと、そこには本場イギリスのロバート・ヘルプマンが

主人公を演じている写真があって、さらに「オールド・ヴィック座」

と書かれていた。今はあまりシェイクスピアなどやっていなさそうだし、

改修もされているだろうが、それでも同じ建物だ。

何か雰囲気を探ることは出来るだろう。


地震のない国の良さがここにある。

11/29(火)麺のトラウマ

2022年11月29日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

替え玉.jpg

↑日本ではしない替え玉。これで340円くらい


ロンドンでは、クロワッサンが一個400円する。

サンドイッチ一個とミネラルウォーターで1,000円。

だから毎日が真剣だ。


が、物価の高いロンドンにあっていくつか安いと思うものがある。

ハム、チーズ、アイスクリーム、ショーのチケット。

最後のは特に助かっている。今回の滞在はこれが目的なので。


昨日、さらに安いものを発見した。花だ。

今まで数度買い。昨日もスーパーで買って確信した。

ちょっとしたスーパーにけっこう豪華な花束がいつも置いてあって、

それらがさほど高くない。こちらの人にとって身近だからか。

そもそも花束にするような花はいずれも西欧からやってきたのが

理由か。日本で3,000円くらいしそうな薔薇の花束が、

こちらで2,500円くらい。物価の差を加味すれば半分くらいの値段。


それを持って、昨日はウィリアム・ブレイクの墓に誕生祝いに行き、

Albanyでお世話になってきた合唱のレイチェル先生のライブに行った。


こういう時、パッと花をプレゼントすることも、

自分は唐さんから教わった。人の芝居を観に行くときに、

物語に関係がある花を考えて、唐さんはよく買っていた。


が、ハム、チーズ、アイスクリーム、チケット、花、

これらは例外である。他のものは押し並べて高い。


特に高いと感じるのが日本食だ。

よく「日本食を食べたくなるでしょう?」と訊かれるが

値段を見れば到底納得できないから「いいえ」と答える。

それに、何度か経験して失敗の連続でここまで来たのだ。


親子丼、カツ丼、すし、うどん、

どれもチャレンジして強烈な違和感だけが後味として残った。

そこに、先日は一昨日は味噌ラーメンが加わった。


コンサートを聴いた帰り、いつもの通りを一本入ったところに

日本食の店を発見し、驚いた。こんな身近なところに、

しかも、閉店時間の早いロンドンなのに22:30まで営業。


それで、なんだか日本を思い出した。

何かを観て、少し食べて帰る。あれがやってみたくなった。

それで、一杯2,000円する一番安い味噌ラーメンを頼んだのである。


酷かった。ただひたすら酷かった。

スープもひどいが麺がさらにひどい。明らかに小分けにする用の

ザルでしかも茹ですぎているために(英国人はアルデンテを理解しない)、

ニチャニチャと固まった半分ダンゴのような麺が沈んでいた。

歯触りが悪すぎる。向こうから吸い付き、こちらが絡め取られる

ような食感だった。


一晩経ってもあまりにあの口の中のニチャニチャとした感覚、

おの記憶がひどいので今日は一風堂に立ち寄った。

ここは値段を除けば日本とそう変わらない。

多くの人はスープが薄いとかいうけれど自分はそう感じない。

むしろ、温度がぬるいことの方が気になる。雑なのである。


・・・という具合にトラウマを更新しないではいられなかった。

あんなに好きだった麺類そのものを嫌いさせるほどの迫力だったが、

克服して現在に至る。おかげで出費は倍。

11/25(金)ウェールズへの扉

2022年11月25日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
録音ホールの写真.jpg
↑入口はここですよ、分かりにくいから迷わないように。
,そう言って先方は写真まで撮って送ってくれた。10日したらここを訪ねる

今週から来週頭にかけて日本との会議が目白押しだ。

時差が9時間あるから必然的にロンドンの早朝になる。
それぞれに準備が必要だから、夜中まで詰めの作業をして、
寝て、起き抜けにミーティングする。

おかげでシャワーを浴びるのが遅く、ダイアンに文句ばかり言われている。
不眠気味な彼女は、こちらがゴソゴソとやっているのが気になるのだ。

彼女はキッパリ物を言うタチだから、翌朝に必ず刺される。
その度に誠心誠意謝るが、その夜に改善されたりさねなかったりする。
これを繰り返して、さほど嫌な感じなく過ごしている。
やり取りがあることが大切で、後に引かない。

もう一つ。
最近、夜中にハマっているのが、ウェールズ行きの計画を練ること。
来月の予定を見、他にも行き残した場所をカウントしながら
ホテルの値段をチェックする。週末は高い。
日曜から月曜にかけての一泊が安い。

何が観たいとか、どこの劇場に行きたいとか、
希望が絡むから条件は複雑になるが、これだ!というコースを発見した。

12/4(日)
11:00 本読みWSが終わる。
11:35 グリニッジから地下鉄でパディントン駅へ。
12:38 パディントン発の国鉄でカーディフ中央駅へ。
14:33 カーディフに着き、歩いて10分のホールへ。
15:00 St David's Hallで合唱団The Sixteenを聴く
17:00 ホテルにチェックイン
その後、気が向けばカーディフ・ミレニアムセンターでダンスを観る。

以前はこんな風に接続が上手くいくのかビクビクしていたが、
イギリスの交通事情にも慣れ、主要駅での乗り換えも迷わなくなってきたから
大丈夫であろう。まあ、ミスったらミスったで、コンサートが途中からに
なっても仕方ない。で、翌日が大事である。

12/5(月)
9:00 カーディフ中央駅を出発してSwansea駅を目指す
10:02 Swansea駅に到着し
11:00 Brangwyn Hall に行く
あとは一度カーディフに電車で戻りつつ、高速バスで適当に帰る。
イギリスの電車は往復で切符を買うと格段に安くなるので、
一度カーディフに戻った方が安くて速いのだ。

この Brangwyn Hall はかなり重要。
好きなCD、Sir Reginald Goodall指揮 Wales National Operaの
『トリスタンとイゾルデ』は、1980年にここで録音されたのだ。

通常だったら催し物をやっていないこの日は中に入れないが、
思い切ってメールで問い合わせて事情を説明したところ、
わざわざ日本人が来るのだからと、係の人が親切な返事をくれて
中に入れることになった。

こうなると俄然、ウェールズ贔屓である。

聞けば、今回のワールドカップにはイングランドだけでなくウェールズも
参戦しており、11/29にはご近所の両者が激突するらしいのだ。
唐作品を信奉する自分としては、常に弱いものの味方にならざるを得ない。
こんなに優しいウェールズ人の気質を思えば、なんとか勝って欲しいものだ。

11/24(木)働きすぎなイギリス人たち

2022年11月24日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑Deli-X。荒くれたデプトフォードにあって、店内だけは治安が良さそう

一昨日は興奮して寝つけなかった。

10月末を以って最後だと思っていたDame Sarah Connollyのリサイタルが
新たに開催されるらしいのだ。最近になって組まれた企画なのか、これまで
まったく告知されていなかったのに、しれっとホームページに載っていた。

朝を待ってダイアンに確認し、彼女も行くというので2枚分を押さえた。
料金ごとにエリアが違う指定と自由が半々のシステムだから、
あとは買ったエリアの中でなるべく前列を押さえるため、
開場時間前に殺到するのみだ。
ダイアンは脚が悪いので引っ張っていく格好になるだろうが、
Dame Sarahの凄みを知らしめねばならない。

以前から、ダイアンはDame Sarahの写真を見て冷やかしてばかりいた。
「彼女はほんとうは男なのではないか」そんなことばっかり。

しかし、最近になって彼女の友達(ロイヤル・オペラで働いている)から、
Dame Sarahがいかにホンモノかを聴いたらしい。
それで俄然、興味を持ち始めたのだ。きっと驚くであろう。

・・・という具合にハイに夜明かしし、早朝から『オオカミだ!』の
ミーティングに突入した。zoomごしに、時には実演もまじえる会議。
半分、稽古みたいなものだ。普通の演劇をつくるのとは勝手が違い、
実際の稽古期間は短い。その分、事前の準備に成否がかかっている。
2時間半これをやり、Albanyへ。

劇場メインプロデューサーチームとカウンシルメンバーの会議。
今年推し進めてきたフェスティバルもいよいよフィナーレの12月を控え、
皆の疲労の蓄積が如実に感じられる会議だった。

やっとここまできた。来月どうしよう。
そして、来年以降にこれをどう結びつけよう。・・・やれやれ。
そういう雰囲気で、これまでの企画を振り返るだけでお腹いっぱいの
自分たちに、さらに鞭をくれるための会議だった。

こちらとしては「Well done」としか言いようがなかった。
働き者のイギリス人たち!

その後は散会になり、こちらはDeli-Xに移動して日本の仕事をした。
明日も朝7時から会議だから、準備しなければならない。
こんな風に何時間もいられて、電源も使えて、値段も高くないカフェは
ロンドンでは珍しい。紹介してくれたピーターのおかげである。

資料を作ったあと、グローブ座に『ヘンリー5世』を観に行ったが、
これは面白くなかった。

11/23(水)キノコ・オン・キノコ

2022年11月23日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑手づくりの器。粘土製

昨日深夜、『下町ホフマン』の打込みが終わった。
289ページ。ここまできたら300ページいっちまえよ!!! とも思ったが、
2回の休憩時間を含むと3時間45分コースである。
あと10分ちょっとでも、延びない方が良い。

ちなみに『腰巻おぼろ 妖鯨篇』は311ページだから、間違いなく4時間越え。
すごいぜ!唐さん!

こんな作業をし、昨日書いたような荷物整理をしながら、
日常を見つめ直している。思えば、ここ2ヶ月は移動の連続だったし、
観劇だって、あと40日間で31本観ることはさほど難しくない。
それよりも、最後の1か月である12月をより良く過ごすために、
ここで足元をかためようと思ったのだ。

Albanyで積み上げてきた日常的なWSへの参加を
もう一度初心にかえって眺め回そうと思って、時間に余裕を持って到着し、
スタッフや参加者との会話もよくするように心がけている。

昨日は朝に合唱、昼から粘土細工という内容だった。

合唱は近所の小学生たちと合同。
12月にはクリスマスのイベントとして、都心にあるオールド・ヴィック劇場
という由緒あるホールでの合唱があるから、これのために顔合わせと
初回の練習を行った。土地柄、黒人の子どもたちが9割で、みんなアクティブで
可愛い。自己紹介の堂々としたこと。押しだしも立派なもの。

器と花.jpg
↑庭の花を摘んで盛る

午後は、粘土を使った器づくり。
手で捻ってカップのかたちをつくり、そこに、それぞれ劇場の庭に生えている
植物を摘んで飾りつける、という趣旨だった。が、あっという間にこのルールは
崩壊し、勝手な彫刻作品をつくり始めたのが面白かった。

↓彫刻作品化しはじめる
デイリア彫刻.jpg

12月に出かけたい土地はまだある。
ウェールズに行きたい、ケルト文明に触れたい、ロンドンならではの舞台が観たい、
そういうのももちろん大事だが、こんな風に日常から異界が開く瞬間を
見逃してはならないであろう。

↓リアルキノコ・オン・キノコ
ステラの傑作.jpg

11/22(火)なぜか巨大ドッグフード

2022年11月22日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑こんな風に置かれて雨に濡れていたので、反射的に家の中に引っ張り込んだ

昨日は家にいた。語学学校を休みにし、Albanyでの予定は無い。
夜に何かを観に行くのもやめにし、徹底して家にいて身辺を整理し始めた。

何しろ11月下旬だ。月日の過ぎるのは早いもの。
日本への荷物の郵送を先延ばしにしてきたが、
いよいよ本格的にこの問題に向き合い始めた。

こちらでできた日本人の友だちに聞いたら、
クロネコヤマトのロンドン支店に頼るのが一番簡単らしい。
もっと安価に済む方法もありそうだが、やり取りが円滑で、
安全に破壊されずに荷物が日本に着いて、保証も効く。
だから、ヤマト!

で、発送する荷物を判然とさせるために、まずはトランクを買いに行く。
こちらにはトランクひとつで来たが、文化庁に問い合わせたところ、
私の場合は、23キロのトランクを二つ運べるらしい。

船便は最大3か月かかるし基本的に高価だから、
自分で運べるものなら自分で運びたい。
そこで、安いトランクを求めていつものルイシャム・ショッピングセンターへ。

が、夏場はあれだけ見かけたトランクはすっかり鳴りをひそめていた。
隅っこに少しあるくらい。どうせすぐ手に入るだろうとタカを括っていたが、
どうやらあれは季節ものだったらしいのだ。

仕方なく都心に行こうかと思ってセンターを出たら、
ワイルドな露天で良い感じのを売っていた。しかも安い。
本来3万円以上するやつが7,000円くらい。バッタもんかも知れないが、
とにかくロンドンから日本まで一便だけ運ぶことができたなら、
それだけで得なのだ。それだけ保ってくれたならバッタもんだって構わない。

それを運んで家に帰り、荷物の総量を見定め、
捨てていくもの、最後まで必要だから必ずトランクで持ち帰るもの、
12月の買い物や頂き物のためにとっておくべきトランクの隙間を想定し、
郵送するものを割り出した。そして、郵送物の量に見合ったダンボールを
ヤマトに注文。こういう場合は単なる語学留学生となり、学割適応を目指す。

というわけで、家にいたと言っても周辺はウロウロした。
ダイアンに頼まれた日用品の買い物もあったから、
別方向のスーパーに行って帰り、ショッピングセンターに行って帰り、した。

ダイアンは医者に行くと言って早朝から不在だったが、
1回目の買い物を終えて帰ってみると、ドア前にまあまあ大きな段ボールがあり、
雨のためにこれが濡れている。てっきり家電でも買ったのかと思い、
急いで大切にキッチンに運び込んだ。

すると、2度目の買い物後に家に着くなり、ダイアンが激怒している。
先に帰宅した彼女が台所で発見したそれは、近所の家に届くはずの
冷凍ドッグフードだったらしい。

すぐに運送会社に電話し、配達員を呼びつけたところ、
彼は「家の中には入れないから、ドアまで持ってきて欲しい」と言い、
ダイアンは「こんな重いもん運べるか!」と問答になり、
配達員は帰ってしまったという。

本気で怒っていたダイアンには悪いが、爆笑した。
ペットがいないこの家に、巨大な冷凍ドッグフードが届いたのが面白かったのだ。
ロンドンのずさんさが極まっている。

結局、新たに呼び出した配達員に私が渡すことになった。
それにしてもデカいドッグフードだった。近所でよく見かけるデカい犬の
いずれかが、あれを貪るのだろうか。

11/18(金)大里先生の命日

2022年11月18日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑大里先生は極度のシャイだったから、こうして極端な守銭奴を演じなければ
忘年会の参加費用を徴収ができなかった。会では、大里先生のギター伴奏で
唐さんが歌を歌ったことも。


昨日、11/17は大里俊晴先生の命日だった。亡くなって13年も経つ。
亡くなったのは、室井先生を中心にスタートした7大学連携サテライトスクール
「北仲スクール」のオープニングパーティーの日だった。

朝のうちに東中野の葬儀場に行き、司会をしたような記憶がある。
その後は急いで馬車道に戻って、宴会の支度をした。

おつまみを並べ、大量のウィンナーを茹でて、お客さんに配った。
アサヒビールの横浜支社がいつも手厚く協賛してくれて、
飲み物も潤沢だった。お客さんが歓談に入ったところで、
奥の台所に引っ込み、身内でやれやれと話したのを覚えている。

やはりスクール運営の中心メンバーの一人だった梅本洋一先生が
台所を覗いて、「ほんとうはパーティーしている場合じゃないんだけどな」
と呟いたのを覚えている。その梅本先生亡くなってしまった。

大学一年生の時から、一番親しく接してくれた先生が大里さんだった。
年長者ぶったところも、権威ぶったところも無くて、
「はいはい、オレはダメ人間ですよ」という物腰でいつもこちらを
安心させてくれていた。それが、大里先生の正義感だったと思うし、
"正義"なんて言葉を嫌がる、ほんとうの正義漢だった。

大里先生の研究を多少なりとも理解できるようになったのは
むしろ亡くなった後で、そういう不躾な自分でも、多くを識る大里先生は
こちらの興味に合わせて大らかに接してくれた。

荷物の片付けや、引っ越しなんかも手伝った。
レポート採点時期になると東京まで帰るのが面倒な先生は研究室に
泊まってしまっていたから、その作業を邪魔するかのように遊びに行った。

先生はベジタリアンだったから、
大学近くのコンビニまで歩き、梅のおにぎりやあんまんを買って、
帰りに歩きながらそれらを食べて夕食を終了させていた。

それが、引っ越しを手伝った時には、西荻窪前の食堂で
野菜てんぷら定食をご馳走になったことがある。
持ち前の高潔さから美食を遠ざけていた大里さんが振る舞ってくれた、
先生の豪華料理だった。美味かったな、あれ。

大里ゼミのこととか、先生の好きなゲストを呼んでやった特別講義とか、
先生が学課の宴会の幹事をしていたこととか、新宿駅南口に買った
ペントハウス「オフィス・オオサト」のこととか、書いていたら際限なく
吹き出してきて仕方がない・・・・・。このくらいにしておきます。

11/17(木)Tea Danceがあった

2022年11月17日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
DJブースの裏から見たTea Dance.jpg
↑DJクリスが皆から募った曲をかけて踊らせまくっている

Albanyで"Tea Dance"があった。
前回、6月に参加したときはこれがイベント名だと思い込んで、
普通名詞であると知ったのはその後のことだった。

"Tea Dance(ティー・ダンス)"。
もともとは、イギリスの田舎で夏から秋にかけてガーデン・パーティーを開き、
踊ったり、軽食とともにお茶の飲んだのが始まりらしい。
時間は午後のお昼過ぎと決まっていて、だから、夜に開かれる場合は
"Tea Dance"とは呼ばない。"Dansant(ダンサン)"とも言う。

Albanyでは、レジデントカンパニーの代表格である
Entelechy Artsが主催して半年に一度、これを開く。
前回は劇場が他の大事業に忙殺されていて使えないために
他の文化施設に流れざるを得なかったが、私にとって二度目にして最後の
参加となる今回は、ホームグラウンドであるAlbanyのホールでの実施に
立ち会うことができた。

楕円形の劇場構造を利用し周囲にイスとテーブルが設られ、
マスコット的な存在であるクリスの司会とDJにより会は進む。

合唱、ダンス、詩の朗読、ソロの歌の披露など盛りだくさんで、
会を進行させながら、ホールの端の方では即興的なペインティングも
繰り広げられた。今回はスコーンは無かったが、前回と同じく
ケーキ、お茶、コーヒーの消費量が半端なく、皆でやりたい放題している
感じだった。

この会の始まりから20年、ずっと参加してきたシニアが
自らの思い出を語る切々としたスピーチがあった後、
サイモン&ガーファンクルの『ブックエンド』が合唱され、
それぞれの大切な人のドローイングを持ちながらダンスが踊られた。
続く青年が、友人のアコーディオン伴奏により朗々と 
"Over The Rainbow"を歌い上げて周囲は感動に包まれた。

こういう時のクリスの反応は鋭く、司会のトーンを囁くような語りかけに
切り替える。そして、割れんばかりの拍手が起こった後は、
まさかのビヨンセ。結局、ビヨンセは最強で、老若男女、障害の有無を
超越した熱狂を生んで場は閉じられた。

イギリス人にとって、クラブカルチャーと、スピーチやポエトリーが
根付いていることがこの会の成功理由だと思う。
同じ仕立てを日本に移したところでお互いに恥ずかしがるだけだと
想像できるが、私たちにだって、餅つきや節分、盆踊りというイベントが
あるわけだから、ああいうものを劇場が援用すれば難しくなくできると思う。

季節感や年中行事が希薄になっていく中で、だからこそ劇場の役割が
出せるのではないかと思う。
終わった後にスタッフ会議があって意見を求められたので、
「日本には季節の変わり目に豆を投げるイベントがある」と伝えたら全員に
爆笑された。それだけで相当に意味不明だったらしいので、恵方巻き情報を
かぶせるのはやめた。彼らが節分の風景を見たら、どう思うのだろうか。

季節の変わり目に"魔"がやってくるのは同じと思うが、
こちらではハロウィーンに家々を訪ねる子どもたち=精霊たちにお菓子をあげる。
いきなり豆をぶつけて追い出す日本より、寛容だとも思える。

11/16(水)まるで横浜国大

2022年11月16日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

スターリング大学構内.jpg

↑スターリング大学内。劇場や図書館を含むセンター周辺の明かりを

見つけてホッとした。郊外なので、寮に住んでいる学生か劇場への観客

の他、人気はあまりない。


先週末はグラスゴーに行ってきた。

幸い天気がよく、北方にも関わらず気温もロンドンと変わらなかった。

スコットランド国立劇場の公演を観て事務局を訪ねるための

短い旅行だったけれど、この地域が持つ質実剛健さに

触れることができた。


特に初日の土曜は面白く、

グラスゴー中央駅で降りてホテルにチェックインしたらすぐに駅に戻り、

さらに北に30分強行ったところにあるStirlingまで行った。

バスも使えたけれど、初めて訪れる場所は地形もチェックしたい。

そこから小一時間歩いて目当ての公演会場を目指した。


劇場は山の上の大学の中にあった。

劇場を含むアートセンターが堂々とスターリング大学の中にあって、

一般のお客さんも自分の街の文化施設として気兼ねなく利用していた。


公演は、まるで大河ドラマだった。

シェイクスピアの歴史劇にも似て、スコットランド史に輝く英雄に

想を得ながら、現代人のセンスと美学で描いていた。

啓蒙とエンターテイメントが上手く融合した舞台で、

この地方の気質も反映してか、言葉がシンプルに書かれていたので、

自分にもよく理解できた。

現代の服装で現れた役者たちが衣裳を着て時代劇を演じ始める構造を

わざと見せるところなど、山﨑正和さんの『実朝出帆』をやった時の

ことを思い出した。


終演は22時過ぎで、向こう1時間来ないバスを待つのもかったるくなり、

結局、往復ともに駅まで歩いた。道はさらに暗く、歩道の無い箇所も

あったけれど轢かれないよう気をつけながら歩いて、

スムーズに辿り着くことができた。

日付が変わる頃にはグラスゴーのホテルに辿り着いた。


それにしても、あの坂を登る感じ。

敷地の境界が曖昧でどこからでも入れそうなセキュリティのユルさ。

電灯の少なさからくる夜の暗さ。どこもかしこも横浜国大みたいだった。


↓劇場ロビーのポスターの前で

ジェイムズ4世ポスターの前で.jpg


その後にグラスゴーをウロウロして分かったが、この地域は実によく

街の景観に大学が溶け込んでいる。グラスゴー大学、市立大学、

そういったものを見かけだが、それぞれに美術館やコンサートホール、

カフェ、庭を持っており、これが周辺住民や観光客にも開かれていた。


学校が賑わっていて、留学生も多かった。日本人は見かけなかったけれど、

中国や韓国から来ている人が多くて、彼らのニーズに応える料理屋が

充実していた。久々にキムチチゲを、しかも安く食べることができた。


↓グラスゴー大学内の美術館

グラスゴー大学内の美術館.jpg

11/15(火)唐さんの勝ち

2022年11月15日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑プライベートでは賭け事をしない(と思う)唐さんだが、
私たちも親しくしている望月六郎監督のこの映画に出演している。
『新・極道記者 逃げ馬伝説』。唐十郎フリークの人はぜひ見て欲しい。

前回の唐ゼミ☆本読みWSを読んでくれたHさんから投稿が寄せられた。
それによると、競輪場の車券売り場のシステムについて、
唐さんは正しかったらしいのである。

『ベンガルの虎』2幕に出てくる「2-3」窓口。
つまり、2番と3番に一着二着を賭けるための車券売り場窓口が
固定されているのはおかしいのではないか、という私の意見は、
当時の実際を知る人によると完全に間違っていたらしいのだ。

正しくは、数字の組み合わせによって窓口は固定されていたらしい。
そうすると、本命ガチガチの窓口には長蛇の列ができ、
およそ勝ちそうにない大穴の窓口は閑散とすることになる。
「そういうことなんですか?」とHさんに伺ったところ、「その通り」との
回答が寄せられた。

そういうわけで、唐さんは完全に正しかったのだ。
Hさんのおかげでまたひとつ勉強になったし、次回の本読みWSで
修正しなければ!

考えてみれば、コンピューター管理される前の風習は、
後の時代を生きる者からしたら想像を絶して手間がかかっていたのだ。
『黒いチューリップ』に出てきたパチンコ屋の玉出しシステムもそうだし、
かつては芝居のチケットを買うために、わざわざ劇団事務所を訪ねる
必要があったのだ。

『ベンガルの虎』に話を戻すと、これはなかなかイマジネーションが
膨らむ話である。要するに、それぞれの売り場窓口には個性があって良い
ということなのだ。町内の全ての赤ん坊を取り出した産婆にして、
伝説の車券売り場窓口員である「お市」のいる2−3番。
こういうのは舞台美術を考える際の個性の持たせ方に直結する。

またしても良い話を聞いた。Hさんに感謝。
そして、唐さん、ごめんなさい!

11/11(金)移民と闘争のルイシャム

2022年11月11日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

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水曜日にAlbanyで公演を観た。"QUIET REBELS"というタイトル。

映像とシンプルなステージング、4人だけの出演者による舞台だったが、

若い人たちの熱気と関心が場内に溢れ、満員だった。


これは、実話に基づいた物語だ。

労働者階級に生まれた白人女性が、移民としてカリブからやってきた

黒人男性と恋愛し、結婚をした。結果的に彼女に対し、

白人社会からのものすごい圧力や嫌がらせが寄せられることになる。

それらを、実際の当事者たちのインタビューと、俳優による演技と

虚実の両方から進行させてゆくステージだった。


今年、このような闘争を描いた様々なイベントに参加してきた。

NEW CROSS FIREについて Linton Kwasi Johnsonが語るレクチャー。

カリブからの移民第一世代が往時を回顧するWINDRUSH PEONEERS。

ルイシャム・ショッピングセンター周辺で繰り広げられた

人種差別闘争の様子を収めたドキュメンタリー映画上映会。

シニア企画に参加するアフリカやカリブから渡ってきた人たち。


ここ半年を総動員して、目の前の劇を観た。

初見では捉えきれなかった言葉のやり取りについて行きたくて

今日は二度目をこれから観る。


現在、目の前でやり取りされている平穏な日常が、

どれだけの闘争の果てに成し遂げられたものか実感できる。

ダイバーシティとか多様性とかいうけれど、日本とは土台の

複雑さが違う。平和そうに見える周辺地域に底流するものを

またひとつ感じることができた。。


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日本では、カプカプひかりヶ丘×新井英夫WSが

ズーラシアの近所にある実際のカプカプで本格的にスタートした。

ロンドン時間のAM1:00〜AM9:00の長尺だが、

皆さん次から次へと押し寄せる予定に、

慌ただしく活動していると聞いた。


新井さんのコンディションがちょっと心配されたが、

ふたを開けてみれば、休憩時間も惜しんで受講の皆さんに

話し続けていたらしい。新井さんによる魂の講座だし、

カプカプの利用者さんたちが全員で講師をしていることも

今回のウリだ。引き続き正対、ストレートな運営をしていこう。


次回のB日程初回は12/23

11/10(木)川口くんとクレメンティ・ハウスへ

2022年11月10日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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昨日、友人の川口成彦くんとロンドンで落ち合った。

常にアンティークの楽器や音楽家関連の場所を見て回っている
彼にくっついて、クレメンティ・ハウスに行ってきた。
多くのピアニストを育て、作曲し、ピアノ製造まで行った
ムツィオ・クレメンティの暮らした家である。

川口くんは、彼が東京芸大院生の頃に知り合った。
唐さんの母校である入谷の坂本小学校でやなぎみわさんが書いてくれた
『パノラマ』を公演した時、相談役だった焼き鳥たけうちさんの
マスターから川口くんを紹介されtのだ。

彼はイベントに参加して書生姿に扮し、エレピを弾いてくれた。

その後、椎野と自分が結婚した時、椎野のリクエストに応えて
ショパンの『英雄ポロネーズ』を弾いてくれた。
この時も焼き鳥屋備え付けのエレピによる演奏だった。

その後、彼はアムステルダム音楽院に留学してこれを卒業すると、
ブリュージュのコンクールで2位になり、
第1回ショパン・ピリオドコンクールでも2位に輝いた。
それから一気に有名になって、現在に至る。

これから国際的キャリアを築いていこう、
という時期にパンデミックになってしまったので、
彼は日本での時間を増やして、多くの国内需要に応え続けてきた。

けれど、その間もアムステルダムの住居も維持して
アフターコロナに備えてきたそうだ。

ロンドンであれば、ウィグモアホールに登場するクラスの人だと思う。
前に川口くんのシューベルト即興曲や連弾曲を聴いたけれど、
その後に彼を凌ぐ演奏に出会ったことがない。
実力はあるのだから、あとは巡り合わせだと思う。

彼の発案で、ノッティングヒル近くにあるクレメンティ家を訪ねた。
これが面白かった。ネットには開場時間や入場料などが書いてある。
けれど、そこは本当に単なる家で、現役で暮らしている一家の長らしき、
おじいさんが案内をしてくれた。

一応、居間にはクレメンティ社で造られたスクエア・ピアノが
置いてあったが、鳴らない鍵盤もあるなど、ケアは全くされていない。

「ここにはメンデルスゾーンも来たこともあるんだよ」
おじいさんはそんなガイドを少しばかりしてくれたが、
「クレメンティの肖像画などはないのでしょうか?」という質問には、
「ここにあるのはうちの家族の写真か絵ばかり、クレメンティの肖像は
グーグルを検索しなさい」という大胆な答えが返ってきた。

「この家のどこを見ても良い」と言われて階段を登ったが、
どこもかしこもおじいさんの家族が暮らす現役の居室で、
ある部屋を覗くと、中でお孫さんの青年がくつろいでおり、
なんだか申し訳ないような気になった。

「わたしはこの家で生まれ暮らしてきた」
おじいさんはそう言い、特に親族関係も無いらしい。
こじんまりとしたギャラリーやミュージアムを想像していた私たちは
顔を見合わせて笑い、この方がよほど面白いと言い合った。

その後は近くにある中古CD屋で希少盤を漁り、日本食屋に行った。
川口くんをヴィクトリア駅に送りながら満員電車にも乗ったので
まるで東京で会ったみたいだったが、クレメンティ・ハウスだけは
圧倒的に外国だった。

夜行バスでアムステルダムに戻ったら、数日後は現地の音大生相手に
英語でマスタークラスをやるらしい。さすがだ、川口くん!

11/9(水)キットカット食べすぎた

2022年11月 9日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑写真を撮るためにいつも買っていたスーパーに行った。
現在は見ただけでちょっと気持ち悪くなる。

ここ最近、体調が悪かった。
2週間くらい前に風邪をひき、そこからズルズルと忙しくなり、
書類づくりやWSの準備に追われた。
日本とイギリスを同時進行させると、時差の厳しさを痛感する。

こちらが朝起きてメールをチェックすると、日本はすでに夕方近い。
早く返事を出そうと焦っているとロンドンでの予定が迫ってくる。

イギリスで参加しなければならないプロジェクトも多数あるし、
夜は夜で何かを観に出かけたい。そのまま突入したコーンウォールへの
旅はバスばかりだったから、ずっと乗り物酔いみたいで苦しかった。

復調してきたので、こうして書いている。

何が原因だったかと考えてみると、
どうもキットカットばかり食べていたせいではないかと思う。
あれは食べ応えがあって、持ち運びができて、しかも安い。

英国の料理はマズいマズいとよく言われるが、そんなことはない。
たしかにゴワゴワのフィッシュ&チップスとか、ぞんざいな仕立ての
ものは多いが、美味しいものもちゃんとある。

しかし、決定的に不満で苦しいのは、それが高価なことだ。
庶民の味、フィッシュ&チップスやパイ&マッシュを食べると
簡単に2,000円を越えるのだ。

当地の人たちはちょっとしたカフェでサンドイッチが800円することに
不満を覚えないだろうが、こちらは日本の飲食店の味と値段を
知ってしまっている。だから、抵抗感が湧き上がってくるのだ。

結果、よくキットカットを食べた。
大型スーパーで大量に売っているのを買い込んでおいて、
お腹が空いた時にチビチビ食べていた。

すると、なんだか食べるたびに胃がムカムカするようになったけれど、
味はあの通り美味しいから、さらに食べるという生活が続いた。
今では、あれが体調不良の原因だったと睨んでいる。

さすがに懲りて、少しお金を使ってでもパン屋のパンを
食べるようにしたら、気持ち悪い感覚が無くなり、風邪も治った。
車酔いみたいな感覚が払拭されるまで、もうちょっと。

作業も峠を越えたので、気分も心持ちも楽になってきた。

さすがにキットカットはしばらく見たくない。
来年に予定している公演の現場で、ケータリングとして出されたと
したら、また手が伸びてしまいそうだけど。

11/8(火)ペンザンスでの昼寝

2022年11月 8日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑ペンザンス唯一の目的地はここ。崖に造られたミナック・シアター

先週末はコーンウォールを訪ねた。イングランド南西部の巨大な田舎だ。
数箇所の目的地があったが、ほとんどを移動で過ごした。
しかも、電車は少なく、大方がバス。

睡眠不足や不規則な食事にならざるをえず、車酔いばかりしていた。
どこも隘路だし、運転がものすごく荒いので、
どうしても船酔いみたいになってしまったのだ。

初日に訪ねたティンタジェル城までは天気も良かったが、
あとは雨・雨・雨だったから、二日目は最低限の目的地だけに絞って、
あとはホテルで寝た。値段は安いけれど気持ちの良いホテルだったのは
ラッキーだった。

細かなトラブルを挙げればキリがない。
ロンドンからの夜行バスではドラッグ中毒の女性が騒ぎケンカが起きた。
コーンウォールに着いてみたら、バス会社の一つがストライキを
行っており、電光掲示されたバスが全く来ないというフェイントを
食らった。電車に乗ろうと駅に行ったら、電車が動かなくなったので
この高速バスに乗れと指示されて、危うく時間内に目的地に
着かないのではないかとヤキモキさせられた。
レストランの定員が計算ミスをして多く支払わされそうにもなった。
他にも細かいのがたくさん。

帰りはプリマスに寄り、友人ピーター・フィッシャーの車に乗って
ロンドンに戻る予定だったが、彼の車が壊れたために電車で戻って
くることになった。

これには驚かない。
最近、彼の車に乗るたびにアヤシイ音をたてていたからだ。
去年、4年ちょっと乗った愛車ラフェスタを廃車にせざるを
得なかった自分なので、その予感は充分にしており、
どう思うかピーターに訊かれたので、彼には辛い見立てを
正直に告げた。

けれど、実際に壊れるまで乗り続けてしまうのが人間だ。
だからいつもアクシデントになり、急な対応の連続になってしまう。
けれど、もうちょっと、もうちょっとと引っ張ってしまうのだ。

幸い、ピーター車はロンドンで壊れた。
これがプリマスに来る途上だったら大変だった。
田舎道からの移動は過酷を極め、彼の演奏に影響したと思う。

色々なことがあり、忙しなかった。
どの目的地もさすがにインパクトがあったが、
なぜかペンザンスでした昼寝がいちばん印象深い。
昼寝ができたなんて、何年ぶりだろう。

調子に乗って動き回り過ぎ、ボロボロで帰国すると
年明けの仕事に影響するだろうから、加減しなければいけないとも
思い始めた。目下、観劇数は255本。300いけるかどうか微妙だ。

11/4(金)このホスピタリティの無さよ

2022年11月 4日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑6月にオープンした新路線エリザベス・ライン
Bond Street(ボンドストリート)駅が10/23に遅れてオープンしたが、
表示は以前のまま。車内の×印が修正されるにはまだ時間がかかるらしい。
日本がせせこましいのか、英国がルーズなのか。


イギリスの住環境は悪くなる一方である。
私が過ごしてきたごく短い期間だけでも、近所のパン屋は二度にわたる
値上げを決行した。初め500円くらいだったソーセージパンが、
いつしか600円になり、昨日から660円になった。
マジか!?

EU脱退、コロナ・パンデミック、ロシアVSウクライナの戦争と、
インフレの要因が畳みかけている。
そして、日本に比べて恐ろしく低いホスピタリティ。

今日もドラッグストアに買い物に行ったのだが、
緩慢な動きでレジを打ち始めたスタッフは何度も何度も入力を失敗し、
3分以上が経過したところで無理と見て同僚を呼んだ。
誰もレジに並んでいたわけではないのに、
歯ブラシひとつ買うのに5分以上かかった。

このように、英国生活はトラップだらけだ。
テンポよく移動と要件をこなしていこうと思っても、
いたるところで細かなブレーキがかかる。

レジ待ちが何人並んでいようと、いま会計しているお客と店員が
談笑したりしている。後ろのお客がたまりかねて文句を言うと、
不満そうに増援を呼ぶベルを叩いて助けを呼ぶが、その助けが
ぜんぜんやってこない、という光景もざらだ。

EUを離脱したことによって、多くの外国人労働者がイギリスを去ったそうだ。
特にポーランドから来ていた人たちは優秀で、かつ人件費が安かったらしい。

例えば高級車用の手洗い洗車サービスについて、彼らが去った後は
かなり粗雑なクオリティで車が返却されるようになったそうだ。
しかも、もともと3,000円程度だった料金は10,000円近くにまで高騰。
イギリス人の人件費はかくも高く、顧客にとっては良いことがないそうだ。

他方、英語をマスターした人々が大挙して帰国したポーランドの景気は
右肩上がりだそうだ。一国の判断が、そんな風に周囲の国々に影響するのも
流動性の高いヨーロッパならでは。

私は大学生時代、深夜のコンビニでアルバイトしていた。
牛乳を並べていてお客がレジに立とうものなら、カウンターに走って
戻ったものだ。ここにきて、「お・も・て・な・し」を改めてアピールしていた
理由がわかってきた。駅員も店員も、誰も彼もが仏頂面で、
スマホに釘付けな姿もよく目にする。

電車もバスも簡単に遅れる。
今まさに旅行が始まったばかりのタイミングでこれを書いた。
けっこうタイトなスケジュールを組まざるを得なかったが、
ちゃんと移動できるだろうか。駅員や各所の職員が優しいと良いのだけれど・・・

11/3(木)台本、教会、旅の支度

2022年11月 3日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

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↑The London Oratory


昨日はいつもと曜日をずらして劇団や座友メンバーとの

『ベンガルの虎』本読みをやった。2幕の終わり。

いつもながら唐さんが書く3幕ものの2幕終盤は素晴らしい。

こちらがいちいち考え、理解するのを寄せ付けない勢いに満ちていた。


気持ちよく、せりふのやり取りや物語の進行に振り切られた感じだ。

直に体がうずく。


ブルース・リーの名ぜりふに"Don't think, feel."というのがある。

"考えるな、感じろ"。昔からの唐さんやアングラ・ファンの中には

こういう味わい方をしている人がたくさんいる。


けれども、遅れてきた世代である私にとって、

唐さんの作品はやっぱり考えながら読むものだと思う。

荒唐無稽に見える設定やせりふの中に唐さん流のリアリズムがある。

そうでなくては、どうやってせりふを言い、セットをつくり、

物語をつむぐのか。やる側はThinkせよ、と思ってやっている。


けれども、やっぱり唐さんの魅力の究極は、

理性ではなくて、感覚による納得でねじ伏せていく

いわく言い難い、けれども誰もが体感的に納得してしまう

吸引力や腕力だと思う。

それを存分に味わうために、私たちは分かるところは分かっておこう。

そういう考えでやっている。


そういえば、前に『トリック』という大ヒットドラマがあって、

あれも似た話だった。主人公はマジシャン、

次々と登場する霊能力者のトリックを暴きながら物語は進行する。


けれど、それは霊能力者がニセモノと言いたいために

やっているわけではない。むしろ逆。

本物の霊能力者に出会うためにこそ、

トリックを見破ること=理屈でニセモノを選り分けているのだ。

すべては、ホンモノの不思議に出会うために。


真の摩訶不思議に圧倒され、打ちのめされたい。

そういう思いで台本を読んでいる。


私たち作り手にはお客さんという存在がいるが、

まず自分たちが圧倒されて、今度はそれをお客さんにおすそ分けする。

そういう相手であると思っている。

昨日、『ベンガルの虎』二幕には気持ち良くやられた!清々しい。


イギリスでは、ここ数日は教会の催しばかりに行っている。

土曜日はオックスフォードにある大学の中のチャペルと

福音史家ヨハネ教会。

月曜にはロチェスターの大聖堂。

火曜には都心のテンプル教会。

昨日はサウスケンジントンにあるロンドン・オラトリーという

カトリックの教会、という具合。

どこも特別な内装と音響だったが、

とりわけロチェスターとオラトリーは素晴らしかった。


今日、木曜の深夜から旅に出る。

風光明媚だけれど交通の便はすこぶる悪いコーンウォールを攻める。


伝説ではアーサー王が住み、

トリスタントイゾルデの舞台ともなったティンタジェル城、

岬の野外劇場ミナックシアター。そしてプリマスの教会にも行く。

この教会ではピーターのアンサンブルによる演奏会が行われるのだ。


合い間に『下町ホフマン』研究と来年度公演の企画書づくり、

『オオカミだ!』とカプカプ×新井一座WSの準備もする。

体はイギリスの僻地、頭は日本のことを考えて過ごす週末になる。

11/2(水)明らかに助平な男たち

2022年11月 2日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

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↑終演後のクリスティは喜色満面。足元に覗くソックスの赤が眩しい


唐組が終わった後も唐さん関連の公演が続く。


流山児事務所が『ベンガルの虎』の稽古に入っているとのこと。

自分が観られないのは無念だが、コロナに捕まることなく

最後まで駆け抜けて欲しい。


それから、状況劇場の終わりから唐組初期の唐さんを支えた

俳優・菅田俊さんが率いる東京倶楽部の『ジャガーの眼』公演もある。

菅田さんはずいぶん以前に『ふたりの女』も手掛けられていた。

今回は、宣伝のためかYouTubeで1980年代半ばの唐さんについて

菅田さんがエピソードを披露されている。これが面白い!

https://www.youtube.com/watch?v=QF9aL3X3GxM


この時代は唐さんにとって困難な時期であり、

表に出てくる情報は少なかった。だから菅田さんのお話は貴重だ。

皆さんもぜひ観てください。これまで知られていなかった当時の

様子だけでなく、強面に見える菅田さんの純真さにも打たれる。

こちらも観にいけないのが悔しい!

誰か観に行って、どんな風だったかを教えてください!



ところで、今日のゼミログのタイトルは、

別に流山児さんや菅田さんが助平だというのではない。

(二人とも色っぽいが)


目下、研究中の『下町ホフマン』に"平手"というキャラクターが

出てくる。三度笠をかぶり、侠客めいた格好だから、

おそらく講談の『天保水滸伝』に出てくる強者、

平手造酒(ひらて みき)からとられた名前だと思うが、

この男が自分は助平だと連呼するのだ。


強いと言われれば弱く、弱いと言われればあべこべに異常な強さを

発揮するところが面白い。そして、オレは助平だと訴える。

ああ、これは大久保さんに宛てて書かれたのだなと

当時の配役表を見なくてもすぐにわかる。


鷹さんも色っぽい人だが、あの雰囲気で「オレは助平だ!」と

叫んで回っていたら、舞台は湧いただろう。


英国で観た助平なパフォーマーとといえば、

第一に、フランスから来ていたウィリアム・クリスティという

指揮者&チェンバロ奏者が思い浮かぶ。


演奏もそうだし、全身黒ずくめにも関わらず

足元にチラチラと覗くソックスだけは真っ赤、

ああいうところが実に助平ったらしい。


あれは彼のトレードマークで、この間に聴きに行った

演奏会では、最前列のフリークらしき客も真似して

赤いソックスを履いていたのが目立った。

あんたも好きねえ、という感じ。


カーテンコールの時など、女性奏者の腰に手を回して

褒め称えるやり方など、露骨に助平があわられている。

堂に入ったものだ。


もう一人の助平は、ザ・シックスティーンという合唱団を

率いるハリー・クリストファーズ。

一昨日の夜も彼のライブを聴きに行ったのだが、

これは希代の助平野郎だと思わずにいられなかった。


彼がクリスティと異なるのは、

一間するとひどく真面目そうなところだ。

だが、聴くべきを聴き、見るべきを見れば

彼が心底ムッツリだということがすぐにわかってしまう。


だいたい、一昨日のプログラムは環境破壊を強く訴えたもの

だったが、実際のパフォーマンスを聴けば、

それが崩壊の美を謳っていることは明らかだ。


会場はロチェスターというロンドン近郊の古い街にある

大聖堂。そこで、ルネッサンスからバロックまでの曲を順に歌い、

また同じ曲をたどりながら元の時代に戻っていくという趣向。


いわば自然の円環を表現していたわけだが、

映像作家が作ったプロジェクションと合わせて考えるに、

人類など滅びてしまえば良いと言わんばかりの美感に

溢れていて、何度も聴いてきた彼らの演奏の中でもベストの

パフォーマンスだった。


終演後に話しかけて「あなたは実に危険な巨匠ですね」と

伝えたらニヤニヤ笑っていた。あれは、真剣に環境問題に

拳を振り上げる人の態度ではない。


誰も彼もが快楽主義者だと思わずにはいられない。

そういう助平な人たちを、私は好む。



↓ハリー・クリストファーズ。真面目そうに見えてエロの塊
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11/1(火)頭がまっ白

2022年11月 1日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑この日もDame Sarah Connollyはいつにも増して男前ないでたち
圧倒的なゴッドねえちゃん感だった

一昨日未明にサマータイムが終わった。あれはなかなか不思議な体験だ。

最近、かつてのテレビ番組『驚きももの木20世紀』にハマっている。
その日も夜中までこれを見ていたのだが、AM1:59の次の瞬間、
時刻はAM1:00になった。こうして1時間巻き戻すのである。

むろん、これネットと連動しているケータイやパソコンの時刻表示に限る。
腕時計は手巻きで1時間戻した。
3月に23時間の日を過ごしたが、日曜日は25時間あったわけだ。


週末はオックスフォードに行った。
名門大学で有名なこの街だが、目当てはOxford Liederという
歌曲のフェスティバルの最終日。
これに憧れのDame Sarah Connollyが出演したのだ。

若手、男性、サラ・コノリーと、3人の歌手でリレーしていく1時間半。
この日も彼女のパフォーマンスは頭抜けており、脳天をぶち抜かれた。

あと2ヶ月の滞在中、数回は彼女の出演するコンサートがある。
が、いずれもオケとの共演のみ。話せるとしたら最後のチャンスと思って
終演後に順番待ちして声をかけた。

すると、いきなり彼女の方から
Lovely to see you again. I read your letter, thank you. 
と言われ、頭が真っ白になってしまった。
ただでさえ英語に難ありなのに、こうなるとお手上げだった。

どのようにしてかは分からないが、
9月末にウィグモアホールのスタッフに託した手紙は彼女のもとに
遅れて届き、読んでくれたらしい。

そこからは完全にテンパってしまい、言葉も出ず、
ただ、絞り出すように御礼を言って、
直近の歌曲のCDにサインしてもらった。

周囲には、マーク・パドモアをはじめ、
フェスティバルに参加していた綺羅星のような歌手が
ワイングラス片手にウロウロしており、
隔絶した世界のように思えた。

学生時代に紅テントに行き、
唐さんを囲む、麿さんや蓮司さん、魔子さん、シモンさん
鷹さんたちが談笑しているの遠巻きに眺めていたのを思い出した。

帰り道は浮き足立ってしまい、バス停まで走って帰った。
大学時代は新宿駅まで。やはり走った。そう急がなくてもいいのに。

サマータイムが終わると、陽が暮れるのが早い。
午後4時には暗くなる。渡英直後を思い出した。あと2ヶ月。

10/28(金)桃山さんが亡くなった

2022年10月28日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

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↑2017年 横浜トリエンナーレの準備中。

作業中の桃山さんを訪ねるとすぐにビールを出された



水族館劇場の桃山邑さんが亡くなった。


桃山さんが病気だと聞いたのは渡英してからだった。

それから、春の水族館劇場公園には多くの人たちが駆けつけていた。

皆、それが桃山さん現場にいる最後の公演になると知っていて、

自分も列に加わりたかったけど、叶わなかった。



初めて桃山さんと喋ったのは、

入方勇さんの遺品を整理しに行った時だった。


入方さんは北海道出身の役者で、第七病棟の劇団員だった。

この劇団はたまにしか公演しない。だから入方さんは見世物小屋の

主としても活躍し、各地の縁日を賑わせていた。


私たちが初めて『下谷万年町物語』の上演に挑んだ時、

出演者募集に入方さんが応えてくれた。


役者としても面白い人だったけど、持ち前の見世物小屋設営の腕を

活かし、唐ゼミ☆のテントを飾り付けてくれた。

以来、入方さんから教わった方法をもとに、

テント劇場の外観を造作することもまた私たちの表現になった。


知り合ってから一年後、入方さんは亡くなってしまった。

「また出てくださいよ」と頼んでいたのに。

連絡を受けたのは『下谷万年町物語』再演の稽古をしていた時だった。


気持ちのやり場がなく困っているところに、

入方さんが借りていた倉庫の整理をするから手伝いに来ないか

と声をかけてくれたのが水族館劇場の皆さんだった。

入方さんは、"カッパくん"の愛称で親しまれた、水族館の常連だったのだ。


埼玉のどこだったかは忘れたけれど、

指定された倉庫に行くと桃山さんたちがいて、一緒に道具を整理した。

それから入方さんが住んでいたアパートにも行き、

荷物を運び出して作業は終わった。


それから桃山さんが誘ってくれて韓国料理屋に行った。

お酒と料理が並ぶと、桃山さんは「今日は入方の話をしよう」と

言って流れをつくってくれた。


それから、私たちの交流が始まった。

寿町や都内に、三重の芸濃町にも公演を観に行った。

桃山さんたちも唐ゼミ☆公演を観に来てくれた。


特に面白かったのは新宿中央公園で『唐版 風の又三郎』をやった時。

予約して来場した桃山さんは「山谷で揉め事が起きたので

初めだけで失礼させて欲しい。ごめん」と言い、

一幕だけテントの外から見て、台東区に殺到して行った。


自分が良かったと思うのは、

2017年横浜トリエンナーレのスピンオフ企画で水族館劇場が

寿町に夜戦攻城をたてるのをサポートできたことだ。


お世話役を横浜美術館の学芸員Sさんがしていて、

まずは誘致すべき土地を一緒に見立てて欲しいと頼まれたので、

喜んで案内して回った。Sさんは自転車、私はランニングで。

何箇所も候補を出したけれど、もちろん、水族館には寿町でしょう!

と言って、数ヶ月後に実現した。


当時一緒に働き始めていたKAATの眞野館長と一緒に桃山さんたちを

応援した。上の写真は陣中見舞いに行った時のもの。


台本が遅れることについて、

劇も劇場も千穐楽を終えてなお未完成であることについて、

桃山さんはわざとそれらを、信念を持ってやっていた。

そのことを心底理解できるようになってきたのは最近のことだ。


初日に駆けつけると、「なんで初日に来るんだよ!」と

冗談めかして怒られる、いつも桃山さんとのやりとりは

シャイで、優しくて、楽しかった。


帰国したら、また桃山さんに会いに水族館劇場に行こう。合掌。

10/27(木)目標は300

2022年10月27日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

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↑見た目は倉庫のようなスタジオでもオペラが上演される


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↑中央線沿線にある小劇場と変わらないサイズ感だが、演目はかなり違う



ここ数日、朝は日本の仕事。

カプカプ光ヶ丘と新井英夫さんの講座が週末に始まるので、

その対応が急務。何しろ、こちらは朝6時でも、日本は午後2時。

就業時間も終盤に差し掛かる頃だ。なにか気忙しい。

これから2ヶ月、ずっとこんな感じになるのだと思う。


『下町ホフマン』が厳しい。

目の前のやりとりは大変に面白いのだけれど、

何しろ量が膨大だ。Wordに打ち込みながら読んでようやく

半分を過ぎたところだけれど、手元の台本様式にしてすでに

150ページを越えている。『腰巻おぼろ 妖鯨篇』に次ぐ長大さだ。

300ページ超と踏んでいる。


これまでのペースを維持してあと12日間かかる。

ひとりひとりのせりふが長く、ページをめくって

ビッシリ詰まった紙面を見るにつけ、

"ああ、唐さん、調子いいですね"などと対話。


朝の時間だけでは遅まりきらず、夕方、帰宅後、

空いた時間はすべて『下町ホフマン』に。


それから、昨日は良いことがあった。

残り2ヶ月を気遣ったギャビンが、劇場執行部と

ルイシャム評議会の定例会議に自分を招いてくれた。

神奈川で行ってきた仕事に置き換えると、これは

県の文化担当者との打ち合わせに同席するという感じ。

それにしては、皆さんフランクだったけれど、紛れもなく中枢だ。


今、劇場やフェスティバルが何にフォーカスして動いているか

たちどころにわかる。これからは二週に一度、これに参加。

初めてだったので固有名詞の多さに面食らったが、

何を喋っているか半分くらい分かるようになってきた。


あと、観劇について腹を括った。

年末までに観る公演数を目標300に設定した。昨日で241本目。

しかし、ただ観ればいいってもんじゃないこともわかっている。

これは!と思うものを、密度高く追いかけるようでなければ。


そもそも、自分が数字を意識するようになったのは

渡英前に海外研修の先輩に「オレは200ほど観たよ」と

言われたからだ。「多いですね」と答えたら「そうでもないよ」

と言われて、まずは200を目標に置くようになった。


ところが、これが意外に簡単だったのである。

達成したのが9月上旬。それからちょっと宙ぶらりんで

過ごしてきたが、もうこれは数にこだわった方がいい感じが

してきた。というわけで300。

金田正一投手には及ばないけれど、何となく気持ちが分かる。


昨日はロンドンから2時間かけてBath(バース)という街に行った。

古代の温泉地として有名な観光地だが、ここの小さな王立劇場で

『Dido & Aeneas』の舞台版を観ることができた。


これまでコンサート形式ばかりだったから、他で観た時より

歌手や演奏に弱いところもあったが新鮮だった。

ドラマに寄せきったストレートプレイのような上演。

最後の方にドキリとさせられる、それでいて理にかなった

良い演出があった。


今月中に250に迫ることができればイケる気がする。

バカバカしいと知りながら、けれども、後悔の無いようにしたい。

10/26(水)ディヴィットさんの引退

2022年10月26日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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昨日、デイヴィットさんが引退した。
今年、イギリスにいるきっかけをつくってくれた一人だった。


私は、自分が長期にわたり外国で暮らすことになると予想していなかった。

きっかけは2つ。
ここ5年間、一緒に働かせてもらっているKAATの眞野館長に
絶対に行くよう勧められたこと。Albanyという劇場を知ったこと。

5年前、さいたまゴールド祭初回に合わせて来日した何人かの中に
Albany代表のギャビン・バロウさん、Entelechy Arts代表の
ディヴィット・スレイターさんがいた。 

二人は盟友である。
ギャビンさんは劇場そのものを運営している。
Albanyは催しも手がけるが、もっとも重要な役割は場を提供することだ。
いくつもの提携団体が長屋の住人のようにこの劇場に事務所を持っている。
各団体の事業が合わさって、Albanyの力になる。

Entelechy Artsは提携団体の代表格だ。
ディヴィットさんが創立したこの法人は四半世紀に渡り、
高齢者・障害者・地域の人々を意識した創作と実験を続けてきた。

二人の存在と活動を知った私は、
外国への苦手意識を忘れ、初めて行きたい劇場が見つかった。

外国にはもちろん、ユニークで優れた舞台がたくさんある。
観たり聴いたりすることで大きな影響も受ける。
けれど、単に鑑賞するだけでなく、主体的に関わりたいと思うには
もう一つ何かが必要だった。そして、二人の話にはそれがあった。

Albanyを中心とした活動の面白さはいつも書いてきたから
ここで繰り返さない。大切なのは、昨日、ディヴィットさんが
引退したこと。実にさりげない引退だった。

"Moving Day"の座組みのみんな、15人ほどで記録映像を見た。
その後、ディヴィットさんは少しスピーチをして、
仕事にひと段落をつけた。

考えてみたら、自分が参加してからの半年強、
ディヴィットさんはずっと自身の気配を消していきながら、
後進に法人の活動を託すことを考えてきたのではないだろうか。
一貫してそういう振る舞いだった。

Entelechy Artsの手がける企画は、
すでにマディとジュリーという二人の若手(正確な年齢は訊けない!)
を中心に回ってきた。ディヴィットさんは最後の仕事として、
それぞれの営みを自然に継続させることを狙ってきたように思う

普段と変わらない、ちっとも特別なことのない午後の活動
だったけれど、やはり終わった後は、次々に立ち上がって喋る
シニアたちの涙が、彼の帰りを引き止める格好になった。

自分も、ディヴィットさんの意図に反すると知りながら、
日本の関係者からのメッセージや、花束を渡さずにはいられなかった。
今まで見たことのなかったタイプの、信念に溢れた引退だった。

ディヴィットさんによって、時代は終わらずに続いていく。

10/25(火)ドカ雨をかいくぐり・・・

2022年10月25日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑Mass Danceのカーテンコールを側面から撮影

収穫の多い週末だった。

最大の催しはMass Dance。
ロンドンにしては珍しい嵐、ドカ雨だったが、
開催時間だけはピンポイントで雨が止み、ミミを中心とした奮闘が実った。
入れ替わり立ち替わりのダンスは合わせて1時間強の作品になっており、
"総力戦"という言葉がぴったりだった。

1日目は大イベントとして一緒に盛り上がり、
2日目は作品としての味わうことが出来た。
ドローンを含む5台のカメラで撮影された映像が完品となり、
将来に活かされていくと思う。

特に日曜は嵐がひどくて、
国鉄の線路上に倒れた大木が交通マヒを起こすような
コンディションだったけれど、よくやれたものだと思う。

日本の仕事、カプカプ光ヶ丘×新井英夫 講座の応募締め切りを
土曜に迎え、たくさん手を挙げてくださった中から、話し合いを
重ねて12人を選び出した。すぐに連絡がいく。

申し訳ないことに選びきれなかった方にも、
事業を継続していずれ直接に会えたらと思う。
もう来年度の準備が始まっている。

他には、唐ゼミ☆本読みをしたり、『オオカミだ!』会議をしたり。
細かい時間を積み上げて『下町ホフマン』にも取り組んでいる。
どう考えてもあと3週間はかかりきりになる分量だ。

見聞きしに行ったものも良くて、
イギリスに来て初めてミュージカルに行き、これが当たりだった。
家から5分のところにあるグリニッジ劇場で見た。
ここは小さな劇場で、週末だけの短い公演が多いけれど、
今月だけはオリジナル・ミュージカルを3週間ぶっ通しでやっていた。
これは何かあるな、と睨んで千秋楽の1日前に行った。

やはり心のこもった、規模は小さいけれど上質の仕事だった。
セットもシンプルにして洗練されている。
何より、主演のKatie Elin-Saltという女優がすごかった。

悪く言えば、劇場業界的にグリニッジは場末だ。
だからこそ、この場末をしてこれだけの実力者がいるのが
イギリスなのだと痛感した。
そういう凄みをせいぜい150人ほどで、間近で観られて幸せだった。

その影響で、今や後回しにしてきたミュージカルに前向きである。
近く『ファントム〜』を観に行こう、そう思っている。

ミュージカル『ARE YOU AS NERVOUS AS I AM?』のカーテンコール
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10/21(木)野外テントが建った

2022年10月21日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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週末のMass Danceに向け、昨日から本番会場での練習が開始された。
Sedgehill Academyという高校のサッカー場。
ここに設置された大きなテント。これが会場だ。

といっても、全面に屋根がつくわけではない。
屋根がついている部分は全部ステージで、
だから巨大な開口部になっている。

もともと、これはみんなで踊るイベントなのだ。
観に来る人たちは友達や家族が中心。
予約が必要で、手数料に300円くらいかかるけれど、基本的に入場料は
タダなので、観る人は芝生部分で思い思いに座ったり立ったりしながら
観てくれれば良い、というコンセプトだ。

我がルイシャムはロンドンにある区の中でもアフリカ・カリブ・中東
・アジア系移民が特に多い地域だ。
だから、クラブミュージックからジャズ、コンテンポラリーだけでなく
国籍を超えた数多くの舞踊を展開する。
というように、200人を超える踊り手が主役のイベント。

今週のロンドンはずっと雨がちで、夜になると冷え込むけれど、
とにかくあと数日なので力押しに練習している。
お客さんのために、本番だけはなんとか晴れてほしい。

・・・と、これを書いていたら、リズ・トラス首相が辞任した。
たった1ヶ月半の短命政権だった。

滑り出しから評判が悪かった。
英国の政界事情がよく分からないので、強気そうな彼女に対する
女性差別、男性のやっかみかとも思っていた。が、違ったらしい。

今月初め、ダイアンに「新首相は来年くらいに交替?」
と質問したところ「3週間後!」という答えが返ってきた。
冗談かと思っていたが、本当だったらしい。

私としては、円安が際限なく進んでいるから、
こちらの人たちには悪いが、もうちょっと長く地位にとどまり、
ポンドをさらに下げてくれると助かったのだが・・・

10/20(木)週末はマス・ダンスもある

2022年10月20日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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↑これが200人以上で踊り狂うMass Danceイベントのチラシ。
多様性をテーマにしたMimiの自信作だ。
AlbanyのチラシはA5サイズが基本でやたら分厚い紙が使用されている


昨日は水曜日だったが、変則で劇団本読みを行った。
劇団員+座友(古い言い方だけれど、良い表現!)の本読み、
唐十郎ファン用の本読みWSも、同じ『ベンガルの虎』を当たるように
なった。自分だけ何度も何度も同じ箇所を読むので、各所での説明も
話芸の完成度が上がってくる。まるで落語家。

今週末は立て込んでいる。
昨日に書いた『オオカミだ!』会議があるし、
その後はルイシャム南部にある高校に殺到してマス・ダンスの本番が
二日間連続。日曜日の朝には本読みWSがあり、夜には聴き逃せない
コンサートもある。こうなると、日本にいた時のように車があれば!
そう思わずにいられない。車が欲しい。

車が欲しい、といえば11月の遠出。
この計画を練るのにひどく頭を使っている。
たかが遊びじゃないか。てめえが勝手でやってるんじゃねえか。
と言えばそれまでだが、イギリス南西部がこんなに広大で、
しかもバスや電車の本数がこんなに少ないとは。
まるでサスペンスの犯人のような細密な予定を組まされている。

ティンタンジェル城、ミナック劇場、
プリマスで行われるピーターのアンサンブルのコンサート。
行きたいのはこの3つだけなのに、完全に3日間とられる。

久しぶりに夜行バスに乗ることになりそうだ。
最後に乗ったのは、確か野外演劇『青頭巾』で東北ツアーを
組むため、山形に行った時ではないかと思う。
あの時は、早朝に駅に降り立ち、3キロ歩いて朝6時から
やっている温泉に入った。

当然、イギリス南西部のコーンウォールに温泉はない。
いかにも寒そうなイメージだが、気温はどれくらいだろうか。
なんとなしに常に強風が吹きそうなイメージでもある。

とにかく見るべきものを見て、風邪をひかずに帰ってくる。
これが目標だ。最近は陽も短いし、今月末でサマータイムも終わるのだ。
本来は夏に行くべきところを、後手に回ってこの時期になった。
人気スポットであるにも関わらず、チケットを取りやすいのが
唯一の慰めだ。移動7時間で見るのは2〜3時間。
どこもそんな感じだ。

さらに、今年はもう何度目になるか分からないストライキの噂を聞く。
ああ、車があれば・・・。

10/19(水)週末は『オオカミだ!』会議

2022年10月19日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
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Albanyでのシニア企画には、ファッション部門もある。
クリーターのAlisa(右)の指導のもと、思い思いに装飾するのだ。
せっかくなので上の写真を撮ってもらった。


今週は土曜日に『オオカミだ!』会議がある。
気づけば公演まで4ヶ月を切っている。だから追い込まなければ。
さまざまな活動に参加しながらこの事ばかり考えている。

昨日もAlbanyでシニアの活動があったが、
会場であるカフェを普通に利用する家族連れがいた。
4歳と2歳くらいの子どもが駆け回っているのを見ると、
彼らにウケたいと心底思う。

実際の上演を考えてこれまで溜めてきたアイディアを
修練させていくのがこの時期の仕事だ。
が、同時に、ここまで敷いてきた絨毯をひっくり返すようなネタが
ないかと思う。そういう疑いの中で生活している。

そんなことを考えながら、自然に体は動く。
Albanyでシニアの皆さんに関わっていると、あと2ヶ月だという
思いがもたげる。民族や国籍、押し寄せる波のような
インパクトがこのメンバーにはある。

生き方はさまざまだと自然に教えられてきた。
ロンドンには、以前は全く想定できなかった人生がゴロゴロあって
些細なことが気にならなくなる。世界的都市だから忙しないところもある。
けれど、全体に大らかな感じがする。
そういえば、自分が差別を受けたことは無い。

昨晩、ふと『シャーロック・ホームズの冒険』をパラパラ読んでみた。
ホームズは中学校の頃よく読んで、イギリス行きが決まってから
英語の先生に課された課題図書のひとつだった。
簡単な英語にしたやつ。

今回は椎野に送ってもらった翻訳を作業の合間に読んだのだけど、
印象が以前とまるで違う。地名の多くを具体的に想像できるように
なっている。これは愉しい。唐さんの台本が東京に根付いているように
ロンドンと近郊にの地名が溢れている。
100年前の話だけれど、地震の無い国だし、街並みは古い。
想像するに難しくない。

11月の遠出の予定も組んでいる。
Plymouth(プリマス)や、さら先のPenzance(ペンザンス)を目指す。
ほとんどを移動時間に費やすことになるだろうど、見ておかなければ
ならない場所がある。果たして、取りこぼさずに行けるだろうか。