9/29(火)台風の記憶④〜2012年6月『木馬の鼻』浅草花やしき

2020年9月29日 Posted in 中野note
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↑これらの装飾は台風を凌いだ後に取り付けました。

唐ゼミ☆のために初めて唐さんが書き下ろしてくださった演目
『木馬の鼻』は、結果的にいつも嵐を呼ぶ芝居となりました。

考えてみれば、
今回レポートする浅草公演前夜、
同じ年の9月に行なった神奈川公演最終日、
2014年の決定版上演の最後を飾る大阪公演千秋楽と、
かなりの高確率で台風とぶち当たることになったのです。

それ以前に、忘れもしない2012年5月26日。
唐さんが大怪我をされたことは私たちに大きなショックを与えていました。
せっかくの書き下ろし公演の本丸、東京初日を目前に
それは起こってしまったのです。

唐さんには、4月に横浜国大で行なったプレ公演に
立ち会って頂いてはいたものの、まだ上手くいっていない箇所があり、
ご自身にとっても私たちにとっても、
決して満足のできる出来ではありませんでした。

これだ!と言う完成度に仕上げて浅草での初日に漕ぎ着けよう。
唐さんによろこんでもらおう。上演に関わる誰もがそう思っていました。

それなのに、唐さんが大怪我をされた。
かなり呆然としましたが、同時に、
作品に込められた意志を細大漏らさず伝えようという使命感を持って、
私たちは浅草入りしました。

台風が来たのは現場入り直後。
6月下旬というかつてない早期に訪れた4号「グチョル」は、
19日に愛知県東部に上陸して東海道沿いを東進、
深夜に東京にやってきました。

この時は、齋藤と二人でテント番をしていたのですが、
花やしき裏のビルを抜けて来る暴風がヒューッという音を立てると、
それから約3秒後に決まって青テントの天井が浮き上がり、
鉄骨部分にバンッと叩きつけられたことをよく覚えています。

それが何度も何度も続きました。雨はそう強くなかったけれど、
照明機材が揺れてどうにも心許ない。
最後には、機材が降ってくることも考えられたので、
尽くせる手は全て尽くした齋藤と危険を回避するためにテント外に出て、
しばらく天井のバウンドする青テントを眺めていた記憶があります。

その時の私は、何だかくたびれていて寝てばかりで、
台風対策の役にはまったく立たなかった、
危機な日にこの人を残してはいけないと確信したと、
齋藤はいまだに恨み節。

『木馬の鼻』と台風が相まみえた、これが最初でした。

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