2023年1月27日 Posted in
2022イギリス戦記
↑これ! 送られてきたレシートのテンプレート!
やはり起こってしまった。
ロンドンは相変わらずのロンドンである。
どういうことかというと、去年11ヶ月間、イギリス滞在の間に使っていた
ケータイのキャリア、Vodafoneからしれっとメールが届いたのである。
曰く、1/26に35ポンドを引き落としました。
要するにレシートを送りつけてきたのだ。
・・・これをずっと警戒してきた。
どうせこうなるような気がしていたので、念入りに店を訪ね、
本当に大丈夫だろうねえ?と念押ししてから帰国した。
なのに、である。
ロンドンでのケータイ契約はまことに簡単で、
お店に行ってSIMカードを買うだけで番号がもらえる。
1ヶ月の通話時間とか、受信できるデータ量とかは会社と料金によるが
日本のような煩わしさが全くない。
止めない限り、1ヶ月ごとに勝手に更新される。
契約した時、
解約するときはどうすれば良いのか?と質問した私に、
店員は、SIMカードを抜けば勝手に契約関係は解消される、と答えた。
・・・何か信用できなかったので、
帰国前にお店に行き、12/31で契約解消してもらって結構だと伝えたら、
店員はカタカタとパソコンを打ち、「これでもう大丈夫。安心して良いですよ。
イギリスにいる間、使ってくれてありがとう」などと着実かつ口当たりの良いことを
言って送り出された。
なのに、である。
やはりレシートは知らん顔で届き、このままだと永遠に月額35ポンドを
巻き上げる気らしい。これがイギリスだ。腹立たしいし油断ならない。
早速にブチギレたメールを返信したら、どうやら送信専用のアドレスらしく
弾き返された。ウェブからの侵入を試みるも、連絡先は極めて分かりにくい。
ログインしないといけないらしいが、そのログイン情報は
英国で使っていた番号に紐付きのショートメールに送られてくるのだ。
つまり、今の自分ではそのログインができない。
しかし、こんなこともあろうかと、私には家の近くに住んでいた
日本語の通じる友だちがいる。いざとなれば彼女に店に行ってもらおうと思うが、
ほんとうにナメた話だ。
できるだけ早期にケリをつけてやる!
そんなことを考えながら鼻息荒く一日を過ごしていたら、ミミから電話があった。
生真面目で優しい友人だ。それにどうやら、自分は英語をさほど忘れてはいない
ようで、安心した。イギリスやロンドン全体を否定するのは止めるけれども、
やっぱりVodafoneは許せん!!!
2023年1月14日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ここ数日で読んで面白かった本。本文と関係なし
ロンドンから荷物が届いた。
ダンボールにぎっちり詰め込んだものが二箱。
12/23に送ったものが案外と早く着いて、私が不在の間に重い重いそれを
係の人が階段をのぼって届けてくれた。
さっそく荷をほどきをして、
上の方に入れた衣類を出し、全体のいくらかをクリーニングに出した。
夏の間にずっと着ていて汚れたジャケットなどがリフレッシュしてくれるのは
嬉しい。戦争の影響で日本から荷物を送ることができないと知った時は
途方に暮れたけれど、なんとかTK-MAXXXXという安く衣類を売る店で
揃えることができた。それらを着て歩きまくった日々は確かにあったのだと
思い出させてくれた。
CDも大量に出てきた。
容積と重さを軽減するため、一度ケースを外してやっと収納したが、
日本に着くなり注文しておいた大量買いのプラケースに復帰させることが
できた。ピーター・フィッシャーを筆頭に、サラ・コノリー、
ハリー・クリストファーズ、ジャッキー・ダンクワースなどが
サインやメッセージを書いてくれたもの。
お墓に持って行ったレジネルド・グッドオールのものもあって、
ここ数日はほんとうにロンドン生活があったのかどうか
半信半疑の感覚が強まっていたけれど、一気にそれぞれの時を思い出した。
また、昨年夏以来、ずっと奥歯の痛みが気になってきた。
必ずや虫歯に違いないと思ってきたが、実際に歯医者に行ってみて、
それらが決して虫歯ではないとわかった。
なんだかんだと英国生活は緊張の連続だったから、
朝起きると奥歯を噛み締めて寝ていたこともしばしばだった。
・・・という具合に、わずかに残った作業も一つ一つ味わっている。
そうだ! 文化庁に提出するはずのレポートも残っている。
これも日本での仕事が軌道に乗る前に倒してしまわなければ。
2022年12月31日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ヒースロー空港にて。
荷物の重量オーバーや日本独自のコロナ対応への申請作業など、
不安も多かったが、無事にチェックインを済ませることができた。
今から飛行機に乗り帰国する。
1/31以来つづけてきた「2022イギリス戦記」もこれでおしまい。
読んでくれた皆さん、どうもありがとうございました。
2022年12月30日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑『オオカミだ!』仮チラシも完成。すでに走っている!
ロンドン生活も大詰め、名残惜しさに美術館と演奏会場を回った。
家での梱包作業や掃除や、私が帰国した後にダイアンが
不自由しないよう買い物をして回らなければならないので、
11か月の中で気に入ってきたものを、短時間で。
一軒目はナショナルギャラリー。
ダヴィンチもゴッホもヤン・ファン・エイクもタダで観られるこの場所で
自分が一番気に入ったのはレンブラントのこの絵だった。
作者自身、画題に興味があるというより、明らかに自分の得意技を発揮できる
一コマを日常から切り取った感じがして、気に入った。
これで、4度目。
二軒目はザ・ウォーレス・コレクション。
ここも入場無料。お金持ちによる私設の美術館だがタダ。
一番有名な絵画はフラゴナールの『ぶらんこ』だが、
正直に言って初めて生を観た時から全く感銘しない。
フラゴナールが描く人物の目はどれも瞳孔が開ききっており、
なんだか頭が悪そう。キューピーのお人形と至近距離で
向かい合っているような感覚。
何を考えているかさっぱりわからない目をしている。
私がここで気に入ったのは鎧兜のコレクション。
昔、子供の頃にガンダムシリーズに「騎士ガンダム」というのがあって、
西洋の甲冑に憧れた。が、実際に観てみると、とにかく戦いの中で
自分の体が傷つかないよう必死過ぎる。
あらゆる隙間を塞ぎにかかった結果、それはとても重そうで、
兜など、ほとんど視界を覆ってしまっているから逆に危ないのではないか。
もっとも、こんな装備を身につけるような人物は、後方で指揮を取るのみで
乱戦の場には立つことがないような気もする。
最後に通い慣れたウィグモアホール。
ここは高級そうでいてけっこう親しみやすい。
目当ての演奏家がくる時はもちろん、特に観聴きしたいものが無い時こそ
ここに来て音楽を聴いた。そうして聴いた知らない音楽家の中に、
ずいぶんユニークな人たちがいることを知ることができた。
昨日もホールに寄ることが目的だったから、知らない演奏家だった。
グリーグに『ホルベルク組曲』というのがあり、あれのピアノ版があるのを
初めて知った。ルズヴィ・ホルベアという17世紀後半から18世紀前半を
生きたノルウェーの劇作家を題材にした曲だ。
「北欧のモリエール」というのがホルベアのあだ名だった。
彼は喜劇の作家だったのだ。
音楽は颯爽として、ホルベアの疾走感が伝わってくる。
思わず胸がすき、開放的な気分になった。
イギリスの美術館は写真撮影OKだし、コンサートホールではグラスを客席に
持ち込んで飲みながら演奏を聴いて良い。そういう習慣ともお別れの日だった。
日本に帰ればそれらは禁止事項だし、またマスクを付けての生活が始まる。
けれども、やっぱり日本での仕事と生活のためにこの11ヶ月間を
過ごして来たから、試してみたいことがたくさんある。
勝手知ったる日本に帰れる。そういう開放感が強い。
やっと自分の持ち場に戻る!
2022年12月29日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この景色はブレイクの過ごした220年前も同じだったのではないか。
昨日はFelpham(フェルパム)に行った。
ロンドンから南に2時間ほどのところにある海岸沿いの街だ。
真南に行くと有名なブライトンがある。
海沿いに西に行くと日本人が名前だけ知っているポーツマスがある。
フェルパムはその間にあるマイナーな街。
ここは詩人ウィリアム・ブレイクの関連地で行き残した最後の場所だった。
ずっと気にかかっていたが、遠出でもあるし、特段イベントもなく
いつでも行けるものだから後回しになり、ついに帰国の日が迫ってしまった。
それで、早起きして行くことにした。
生きている間は不本意な仕事しかできなかったブレイクは
生粋のロンドンっ子で、70年の生涯のほとんどをロンドンで過ごした。
けれども、あまりの困窮に3年だけロンドンを離れる。
そこで移り住んだのがフェルパムだった。
明らかな都落ちだから、きっと寒村だろうと想像していた。
けれども、実際に訪れたフェルパムは観光地で、店も多かった。
ブレイクが暮らしたのは1800-1803年だから一概に同じとは言えないが、
暖かで風光明媚なことに変わりはなかったと思う。
昨日は寒いし、雨だし、強風だったけれど、
ここが冬でなければとても過ごしやすい土地であることはすぐに分かった。
ブレイクが暮らしたコテージは博物館として保存されている。
残念ながら修繕が間に合わずに中に入ることはできなかったが、
外から眺めることができた。この場所で彼は中年の三年間を過ごしたのだ。
今までは、何か寂しげな三年を想像していたが、実際に来てみると
英気を養うような期間だったのではないか。そう思えてきた。
そのコテージの目と鼻の先にあるパブ、The Fox Innで食事した。
創業は1790年だからブレイクが越してくる10年前からここにあったわけだ。
このパブでブレイクは反動的な演説を打ち、逮捕されたという。
さらに3分ほどのところにある聖マリー教会。
誰もいない建物の周囲をウロウロしながら、たまたまやって来た男性に
声をかけると、電気を点けて中を案内してくれた上、ブレイクを記念した
ステンドグラスの場所を教えてくれた。ちゃんと隅の方にキャプションがある。
一番の収穫はビーチだった。
行きしな、小雨・強風の荒々しい海辺づたいに歩いて縁の地一帯に辿り着いた。
風が強過ぎて傘がさせない。体を前に傾けないと進めないような風。
あまりに強過ぎて、すれ違う人たみなと笑いながら挨拶を交わし合った。
ふとみると、カモメが何匹も飛び立とうとしていた。
海の方に向かって風に乗ろうとする。けれど、誰も彼もが押し戻されて
着地を余儀なくされていた。けれども、飽きることなく、もう一回、もう一回。
海辺とカモメのこと。
この景色はブレイクの頃と変わらずにあるものだろう。
これを見て、彼は励まされたかも知れないと思った。
そうしてロンドンに戻ったのかも知れない。
1803年から20年数年間、ブレイクはロンドンで足掻いた後に亡くなる。
移動時間合計5時間。滞在時間2時間半という小旅行だった。
強風すぎて傘もさせず濡れたから、帰国前に風邪をひかないようにしなければ。
2022年12月28日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

渡英した時、トランク一個。リュック一個。書類かばん一個で出発した。
書類かばんはわざわざ買った。なぜかというと、ロンドンではリュックを
してはいけないと聞いたから。治安の悪いロンドンでは、
背負ったリュックですら気付かぬうちに背後からの盗みに遭う。
そういう触れ込みだった。書類かばんは肩からかけると体の前にくる。
が、ここで暮らすうちに、リュックは大丈夫だとわかってきた。
都心ではいつも足早に歩いているか、催し物会場の中にいる。
あまりカフェにもパブにも行かない。それが良かったのだろう。
幸い、泥棒には遭わなかった。書類かばんを持って、
荷物が常に自分の前にくるようにしていたのは
ほんの半月ほどの間だけだった。
ともかくも、行きの時にはトランクの重さを量りさえしなかった。
春夏用の服は後で送って貰えばいいやと高を括り、
当座の衣類しか持って来なかったことも荷物を軽くした。
この計画は、渡英後に起こった戦争により挫かれることになった。
だから服を買った。それからCDを買い、少し本を買い、
何より書類が増えた。300以上観た公演に関する全ての付属資料、
当日パンフレットとかチラシとか、それらをいちいち保存してきたから、
とてつもなく重くなってしまった。
で、現在である。
先週、ダンボール二個を日本に送り出した。
24kgの荷物が二つ。制限25kgだからパンパンに詰め込んだ。
それから昨日はトランクを二つ作った。
23kg制限で二つ。
こちらでできた友だちに体重計を借りて、いちいち掴んで乗り、
自分の体重を引きながら量る。結果、一つは22.5kgで収まったが、
残る一つは8割入れたところで30kgに達した。
完璧な超過である。仕方ない。料金を払って凌ぐしかない。
それにしても、お金で全てが解決できるわけではなく、
オーバーも9kgまでが限界だそうだ。最後まで闘いは続く。
しかし、20kgくらいの荷物でやってきて、
帰りは100kgに到達してしまっているということだ。
生活は恐ろしい。帰国したのち、これらがどこに収納させるのかという
問題もある。闘いは続く。
2022年12月27日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑イギリスでは汁物にありつくのが難しかった。Deli-Xでよくこれを食べてきた
いよいよイギリスを離れる前に、何軒か店を回っている。
どれも格別に親切にしてくれたレストランと喫茶店。
まずは、イタリアンのマルチェラ。
イギリス人にはアルデンテという概念がなく、
大概のスパゲッティを食べると猛烈に後悔する。
実際、イギリスのサイゼリヤのような店でカルボナーラを頼み、
水っぽくてブヨブヨしたものを食べた時はずいぶんと
落ち込んだ。ひたすら胡椒をかけてごまかす。しかも2,000円強。
が、このマルチェラは違う。
研修先の劇場のすぐそばにあり、決して安くはないが、
クオリティが抜きん出ていた。渡英直後に初めてまともな食事をしたのが
ここだった。それから、ちょっと贅沢したいときに行き、
知り合いを招いての食事に使ってきた。最後にシェフたちに挨拶した。
それからDeli-X。
ヴァイオリニストの友人ピーター・フィッシャーとの溜まり場だが、
コメダ珈琲的に居心地が良いので、一人でよくパソコン仕事をした。
電源を繋ぐことができたからだ。夏の暑い盛りは、ここでミネストローネを
食べて凌いできた。通常は2枚のパンがいつも3枚付いてきたのは、
オーナーのダニエルさんの心づくしだった。
あとは、自炊。
イギリスでは一度も料理をしたことがなかったが、
12/25クリスマスはどの店も閉まり交通機関も停止したために、
前日に材料を買っておいて初めて料理した。最初で最後の料理。
今週は最終週だから、フィッシュ&チップスやパイ&マッシュも食べるつもりだ。
特に後者の店で食べられるウナギの煮凝り、ジェリード・イールには相当に
はまってきた。イギリス人のほとんどが忌避するそれを私は気に入ってきた。
和食屋の付き出しに出てくる魚の煮凝りのような感じで、美味いと思うのだが。
2022年12月26日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野WS『ベンガルの虎』
↑スタンダードなベンガルトラ
第11回=最終回の『ベンガルの虎』本読みでした。
同時に、これは2022年最後のWSであり、
私がロンドンからお送りするラストの開催でもありました。
前回、月光仮面を名乗ってイキった銀次が巨大ハンコで
グリグリされかかり、追い詰められたところまでやりました。
このグリグリに対し、猛然とカンナが助けに入ります。
が、『薔薇族』というゲイ雑誌のエディターに扮した中年男=二幕の
予想屋・将軍が乱入し、敵方はますます強大になるばかり。
ここからは、70年代の唐作品ではお馴染み決闘シーンに入ります。
今回はフェンシング。基本的に終盤に決闘があるのは
唐さんが大好きなマカロニ・ウェスタンの影響ですが、
フェンシングといえばハムレット。
きっとこの世界的台本もヒントになっています。
しかも、唐さんの方が遥かにコミカルです。
さっさと追い込まれた銀次に変わりカンナが名乗りを上げて
俗物隊長と死闘を演じますが、胸元を切られたカンナが乳房を
閃かせながら立ち回りし、ゲイ設定のエディターがいたたまれずに
目を背けるところなどは、なかなかのふざけっぷりです。
ことに、町内会長たる俗物が町会メンバーから癒着感たっぷりの
声援を受けた際、カンナが俗物に放つ「だまれ、 旦那芸!」
という啖呵は、罵り言葉としてはなかなかの名ぜりふです。
そしてこの珍妙さと悪ふざけの入り混じった殺陣は、
カンナを庇いに入った水島をカンナが偶然に刺してしまうことで、
突然に収束します。
それから一旦、銀次と二人きりになるも、
今や、この世に生まれ落ちることができなかったことが明白となったカンナ、
白骨街道からこだまする死の虎の吠え声を背後にまとった彼女を、
銀次は支えることができません。
このシーン、カンナの「あたしは形が欲しいんだ。形のあるものが欲しいんだ」
というせりふも、彼女の境遇を思えば悲痛です。
水を汲みに行くと言って銀次は退場。
すると、再度、母のマサノがトドメのお迎えのように現れ、
カンナは生を渇望する死者として、リンの光すら周囲に浮かび上がらせます。
そして、いよいよカンナは行李に入る。その時、虎の吠え声も響きます。
つまり、死を司どる虎を行李になぞらえ、行李=虎に飲み込まれる
シーンが出来します。
すわ、勝負あったかというところで、銀次が再登場する。
彼は別の行李を掲げ、この自分流の行李にカンナを背負い、
生に向かう道を切り開いてみせると宣言する。
気弱な水島くんだった銀次が、いよいよ、一幕でカンナがけしかけていた
「ライオンと闘える男」に覚醒した瞬間です。
銀次の「行李に入っていろ、女っ。今度はぼくが旅をするんだ!」という
最後のせりふ、フェミニズム的には問題がありますが、劇の文脈を押さえると、
これがカンナにとって待望の、頼り甲斐のある男の宣言であることは明白です。
死の遠吠えにより迫るベンガルの虎に対峙する銀次、という構図で物語は集結。
まさに死中に活を求める銀次の旅が始まるところで物語が幕を閉じます。
『鬼滅の刃』、鬼となった禰豆子を背負う炭治郎と同じ構図ですね。
劇終盤、カンナは「虎」をめぐって銀次に2種類のオーダーをします。
(1)恐ろしい虎と闘ってほしい
(2)虎のようになって恐ろしい虎と闘ってほしい
ここで扱われる「虎」が正反対の意味だから読者やお客は混乱する。
でも、そんな風に正反対を矢継ぎ早に繰り出し、心地よい混乱を勢いを
竜巻のように生み出すのも、唐さんの才能です。
↓(1)恐ろしい虎を引っ張ってきて闘ってくれと頼む場合。「虎」は恐ろしい悪者
(2)カンナが銀次に、虎のように強くなって、恐ろしい虎と闘ってくれと頼む場合
↓この場合、「虎」は正義の味方です。
ちなみに、これはワークショップ本編では触れそびれたのですが・・・
最後まで読み切った上で、劇全体の冒頭のト書きに返ってみるとさらに愉しい。
ト書き冒頭の三行は一見すると『ビルマの竪琴』、白骨街道を示すもののように
見えて、実はカンナの渇望を暗示するものだったことがはっきり理解できます。
もう一度、冒頭を味わってください。それからカンナが登場することの意味。
白骨街道には日本人兵士の骨だけでなく、
それより以前に南洋に散った不幸な女たちの境遇、
生まれ落ちることができなかった小さな命の無念も含まれているのではないか。
実に唐さんらしい視点です。
唐さんの戦争批判を超えた根源的ないたわりの心と想像力。
弱いものへの慈しみを感じとることができます。
『ベンガルの虎』、傑作です。
次回は2023年1月8日(日)から。
19:30-21:30の時程で『秘密の花園 初演版』に入ります。
ご参加お待ちしています。
2022年12月23日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑いつもカフェで気さくに話してくれたギャビン。威圧感が微塵もない人た
昨日、12/22(木)に語学学校を卒業した。
当初は12/9(金)の卒業予定の10ヶ月コースだったが、
通い始めて2ヶ月目にはAlbanyの活動が軌道に乗り、
毎週火曜日を休まざるを得なくなった。
そこで、休む分を延長してくれたのだ。
そのようなわけで、初めの半年は週4で通っていたが、
8月に入ってからは地方遠征が増えてやや崩れた。
もう躍起になって各地を廻り、Albanyでのミーティングも増えたから
不良学生に転落していった。
極め付けは11月以降。帰国を控えて来年の企画が本格化するに従い、
英国時間の朝=日本の夕方にオンライン会議を組まざるを得なくなった。
しばらく不登校みたいになり、登校すると「久しぶり」と言われるように
なってしまった。
今週はすでにクリスマス休暇の学生も多くて、
閑散とした学校に最後の思い出として通った。
初期に自分のモチベーションをかなり高めてくれたエリザベス先生は
先週で年内の仕事がおしまいだったから、初めて食事に行った。
「スシが食べたい」と言われてグリニッジの良さげな店に行き、
ばらちらしの食べ方を伝授した。
刺身をつける醤油にわさびを溶くのは御法度だが、
ちらし寿司に限ってはそれで掻っ込む無作法こそ美徳となる。
『江戸前の旬』という週間漫画ゴラク掲載の有名なマンガにも
そういう教えを説いた回がある。そう伝えておいた。
帰りに本をプレゼントされて、帰国後の英語での読書を推奨された。
良い先生だったし、友人として付き合ってくれた。
そしてAlbany。
12/24(土)にキッズプログラムを観に行くのが私のAlbany納めだが、
昨日は最後の総括としてギャビンと話した。
スタッフの雇用形態とか、レジデントカンパニーとの関係性、
後継者問題から来年度の運営形態に至るまで、ここぞとばかりに
しつこい質問をした自分に丁寧に答えてくれた。
最後にWhatsAppを交換して、今後も連絡を取りやすくした。
貴重な時間をとってくれたのだから、
昨日のギャビンとの時間には多くの準備を費やして臨んだ。
質問事項をあらかじめ紙に書き出したり、今年に自分が観てきた
プログラムを整理した表を見せながら喋った。
Albanyのプログラムは72公演を観た。
レギュラーのキッズ・ファミリープログラム有り。
貸し館あり。もちろん2022年に注力したフェスティバルプロあり。
3月23日19:00には、2022年を総括するミーティングが行われる。
ミーティングと言っても、テレビ番組みたいな仕立てで面白い。
今年の3月に誰が誰ともわからず参加した時には、英語がまたまだ
難しくて難儀したけれど、全てを知り尽くした今度の会議は愉しめそうだ。
日本時間では、3/24 AM4:00からの開催。
久しぶりにみんなに会えるのだと思うと、喜んで起きるだろう。
折り詰めの寿司でも買っておいて、見せびらかしながら参加しよう。
2022年12月22日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑光るパペットとともに歩く4,000人強の人たち
昨夜はAlbanyのメンバー、ソフィー、メグらと連れ立って
Beckenham Place Parkに行った。
ルイシャム地区の南の方にある大きな公園だ。
発音が難しい。カタカナにするとベッケンハム・プレイス・パークとなる。
しかし、私にはどうしてもバッキンガムパレス・パークに聞こえてしまう。
打合せ初期、私はずっとバッキンガム宮殿の前の公園で
何か催しをやるのだと思い込んでいた。
同時に、一年間行ってきた地域のフェスティバルの終幕を
どうしてルイシャム外でやるのか?マークで頭がいっぱいだった。
が、チラシを見て得心した。
確かにルイシャム地区には似た発音の公園があったのだ
公園に着くととても暗かった。
こちらも日本での野外イベントの経験が多数あるが、
安全管理上、日本だったら明らかに問題がある暗さだった。
足元が見えないし、好き放題に走る子どもをすぐに見失ってしまいそうだ。
その中で、各所でリハーサルが進行していた。
合唱したり、楽器が演奏されたり。霧がかった広くて暗い公園のあちこちで
ポツリポツリと人々が動き、合唱したりしている光景は、
UFOを呼ぶ儀式のようだった。
スタート1時間前だから、まだ人の気配は薄い。
この公園でのメインコンテンツはサーカスである。
若手のフィジカルパフォーマンス系のサーカス団がテントを建て、
12月半ばから1月上旬まで興行を行う。
それを土台に、先ほど道すがら見てきたフィナーレが展開するという趣向。
まずはテントに入り、セレモニーに立ち会った。
今年一年間のフェスティバルを記念して、Albany代表のギャビンや
ルイシャムカウンシルの偉い人、代表的なクリエイターが次々と登壇し、
スピーチを行った。面白いのは、こういう場で、皆さんはポケットに手を
突っ込んで喋ったりする。これが普通なのだ。
ギャビンの紹介で、これまでやってきた数多くの、
ほんとうに数多くのイベントの映像がダイジェストされた。
その場にいた中で、自分は最も多くそれらに立ち会ったのではないか。
まるで走馬灯のようだった。それぞれの場にいた聴衆、スタッフ、クリエイターを
思い出して、各地各時間に繰り出された莫大なエネルギーの総量を思った。
ほんとうに途方もない。
イベントの中には数千人を集めて大いに熱狂したものもあった。
が、中には、荒削りなもの。チラシが完成したのはやっと10日前だったもの。
聴衆がさっぱり集まらなかったものも多数あった。
けれども、こちらのメンバーはそういったことを引きずることもなく、
とにかく乱打戦を制するように協力しあって前進してきた。
聴衆がほとんど関係者だけだった時も、限られたメンバーで
熱心に拍手して、胸を張って一つ一つのイベントを凌いだ。
ダイジェスト映像に見入っていると、
自分にはなぜか、そういう爆発しきれなかった光景の方が胸に迫った。
よく凌ぎ切ったスタッフたちへの敬意が込み上げてくる。
小一時間ほどそんな会があって外に出ると、驚いた。
その前まで閑散としていた公園に、4,000人超の聴衆が溢れていた。
自分はこの企画にはノータッチだったから、あまり内容も知らず、
本当に初見の一人として驚きながらこれに加わった。
最後のイベントは、こんな具合。
林の中から、光るパペットが生まれて、それは小学校一年の子どもの大きさくらい。
彼が別に光る球体を追いかけて、公園の歩道を進む。聴衆はその周りをゾロゾロと
ついて行く。途中、合唱や、ライトを振り回すダンスや、この地区の皆さんによる
パフォーマンスに遭遇し、コミュニケーションしていく。
ある地点までいくと、光るパペットは成長し、巨大な4メートルくらいの大きさになる。
彼は多くの人たちにハイタッチしながら、木を愛でたり、鼓笛隊と絡んだりしながら
公園中を闊歩し、やがて大きな教会の前まで来て皆に仕草で挨拶をした。
そして、その光を失い、建物の中に消えていった。
その前のテントでのセレモニーが終わった時、すでに気温は4度くらいだった。
初め、あまりに寒かったので、風邪を引かないかどうか心配だった。
このイベントは1時間くらいあると聞いていたから、かなりビビった。
けれども、始まってすぐに時が経つのを忘れた。
4,000人以上の人々を引き連れて霧深い闇の中を光る人形が先頭をゆく。
大行進だった。ルイシャムらしく、あらゆる人種の人たちがいた。
子どもも、赤ん坊も、お年寄りも、車イスの人も。犬もいた。
そういう人いきれが大移動していく光景に見惚れながら歩くうちに
あっという間に終わってしまった。寒さも感じない。
高揚して、風邪など引こうはずがない。
終着地点の教会の前で熱狂する人々を見て、
気がつくと代表のギャビンが立っていた。
普段から、こういう場所でギャビンはいつも傍観しているのみだ。
実際に手を動かしているのを見たことがない。
そして、けっこうな割合で一人ポツンと立っている。
ここに集まった人たちはそれぞれによく働き、よく楽しみ、
熱狂の中で自分を燃焼させていた。
けれども、ここにいる人たちの中で、
一番基礎になっている人物こそギャビンだった。
彼がAlbanyを背負ってからの20年以上がなければ、
このイベントも、聴衆の集まりも、すべてがないのだ。
感動して後ろから彼の写真を撮っていたら、
振り返って自分に気づいたギャビンがこちらを指さして笑った。
彼の姿を、自分は一生忘れないでいようと思う。
2022年12月20日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑小さな劇場、小さなカフェだけれど、いつも人の気が充満している
昨日はその最高潮だった
昨日は3月から参加してきたシニア向け企画
"Meet Me"のクリスマス・パーティーだった。
当初は近所のパブJOB CENTERで開催する予定だったが、
1週間前に店側からキャンセルの通達があり、
プロデューサーのソフィーはげんなりしていた。
そう。英国では店側から一旦受けた予約をキャンセルされることが
ままあるのだ。日本では考えられん。
気を取り直して、
結局はいつもの稽古場で手作り開催することにした。
Albanyにはカフェがある。
そこに調理場もあるので、カフェのスタッフたちが
ヨークシャー・プティングだとかチキンのソテー、
ベジタリアンには焼きナス、人参のグラッセ、
ブロッコリーなどの和え物、じゃがいもを焼いてくれた。
昨日の出席率は極めて高く、日ごろ休みがちなシニアも沢山来ていた。
初めは、カフェスペースで合唱する。いつもアート製作に
取り組んでいるシニアたちがメインの聴衆。
そこに、カフェを利用するお客さん、クリスマス用のキッズプログラムに
訪れていた家族連れのお客さんたちも聴く側として自然に加わる。
いくつものクリスマスソングを歌ううち、
劇場事務所からもスタッフがみんな顔を出し、合唱を応援し始めた。
要するに、劇場建物に居合わせた人たちみんなが集まり、
振り付け付きで大合唱する格好になった。
唐さんの出身である長屋の家族的雰囲気が溢れ、かなり感動的な
光景だった。
それからいつものリハーサルルームに移り、みんなで食事。
みんな帽子をかぶって、クラッカーを鳴らして、
職員もボランティアスタッフもみんなで食べた。
それから、クリスマス恒例のくじ引きがあった。
続いてシニア側の幹事からボランティアスタッフたちへの
表彰があり、その中には自分も対象として入っていた。
エンテレキーアーツのスタッフで、これから産休に入るジャスミン、
それから自分は特に手厚くしてもらった自分が、順番にスピーチした。
ジャズミンは短めだったけれど、
自分にとってこれが本当に最終最後の機会だから、
日本語で挨拶する時のように時間をとって喋らせてもらった。
これまでのことを思い起こしながら込み上げてくるものが多すぎて、
御礼を伝えるのに必死で時間が経つのを忘れた。
英語についてずっと自信無く過ごしてきて、
今も大して上達しなかったという感慨の方が強い。
けれど、10分くらい、自分が英語で喋っていることを忘れて
話せるようにはなった。
そのあとはお開きとなり、一人一人と別れを惜しみつつ、
人生の先輩たちに「アツシはワイフとチルドレンを大事にしろ」と
繰り返し繰り返し言われながら彼らを見送った。
自分が一番の基礎としてきた企画が完全に終わった。
あとは明日、CEOのギャビンと総括的な話をして研修は終わる。
その後に御礼のメッセージを方々に書いて仕込んだら、Albanyはおしまい。
やること多し。もうひと越えだ。
プロデューサーのソフィーと。見た目通り終始優しかった。↓

2022年12月20日 Posted in
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中野note

↑雪のために道をはみ出して歩くことが難しいのに・・・
最近、なぜか映画『八甲田山』が観たくて仕方ない。
YouTubeで細切れの映像を観るのだが、やはり全体が観たい。
別にロンドンに雪が降ったからではない。
ロンドンに雪が降ったのは1週間前だが、それより遥か前、
1ヶ月半くらい前からなぜか『八甲田山』が観たいのだ。
考えてみれば、これは、すぐ隣にある危機への
シンパシーではないかと思う。英国では、通い慣れたはずの
道ですらすぐに危機が訪れる。
ストライキは起こり、予告もなしに駅は閉鎖される。
先日など、都心めがけてバスに乗ったところ、
道が混みすぎているからと運転手は一言だけ放送を入れ、
途中で勝手に進路を変えた。そして、最寄りの降ろしやすい
バス停で全員を降ろしてしまった。
看板に偽りありにも程がある。
しかし、不思議だが誰も文句を言わない。
渋滞によりバスの到着が遅れて遅刻した経験はあるけれど、
バスが引き続きの運行を放棄しての遅刻とは。
果たしてこれはよくあることなのか。さっぱりわからない。
ところで、先日はまたしても郊外に出かけた。
例によってコンサートを聴くためなのだが、
途中の道にはかなり往生させられた。
こちらはナビが2時間半での到着を予想していたところを
ビビって4時間半前に家を出た。だから最寄り駅に着くのも早すぎて、
シャトルバスが迎えに来るまでに1時間半もある。
ナビを見れば30分ちょっと歩けば良いと出ていたものだから
勇んで歩き始めた。が、あっという間に民家はなくなり、
原野みたいな光景。本当にこんなところに劇場があるのかと
思いながらも、Googleナビに従って歩道のない道を前進した。
が、道半ばでNo footwayの表示。
そんなの今さら言われても困るから、ドキドキしながら小走りに前進し、
途中ビュンビュン走る車に邪険にされながらも何とか目的地に着いた。
電灯の無い道だった。
日没したあとだったら、車は私がいると気付かずに飛ばしただろう。
陽が残っていて良かった。
あと2週間で帰国したら、何か食べながら『八甲田山』を観たい。
2022年12月16日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ミミと一緒に聴き、終演後にSarah Connollyに挨拶に行った。
一ヶ月くらい前に発見して小躍りしたコンサートに行ってきた。
今回はお世話になってきたミミを連れて。
開場前にミミの好きなレストランに行ってご馳走になり、
こちらはチケットをプレゼントした。
Middle Temple Hallという都心にあるサロンでのコンサート。
クリスマス用の特別な会だったから、休憩時間にドリンクサービスもあり、
内容も変わっていた。
サラ・コノリーの歌だけでなく、ヴァイオリンの演奏、
ベケットやクリスマスの童話を面白おかしく語る朗読。
Temple Church付属の男声合唱、子どもたちが登場してプレゼントを
置いていく演出まであった。
初めはかなり権威的な感じがして面食らったけれど、
休憩時間を挟んで後半になると、お客さんも酔っ払って
座が砕けた感じになり、面白かった。
サラ・コノリーはいつも通り素晴らしく、
シューベルトも良かったけれど、初めて聴いたフーゴー・ヴォルフが
特に美しかった。そして、彼女は遊びでピアニストと連弾をし、
さらに弾き語りまで行った。
終演後に挨拶に行き、ピアニストとしても称えた。
私のイギリスでのボスです、とミミも紹介して楽しく話すことができた。
ホールのスタッフの一人、黒人のおじさんはかなり面白い人で、
初めて訪れた私たちを丁寧に案内してくれた。下の写真は、
「ここでシェイクスピアの『十二夜』が初めてレコーディングされた」
という記述に注目して撮影した。
ここでの上演が、映像として記録されたということか?
ちょっと分からないけれど、私のカバンにはAlbanyでお土産にもらった
『Twelfth Night』のカッコいい本がたまたま入っており、
三人で盛り上がって撮影。
ずっと一人でこんなこともしてきたと、ミミに伝えられて嬉しかった。
2022年12月15日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ こちらでの毎日が溢れている品々
昨日は水曜日だった。
The Albanyでは毎週水曜15:00にカフェで集まりがある。
別になんの強制力もない会。おやつとコーヒーが出るので、
オフィスにいる人、その時間に余裕がある人はカフェに集まっておしゃべりする。
今年のAlbanyはあまりに忙しかったから、これは今月の頭から始めた習慣。
昨日はミミと約束があり、特に時間前に余裕を持って行くようにして、
パソコン仕事をテーブルに座ってしていた。
すると、みんな集まってきて、いつもより盛んにコーヒーを勧める。
妙に熱心だから、進行中のメールづくりを中断して輪に加わった。
いつもはもっとフリーな雰囲気だけど、
不思議に思いながらコーヒーを注いでミルクを入れようとしたら、
自分のためにちょっとしたセレモニーと贈り物の時間が始まった。
来週、忘年会があると聞いていたから、その時がお別れで
その時に挨拶しようと思っていた。だから、これは不意打ちだった。
みんなの中には、今週末で仕事を終えてクリスマス休暇に入る人もいる。
だから、昨日になったのだ。
みんなの前で挨拶をして、Albanyの素晴らしさと感謝を伝えた。
ここは建物は小さいし、煌びやかな作品をいつもやっているわけではない。
けれど、日常を大切にしている。
今日も、周辺地域の人たちが望むことをやって、
多くのクリエーターたちが間借りした事務所で新たな展望を語りあって、
いつも活気のある食堂やパブのような劇場だ。
プレゼントを開いたら、
一年間のフェスティバルの中で体験してきた全ての事業のチラシ、
一緒にした作業の合間に食べて私が「美味い!」と気に入った現地のお菓子
(スーパーで売っているやつ)
私がいつも食べてみんなにもプレゼントしていたパン屋のパン、
自分が発見してみんなに教えた近所のカフェのキャンドル、
この作家が好きと話していた英国作家のビンテージ本などが入っていた。
こういう人たちなのだ。
彼らは、日ごろ自分とした会話をよく覚えていてくれて、
その証言を持ち寄って、今日のプレゼントを仕立ててくれたのだ。
ロンドン市から受託したフェスティバルのおかげで、
今年のAlbanyスタッフがイギリス人にあるまじき忙しさだった。
折に触れ、何人かに「もっと一緒に食事したり、出かけられなくてゴメンね」
と言われてきた。
その度に私は「気にしないで。おかげで、たくさんの催しを体験できるから」
と返事してきた。
プレゼントを見て、彼らが、自分との限られた時間、
なかなか上達しない英語でのコミュニケーションの中でも、
いつもこちらに興味を持って、注意を払ってくれていたのが伝わってきた。
英国は契約社会で競争も激しい。
何人かは契約を終えて劇場を去り、何人かは契約更新の是非を巡って
これから打ち合わせに入る。すでにステップアップを決めた人もいる。
けれど殺伐とせず、上記のような配慮を忘れない。
だからこそ、常に緊張感を持って自分の腕を磨いている。
システムや制度や肩書きや役割で振る舞うのではなくて、
人間の裁量を常に重視している。
これからの目標がはっきりと見えてきた。
なぜ自分が唐さんやテント演劇が好きで、
神奈川の仕事をするようになってからも、なぜ各地を走り回って、
シニアや障害者の人たちとの企画をつくってきたのか。
その中で何を押し通そうとしてきたのか。はっきりわかってきた。
2022年12月14日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑粘土細工しながらクリスマスソングを大声で歌うシニアたち
昨日は"Meet Me"というシニア用レギュラーWSの年内最終回だった。
いつも通り合唱をし、アート製作をし、ここ一ヶ月取り組んできた
特別プログラム"陶芸WS"も行った。
初めて参加した3月から半年以上が経ち、今では全員と顔見知りになった。
ボランティアスタッフの中には新たに加わる人もいて、こちらが道具の
しまい場所を教えてあげることもある。
シニアたちが休憩時間に飲むお茶について、
それぞれの好みを把握するまでになって、
みんなも打ち解けて話してくれるようになった。
何枚もクリスマスカードをもらって、こちらの習慣を実感した。
先週に都心の劇場で行ったイベントで年内一区切りという人もいるし、
二日前に降った雪の影響で欠席する人も多かったけれど、
いつも通り歌を歌った後に、皆さんにお礼を伝えた。
その後に先生の仕切りで、来年は何が歌いたいかという話し合いが持たれ
みんなが一曲一曲大合唱していくのが面白かった。
その中には、唐さんが『少女仮面』の中で使った『悲しき天使』もあった。
来週まで集まりはあるけれど、次回はパーティーだ。
お世話係のソフィーは、予約してあったはずのパブ「ジョブセンター」が
店側からパーティーをキャンセルしてきたことにゲンナリしていて
おかしかった。いかにもイギリスらしい。
来週は早めに集まって、パーティー会場になったいつもの稽古場を飾り付け、
料理をする必要がある。その時がほんとうに最後になりそうだ。
中には90代の人もいるから、今生の別れは必至。
数多くのアーティストにも会ったけれど、
ここで出会う近所の人々との交流こそめっぽう面白かった。
みんな自信に満ちていて強気だ。明らかに生命力が強い。
英語も、彼らによって鍛えてもらった。
2022年12月13日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この人に会って一緒に食事した
今回の11ヶ月間の研修中、先週末は明らかなハイライトだった。
前半の山場は7/28-30に行ったThree Choirs Festivalだと感じた。
今回は後半の山場。
場所はミルトン・ケインズ。
友人のピーター・フィッシャーが誘ってくれたので、
ロンドン郊外のこの新興都市にジャズのクリスマスコンサートを聴きに行った。
正直、初めは侮っていた。
地方都市の郊外にあるさほど大きくもない劇場。
自分はJazzに詳しくないので、出演メンバーが誰かもわからなかった。
行きの車の中でピーターに、「今日は何のコンサートなの?」と聴いたくらい。
彼は色々と教えてくれたけれど、知らない固有名詞が多くて
自分にはよくわからなかった。
が、始まってすぐに異変に気づいた。
聴衆は近所の人たちばかりなのだが、やたらと質が高い。
だから終わる頃には、ピーターにくっ付いて翌日もこの演奏会に
立ち会うべきだと思った。
その後、バンドのリーダーとメインの歌手に誘われて、
彼らの家で遅い夕食をご馳走になった。美術館のようなお家だ。
すると、かなり高齢の女性がその食事に加わった。
彼女の名前はCleo Laine。95歳。
メインの歌手はJacqui Dankworth。
バンマスはAlec Dankworth。
Cleoの子どもたちだった。
毎年クリスマスになると、彼らは自宅の隣にある小さな劇場で、
恒例のクリスマスコンサートを開いてきた。
始まったのは50年以上前。Cleoは旦那さんのJohnny Dankworthと一緒に
この催しを始め、現在は子どもや孫を中心に集まる仲間たちに
それが引き継がれている。それがこのコンサートだった。
夜中にロンドンに戻り、翌日は夕方までの時間に買い物をした。
CDを買って、それからジャパンセンターで良さそうな梅酒を買った。
二日目はなお自由度が増したコンサートだった。
終わってまた食事。
乾杯の時に差し入れた梅酒で「カンパイ!」と言ってくれた。
そこからまた、ピーターとロンドンに戻ったのが午前4時。
二日経つが、いまだに現実感がない。
あれは何だったんだろうか。
「来年は家族を連れてきなさい」と言われたけれど。
2022年12月 9日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

いつ日本に帰るのか?
そう訊かれることが増えてきたので、12月31日と答えている。
すると一様に、それじゃどこでハッピー・ニューイヤーか
分からないね、と言って笑う。
12月20日(火)と21日(水)に大きなパーティーがあるから、
大半の人たちとはそこでお別れになる。
と、思っていたら、一昨日は先制パンチを喰らった。
ずっとAlbanyのチケット売り場や入場管理係として
お世話になってきたマチルダが、任期満了で退職することになった。
たった11ヶ月の滞在でさえ、これまでに何人も同じような人たちを
送り出してきた。これがイギリス流の働き方で、だいたいが一年契約。
契約者と息が合えばそれを更新するし、他に行ってもみければ
新たにチャレンジする。そうやって次々と職場を移っていくのだ。
だからこそ、今接している人たちへの敬意と
何もかも自分の腕次第という緊張感を持って働いている
感じがする。一方で、体を壊したらどうするんだろう?とか。
産休とか育休は?とか。なかなか厳しい社会でもある。
終身雇用の方が安心して安定した力を発揮できる。
人間にはそういう側面もあると思う。
イギリスで住んでいるダイアンの家にはプリンターが無いから、
自分はいつもマチルダに添付ファイルを送って印刷してもらった。
明らかに仕事に関係ない、旅行の予約や公演チケットなどを
オーダーすると、かえって丁寧に封筒に包んでプレゼントしてくれた。
イギリス人としては異例に細やかなマチルダ。
またしても突然に切り出されて面食らったメレど、
何度も御礼を言ってマチルダとお別れすることができた。
それから、夜は都心でのコンサートを聴いた後、
強行軍でAlbany近くのライブハウスにも行った。
渡英直後、衝撃を受けた音楽表現の一つが、
このMatchStick PieHouseで聴いたSteamdownというバンドだった。
ジャンルはFolkとJazzのフュージョン。
当時は特に日本でのコロナ対策感覚が残っていたから特にたまげた。
超過密なスタンディングで皆が上着を脱ぎ捨て、
熱気でサウナ状態になりながら、毎週水曜日の定例ライブで
深夜まで盛り上がってきたのだが、いきなり年内最後だと
言われたので、行かないわけにいかなかった。
24時近くになってやっとライブが終わると、
一気に解放された出入り口から強烈な冷気が入り込んで
気持ち良かったが、片付けをしているジョージに話しかけた。
みんな、アンクル・ジョージと呼んで慕っている彼は、
ライブハウスでのギグを斡旋するプロデューサーだ。
明らかにあまり儲かりそうにない業態なのだが、
それだけにいつもミュージシャンとへの愛情と熱意に溢れていて、
ある時などは、二つの会場で別々のライブを同時進行させて
本人は自転車で30分ほどの距離を行き来していた。
Folkに関心があると伝えると、いま期待できるのは彼ら!
とすぐにオススメを教えてくれて、見知らぬ土地にある会場で
ジョージと待ち合わせたのも面白かった。
別日にこのライブハウスで行われているFolk Sessionにも彼は参加し、
自らギターを片手に即興で風刺的な歌を歌って全員を爆笑させる。
この会はアマチュアの会だから、中にはそれほど上手くない人もいる。
そういう時にみんなの私語がいきすぎると、
「音楽家と歌にリスペクトを持とう」と言ってみんなを嗜め、
歌い手を励ますのも彼だった。
「アツシはファミリーはいるか?」と訊かれて家族構成を伝えると、
「オレは奥さんに離婚されちゃったよ」と言っていた。
イギリスで出会ってきた中で、最も温かみを感じる人の一人。
忘れえぬ人だ。

2022年12月 8日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑右から、司会でヴァイオリン奏者の女の子、リーダー、リーダーがハモる時の
パートナー、自分。そういえば、誰も名前を知らない!?
ああ、お別れの始まりだなと思った。
何をすれば良いか、何が観られるのかよくわからなかった初期の頃とは違い、
今ではロンドンのさまざまな催しをキャッチできるようになった。
だから、昨日も4択あった。
いつものウィグモアホールでバロック音楽を聴く。
ロンドンの南に小一時間行ったところの地方都市にルーマニアの楽団が来ている。
ヴァージニア・ウルフの『オーランドー』が都心の劇場でかかっている。
そしてAlbany近くのライブハウスで行われるフォークソングの集まり。
悩んだけれど、4番目を選択した。
2週にいっぺん、火曜日の夜に開催されるこの会に何度参加してきただろう。
春までは欠かさず、夏場になると遠出やAlbanyの催しが重なって少し遠のく。
秋になって戻ってきたら、集まる人がずいぶん増えて、歌を楽しむより
飲み会の雰囲気が強まった。
まだ12/21にもあると思ったけれど、ひょっとしたらと思って
いつものMatchStick PieHouseに行ったら、冒頭に「今日が年内最後です」
というアナウンスがあって、やっぱり来て良かったと思った。
大人数が集まって超密度、
ホットワインの香りが充満し、揮発したアルコールに頭がクラクラしたけれど
クリスマスソングを皆が思い思いに持ち寄ったステキな会だった。
上手い人、素朴に一心に歌って味わいがある人、
騒ぎ屋の若者、いかにも腕に覚えがあるというおじさん、
色々な人がいるけれど、時間が経つと酔っ払って、一人の歌に
歌と楽器で次々に相乗りしていくインプロが始まって、
期待していた通りの面白い会になった。
この中で自分は、いつもオーガナイザーの女性が歌うのを楽しみにしてきた。
4年前にこの会を始めたという彼女は、いつも少しだけ仕切って、
あとはみんなが歌うままに任せて、でも、流れが途切れると、
自分が静かに歌い始めた。彼女が歌うとみんな静かになって聞き耳を立てる。
それだけの突出した声質と歌唱力を持っている。
正直に言うと、日に一度か二度歌う彼女の歌のために、
自分は熱心に通ってきたようなものだ。
あとは、日本では決して得ることのできない全体の雰囲気。
最後に挨拶をして、写真を撮ってもらった。
例えイギリスに来たとしても、今後この会への参加は至難だろう。
ひとつひとつ行うお別れがついに始まってしまったと思わずにいられなかった。
↓この空気感はまさしくここだけのもの。
2022年12月 7日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この作業中に強烈に思い出してしまった。
ロンドンでの滞在も残り3週間ちょっとになった。
正直、今は日本に帰る日が待ち遠しい。
何しろ、この慢性的な肩こり、奥歯の痛み、夜の部屋の寒さが
一気に解決するのだ。そう思って、残りの期間は我慢して過ごす。
せっかくいるのだから、
劇場でこちらの人たちと可能な限り熱くやりとりし、
少しでも多くのものを観聴できるよう予定を入れている。
人間は無いものねだりである。
帰国後、数日も経てばまたロンドンに帰りたいと思うに違いないとも思う。
だから、できるだけ後悔しないように。
食べ物の高価なのにはいい加減にくたびれた。
旅先に行けば、もっぱらタイ、ベトナム、韓国、インド料理が希望となる。
暮らし慣れた近所では馴染みの安心できる店があるが、
初めての土地は暗中模索である。
高いお金を出してハズレに当たると侘しい気持ちになる上、
悔しさまでが込み上げてくる。だから、ハズレの少ない上記4カ国が
生命線なのだ。
カーディフでも、夕暮れ後の寒空の下を2kmちょっと歩いてタイ料理屋
に行った。グリーンカレーを注文して、やはり間違いがない。
Albany近辺ではもっぱらベトナム料理。
三軒も良店があるので強いて日本食が無くてもオレはぜんぜん大丈夫!
そう思っていた。
が、昨日、自分がそこそこ飢えていることに気づかされた。
ロンドンに戻り、Albanyでの陶芸ワークショップをやっていたところ、
粘土をテーブルに押し付けて棒状にのばす作業をしながら、
つい日本蕎麦のことを思い出してしまったのだ。
私が蕎麦を本気で食べたいときには秦野市に行く。
野外劇『実朝出帆』に挑みながら発見した名店の数々が
あの街にはたくさんある。店周辺の景色の美しさも含め
都会ではちょっと勝ち目の無いクオリティだ。
もちろん横浜市内、自宅の近所にだってよく行くお店がある。
ああ、今年は年越しそばが食べられないのだな、と思ったりして。
昨日のワークショップでは、ファシリテーターが提供する
匂いにインスパイアされて形を造形する内容だったから、
例えばシナモンの匂いをかいだりした。
すると何故か、これまで大して好きでもなかった八ツ橋が
思い出されるのである。自分でも不思議だが、
シナモンの匂いは自分にとって決してアップルパイなどでなく、
あの「おたべ」のことだったのだ。
あまり自覚してこなかったが、無意識にこたえているらしい。
先日、実家の姉からLINEが来た。
「日本に帰ってきたらみんなでステーキを食べに行こう!」
という明るい誘いだった。・・・大変ありがたい呼びかけだが、
なぜステーキなのか!?
姉だって、学生時代にイギリスとタスマニア島で暮らした。
彼女は同じように感じなかったのだろうか。
特に長く滞在したタスマニアでは、牡蠣をはじめとした魚介が格安で
豊富で、恵まれていたのかも知れない。
姉ながら、どこか日本離れした不思議な感覚を持っている人だ。
↓一個700円以上する赤いきつねを、果たして誰が買うのだろうか?
2022年12月 5日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑Srangwyn Hall
迎賓館のようなホールだった。公演だけでなくパーティーもやるらしい
日曜と月曜の二日間、ウェールズに行ってきた。
実は、英国が4つの国からなることを知ったのは数年前のことだ。
今回の研修を意識するようになるまで、自分にはイギリスと英国と
グレートブリテンとイングランドとUKの違いがよく分からなかった。
さすがに研修の試験を受ける時には多くの人から教わって知識が入り、
実際にロンドンに来てからその感覚が掴めるようになった。
これまでロンドンを拠点とし、イングランドの様々な地域に行った。
スコットランドは3回。ウェールズとアイルランドは一度も行ったこと無し。
だから、というわけではないけれど、ウェールズに行った。
先週にオックスフォードで観たウェールズ国立歌劇場。
本当は本拠地カーディフで観たかったけれど、
気づけば年内の地元開催予定が終了していたので、
ソフトとハードをバラバラにしてコンプリートした。
実際にその出来は今年観てきたオペラの中でもNo.1の面白さで、
もっと早めに追いかけ始めれば良かったと思う。
カーディフの劇場では、すでに慣れ親しんだThe Sixteenの合唱を聴いて
指揮のハリー・クリストファーズさんとロビーでお話することもできた。
それから月曜にはさらに先のスワンジーという街に行った。
この街にあるBrangwyn Hallという空間で、1981年にウェールズ国立歌劇場が
『トリスタンとイゾルデ』を録音した。これは私の特別なお気に入りで、
だから当地を訪ねてみたかったのだ。
事前の申し入れが効いて、
催し物が無いこの日に特別に入れてもらうことができた。
技術スタッフのキースさんという人が丁寧に案内してくれて、写真も撮ってくれた。
一番感激したのは、私がノートパソコンから当の音楽をかけていたところ、
音響システムにPCを繋げてくれたのだ。
キースさんの心配りには心の底から感激した↑
20世紀前半にこのホールをデザインした美術家の立派なカタログまで
お土産に持たせてくれた
指揮者レジネルド・グッドオールの伝記によれば、
1981年11月末に、この音楽はここで録音された。
大ボリュームでホールいっぱいに鳴り響く、音楽の里帰りだった。
現地に行って、なぜここが選ばれたのか事情がよく分かった。
カーディフから電車で1時間。すぐそばに海が広がるこの建物の駐車場は広い。
ホール自体も、時には結婚式などの催しに使われるものだから、
備え付けの客席ではなく、録音作業向きなのだ。
広い客席部分にテーブルや椅子を並べ、
100人を超す演奏家とキャストが録音に挑み、時にくつろいだのだと思う。
録音技師たちは、この平場にたくさんの機材をひろげたことだろう。
その中心には確かに80歳の小柄なグッドオールがいて、
采配を振るったに違いない。
すぐそばに海を臨むホール。
遥かこの海の向こうには、物語の舞台であるコーンウォールが広がっている。
2022年12月 2日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑寒空の下で屋外プロジェクション。スタッフが手分けして誘導
猫は9つの命を持ち、女は9匹の猫を飼っている。
前半は古代エジプトから伝わる言葉。
後半は17世紀イギリスの神学者トマス・フラーが付け足した。
・・・なかなかの名言だ。
猫の心はかくも気まぐれであり、
女性の心はさらに輪をかけて移ろいやすい。
昨日の晩、Catford=キャットフォードに行った。
アーケードの入り口に巨大な猫の像を持つこの街は
ルイシャム区の中心地であり、ここには市庁舎やタウンホールがある。
街の中心にある通りでパブリックプロジェクションが始まった。
初日をお祝いして、大きなパブでセレモニーも開かれた。
作品は、大気汚染を訴えるものだった。
人間の体内にいかに汚染された空気が入り込み、
時間をかけて堆積しながら人々を蝕んでいっているのかという映像。
ルイシャム・カウンシルのある庁舎から窓越しに映像を打ち込み、
向かいにある壁面に投射した。ここは南北と東西に進むバスが行き交う
交通の要所だから、両建物の間にはひっきりなしの車通り。
そのモクモクとした排気ガスを貫く仕掛けだった。
ロンドン市、ルイシャム区、Albanyの面々、
プロデューサー陣、アーティストたち。彼らを囲むロンドンのマスコミ。
日没後の気温は7度。1時間くらいスピーチやインタビュー、写真撮影が
行われた。
↓右側がパブ Ninth Life
その後、近くにあるパブ、その名も"Ninth Life"のパーティールームを
貸切にしてセレモニー。スピーチが連続する会はこちらでは珍しいが、
何人かの偉い人が「長かったフェスティバルもあと1ヶ月。これからの
未来につなげて行こう」と語って、自分に日本を思い出させた。
それにしても、"Ninth Life"。9番目の命。
さすがキャットフォードのネコ像の向かいにある名物パブのネーミングだ。
Albanyのスタッフたちもこの店は初めての人が多く、
何人かとユニークな店名の話になって、私は冒頭の格言を披露した。
「それには続きがあって、女性は・・・」
みんな一様に笑っていたけれど、
それを私が知ったのが、10代の頃に見たテレビ番組
『恋のから騒ぎ』だったとは伝えようもない。
あの頃はバブル経済の香りがまだ残っていた。
新團十郎さんの奥さんと義理のお姉さんも、あの番組から出てきたのだ。
よく考えたら、番組タイトル自体もシェイクスピアの影響。
知的な番組だったのだと今にして思う。
2022年12月 1日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

テムズ川の北は観光客用の繁華街や高級住宅地が多い。
Aegel駅の周辺もその一つだ。
お洒落な服屋やカバン屋、カフェが並び、
行くたびに青山・表参道を思い出す。
246のような大通りこそないけれど、
Aegel駅の周囲にあるお店の雰囲気はまさしくそんな感じだ。
文化的にも、
ここにはアルメイダという有名な中規模の劇場と
人形劇専門の小屋がある。そしてなんと言っても、
サドラーズ・ウェルズ劇場。
ダンスで有名な劇場だ。
クラシックからコンテンポラリーまで、
様々なダンスカンパニーがここにやってきて公演する。
日本で一緒に仕事をしてきた安藤洋子さんも、
フランクフルトバレエやザ・フォーサイス・カンパニーで
よくここに立ったらしい。
実際に私もここでフォーサイスやピナ・バウシェ作品を観た。
そしてまた、野田さんの『Q』英国公演もここで観た。
昨日はマシュー・ボーンの『Sleeping Beuty』を観た。
初日ということもあり、集まっているお客さんたちも
洗練されたファッションの人たちが多くて、
とりわけ華やかな感じがした。
この劇場は、今回の研修の候補地の一つだった。
2017年にさいたまゴールド祭で紹介された劇場が
自分の研修先選びに大きく影響している。
サドラーズ・ウェルズ劇場はシニアたちのダンス表現にも
熱心に取り組んでいるから、候補の一つにあがったのだ。
が、なんだか自分には不釣り合いな気がした。
青山・表参道的な洗練、
コンテンポラリーにアーティスティックな様子が柄じゃないように思い、
今のAlbanyにたどり着いた。ワイルドなDeptfordは上野・浅草的で
妙に馴染む。自分は唐十郎門下なのだ。
一方、この劇場には特別な思い入れがある。
サドラーズ・ウェルズは今でこそダンスの劇場だけれど、
300年以上の歴史を持ち、ダンスに特化し始めたのは20世紀に
入ってからのこと。
かつては演劇やオペラも盛んだったこの劇場で
1945年にはブリテン『ピーター・グライムズ』初演と
1968年には『ニュルンベルクのマイスタージンガー』公演が行われた。
指揮は敬愛するレジネルド・グッドオール。
彼にとってそれらは、キャリアを決定づけるエポックな公演だった。
晩年を除いていつも不遇が付きまとったグッドオールにとって
1945年は初めて脚光を浴びた公演。
それから数年で長い低迷に入った彼が復活したのが1968年の公演だった。
特に後者はライブの様子がCDになっている。
最初こそおぼつかないものの、幕が進むごとに威力を増して、
最後は宇宙的に異様な盛り上がりを見せる。
実にグッドオールらしい演奏。
大手書店フォイルズでディスクを買うことができたので、
会場前の早めの時間に行って、受付の人に写真を撮ってもらった。
この音楽は確かに、54年前にここで演奏されたのだ。
2022年11月30日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

毎週火曜日は恒例WSの日と決まっている。
午後から合唱の練習があった。
もうすぐクリスマス、だから12/8(木)には
都心のオールド・ヴィック座で行われるイベントに参加する。
そこで歌うために、特別に近所の小学生たちと練習。
AlbanyのあるDeptfordは移民の街だ。
アフリカ、中東、アジア・・・、まんべんなくいる。
小学生たちは95%が黒人。これが可愛い。
そして、彼らのウォーミングアップが面白かった。
国歌を歌おうという合唱指導の先生の合図で、
彼らはイギリスでなく、南アフリカ共和国の国歌を歌った。
アフリカ系でない子もいるだろうけれども、今日は南アフリカ、
そういう感じだった。
こちらのシニアメンバーの中にはアフリカ系の人もいるから、
彼らも自然に歌い始めた。それでアフリカ出身なんだと自分が
理解できた人もいた。カリブ出身も多いから、肌の色だけでは
自分には判断がつかない。
こんな風に、いくつもの出身国が当たり前に入り乱れているのが面白い。
日本にも在日の人がいて、沖縄や北海道が独自の出身地であると
誇りにしている人もいると思うが、私は日本人という人との
数の多寡がはっきりしているために、だいぶ違う。
一方で、人間みな同じだなと思うのは、先生に対する反応だった。
昨日、いつも指導に当たっているレイチェルさんがお休みだった。
一昨日の晩、彼女は自分のバンドと一緒にライブがあったのだ。
半年以上お世話になってきたレイチェル先生だし、
どんなライブハウスでどんな風に歌うか興味があって駆けつけた。
ぜんぜん別人のレイチェル。
という風に完全燃焼した翌日だからレイチェルは休んだわけだが、
代わりを務める若手の先生も大したものだった、
が、シニアメンバーの何人かは納得しないのである。
レイチェルじゃないとダメ・・・という雰囲気を漂わせて身が入らない。
こういうところは人類普遍だと思って可笑しかった。
レイチェル先生だって曖昧な指示を出したり間違えたりするが、
皆は不満に思いもしない、が、若手がやると文句が出るのだ。
・・・という具合に来週に向けて準備をしている。
オールド・ヴィック座のステージ裏に入れるのは愉しみだ。
劇を観にいったことはあるけど、裏に入るのは初めて。
高校時代、初めて手に取ったシェイクスピアの文庫本は、
新潮から出ている福田恒存訳『リチャード三世』だった。
表紙を開くと、そこには本場イギリスのロバート・ヘルプマンが
主人公を演じている写真があって、さらに「オールド・ヴィック座」
と書かれていた。今はあまりシェイクスピアなどやっていなさそうだし、
改修もされているだろうが、それでも同じ建物だ。
何か雰囲気を探ることは出来るだろう。
地震のない国の良さがここにある。
2022年11月29日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑日本ではしない替え玉。これで340円くらい
ロンドンでは、クロワッサンが一個400円する。
サンドイッチ一個とミネラルウォーターで1,000円。
だから毎日が真剣だ。
が、物価の高いロンドンにあっていくつか安いと思うものがある。
ハム、チーズ、アイスクリーム、ショーのチケット。
最後のは特に助かっている。今回の滞在はこれが目的なので。
昨日、さらに安いものを発見した。花だ。
今まで数度買い。昨日もスーパーで買って確信した。
ちょっとしたスーパーにけっこう豪華な花束がいつも置いてあって、
それらがさほど高くない。こちらの人にとって身近だからか。
そもそも花束にするような花はいずれも西欧からやってきたのが
理由か。日本で3,000円くらいしそうな薔薇の花束が、
こちらで2,500円くらい。物価の差を加味すれば半分くらいの値段。
それを持って、昨日はウィリアム・ブレイクの墓に誕生祝いに行き、
Albanyでお世話になってきた合唱のレイチェル先生のライブに行った。
こういう時、パッと花をプレゼントすることも、
自分は唐さんから教わった。人の芝居を観に行くときに、
物語に関係がある花を考えて、唐さんはよく買っていた。
が、ハム、チーズ、アイスクリーム、チケット、花、
これらは例外である。他のものは押し並べて高い。
特に高いと感じるのが日本食だ。
よく「日本食を食べたくなるでしょう?」と訊かれるが
値段を見れば到底納得できないから「いいえ」と答える。
それに、何度か経験して失敗の連続でここまで来たのだ。
親子丼、カツ丼、すし、うどん、
どれもチャレンジして強烈な違和感だけが後味として残った。
そこに、先日は一昨日は味噌ラーメンが加わった。
コンサートを聴いた帰り、いつもの通りを一本入ったところに
日本食の店を発見し、驚いた。こんな身近なところに、
しかも、閉店時間の早いロンドンなのに22:30まで営業。
それで、なんだか日本を思い出した。
何かを観て、少し食べて帰る。あれがやってみたくなった。
それで、一杯2,000円する一番安い味噌ラーメンを頼んだのである。
酷かった。ただひたすら酷かった。
スープもひどいが麺がさらにひどい。明らかに小分けにする用の
ザルでしかも茹ですぎているために(英国人はアルデンテを理解しない)、
ニチャニチャと固まった半分ダンゴのような麺が沈んでいた。
歯触りが悪すぎる。向こうから吸い付き、こちらが絡め取られる
ような食感だった。
一晩経ってもあまりにあの口の中のニチャニチャとした感覚、
おの記憶がひどいので今日は一風堂に立ち寄った。
ここは値段を除けば日本とそう変わらない。
多くの人はスープが薄いとかいうけれど自分はそう感じない。
むしろ、温度がぬるいことの方が気になる。雑なのである。
・・・という具合にトラウマを更新しないではいられなかった。
あんなに好きだった麺類そのものを嫌いさせるほどの迫力だったが、
克服して現在に至る。おかげで出費は倍。
2022年11月28日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野WS『ベンガルの虎』
↑再びアサヒグラフより。バングラデシュで日本刀を振り回し、たくさんの行李が
押し寄せるこの劇を、現地の人たちはどう観たのだろうか?
二幕も中盤を過ぎて後半に差し掛かり、
村岡伊平治やカンナの母・マサノが入り乱れるシーンをやりました。
時間も空間もワープする。そう言われる唐作品に真骨頂です。
が、ただ単に幻想文学、ファンタジーでないところに唐作品の面白さがあります。
俗物隊長が村岡伊平治を演じていた、というオチをちゃんとつける。
唐さん流のリアリズム。
この俗物隊長=村岡伊平治を初演で演じたのは大久保鷹さんです。
その二年前には『吸血姫』で大陸浪人・川島浪速に扮し、
袴姿で日本刀を振り回した鷹さん、
唐さんの中にその成功体験があったことは間違いありません。
ストーリーに入ります。
伊平治がヒロイン・水嶋カンナの出自の謎に迫る。
母・マサノは、東京→下関→長崎?→バッタンバンに連れてこられたラシャメン。
マサノが現地にいるカンナ族の青年と駆け落ちする。
海に飛び込んで逃げようとするが、青年は死に、マサノも虫の息。
その時に産み落とされたのがカンナ。
伊平治はマサノの遺体を行李に詰めて日本に送った。
行李はバッタンバン→長崎→東京入谷町三丁目の実家に届いたが、
マサノの母がそれを東京→長崎→バッタンバンへと送り返した。
伊平治の説明の中で、カンナの出自が揺らぎます。
東京入谷町に生まれ育ったと言っていたカンナでしたが、
マサノの行李に一緒に入って東京に到着し、そこでお婆ちゃん(マサノの母)に
引き取られて育った、という風に説明しなおす。
伊平治も気付かぬうちに、生まれたての赤ん坊がどうやって行李に入れたか、
船旅をどのように生き抜いたか、これが謎です。
そしてこの謎はかなり重要です。
唐十郎作品だから何でもアリなのだ、となってしまうと、
かえってこの不思議さを見落とすことになります。
カンナは出自だけでなく、生存自体が危うい。
カンナが生きているのか死んでいるのか分からない。
それどころか、実在するのかも分からない。
そういう疑いが鮮明になるシーンです。
そしてここに、『ベンガルの虎』の中心がある。
当初はカンナに味方し、物語を追いかけてきた読者・観客が裏切られ、
揺さぶられる大事なシーンです。推理小説でいうところの
語り手が犯人という構造にも思える。
マサノの登場がそれに追い打ちをかけます。
(このマサノこそファンタジーです。実在しないものが甦って語り出す)
彼女は東京から身売りされてきた過去を語りながら
伊平治に駆け落ちを詫び、もう一度、ラシャメンとして置いてくれと訴えます。
村岡が
「マサノは死んでいる。しかも迷惑なことにカンナも来ている」と言い放つと、
娘を大人しくさせるから二人で置いてくれと頼むマサノ。
マサノのあまりの気味の悪さに、伊平治は部下に命じて彼女を退出させ、
行李の中に立てこもったカンナを始末しようとします。
すると、領事がやってきて、水をさす。
一転、彼に頭が上がらない伊平治とのコミカルな場面に突入します。
領事は「女郎屋なんてやってちゃいかん」と説教する。
この領事は、ミシン売りの中年男=予想屋の将軍を演じてきた
唐さんの役です。「おれは女房にかどわかされっぱなし」というせりふも
楽屋オチで大いにウケたはずです。
笑いの場面を挟むことで、緩急がついた物語はさらに吸引力を増します。
東京からラシャメンの骨("象牙"と隠語で呼ばれる)を詰めて叩き返された
行李が、数限りなく南洋に押し寄せる。
伊平治は悪夢的な現状を打破するため、
すべての行李を日本刀で刺し、始末してゆく。
そして最後に残った行李を串刺しにしようとすると、
ビルマ僧に扮していた銀次が正体をあらわし、カンナを救おうとする。
銀次を振り払って行李を刺し貫く伊平治。が、最後の行李の中身も、骨・・・・
次回、カンナがラシャメン姿で登場するところから二幕の終わり、
三幕の冒頭までをやります。
2022年11月25日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑入口はここですよ、分かりにくいから迷わないように。
,そう言って先方は写真まで撮って送ってくれた。10日したらここを訪ねる
今週から来週頭にかけて日本との会議が目白押しだ。
時差が9時間あるから必然的にロンドンの早朝になる。
それぞれに準備が必要だから、夜中まで詰めの作業をして、
寝て、起き抜けにミーティングする。
おかげでシャワーを浴びるのが遅く、ダイアンに文句ばかり言われている。
不眠気味な彼女は、こちらがゴソゴソとやっているのが気になるのだ。
彼女はキッパリ物を言うタチだから、翌朝に必ず刺される。
その度に誠心誠意謝るが、その夜に改善されたりさねなかったりする。
これを繰り返して、さほど嫌な感じなく過ごしている。
やり取りがあることが大切で、後に引かない。
もう一つ。
最近、夜中にハマっているのが、ウェールズ行きの計画を練ること。
来月の予定を見、他にも行き残した場所をカウントしながら
ホテルの値段をチェックする。週末は高い。
日曜から月曜にかけての一泊が安い。
何が観たいとか、どこの劇場に行きたいとか、
希望が絡むから条件は複雑になるが、これだ!というコースを発見した。
12/4(日)
11:00 本読みWSが終わる。
11:35 グリニッジから地下鉄でパディントン駅へ。
12:38 パディントン発の国鉄でカーディフ中央駅へ。
14:33 カーディフに着き、歩いて10分のホールへ。
15:00 St David's Hallで合唱団The Sixteenを聴く
17:00 ホテルにチェックイン
その後、気が向けばカーディフ・ミレニアムセンターでダンスを観る。
以前はこんな風に接続が上手くいくのかビクビクしていたが、
イギリスの交通事情にも慣れ、主要駅での乗り換えも迷わなくなってきたから
大丈夫であろう。まあ、ミスったらミスったで、コンサートが途中からに
なっても仕方ない。で、翌日が大事である。
12/5(月)
9:00 カーディフ中央駅を出発してSwansea駅を目指す
10:02 Swansea駅に到着し
11:00 Brangwyn Hall に行く
あとは一度カーディフに電車で戻りつつ、高速バスで適当に帰る。
イギリスの電車は往復で切符を買うと格段に安くなるので、
一度カーディフに戻った方が安くて速いのだ。
この Brangwyn Hall はかなり重要。
好きなCD、Sir Reginald Goodall指揮 Wales National Operaの
『トリスタンとイゾルデ』は、1980年にここで録音されたのだ。
通常だったら催し物をやっていないこの日は中に入れないが、
思い切ってメールで問い合わせて事情を説明したところ、
わざわざ日本人が来るのだからと、係の人が親切な返事をくれて
中に入れることになった。
こうなると俄然、ウェールズ贔屓である。
聞けば、今回のワールドカップにはイングランドだけでなくウェールズも
参戦しており、11/29にはご近所の両者が激突するらしいのだ。
唐作品を信奉する自分としては、常に弱いものの味方にならざるを得ない。
こんなに優しいウェールズ人の気質を思えば、なんとか勝って欲しいものだ。
2022年11月24日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑Deli-X。荒くれたデプトフォードにあって、店内だけは治安が良さそう
一昨日は興奮して寝つけなかった。
10月末を以って最後だと思っていたDame Sarah Connollyのリサイタルが
新たに開催されるらしいのだ。最近になって組まれた企画なのか、これまで
まったく告知されていなかったのに、しれっとホームページに載っていた。
朝を待ってダイアンに確認し、彼女も行くというので2枚分を押さえた。
料金ごとにエリアが違う指定と自由が半々のシステムだから、
あとは買ったエリアの中でなるべく前列を押さえるため、
開場時間前に殺到するのみだ。
ダイアンは脚が悪いので引っ張っていく格好になるだろうが、
Dame Sarahの凄みを知らしめねばならない。
以前から、ダイアンはDame Sarahの写真を見て冷やかしてばかりいた。
「彼女はほんとうは男なのではないか」そんなことばっかり。
しかし、最近になって彼女の友達(ロイヤル・オペラで働いている)から、
Dame Sarahがいかにホンモノかを聴いたらしい。
それで俄然、興味を持ち始めたのだ。きっと驚くであろう。
・・・という具合にハイに夜明かしし、早朝から『オオカミだ!』の
ミーティングに突入した。zoomごしに、時には実演もまじえる会議。
半分、稽古みたいなものだ。普通の演劇をつくるのとは勝手が違い、
実際の稽古期間は短い。その分、事前の準備に成否がかかっている。
2時間半これをやり、Albanyへ。
劇場メインプロデューサーチームとカウンシルメンバーの会議。
今年推し進めてきたフェスティバルもいよいよフィナーレの12月を控え、
皆の疲労の蓄積が如実に感じられる会議だった。
やっとここまできた。来月どうしよう。
そして、来年以降にこれをどう結びつけよう。・・・やれやれ。
そういう雰囲気で、これまでの企画を振り返るだけでお腹いっぱいの
自分たちに、さらに鞭をくれるための会議だった。
こちらとしては「Well done」としか言いようがなかった。
働き者のイギリス人たち!
その後は散会になり、こちらはDeli-Xに移動して日本の仕事をした。
明日も朝7時から会議だから、準備しなければならない。
こんな風に何時間もいられて、電源も使えて、値段も高くないカフェは
ロンドンでは珍しい。紹介してくれたピーターのおかげである。
資料を作ったあと、グローブ座に『ヘンリー5世』を観に行ったが、
これは面白くなかった。
2022年11月23日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑手づくりの器。粘土製
昨日深夜、『下町ホフマン』の打込みが終わった。
289ページ。ここまできたら300ページいっちまえよ!!! とも思ったが、
2回の休憩時間を含むと3時間45分コースである。
あと10分ちょっとでも、延びない方が良い。
ちなみに『腰巻おぼろ 妖鯨篇』は311ページだから、間違いなく4時間越え。
すごいぜ!唐さん!
こんな作業をし、昨日書いたような荷物整理をしながら、
日常を見つめ直している。思えば、ここ2ヶ月は移動の連続だったし、
観劇だって、あと40日間で31本観ることはさほど難しくない。
それよりも、最後の1か月である12月をより良く過ごすために、
ここで足元をかためようと思ったのだ。
Albanyで積み上げてきた日常的なWSへの参加を
もう一度初心にかえって眺め回そうと思って、時間に余裕を持って到着し、
スタッフや参加者との会話もよくするように心がけている。
昨日は朝に合唱、昼から粘土細工という内容だった。
合唱は近所の小学生たちと合同。
12月にはクリスマスのイベントとして、都心にあるオールド・ヴィック劇場
という由緒あるホールでの合唱があるから、これのために顔合わせと
初回の練習を行った。土地柄、黒人の子どもたちが9割で、みんなアクティブで
可愛い。自己紹介の堂々としたこと。押しだしも立派なもの。
↑庭の花を摘んで盛る
午後は、粘土を使った器づくり。
手で捻ってカップのかたちをつくり、そこに、それぞれ劇場の庭に生えている
植物を摘んで飾りつける、という趣旨だった。が、あっという間にこのルールは
崩壊し、勝手な彫刻作品をつくり始めたのが面白かった。
↓彫刻作品化しはじめる
12月に出かけたい土地はまだある。
ウェールズに行きたい、ケルト文明に触れたい、ロンドンならではの舞台が観たい、
そういうのももちろん大事だが、こんな風に日常から異界が開く瞬間を
見逃してはならないであろう。
↓リアルキノコ・オン・キノコ
2022年11月22日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑こんな風に置かれて雨に濡れていたので、反射的に家の中に引っ張り込んだ
昨日は家にいた。語学学校を休みにし、Albanyでの予定は無い。
夜に何かを観に行くのもやめにし、徹底して家にいて身辺を整理し始めた。
何しろ11月下旬だ。月日の過ぎるのは早いもの。
日本への荷物の郵送を先延ばしにしてきたが、
いよいよ本格的にこの問題に向き合い始めた。
こちらでできた日本人の友だちに聞いたら、
クロネコヤマトのロンドン支店に頼るのが一番簡単らしい。
もっと安価に済む方法もありそうだが、やり取りが円滑で、
安全に破壊されずに荷物が日本に着いて、保証も効く。
だから、ヤマト!
で、発送する荷物を判然とさせるために、まずはトランクを買いに行く。
こちらにはトランクひとつで来たが、文化庁に問い合わせたところ、
私の場合は、23キロのトランクを二つ運べるらしい。
船便は最大3か月かかるし基本的に高価だから、
自分で運べるものなら自分で運びたい。
そこで、安いトランクを求めていつものルイシャム・ショッピングセンターへ。
が、夏場はあれだけ見かけたトランクはすっかり鳴りをひそめていた。
隅っこに少しあるくらい。どうせすぐ手に入るだろうとタカを括っていたが、
どうやらあれは季節ものだったらしいのだ。
仕方なく都心に行こうかと思ってセンターを出たら、
ワイルドな露天で良い感じのを売っていた。しかも安い。
本来3万円以上するやつが7,000円くらい。バッタもんかも知れないが、
とにかくロンドンから日本まで一便だけ運ぶことができたなら、
それだけで得なのだ。それだけ保ってくれたならバッタもんだって構わない。
それを運んで家に帰り、荷物の総量を見定め、
捨てていくもの、最後まで必要だから必ずトランクで持ち帰るもの、
12月の買い物や頂き物のためにとっておくべきトランクの隙間を想定し、
郵送するものを割り出した。そして、郵送物の量に見合ったダンボールを
ヤマトに注文。こういう場合は単なる語学留学生となり、学割適応を目指す。
というわけで、家にいたと言っても周辺はウロウロした。
ダイアンに頼まれた日用品の買い物もあったから、
別方向のスーパーに行って帰り、ショッピングセンターに行って帰り、した。
ダイアンは医者に行くと言って早朝から不在だったが、
1回目の買い物を終えて帰ってみると、ドア前にまあまあ大きな段ボールがあり、
雨のためにこれが濡れている。てっきり家電でも買ったのかと思い、
急いで大切にキッチンに運び込んだ。
すると、2度目の買い物後に家に着くなり、ダイアンが激怒している。
先に帰宅した彼女が台所で発見したそれは、近所の家に届くはずの
冷凍ドッグフードだったらしい。
すぐに運送会社に電話し、配達員を呼びつけたところ、
彼は「家の中には入れないから、ドアまで持ってきて欲しい」と言い、
ダイアンは「こんな重いもん運べるか!」と問答になり、
配達員は帰ってしまったという。
本気で怒っていたダイアンには悪いが、爆笑した。
ペットがいないこの家に、巨大な冷凍ドッグフードが届いたのが面白かったのだ。
ロンドンのずさんさが極まっている。
結局、新たに呼び出した配達員に私が渡すことになった。
それにしてもデカいドッグフードだった。近所でよく見かけるデカい犬の
いずれかが、あれを貪るのだろうか。
2022年11月21日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野WS『ベンガルの虎』
↑秋元松代さんの劇『村岡伊平治伝』だけでなく、
伊平治本人が書いた『村岡伊平治自伝』を押さえておきたいところ
昨日は日曜恒例の台本読みWS。
2幕のなかばにさしかかり、いよいよ面白い場面に。
先週に引き続き、お市とカンナの掛け合い。
ここは全体からすれば息抜きにあたるかなりコミカルな場面ですが
その中で、見逃してはならない細部が二つ。
一つは、ミシン売りの中年男=競輪の予想屋「将軍」というキャラクター。
競輪における究極の予想は勝者が確定した後でその車券を買うことだと
力説する彼は、1幕に引き続き空回っています。
初演時に唐さんが演じたことを思えば笑いの連続だったと理解できますが、
それにしても、引っ掻き回すだけ引っ掻き回す無意味なキャラクターです。
一体それは何故なのか。今後のカンナの出自をめぐるやり取りに、
このミシン売り=予想屋を読み解くヒントもあると思います。
二つ目に銀次の弱腰。
カンナは何度も銀次に「お尻をさわっちゃダメ」と注意します。
しかしこれは、銀次がお尻を触っているわけではないのです。
よく読めば、何か事が起こるたび、例えば怖そうな人が登場したり、
事件が起こるたびごとにこの問答が繰り返されているのがわかります。
つまり、銀次はお尻を触っているのではなく、ビビってカンナの後ろに隠れて
いるのです。これは、男としてデビューしたいと願う彼のキャラクターづくりに
とても重要な要素です。それだけ弱気であるという基本設定を理解する
必要があります。
ストーリーは進み、競輪選手としての水島があらわれます。
カンナを袖にした一幕とは打って変わり、
彼は強烈にカンナを自分の奥さん扱いし、銀次の名を呼ぶことに嫉妬さえ
します。いつの間にかお市は水島の母になっており、カンナはお嫁さんで、
お市がお姑さんという関係になっている。この関係をカンナに迫る唐さんの
強引さが見事なところです。
そして、水島からカンナに、改めて行李が贈られる。
しかし、バッタンバンの象牙と思われた中身は、実は人骨でした。
驚くカンナと人骨を残して、日蝕による闇が訪れます。
そこに、村岡伊平治や井上馨らしき銀行員など、明治の人物たちが
なだれ込んできます。多くの日本人女性がいわゆる「からゆきさん」
「ラシャメン」として東南アジアに渡った明治と昭和の戦後が同時に
語られ、劇が加速度的に勢いを増します。
そして、カンナの出自が語られる。
ラシャメンの一人にマサノという女がいたこと。
マサノが現地のカンナ族の青年と駆け落ちし、心中を図ったこと。
その表紙に生まれ落ちたのがカンナであること。
カンナはマサノの遺体とともに行李に詰められ、長崎へ船で、
そこからは列車で東京入谷のマサノの実家に送られたこと。
さらに、マサノの母は赤ん坊のカンナだけを引き取り、
マサノの死体を長崎から東南アジアに送り返した・・・・
この出自の部分はかなり駆け足になってしまったのと、
全編にとってあまりにも重要なので、来週は復習するところから再開します。
村岡伊平治が実際に活躍したのはマニラやシンガポールですが、
それをバングラデシュと結びつけるために、唐さんがわざと東南アジア一帯を
あいまいに、混同して書いているのも面白いところです。
ハリウッド映画で、中国・朝鮮・日本の人々が混同して描かれるように
それぞれの国の人たちは違和感を感じるでしょうが、ここは思い切って
押し切ります。それが面白さを生む!
次回は11/27(日)。
二幕後半に差し掛かり、唐さんの筆はますます調子を上げます!
2022年11月18日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑大里先生は極度のシャイだったから、こうして極端な守銭奴を演じなければ
忘年会の参加費用を徴収ができなかった。会では、大里先生のギター伴奏で
唐さんが歌を歌ったことも。
昨日、11/17は大里俊晴先生の命日だった。亡くなって13年も経つ。
亡くなったのは、室井先生を中心にスタートした7大学連携サテライトスクール
「北仲スクール」のオープニングパーティーの日だった。
朝のうちに東中野の葬儀場に行き、司会をしたような記憶がある。
その後は急いで馬車道に戻って、宴会の支度をした。
おつまみを並べ、大量のウィンナーを茹でて、お客さんに配った。
アサヒビールの横浜支社がいつも手厚く協賛してくれて、
飲み物も潤沢だった。お客さんが歓談に入ったところで、
奥の台所に引っ込み、身内でやれやれと話したのを覚えている。
やはりスクール運営の中心メンバーの一人だった梅本洋一先生が
台所を覗いて、「ほんとうはパーティーしている場合じゃないんだけどな」
と呟いたのを覚えている。その梅本先生亡くなってしまった。
大学一年生の時から、一番親しく接してくれた先生が大里さんだった。
年長者ぶったところも、権威ぶったところも無くて、
「はいはい、オレはダメ人間ですよ」という物腰でいつもこちらを
安心させてくれていた。それが、大里先生の正義感だったと思うし、
"正義"なんて言葉を嫌がる、ほんとうの正義漢だった。
大里先生の研究を多少なりとも理解できるようになったのは
むしろ亡くなった後で、そういう不躾な自分でも、多くを識る大里先生は
こちらの興味に合わせて大らかに接してくれた。
荷物の片付けや、引っ越しなんかも手伝った。
レポート採点時期になると東京まで帰るのが面倒な先生は研究室に
泊まってしまっていたから、その作業を邪魔するかのように遊びに行った。
先生はベジタリアンだったから、
大学近くのコンビニまで歩き、梅のおにぎりやあんまんを買って、
帰りに歩きながらそれらを食べて夕食を終了させていた。
それが、引っ越しを手伝った時には、西荻窪前の食堂で
野菜てんぷら定食をご馳走になったことがある。
持ち前の高潔さから美食を遠ざけていた大里さんが振る舞ってくれた、
先生の豪華料理だった。美味かったな、あれ。
大里ゼミのこととか、先生の好きなゲストを呼んでやった特別講義とか、
先生が学課の宴会の幹事をしていたこととか、新宿駅南口に買った
ペントハウス「オフィス・オオサト」のこととか、書いていたら際限なく
吹き出してきて仕方がない・・・・・。このくらいにしておきます。
2022年11月17日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑DJクリスが皆から募った曲をかけて踊らせまくっている
Albanyで"Tea Dance"があった。
前回、6月に参加したときはこれがイベント名だと思い込んで、
普通名詞であると知ったのはその後のことだった。
"Tea Dance(ティー・ダンス)"。
もともとは、イギリスの田舎で夏から秋にかけてガーデン・パーティーを開き、
踊ったり、軽食とともにお茶の飲んだのが始まりらしい。
時間は午後のお昼過ぎと決まっていて、だから、夜に開かれる場合は
"Tea Dance"とは呼ばない。"Dansant(ダンサン)"とも言う。
Albanyでは、レジデントカンパニーの代表格である
Entelechy Artsが主催して半年に一度、これを開く。
前回は劇場が他の大事業に忙殺されていて使えないために
他の文化施設に流れざるを得なかったが、私にとって二度目にして最後の
参加となる今回は、ホームグラウンドであるAlbanyのホールでの実施に
立ち会うことができた。
楕円形の劇場構造を利用し周囲にイスとテーブルが設られ、
マスコット的な存在であるクリスの司会とDJにより会は進む。
合唱、ダンス、詩の朗読、ソロの歌の披露など盛りだくさんで、
会を進行させながら、ホールの端の方では即興的なペインティングも
繰り広げられた。今回はスコーンは無かったが、前回と同じく
ケーキ、お茶、コーヒーの消費量が半端なく、皆でやりたい放題している
感じだった。
この会の始まりから20年、ずっと参加してきたシニアが
自らの思い出を語る切々としたスピーチがあった後、
サイモン&ガーファンクルの『ブックエンド』が合唱され、
それぞれの大切な人のドローイングを持ちながらダンスが踊られた。
続く青年が、友人のアコーディオン伴奏により朗々と
"Over The Rainbow"を歌い上げて周囲は感動に包まれた。
こういう時のクリスの反応は鋭く、司会のトーンを囁くような語りかけに
切り替える。そして、割れんばかりの拍手が起こった後は、
まさかのビヨンセ。結局、ビヨンセは最強で、老若男女、障害の有無を
超越した熱狂を生んで場は閉じられた。
イギリス人にとって、クラブカルチャーと、スピーチやポエトリーが
根付いていることがこの会の成功理由だと思う。
同じ仕立てを日本に移したところでお互いに恥ずかしがるだけだと
想像できるが、私たちにだって、餅つきや節分、盆踊りというイベントが
あるわけだから、ああいうものを劇場が援用すれば難しくなくできると思う。
季節感や年中行事が希薄になっていく中で、だからこそ劇場の役割が
出せるのではないかと思う。
終わった後にスタッフ会議があって意見を求められたので、
「日本には季節の変わり目に豆を投げるイベントがある」と伝えたら全員に
爆笑された。それだけで相当に意味不明だったらしいので、恵方巻き情報を
かぶせるのはやめた。彼らが節分の風景を見たら、どう思うのだろうか。
季節の変わり目に"魔"がやってくるのは同じと思うが、
こちらではハロウィーンに家々を訪ねる子どもたち=精霊たちにお菓子をあげる。
いきなり豆をぶつけて追い出す日本より、寛容だとも思える。
2022年11月16日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑スターリング大学内。劇場や図書館を含むセンター周辺の明かりを
見つけてホッとした。郊外なので、寮に住んでいる学生か劇場への観客
の他、人気はあまりない。
先週末はグラスゴーに行ってきた。
幸い天気がよく、北方にも関わらず気温もロンドンと変わらなかった。
スコットランド国立劇場の公演を観て事務局を訪ねるための
短い旅行だったけれど、この地域が持つ質実剛健さに
触れることができた。
特に初日の土曜は面白く、
グラスゴー中央駅で降りてホテルにチェックインしたらすぐに駅に戻り、
さらに北に30分強行ったところにあるStirlingまで行った。
バスも使えたけれど、初めて訪れる場所は地形もチェックしたい。
そこから小一時間歩いて目当ての公演会場を目指した。
劇場は山の上の大学の中にあった。
劇場を含むアートセンターが堂々とスターリング大学の中にあって、
一般のお客さんも自分の街の文化施設として気兼ねなく利用していた。
公演は、まるで大河ドラマだった。
シェイクスピアの歴史劇にも似て、スコットランド史に輝く英雄に
想を得ながら、現代人のセンスと美学で描いていた。
啓蒙とエンターテイメントが上手く融合した舞台で、
この地方の気質も反映してか、言葉がシンプルに書かれていたので、
自分にもよく理解できた。
現代の服装で現れた役者たちが衣裳を着て時代劇を演じ始める構造を
わざと見せるところなど、山﨑正和さんの『実朝出帆』をやった時の
ことを思い出した。
終演は22時過ぎで、向こう1時間来ないバスを待つのもかったるくなり、
結局、往復ともに駅まで歩いた。道はさらに暗く、歩道の無い箇所も
あったけれど轢かれないよう気をつけながら歩いて、
スムーズに辿り着くことができた。
日付が変わる頃にはグラスゴーのホテルに辿り着いた。
それにしても、あの坂を登る感じ。
敷地の境界が曖昧でどこからでも入れそうなセキュリティのユルさ。
電灯の少なさからくる夜の暗さ。どこもかしこも横浜国大みたいだった。
↓劇場ロビーのポスターの前で

その後にグラスゴーをウロウロして分かったが、この地域は実によく
街の景観に大学が溶け込んでいる。グラスゴー大学、市立大学、
そういったものを見かけだが、それぞれに美術館やコンサートホール、
カフェ、庭を持っており、これが周辺住民や観光客にも開かれていた。
学校が賑わっていて、留学生も多かった。日本人は見かけなかったけれど、
中国や韓国から来ている人が多くて、彼らのニーズに応える料理屋が
充実していた。久々にキムチチゲを、しかも安く食べることができた。
↓グラスゴー大学内の美術館

2022年11月15日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑プライベートでは賭け事をしない(と思う)唐さんだが、
私たちも親しくしている望月六郎監督のこの映画に出演している。
『新・極道記者 逃げ馬伝説』。唐十郎フリークの人はぜひ見て欲しい。
前回の唐ゼミ☆本読みWSを読んでくれたHさんから投稿が寄せられた。
それによると、競輪場の車券売り場のシステムについて、
唐さんは正しかったらしいのである。
『ベンガルの虎』2幕に出てくる「2-3」窓口。
つまり、2番と3番に一着二着を賭けるための車券売り場窓口が
固定されているのはおかしいのではないか、という私の意見は、
当時の実際を知る人によると完全に間違っていたらしいのだ。
正しくは、数字の組み合わせによって窓口は固定されていたらしい。
そうすると、本命ガチガチの窓口には長蛇の列ができ、
およそ勝ちそうにない大穴の窓口は閑散とすることになる。
「そういうことなんですか?」とHさんに伺ったところ、「その通り」との
回答が寄せられた。
そういうわけで、唐さんは完全に正しかったのだ。
Hさんのおかげでまたひとつ勉強になったし、次回の本読みWSで
修正しなければ!
考えてみれば、コンピューター管理される前の風習は、
後の時代を生きる者からしたら想像を絶して手間がかかっていたのだ。
『黒いチューリップ』に出てきたパチンコ屋の玉出しシステムもそうだし、
かつては芝居のチケットを買うために、わざわざ劇団事務所を訪ねる
必要があったのだ。
『ベンガルの虎』に話を戻すと、これはなかなかイマジネーションが
膨らむ話である。要するに、それぞれの売り場窓口には個性があって良い
ということなのだ。町内の全ての赤ん坊を取り出した産婆にして、
伝説の車券売り場窓口員である「お市」のいる2−3番。
こういうのは舞台美術を考える際の個性の持たせ方に直結する。
またしても良い話を聞いた。Hさんに感謝。
そして、唐さん、ごめんなさい!
2022年11月11日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

水曜日にAlbanyで公演を観た。"QUIET REBELS"というタイトル。
映像とシンプルなステージング、4人だけの出演者による舞台だったが、
若い人たちの熱気と関心が場内に溢れ、満員だった。
これは、実話に基づいた物語だ。
労働者階級に生まれた白人女性が、移民としてカリブからやってきた
黒人男性と恋愛し、結婚をした。結果的に彼女に対し、
白人社会からのものすごい圧力や嫌がらせが寄せられることになる。
それらを、実際の当事者たちのインタビューと、俳優による演技と
虚実の両方から進行させてゆくステージだった。
今年、このような闘争を描いた様々なイベントに参加してきた。
NEW CROSS FIREについて Linton Kwasi Johnsonが語るレクチャー。
カリブからの移民第一世代が往時を回顧するWINDRUSH PEONEERS。
ルイシャム・ショッピングセンター周辺で繰り広げられた
人種差別闘争の様子を収めたドキュメンタリー映画上映会。
シニア企画に参加するアフリカやカリブから渡ってきた人たち。
ここ半年を総動員して、目の前の劇を観た。
初見では捉えきれなかった言葉のやり取りについて行きたくて
今日は二度目をこれから観る。
現在、目の前でやり取りされている平穏な日常が、
どれだけの闘争の果てに成し遂げられたものか実感できる。
ダイバーシティとか多様性とかいうけれど、日本とは土台の
複雑さが違う。平和そうに見える周辺地域に底流するものを
またひとつ感じることができた。。

日本では、カプカプひかりヶ丘×新井英夫WSが
ズーラシアの近所にある実際のカプカプで本格的にスタートした。
ロンドン時間のAM1:00〜AM9:00の長尺だが、
皆さん次から次へと押し寄せる予定に、
慌ただしく活動していると聞いた。
新井さんのコンディションがちょっと心配されたが、
ふたを開けてみれば、休憩時間も惜しんで受講の皆さんに
話し続けていたらしい。新井さんによる魂の講座だし、
カプカプの利用者さんたちが全員で講師をしていることも
今回のウリだ。引き続き正対、ストレートな運営をしていこう。
次回のB日程初回は12/23。
2022年11月10日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
昨日、友人の川口成彦くんとロンドンで落ち合った。
常にアンティークの楽器や音楽家関連の場所を見て回っている
彼にくっついて、クレメンティ・ハウスに行ってきた。
多くのピアニストを育て、作曲し、ピアノ製造まで行った
ムツィオ・クレメンティの暮らした家である。
川口くんは、彼が東京芸大院生の頃に知り合った。
唐さんの母校である入谷の坂本小学校でやなぎみわさんが書いてくれた
『パノラマ』を公演した時、相談役だった焼き鳥たけうちさんの
マスターから川口くんを紹介されtのだ。
彼はイベントに参加して書生姿に扮し、エレピを弾いてくれた。
その後、椎野と自分が結婚した時、椎野のリクエストに応えて
ショパンの『英雄ポロネーズ』を弾いてくれた。
この時も焼き鳥屋備え付けのエレピによる演奏だった。
その後、彼はアムステルダム音楽院に留学してこれを卒業すると、
ブリュージュのコンクールで2位になり、
第1回ショパン・ピリオドコンクールでも2位に輝いた。
それから一気に有名になって、現在に至る。
これから国際的キャリアを築いていこう、
という時期にパンデミックになってしまったので、
彼は日本での時間を増やして、多くの国内需要に応え続けてきた。
けれど、その間もアムステルダムの住居も維持して
アフターコロナに備えてきたそうだ。
ロンドンであれば、ウィグモアホールに登場するクラスの人だと思う。
前に川口くんのシューベルト即興曲や連弾曲を聴いたけれど、
その後に彼を凌ぐ演奏に出会ったことがない。
実力はあるのだから、あとは巡り合わせだと思う。
彼の発案で、ノッティングヒル近くにあるクレメンティ家を訪ねた。
これが面白かった。ネットには開場時間や入場料などが書いてある。
けれど、そこは本当に単なる家で、現役で暮らしている一家の長らしき、
おじいさんが案内をしてくれた。
一応、居間にはクレメンティ社で造られたスクエア・ピアノが
置いてあったが、鳴らない鍵盤もあるなど、ケアは全くされていない。
「ここにはメンデルスゾーンも来たこともあるんだよ」
おじいさんはそんなガイドを少しばかりしてくれたが、
「クレメンティの肖像画などはないのでしょうか?」という質問には、
「ここにあるのはうちの家族の写真か絵ばかり、クレメンティの肖像は
グーグルを検索しなさい」という大胆な答えが返ってきた。
「この家のどこを見ても良い」と言われて階段を登ったが、
どこもかしこもおじいさんの家族が暮らす現役の居室で、
ある部屋を覗くと、中でお孫さんの青年がくつろいでおり、
なんだか申し訳ないような気になった。
「わたしはこの家で生まれ暮らしてきた」
おじいさんはそう言い、特に親族関係も無いらしい。
こじんまりとしたギャラリーやミュージアムを想像していた私たちは
顔を見合わせて笑い、この方がよほど面白いと言い合った。
その後は近くにある中古CD屋で希少盤を漁り、日本食屋に行った。
川口くんをヴィクトリア駅に送りながら満員電車にも乗ったので
まるで東京で会ったみたいだったが、クレメンティ・ハウスだけは
圧倒的に外国だった。
夜行バスでアムステルダムに戻ったら、数日後は現地の音大生相手に
英語でマスタークラスをやるらしい。さすがだ、川口くん!
2022年11月 9日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑写真を撮るためにいつも買っていたスーパーに行った。
現在は見ただけでちょっと気持ち悪くなる。
ここ最近、体調が悪かった。
2週間くらい前に風邪をひき、そこからズルズルと忙しくなり、
書類づくりやWSの準備に追われた。
日本とイギリスを同時進行させると、時差の厳しさを痛感する。
こちらが朝起きてメールをチェックすると、日本はすでに夕方近い。
早く返事を出そうと焦っているとロンドンでの予定が迫ってくる。
イギリスで参加しなければならないプロジェクトも多数あるし、
夜は夜で何かを観に出かけたい。そのまま突入したコーンウォールへの
旅はバスばかりだったから、ずっと乗り物酔いみたいで苦しかった。
復調してきたので、こうして書いている。
何が原因だったかと考えてみると、
どうもキットカットばかり食べていたせいではないかと思う。
あれは食べ応えがあって、持ち運びができて、しかも安い。
英国の料理はマズいマズいとよく言われるが、そんなことはない。
たしかにゴワゴワのフィッシュ&チップスとか、ぞんざいな仕立ての
ものは多いが、美味しいものもちゃんとある。
しかし、決定的に不満で苦しいのは、それが高価なことだ。
庶民の味、フィッシュ&チップスやパイ&マッシュを食べると
簡単に2,000円を越えるのだ。
当地の人たちはちょっとしたカフェでサンドイッチが800円することに
不満を覚えないだろうが、こちらは日本の飲食店の味と値段を
知ってしまっている。だから、抵抗感が湧き上がってくるのだ。
結果、よくキットカットを食べた。
大型スーパーで大量に売っているのを買い込んでおいて、
お腹が空いた時にチビチビ食べていた。
すると、なんだか食べるたびに胃がムカムカするようになったけれど、
味はあの通り美味しいから、さらに食べるという生活が続いた。
今では、あれが体調不良の原因だったと睨んでいる。
さすがに懲りて、少しお金を使ってでもパン屋のパンを
食べるようにしたら、気持ち悪い感覚が無くなり、風邪も治った。
車酔いみたいな感覚が払拭されるまで、もうちょっと。
作業も峠を越えたので、気分も心持ちも楽になってきた。
さすがにキットカットはしばらく見たくない。
来年に予定している公演の現場で、ケータリングとして出されたと
したら、また手が伸びてしまいそうだけど。
2022年11月 8日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ペンザンス唯一の目的地はここ。崖に造られたミナック・シアター
先週末はコーンウォールを訪ねた。イングランド南西部の巨大な田舎だ。
数箇所の目的地があったが、ほとんどを移動で過ごした。
しかも、電車は少なく、大方がバス。
睡眠不足や不規則な食事にならざるをえず、車酔いばかりしていた。
どこも隘路だし、運転がものすごく荒いので、
どうしても船酔いみたいになってしまったのだ。
初日に訪ねたティンタジェル城までは天気も良かったが、
あとは雨・雨・雨だったから、二日目は最低限の目的地だけに絞って、
あとはホテルで寝た。値段は安いけれど気持ちの良いホテルだったのは
ラッキーだった。
細かなトラブルを挙げればキリがない。
ロンドンからの夜行バスではドラッグ中毒の女性が騒ぎケンカが起きた。
コーンウォールに着いてみたら、バス会社の一つがストライキを
行っており、電光掲示されたバスが全く来ないというフェイントを
食らった。電車に乗ろうと駅に行ったら、電車が動かなくなったので
この高速バスに乗れと指示されて、危うく時間内に目的地に
着かないのではないかとヤキモキさせられた。
レストランの定員が計算ミスをして多く支払わされそうにもなった。
他にも細かいのがたくさん。
帰りはプリマスに寄り、友人ピーター・フィッシャーの車に乗って
ロンドンに戻る予定だったが、彼の車が壊れたために電車で戻って
くることになった。
これには驚かない。
最近、彼の車に乗るたびにアヤシイ音をたてていたからだ。
去年、4年ちょっと乗った愛車ラフェスタを廃車にせざるを
得なかった自分なので、その予感は充分にしており、
どう思うかピーターに訊かれたので、彼には辛い見立てを
正直に告げた。
けれど、実際に壊れるまで乗り続けてしまうのが人間だ。
だからいつもアクシデントになり、急な対応の連続になってしまう。
けれど、もうちょっと、もうちょっとと引っ張ってしまうのだ。
幸い、ピーター車はロンドンで壊れた。
これがプリマスに来る途上だったら大変だった。
田舎道からの移動は過酷を極め、彼の演奏に影響したと思う。
色々なことがあり、忙しなかった。
どの目的地もさすがにインパクトがあったが、
なぜかペンザンスでした昼寝がいちばん印象深い。
昼寝ができたなんて、何年ぶりだろう。
調子に乗って動き回り過ぎ、ボロボロで帰国すると
年明けの仕事に影響するだろうから、加減しなければいけないとも
思い始めた。目下、観劇数は255本。300いけるかどうか微妙だ。
2022年11月 4日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑6月にオープンした新路線エリザベス・ライン
Bond Street(ボンドストリート)駅が10/23に遅れてオープンしたが、
表示は以前のまま。車内の×印が修正されるにはまだ時間がかかるらしい。
日本がせせこましいのか、英国がルーズなのか。
イギリスの住環境は悪くなる一方である。
私が過ごしてきたごく短い期間だけでも、近所のパン屋は二度にわたる
値上げを決行した。初め500円くらいだったソーセージパンが、
いつしか600円になり、昨日から660円になった。
マジか!?
EU脱退、コロナ・パンデミック、ロシアVSウクライナの戦争と、
インフレの要因が畳みかけている。
そして、日本に比べて恐ろしく低いホスピタリティ。
今日もドラッグストアに買い物に行ったのだが、
緩慢な動きでレジを打ち始めたスタッフは何度も何度も入力を失敗し、
3分以上が経過したところで無理と見て同僚を呼んだ。
誰もレジに並んでいたわけではないのに、
歯ブラシひとつ買うのに5分以上かかった。
このように、英国生活はトラップだらけだ。
テンポよく移動と要件をこなしていこうと思っても、
いたるところで細かなブレーキがかかる。
レジ待ちが何人並んでいようと、いま会計しているお客と店員が
談笑したりしている。後ろのお客がたまりかねて文句を言うと、
不満そうに増援を呼ぶベルを叩いて助けを呼ぶが、その助けが
ぜんぜんやってこない、という光景もざらだ。
EUを離脱したことによって、多くの外国人労働者がイギリスを去ったそうだ。
特にポーランドから来ていた人たちは優秀で、かつ人件費が安かったらしい。
例えば高級車用の手洗い洗車サービスについて、彼らが去った後は
かなり粗雑なクオリティで車が返却されるようになったそうだ。
しかも、もともと3,000円程度だった料金は10,000円近くにまで高騰。
イギリス人の人件費はかくも高く、顧客にとっては良いことがないそうだ。
他方、英語をマスターした人々が大挙して帰国したポーランドの景気は
右肩上がりだそうだ。一国の判断が、そんな風に周囲の国々に影響するのも
流動性の高いヨーロッパならでは。
私は大学生時代、深夜のコンビニでアルバイトしていた。
牛乳を並べていてお客がレジに立とうものなら、カウンターに走って
戻ったものだ。ここにきて、「お・も・て・な・し」を改めてアピールしていた
理由がわかってきた。駅員も店員も、誰も彼もが仏頂面で、
スマホに釘付けな姿もよく目にする。
電車もバスも簡単に遅れる。
今まさに旅行が始まったばかりのタイミングでこれを書いた。
けっこうタイトなスケジュールを組まざるを得なかったが、
ちゃんと移動できるだろうか。駅員や各所の職員が優しいと良いのだけれど・・・
2022年11月 3日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑The London Oratory
昨日はいつもと曜日をずらして劇団や座友メンバーとの
『ベンガルの虎』本読みをやった。2幕の終わり。
いつもながら唐さんが書く3幕ものの2幕終盤は素晴らしい。
こちらがいちいち考え、理解するのを寄せ付けない勢いに満ちていた。
気持ちよく、せりふのやり取りや物語の進行に振り切られた感じだ。
直に体がうずく。
ブルース・リーの名ぜりふに"Don't think, feel."というのがある。
"考えるな、感じろ"。昔からの唐さんやアングラ・ファンの中には
こういう味わい方をしている人がたくさんいる。
けれども、遅れてきた世代である私にとって、
唐さんの作品はやっぱり考えながら読むものだと思う。
荒唐無稽に見える設定やせりふの中に唐さん流のリアリズムがある。
そうでなくては、どうやってせりふを言い、セットをつくり、
物語をつむぐのか。やる側はThinkせよ、と思ってやっている。
けれども、やっぱり唐さんの魅力の究極は、
理性ではなくて、感覚による納得でねじ伏せていく
いわく言い難い、けれども誰もが体感的に納得してしまう
吸引力や腕力だと思う。
それを存分に味わうために、私たちは分かるところは分かっておこう。
そういう考えでやっている。
そういえば、前に『トリック』という大ヒットドラマがあって、
あれも似た話だった。主人公はマジシャン、
次々と登場する霊能力者のトリックを暴きながら物語は進行する。
けれど、それは霊能力者がニセモノと言いたいために
やっているわけではない。むしろ逆。
本物の霊能力者に出会うためにこそ、
トリックを見破ること=理屈でニセモノを選り分けているのだ。
すべては、ホンモノの不思議に出会うために。
真の摩訶不思議に圧倒され、打ちのめされたい。
そういう思いで台本を読んでいる。
私たち作り手にはお客さんという存在がいるが、
まず自分たちが圧倒されて、今度はそれをお客さんにおすそ分けする。
そういう相手であると思っている。
昨日、『ベンガルの虎』二幕には気持ち良くやられた!清々しい。
イギリスでは、ここ数日は教会の催しばかりに行っている。
土曜日はオックスフォードにある大学の中のチャペルと
福音史家ヨハネ教会。
月曜にはロチェスターの大聖堂。
火曜には都心のテンプル教会。
昨日はサウスケンジントンにあるロンドン・オラトリーという
カトリックの教会、という具合。
どこも特別な内装と音響だったが、
とりわけロチェスターとオラトリーは素晴らしかった。
今日、木曜の深夜から旅に出る。
風光明媚だけれど交通の便はすこぶる悪いコーンウォールを攻める。
伝説ではアーサー王が住み、
トリスタントイゾルデの舞台ともなったティンタジェル城、
岬の野外劇場ミナックシアター。そしてプリマスの教会にも行く。
この教会ではピーターのアンサンブルによる演奏会が行われるのだ。
合い間に『下町ホフマン』研究と来年度公演の企画書づくり、
『オオカミだ!』とカプカプ×新井一座WSの準備もする。
体はイギリスの僻地、頭は日本のことを考えて過ごす週末になる。
2022年11月 2日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑終演後のクリスティは喜色満面。足元に覗くソックスの赤が眩しい
唐組が終わった後も唐さん関連の公演が続く。
流山児事務所が『ベンガルの虎』の稽古に入っているとのこと。
自分が観られないのは無念だが、コロナに捕まることなく
最後まで駆け抜けて欲しい。
それから、状況劇場の終わりから唐組初期の唐さんを支えた
俳優・菅田俊さんが率いる東京倶楽部の『ジャガーの眼』公演もある。
菅田さんはずいぶん以前に『ふたりの女』も手掛けられていた。
今回は、宣伝のためかYouTubeで1980年代半ばの唐さんについて
菅田さんがエピソードを披露されている。これが面白い!
https://www.youtube.com/watch?v=QF9aL3X3GxM
この時代は唐さんにとって困難な時期であり、
表に出てくる情報は少なかった。だから菅田さんのお話は貴重だ。
皆さんもぜひ観てください。これまで知られていなかった当時の
様子だけでなく、強面に見える菅田さんの純真さにも打たれる。
こちらも観にいけないのが悔しい!
誰か観に行って、どんな風だったかを教えてください!
ところで、今日のゼミログのタイトルは、
別に流山児さんや菅田さんが助平だというのではない。
(二人とも色っぽいが)
目下、研究中の『下町ホフマン』に"平手"というキャラクターが
出てくる。三度笠をかぶり、侠客めいた格好だから、
おそらく講談の『天保水滸伝』に出てくる強者、
平手造酒(ひらて みき)からとられた名前だと思うが、
この男が自分は助平だと連呼するのだ。
強いと言われれば弱く、弱いと言われればあべこべに異常な強さを
発揮するところが面白い。そして、オレは助平だと訴える。
ああ、これは大久保さんに宛てて書かれたのだなと
当時の配役表を見なくてもすぐにわかる。
鷹さんも色っぽい人だが、あの雰囲気で「オレは助平だ!」と
叫んで回っていたら、舞台は湧いただろう。
英国で観た助平なパフォーマーとといえば、
第一に、フランスから来ていたウィリアム・クリスティという
指揮者&チェンバロ奏者が思い浮かぶ。
演奏もそうだし、全身黒ずくめにも関わらず
足元にチラチラと覗くソックスだけは真っ赤、
ああいうところが実に助平ったらしい。
あれは彼のトレードマークで、この間に聴きに行った
演奏会では、最前列のフリークらしき客も真似して
赤いソックスを履いていたのが目立った。
あんたも好きねえ、という感じ。
カーテンコールの時など、女性奏者の腰に手を回して
褒め称えるやり方など、露骨に助平があわられている。
堂に入ったものだ。
もう一人の助平は、ザ・シックスティーンという合唱団を
率いるハリー・クリストファーズ。
一昨日の夜も彼のライブを聴きに行ったのだが、
これは希代の助平野郎だと思わずにいられなかった。
彼がクリスティと異なるのは、
一間するとひどく真面目そうなところだ。
だが、聴くべきを聴き、見るべきを見れば
彼が心底ムッツリだということがすぐにわかってしまう。
だいたい、一昨日のプログラムは環境破壊を強く訴えたもの
だったが、実際のパフォーマンスを聴けば、
それが崩壊の美を謳っていることは明らかだ。
会場はロチェスターというロンドン近郊の古い街にある
大聖堂。そこで、ルネッサンスからバロックまでの曲を順に歌い、
また同じ曲をたどりながら元の時代に戻っていくという趣向。
いわば自然の円環を表現していたわけだが、
映像作家が作ったプロジェクションと合わせて考えるに、
人類など滅びてしまえば良いと言わんばかりの美感に
溢れていて、何度も聴いてきた彼らの演奏の中でもベストの
パフォーマンスだった。
終演後に話しかけて「あなたは実に危険な巨匠ですね」と
伝えたらニヤニヤ笑っていた。あれは、真剣に環境問題に
拳を振り上げる人の態度ではない。
誰も彼もが快楽主義者だと思わずにはいられない。
そういう助平な人たちを、私は好む。
↓ハリー・クリストファーズ。真面目そうに見えてエロの塊
2022年11月 1日 Posted in
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↑この日もDame Sarah Connollyはいつにも増して男前ないでたち
圧倒的なゴッドねえちゃん感だった
一昨日未明にサマータイムが終わった。あれはなかなか不思議な体験だ。
最近、かつてのテレビ番組『驚きももの木20世紀』にハマっている。
その日も夜中までこれを見ていたのだが、AM1:59の次の瞬間、
時刻はAM1:00になった。こうして1時間巻き戻すのである。
むろん、これネットと連動しているケータイやパソコンの時刻表示に限る。
腕時計は手巻きで1時間戻した。
3月に23時間の日を過ごしたが、日曜日は25時間あったわけだ。
週末はオックスフォードに行った。
名門大学で有名なこの街だが、目当てはOxford Liederという
歌曲のフェスティバルの最終日。
これに憧れのDame Sarah Connollyが出演したのだ。
若手、男性、サラ・コノリーと、3人の歌手でリレーしていく1時間半。
この日も彼女のパフォーマンスは頭抜けており、脳天をぶち抜かれた。
あと2ヶ月の滞在中、数回は彼女の出演するコンサートがある。
が、いずれもオケとの共演のみ。話せるとしたら最後のチャンスと思って
終演後に順番待ちして声をかけた。
すると、いきなり彼女の方から
Lovely to see you again. I read your letter, thank you.
と言われ、頭が真っ白になってしまった。
ただでさえ英語に難ありなのに、こうなるとお手上げだった。
どのようにしてかは分からないが、
9月末にウィグモアホールのスタッフに託した手紙は彼女のもとに
遅れて届き、読んでくれたらしい。
そこからは完全にテンパってしまい、言葉も出ず、
ただ、絞り出すように御礼を言って、
直近の歌曲のCDにサインしてもらった。
周囲には、マーク・パドモアをはじめ、
フェスティバルに参加していた綺羅星のような歌手が
ワイングラス片手にウロウロしており、
隔絶した世界のように思えた。
学生時代に紅テントに行き、
唐さんを囲む、麿さんや蓮司さん、魔子さん、シモンさん
鷹さんたちが談笑しているの遠巻きに眺めていたのを思い出した。
帰り道は浮き足立ってしまい、バス停まで走って帰った。
大学時代は新宿駅まで。やはり走った。そう急がなくてもいいのに。
サマータイムが終わると、陽が暮れるのが早い。
午後4時には暗くなる。渡英直後を思い出した。あと2ヶ月。
2022年10月28日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
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↑2017年 横浜トリエンナーレの準備中。
作業中の桃山さんを訪ねるとすぐにビールを出された
水族館劇場の桃山邑さんが亡くなった。
桃山さんが病気だと聞いたのは渡英してからだった。
それから、春の水族館劇場公園には多くの人たちが駆けつけていた。
皆、それが桃山さん現場にいる最後の公演になると知っていて、
自分も列に加わりたかったけど、叶わなかった。
初めて桃山さんと喋ったのは、
入方勇さんの遺品を整理しに行った時だった。
入方さんは北海道出身の役者で、第七病棟の劇団員だった。
この劇団はたまにしか公演しない。だから入方さんは見世物小屋の
主としても活躍し、各地の縁日を賑わせていた。
私たちが初めて『下谷万年町物語』の上演に挑んだ時、
出演者募集に入方さんが応えてくれた。
役者としても面白い人だったけど、持ち前の見世物小屋設営の腕を
活かし、唐ゼミ☆のテントを飾り付けてくれた。
以来、入方さんから教わった方法をもとに、
テント劇場の外観を造作することもまた私たちの表現になった。
知り合ってから一年後、入方さんは亡くなってしまった。
「また出てくださいよ」と頼んでいたのに。
連絡を受けたのは『下谷万年町物語』再演の稽古をしていた時だった。
気持ちのやり場がなく困っているところに、
入方さんが借りていた倉庫の整理をするから手伝いに来ないか
と声をかけてくれたのが水族館劇場の皆さんだった。
入方さんは、"カッパくん"の愛称で親しまれた、水族館の常連だったのだ。
埼玉のどこだったかは忘れたけれど、
指定された倉庫に行くと桃山さんたちがいて、一緒に道具を整理した。
それから入方さんが住んでいたアパートにも行き、
荷物を運び出して作業は終わった。
それから桃山さんが誘ってくれて韓国料理屋に行った。
お酒と料理が並ぶと、桃山さんは「今日は入方の話をしよう」と
言って流れをつくってくれた。
それから、私たちの交流が始まった。
寿町や都内に、三重の芸濃町にも公演を観に行った。
桃山さんたちも唐ゼミ☆公演を観に来てくれた。
特に面白かったのは新宿中央公園で『唐版 風の又三郎』をやった時。
予約して来場した桃山さんは「山谷で揉め事が起きたので
初めだけで失礼させて欲しい。ごめん」と言い、
一幕だけテントの外から見て、台東区に殺到して行った。
自分が良かったと思うのは、
2017年横浜トリエンナーレのスピンオフ企画で水族館劇場が
寿町に夜戦攻城をたてるのをサポートできたことだ。
お世話役を横浜美術館の学芸員Sさんがしていて、
まずは誘致すべき土地を一緒に見立てて欲しいと頼まれたので、
喜んで案内して回った。Sさんは自転車、私はランニングで。
何箇所も候補を出したけれど、もちろん、水族館には寿町でしょう!
と言って、数ヶ月後に実現した。
当時一緒に働き始めていたKAATの眞野館長と一緒に桃山さんたちを
応援した。上の写真は陣中見舞いに行った時のもの。
台本が遅れることについて、
劇も劇場も千穐楽を終えてなお未完成であることについて、
桃山さんはわざとそれらを、信念を持ってやっていた。
そのことを心底理解できるようになってきたのは最近のことだ。
初日に駆けつけると、「なんで初日に来るんだよ!」と
冗談めかして怒られる、いつも桃山さんとのやりとりは
シャイで、優しくて、楽しかった。
帰国したら、また桃山さんに会いに水族館劇場に行こう。合掌。
2022年10月27日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑見た目は倉庫のようなスタジオでもオペラが上演される

↑中央線沿線にある小劇場と変わらないサイズ感だが、演目はかなり違う
ここ数日、朝は日本の仕事。
カプカプ光ヶ丘と新井英夫さんの講座が週末に始まるので、
その対応が急務。何しろ、こちらは朝6時でも、日本は午後2時。
就業時間も終盤に差し掛かる頃だ。なにか気忙しい。
これから2ヶ月、ずっとこんな感じになるのだと思う。
『下町ホフマン』が厳しい。
目の前のやりとりは大変に面白いのだけれど、
何しろ量が膨大だ。Wordに打ち込みながら読んでようやく
半分を過ぎたところだけれど、手元の台本様式にしてすでに
150ページを越えている。『腰巻おぼろ 妖鯨篇』に次ぐ長大さだ。
300ページ超と踏んでいる。
これまでのペースを維持してあと12日間かかる。
ひとりひとりのせりふが長く、ページをめくって
ビッシリ詰まった紙面を見るにつけ、
"ああ、唐さん、調子いいですね"などと対話。
朝の時間だけでは遅まりきらず、夕方、帰宅後、
空いた時間はすべて『下町ホフマン』に。
それから、昨日は良いことがあった。
残り2ヶ月を気遣ったギャビンが、劇場執行部と
ルイシャム評議会の定例会議に自分を招いてくれた。
神奈川で行ってきた仕事に置き換えると、これは
県の文化担当者との打ち合わせに同席するという感じ。
それにしては、皆さんフランクだったけれど、紛れもなく中枢だ。
今、劇場やフェスティバルが何にフォーカスして動いているか
たちどころにわかる。これからは二週に一度、これに参加。
初めてだったので固有名詞の多さに面食らったが、
何を喋っているか半分くらい分かるようになってきた。
あと、観劇について腹を括った。
年末までに観る公演数を目標300に設定した。昨日で241本目。
しかし、ただ観ればいいってもんじゃないこともわかっている。
これは!と思うものを、密度高く追いかけるようでなければ。
そもそも、自分が数字を意識するようになったのは
渡英前に海外研修の先輩に「オレは200ほど観たよ」と
言われたからだ。「多いですね」と答えたら「そうでもないよ」
と言われて、まずは200を目標に置くようになった。
ところが、これが意外に簡単だったのである。
達成したのが9月上旬。それからちょっと宙ぶらりんで
過ごしてきたが、もうこれは数にこだわった方がいい感じが
してきた。というわけで300。
金田正一投手には及ばないけれど、何となく気持ちが分かる。
昨日はロンドンから2時間かけてBath(バース)という街に行った。
古代の温泉地として有名な観光地だが、ここの小さな王立劇場で
『Dido & Aeneas』の舞台版を観ることができた。
これまでコンサート形式ばかりだったから、他で観た時より
歌手や演奏に弱いところもあったが新鮮だった。
ドラマに寄せきったストレートプレイのような上演。
最後の方にドキリとさせられる、それでいて理にかなった
良い演出があった。
今月中に250に迫ることができればイケる気がする。
バカバカしいと知りながら、けれども、後悔の無いようにしたい。
2022年10月26日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
昨日、デイヴィットさんが引退した。
今年、イギリスにいるきっかけをつくってくれた一人だった。
私は、自分が長期にわたり外国で暮らすことになると予想していなかった。
きっかけは2つ。
ここ5年間、一緒に働かせてもらっているKAATの眞野館長に
絶対に行くよう勧められたこと。Albanyという劇場を知ったこと。
5年前、さいたまゴールド祭初回に合わせて来日した何人かの中に
Albany代表のギャビン・バロウさん、Entelechy Arts代表の
ディヴィット・スレイターさんがいた。
二人は盟友である。
ギャビンさんは劇場そのものを運営している。
Albanyは催しも手がけるが、もっとも重要な役割は場を提供することだ。
いくつもの提携団体が長屋の住人のようにこの劇場に事務所を持っている。
各団体の事業が合わさって、Albanyの力になる。
Entelechy Artsは提携団体の代表格だ。
ディヴィットさんが創立したこの法人は四半世紀に渡り、
高齢者・障害者・地域の人々を意識した創作と実験を続けてきた。
二人の存在と活動を知った私は、
外国への苦手意識を忘れ、初めて行きたい劇場が見つかった。
外国にはもちろん、ユニークで優れた舞台がたくさんある。
観たり聴いたりすることで大きな影響も受ける。
けれど、単に鑑賞するだけでなく、主体的に関わりたいと思うには
もう一つ何かが必要だった。そして、二人の話にはそれがあった。
Albanyを中心とした活動の面白さはいつも書いてきたから
ここで繰り返さない。大切なのは、昨日、ディヴィットさんが
引退したこと。実にさりげない引退だった。
"Moving Day"の座組みのみんな、15人ほどで記録映像を見た。
その後、ディヴィットさんは少しスピーチをして、
仕事にひと段落をつけた。
考えてみたら、自分が参加してからの半年強、
ディヴィットさんはずっと自身の気配を消していきながら、
後進に法人の活動を託すことを考えてきたのではないだろうか。
一貫してそういう振る舞いだった。
Entelechy Artsの手がける企画は、
すでにマディとジュリーという二人の若手(正確な年齢は訊けない!)
を中心に回ってきた。ディヴィットさんは最後の仕事として、
それぞれの営みを自然に継続させることを狙ってきたように思う
普段と変わらない、ちっとも特別なことのない午後の活動
だったけれど、やはり終わった後は、次々に立ち上がって喋る
シニアたちの涙が、彼の帰りを引き止める格好になった。
自分も、ディヴィットさんの意図に反すると知りながら、
日本の関係者からのメッセージや、花束を渡さずにはいられなかった。
今まで見たことのなかったタイプの、信念に溢れた引退だった。
ディヴィットさんによって、時代は終わらずに続いていく。
2022年10月25日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑Mass Danceのカーテンコールを側面から撮影
収穫の多い週末だった。
最大の催しはMass Dance。
ロンドンにしては珍しい嵐、ドカ雨だったが、
開催時間だけはピンポイントで雨が止み、ミミを中心とした奮闘が実った。
入れ替わり立ち替わりのダンスは合わせて1時間強の作品になっており、
"総力戦"という言葉がぴったりだった。
1日目は大イベントとして一緒に盛り上がり、
2日目は作品としての味わうことが出来た。
ドローンを含む5台のカメラで撮影された映像が完品となり、
将来に活かされていくと思う。
特に日曜は嵐がひどくて、
国鉄の線路上に倒れた大木が交通マヒを起こすような
コンディションだったけれど、よくやれたものだと思う。
日本の仕事、カプカプ光ヶ丘×新井英夫 講座の応募締め切りを
土曜に迎え、たくさん手を挙げてくださった中から、話し合いを
重ねて12人を選び出した。すぐに連絡がいく。
申し訳ないことに選びきれなかった方にも、
事業を継続していずれ直接に会えたらと思う。
もう来年度の準備が始まっている。
他には、唐ゼミ☆本読みをしたり、『オオカミだ!』会議をしたり。
細かい時間を積み上げて『下町ホフマン』にも取り組んでいる。
どう考えてもあと3週間はかかりきりになる分量だ。
見聞きしに行ったものも良くて、
イギリスに来て初めてミュージカルに行き、これが当たりだった。
家から5分のところにあるグリニッジ劇場で見た。
ここは小さな劇場で、週末だけの短い公演が多いけれど、
今月だけはオリジナル・ミュージカルを3週間ぶっ通しでやっていた。
これは何かあるな、と睨んで千秋楽の1日前に行った。
やはり心のこもった、規模は小さいけれど上質の仕事だった。
セットもシンプルにして洗練されている。
何より、主演のKatie Elin-Saltという女優がすごかった。
悪く言えば、劇場業界的にグリニッジは場末だ。
だからこそ、この場末をしてこれだけの実力者がいるのが
イギリスなのだと痛感した。
そういう凄みをせいぜい150人ほどで、間近で観られて幸せだった。
その影響で、今や後回しにしてきたミュージカルに前向きである。
近く『ファントム〜』を観に行こう、そう思っている。
↓ミュージカル『ARE YOU AS NERVOUS AS I AM?』のカーテンコール
2022年10月24日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野WS『ベンガルの虎』

↑再び「アサヒグラフ」より。この唐さんの男ぶりを見よ!
昨日は『ベンガルの虎』本読みの2回目。
一幕半ばに差し掛かるところ。
初回から登場していたヒロイン・水嶋カンナに加え、
もうひとりの主人公である青年・銀次を登場させるのが
今回の主眼でした。
前回の終わり、中学の家庭科教師であったカンナの思い出を
横取りしたミシン売りの中年男は、謎めいたまま舞台を去ります。
取り残されたカンナは、次に町内のご意見番であるお市と対峙し、
見ない顔だと邪険にされます。
東京下町で繰り広げられる日本の村社会は、よそ者を許さない。
しょげかえったカンナに手を差し伸べたのは、
今は流しとなった元生徒の青年・水嶋でした。
冴えない生徒だった彼ですが、今や"銀次"を名乗り、
夜の街をギター担いで渡り歩く男に成長したのです。
(と、ここで、ドラマ『きついやつら』で"流し"を演じる
玉置浩二&小林薫コンビの動画を見たりして)
しかし、彼は精一杯突っ張っていても、元々は唐さんの描く
内気な主人公青年です。元先生のカンナに会うことで、
すっかりお里が知れてしまう。それどころか、キャバレーの
ホステスになってしまったカンナに大きなショックを受けます。
この辺が、彼の弱気で童貞気質なところ。
そして、ここハンコ屋の前に来た理由をカンナが銀次に説明する際、
"バッタンバンの象牙"という言葉に合わせて再びハンコ屋の扉が開く。
俗物隊長たちが扮するビルマ僧が登場し、
戦争未亡人であるお市たち町内の婆アたちと対峙します。
戦没者記念碑の建立のために寄付を募るビルマ僧たち。
が、たくましいお市は彼らを一蹴、すぐにニセモノだと喝破します。
お市らが去った後、サギ師としての正体をあかし、
ブラックジョークを言い合ってふざける馬の骨父子商会の面々・・・
というところまで進みました。
今回、特に良かったところは、銀次の登場シーンです。
格好つけ、背伸びしてワイルドに登場した彼が、
かつての先生との再会によってあっという間に素朴な青少年に
戻ってしまう。その一言一言の変化を、巧みに表現してくれました。
この短いシーンは、端的に主人公のキャラクターを表すツボであり、
一瞬一瞬が表情を変える工夫のしどころです。
それを上手くやってくれて、かなり嬉しくなりました。
それにしても、中年男のせりふ、お市婆さんのせりふ、
ビルマ僧に扮した俗物隊長のせりふと、この芝居のせりふには
たくさんの死の匂いが溢れています。
ミシンを踏みながら何気なくカンナが歌う歌もそう。
日本軍兵士が闘った戦地の過酷さを、まるで絵画のゲルニカのように
感じさせる。また、俗物隊長の部下でイジられ役の天地くんが
ふざけて歌う何気ない歌も、生まれてすぐの命が失われる歌です。
1幕冒頭のト書きによれば、この劇は「死者が見る夢」と宣言されています。
「死者」とは誰か? 基本的には『ビルマの竪琴』が下敷きですから、
亡くなった日本人兵士がそれに当たります。
が、それだけにとどまらないところにこの『ベンガルの虎』の真髄が
あると考えています。
もっとも根本的に"死んでいる死者"は誰なのか。
それを考えながら物語を追い、全編に散らばる言葉を読み解いています。
続きは来週日曜日!
2022年10月21日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
週末のMass Danceに向け、昨日から本番会場での練習が開始された。
Sedgehill Academyという高校のサッカー場。
ここに設置された大きなテント。これが会場だ。
といっても、全面に屋根がつくわけではない。
屋根がついている部分は全部ステージで、
だから巨大な開口部になっている。
もともと、これはみんなで踊るイベントなのだ。
観に来る人たちは友達や家族が中心。
予約が必要で、手数料に300円くらいかかるけれど、基本的に入場料は
タダなので、観る人は芝生部分で思い思いに座ったり立ったりしながら
観てくれれば良い、というコンセプトだ。
我がルイシャムはロンドンにある区の中でもアフリカ・カリブ・中東
・アジア系移民が特に多い地域だ。
だから、クラブミュージックからジャズ、コンテンポラリーだけでなく
国籍を超えた数多くの舞踊を展開する。
というように、200人を超える踊り手が主役のイベント。
今週のロンドンはずっと雨がちで、夜になると冷え込むけれど、
とにかくあと数日なので力押しに練習している。
お客さんのために、本番だけはなんとか晴れてほしい。
・・・と、これを書いていたら、リズ・トラス首相が辞任した。
たった1ヶ月半の短命政権だった。
滑り出しから評判が悪かった。
英国の政界事情がよく分からないので、強気そうな彼女に対する
女性差別、男性のやっかみかとも思っていた。が、違ったらしい。
今月初め、ダイアンに「新首相は来年くらいに交替?」
と質問したところ「3週間後!」という答えが返ってきた。
冗談かと思っていたが、本当だったらしい。
私としては、円安が際限なく進んでいるから、
こちらの人たちには悪いが、もうちょっと長く地位にとどまり、
ポンドをさらに下げてくれると助かったのだが・・・
2022年10月20日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑これが200人以上で踊り狂うMass Danceイベントのチラシ。
多様性をテーマにしたMimiの自信作だ。
AlbanyのチラシはA5サイズが基本でやたら分厚い紙が使用されている
昨日は水曜日だったが、変則で劇団本読みを行った。
劇団員+座友(古い言い方だけれど、良い表現!)の本読み、
唐十郎ファン用の本読みWSも、同じ『ベンガルの虎』を当たるように
なった。自分だけ何度も何度も同じ箇所を読むので、各所での説明も
話芸の完成度が上がってくる。まるで落語家。
今週末は立て込んでいる。
昨日に書いた『オオカミだ!』会議があるし、
その後はルイシャム南部にある高校に殺到してマス・ダンスの本番が
二日間連続。日曜日の朝には本読みWSがあり、夜には聴き逃せない
コンサートもある。こうなると、日本にいた時のように車があれば!
そう思わずにいられない。車が欲しい。
車が欲しい、といえば11月の遠出。
この計画を練るのにひどく頭を使っている。
たかが遊びじゃないか。てめえが勝手でやってるんじゃねえか。
と言えばそれまでだが、イギリス南西部がこんなに広大で、
しかもバスや電車の本数がこんなに少ないとは。
まるでサスペンスの犯人のような細密な予定を組まされている。
ティンタンジェル城、ミナック劇場、
プリマスで行われるピーターのアンサンブルのコンサート。
行きたいのはこの3つだけなのに、完全に3日間とられる。
久しぶりに夜行バスに乗ることになりそうだ。
最後に乗ったのは、確か野外演劇『青頭巾』で東北ツアーを
組むため、山形に行った時ではないかと思う。
あの時は、早朝に駅に降り立ち、3キロ歩いて朝6時から
やっている温泉に入った。
当然、イギリス南西部のコーンウォールに温泉はない。
いかにも寒そうなイメージだが、気温はどれくらいだろうか。
なんとなしに常に強風が吹きそうなイメージでもある。
とにかく見るべきものを見て、風邪をひかずに帰ってくる。
これが目標だ。最近は陽も短いし、今月末でサマータイムも終わるのだ。
本来は夏に行くべきところを、後手に回ってこの時期になった。
人気スポットであるにも関わらず、チケットを取りやすいのが
唯一の慰めだ。移動7時間で見るのは2〜3時間。
どこもそんな感じだ。
さらに、今年はもう何度目になるか分からないストライキの噂を聞く。
ああ、車があれば・・・。
2022年10月19日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
Albanyでのシニア企画には、ファッション部門もある。
クリーターのAlisa(右)の指導のもと、思い思いに装飾するのだ。
せっかくなので上の写真を撮ってもらった。
今週は土曜日に『オオカミだ!』会議がある。
気づけば公演まで4ヶ月を切っている。だから追い込まなければ。
さまざまな活動に参加しながらこの事ばかり考えている。
昨日もAlbanyでシニアの活動があったが、
会場であるカフェを普通に利用する家族連れがいた。
4歳と2歳くらいの子どもが駆け回っているのを見ると、
彼らにウケたいと心底思う。
実際の上演を考えてこれまで溜めてきたアイディアを
修練させていくのがこの時期の仕事だ。
が、同時に、ここまで敷いてきた絨毯をひっくり返すようなネタが
ないかと思う。そういう疑いの中で生活している。
そんなことを考えながら、自然に体は動く。
Albanyでシニアの皆さんに関わっていると、あと2ヶ月だという
思いがもたげる。民族や国籍、押し寄せる波のような
インパクトがこのメンバーにはある。
生き方はさまざまだと自然に教えられてきた。
ロンドンには、以前は全く想定できなかった人生がゴロゴロあって
些細なことが気にならなくなる。世界的都市だから忙しないところもある。
けれど、全体に大らかな感じがする。
そういえば、自分が差別を受けたことは無い。
昨晩、ふと『シャーロック・ホームズの冒険』をパラパラ読んでみた。
ホームズは中学校の頃よく読んで、イギリス行きが決まってから
英語の先生に課された課題図書のひとつだった。
簡単な英語にしたやつ。
今回は椎野に送ってもらった翻訳を作業の合間に読んだのだけど、
印象が以前とまるで違う。地名の多くを具体的に想像できるように
なっている。これは愉しい。唐さんの台本が東京に根付いているように
ロンドンと近郊にの地名が溢れている。
100年前の話だけれど、地震の無い国だし、街並みは古い。
想像するに難しくない。
11月の遠出の予定も組んでいる。
Plymouth(プリマス)や、さら先のPenzance(ペンザンス)を目指す。
ほとんどを移動時間に費やすことになるだろうど、見ておかなければ
ならない場所がある。果たして、取りこぼさずに行けるだろうか。
2022年10月18日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
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『下町ホフマン』の研究を開始したおかげでエンジンがかかってきた。
研修する、遠出する、公演を観る、飲食や睡眠、掃除など生活する。
それに『オオカミだ!』に工夫を凝らす。
初夏までのように一日の目が詰まってきた。
残る時間は少ない。意地でも力押しに鞭をくれるタイミングなのだ。

↑練習&本番会場であるSedqehill Academy
15日(土)
歩いて南下し、ルイシャムショッピングセンターから1時間のところに
ある高校に行った。ここのホールで、22-23 日に控えている
ダンスイベントの稽古。150人くらいで練習している。
10人のダンサーを中心に稽古を進行していく。
彼らが各チームに散る。
ティーンたち、障害者たち、子どもたち、シニアたち、など。
そこに国際性も入り乱れている。
アフリカやインドの舞踊も組み入れられている。
さすがのバラエティだ。
中心となるダンサー10人の動きがキビキビしていて気持ち良い。
小学生で、すごい身体にバネがある少年を見つけた。
ふざけてばかりだが、振り付けの飲み込みも異常に早い。
これから稽古や本番のたびに、彼に注目しよう。

↑演奏後のピーターと
16日(日)
『ベンガルの虎』本読みを終えて走って駅に行き、
2時間ちょっとかけてドーバー海峡に面した港町Broadstairsに到着。
この街の小さなホールで、ピーター・フィッシャーがグリーグの
ヴァイオリンソナタを3曲立て続けに演奏した。
ピータにとっては明らかにハードワークだったが、
今年聴いてきた彼のライブの中でベストの仕上がりだった。
19世紀のスタイルに規範を求める彼の美学が満ちていて惹き込まれ、
痛快だった。ソリストとしての彼に立ち会える機会は多くない。
来て良かった。
燃焼してハイになったピーターと海辺に行き、
ディケンズの別荘など見て、季節外れになったビーチ近くの
レストランでフィッシュ&チップスを食べた。
ゴールデンチッピー以外で初めて美味いと思う店に出会った。
かなりライトな仕上がりで、また違った美味しさだった。
演奏後のピーターは疲れが溜まっているのだろう。
何度も道を間違えながらグリニッジに帰宅。
ダイアンがピーターに会いたがるので、少し家に寄ってもらった。
彼らの関係は帰国後も続くだろう。

↑週末に向け通し稽古
17日(月)
学校に行き、午後はDeptford Loungeで
女王の崩御につき延期されていたMoving Dayの稽古。
演出家レミーやプロデューサーのジュリーと久々に再会できた。
前日に日本の三重で行われたジャパニーズ版との違いについて
話したりもした。彼らの心配をよそに、出演者たちの記憶は確かだった。
通し稽古をし、ミーティングして金曜日の本番に備える。
・・・と、ここまで書いているうちに、
放課後の高校生たちが図書館のテーブルを占拠し始めた。
彼らに囲まれてこれを書いていたが、エアドロップでエロ画像が
送られてきた。斜め横の五人組が「しまった!」とばかりに
キョロキョロしている。送ったのは彼らのうちの誰かだ。
こちらはお首にも出さないが、内心ニヤニヤしてしまう。
稽古後もここに残って仕事していて良かった。
どんなだか紹介できないのが残念だが、画像がエグい。
2022年10月14日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑花と伝記とCD。出世作『マイスタージンガー』とブリテン2曲。
そのバス停で降りる者は自分しかおらず、
そこからの道に歩道はなかった。
行き交うのは自動車のみで、これが田舎道らしく半端ないスピード。
語学学校をサボって良かったと思った。
帰り道が暗くなれば轢かれかねない。
20分ほど歩くと、教会があった。
ネットで調べた時に毎日オープンと記されていたが、
案の定、扉は固く閉まり、周囲に人の気配なし。
が、幸いなことに墓石の数は少なかったから、
ひとつひとつ、心に余裕を持って確認していけた。
一通り見回して、無い。
すると、散歩中の老父婦が通りかかったので、彼らに訊くことができた。
二人はグッドオール自体を知らなかったけれど、
もう1箇所、付近に同じ教会付きの霊園があることを教えてくれた。
そこを訪ね、半分くらいの墓石を見て回ったところに、目的のお墓はあり、
その老夫婦もこちらの発見を一緒によろこんでくれた。
見つからなかった役場に尋ねることもできるよ、
と言ってくれた優しい旦那さんでもあった。
花を手向け、本とCDを並べてパソコンでDJした。
彼が専門としたワーグナーの序曲をいくつか。
若い頃はベンジャミン・ブリテンとの共同作業で名を馳せたから、
彼が初演した『ピーター・グライムズ』も。
ブリテンのCDは絶版でプレミアもついていたが、
ヘリフォードで叩き売っていたのを中古屋で見つけたものだ。
到着したのが午後2時半過ぎ。
1時間くらいして肌寒くなってきたので、カンタベリーに引き上げた。
霊園の周辺にワイナリーがいくつもあるらしく、
車を飛ばす人たちはそこの職員さんのようだった。
カンタベリーでピザを食べ、大聖堂での夕べの祈りに参加した。
合唱隊は少女のみ。まったく力まず、声を張らないのに、
言葉が明晰で力のある合唱だった。
この場所の教会音響を知り尽くしているのだ。
指揮をしていた青年はすごくおとなしそうで、
はっきり言えば頼りない感じがしたけれど、すごく敏腕な指導者なのだ。
帰り道は油断しまくり、電車を乗り間違えて遠回りしながら帰ってきた。
午後10時に帰宅。
↓カンタベリー大聖堂の前で
2022年10月13日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑メッドウェイ川を渡る際、いかにもケント州に入った!という感じが
した。実際の境界線はもっとロンドン側にあるけれど。
思い立ってカンタベリーに行ってきた。突発的な小旅行。
最近、不安に思うことがある。
帰国までに行きたいところは多数あるが
果たしてすべてを訪ねることができるのか。
近々、リストをつくろうと思っている。
逆算しないと、後で後悔することになる。
ここは必ず行かなければ、というところはさして問題ない。
必ず行くからだ。むしろ、行った方がいいな、程度の場所は困ったもの。
先延ばしにしているうちに時間が尽きてしまいかねない。
カンタベリーもそういう場所だった。
有名な大聖堂もさることながら、指揮者レジネルド・グッドオールの
墓参りがしておきたい。マップで見ればカンタベリーからさらにバスで
移動した田舎道の傍にあるようだ。
小さな教会つき霊園に、彼のお墓はあるらしい。
たどり着けるだろうか。
これまでの経験からお墓探しの難しさはよくわかっている。
物言わぬ墓石を見つけるのは難しい。
まして彼は、誰もが知る有名人というわけではない。
時間がかかるだろう。
かなり閑散とした土地の感じがする。
尋ねられる人が誰もいなさそうでもある。
英国は刻一刻と冬に向かい、日を追って日没時間が早まる。
だから、語学学校の一限目を終えた後、二限目をサボって飛び出した。
最低限の仁義を切り・・・
自分のいるグリニッジは、
ロンドン都心からドーバー海峡に向かう最初の要所にある。
だから、カンタベリーには行きやすい。
駅に歩きながら、乗車切符をネットで購入し、ホームに流れ込んできた
電車に乗った。絵に描いたような田舎道だった。
有名な『カンタベリー物語』はカンタベリーを舞台にしていない。
巡礼者たちが道すがら語り明かした様子を描写するものだから、
むしろ今進んでいる道こそ、あの話の舞台だ。
ケント州に入ると、陽射しは強まった。
横浜から湘南に出たような感覚だ。そう三浦半島に似ている。
2時間かけてカンタベリー。そこからバスに乗った。
・・・長くなるので、続きは明日。
2022年10月13日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
Tea Danceのアイドル、クリスと良い感じの写真を撮ることができた
一昨日、彼はカンパニーのメンバーと一緒に、仮想の高齢者施設
『THE HOME(ザ・ホーム)』のプロモーションにやってきた。
パフォーマーたちが勧誘員に扮し、
Albanyに集まるシニアを相手に高齢者施設の勧誘をする。
マネージャーの女性による挨拶のスピーチ、少し怪しいキャッチコピーの
連呼、スタッフたちによる歌や踊り、どれも面白かったが、
最高だったのは、彼らの仲の悪さが勧誘中も浮き彫りになることだ。
自己顕示欲の塊のような敏腕マネージャーに
スタッフたちは辟易しており、歌や踊りの出番を奪い合ったり、
小声で罵り合ったり、相手がアクトしている時には
ひどくつまらなそうなリアクションをして
観客たちを大笑いさせていた。
作り込んだ資料もホンモノらしい。
日本では催眠商法やオレオレ詐欺が相変わらず猛威を
振るっているので、それをパロディにしたブラックユーモアが
炸裂していたけれど、勧誘行為自体はホンモノなので、
見事に虚実がないまぜになっていて、パフォーマンスの力を
感じさせた。
配布されたプログラムもよく出来ている。
が、これらはすべて架空の高齢者施設で、
オンライン上で皆が集まってお互いにつながったり、
こうしてパフォーマンスや、前後の交流を愉しむことが
眼目なのだ。
英国のパフォーマーのレベルの高さを再認識させるショーだった。
そしてクリス。
クリスは大変に大きな存在で、初めてクリスと会った時、
Heと言いかけてSheなのかどうかまごついていた自分を察して
「どっちでもいいよ!」と言ってくれた。
日本語では彼/彼女とあまり言わないので、
イギリスで実地に体験してこういう時の作法を覚えてきているのだが、
初期にクリスに会えたことで、安心して学ぶことができた。
その感触が半年経っても残っていて、とにかくありがたい存在なのだ。
下記のホームページを見てほしい。
OiBokkeShiの菅原直樹さんも協力してイギリス/日本 対応の
バーチャル空間を作っている。
末尾のクレジットで
クリスのフルネームがChristopher Greenということもわかったが、
やはりクリスはクリスという感じがする。
2022年10月11日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

『ベンガルの虎』のことを考えながらカレーを食べる(ベジ専門店)
唐さんたちはバングラデシュで毎日カレーに辟易し、
醤油を惜しみながら使ったらしい。毎日はツラそう・・・
先週末に『黒いチューリップ』を終え、
今週末より『ベンガルの虎』をWSの題材として取り上げる。
唐ゼミ☆で未上演の作品をテーマにするのは、
『少女仮面』に引き続き二度目。
「僕らが上演したときには・・・」という話はできないので、
あるべき舞台の姿をより強く思い描くワークショップになる。
「唐ゼミ☆で上演するとしたら・・・」という具合だ。
もちろん、初演時の資料を紐解いたり、この演目を持って
唐さんが行ったバングラデシュ公演に思いを馳せることになる。
新宿梁山泊の舞台も観ているので、あの上演のことも思い出したい。
あの頃、私たちは開国博で巨大バッタを使ったイベントに
奔走していた。それの初日をやった翌日、
紫テントの立つ井の頭公園に駆けつけた記憶がある。
暑い中、唐さんと並んで観た。
あの公演で、それまで"広島桂"さんだった桂さんは
ヒロインの名前"水嶋カンナ"になった。
カーテンコール、金(守珍)さんがあの甲高い声で
「水嶋カンナを演じました水嶋カンナ!」と叫んだ時、
可笑しかったけれど、度外れな情熱と真剣さが伝わってきた。
それから、前によく通った入谷坂本町の景色も甦る。
2014年のお正月に私たちは唐さんの母校、
坂本小学校でやなぎみわさんが書いてくれた劇
『パノラマを』を公演させてもらった。
その前年、春からよく入谷に通った。
小野照崎神社の御山開きや坂本小学校で行われる納涼祭にも
呼んでもらった。そしてなんと言っても、朝顔市。
あんなにも賑々しいと想像していなかったのでたいそう驚いたし、
『ベンガルの虎』三幕の景色がたちどころに理解できた。
朝顔市は『ビニールの城』でも活躍し、
読売新聞紙上で唐さんが添加した連続小説『朝顔男』の
舞台にもなってきた。
日本ではコロナへの対応が長引いている。
朝顔市、浅草のほおずき市も完全復活は来年だろうと思う。
帰国したらまた行きたい。
初回はもちろん、『ビルマの竪琴』の話から入る。
ロンドンであの映画のことを考えていると、不思議な気持ちになる。
かつて東南アジアの島々で、出征したのに一発の銃も撃てず、
ただ飢餓と病気で亡くなった兵士たちも多かったという。
2022年10月 7日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑オレンジジュースを飲みながらショートフィルム鑑賞、のはずだった
昨日、シニアたちが集まって映画鑑賞をした。
といっても、この上映会は彼らのためにあるのではない。
若手のクリエーターがコンクールに参加するべく完成させた
ショートフィルムを、Albany常連のシニアたちに観てもらい、
意見してもらおうというのだ。
会場は劇場近くにある"JOB CENTER"。
これは仕事を斡旋するセンターでなく、飲み屋の名前である。
Albanyのメンバーが利用する馴染みのパブの一つであり、
初めて劇場に来た時に連れてきてもらったのもここだった。
この店を昼過ぎから借り、スクリーンやプロジェクターをセットし
みんなで観る。
やって来た人から、ちょっとしたお菓子と飲み物を手にする。
こういうところ、運営のエンテレキー・アーツはいつも行き届いている。
自分も勧められてオレンジジュースのグラスを受け取った。
イギリスでの私の主なビタミン源はオレンジジュースだ。
風邪をひきたくない。が、フルーツはいちいち高いから
紙パックのオレンジジュースを買って、一本を3日に分けて飲んできた。
昨日でちょうど前のが空いたところだから、今日の分はこれでいい。
やった。ラッキー。そう思ってごくりと飲み込んだ。
・・・久しぶりに飲んだこの重だるい味。酒だった。
よく見れば、カウンターに大量のグラスが並んでおり、
BUSK'S FIZZと書いた紙があった。
酒を飲まないので名前に疎い。
すぐに調べたら、オレンジジュースをスパークリングワインで
割ったものだそうで、飲みやすいと書かれていた。
それから、水平をたもつのもしんどくなった。
後に会議もあり、夜にはポエトリーリーディングの公演を観に行きたい。
翌日の早朝には日本のシンポジウムで喋る予定もある。
などと考えながらも、体が錆びついたようにギシギシし始めた。
目の前では、シニアたちが嬉々として昼酒を飲み、映画に観入り、
フランクに意見を言い合って映像作家たちを緊張させていた。
他方、自分は会議の予定が迫り、1時間ちょっとでその場を後にした。
映画の内容はほとんど入ってこなかった。ただでさえ英語が難しい。
加えてこのコンディションでは・・・。
いつだったか、唐さんのお宅に伺った時、
「中野にこれを買っておいたよ」とパックのグレープフルーツジュースを
差し出されたのを思い出した。美味かったな。あのジュース。
酒が飲めたら、もっと人生が開けたと思う。
同時に、かなり能率は下がり、お金を使っただろうとも。
後に出席した会議では、何も言わないうちからミミに
「大丈夫?」と心配された。隠したつもりだったけれど、
顔に出てしまっていたのである。
病院を勧められたが、それは断った。
事務所のソファで休み、水をがぶ飲みして、昨日は思っていた予定を
強行した。夜の公演では、司会者の喋りは理解できたが、
ポエトリーはさっぱりだった。
2022年10月 6日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

一昨夜の帰り、ロンドン・ブリッジから不思議なものを見た。
テムズ川に浮かぶ船はどちらも背が高い。
前後を挟む二本の橋より明らかに背の高い船が、
どうしてあそこにいられるのだろう?
一昨日はエイシェント室内管弦楽団を聴き、
昨日はエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団を聴いた。
エイシェントは古楽、
エイジ・オブ・エンライトメントは啓蒙時代
という意味。両方、ロンドンで古参の古楽器演奏集団だ。
古楽器集団は20世紀半ばに次々と現れた。
初め、カリスマ的なリーダーが中心となって発足し、
アンティークの楽器やその演奏方法を探究して、
古い道具や奏法の中から新しい響きやスタイルを生み出した。
彼らは既存の大オーケストラとは別の道を行った。
そして、当初は違和感だった演奏が、その後のスタンダードに
汲み入れられていった。
大オーケストラの地位は揺らがないけれど、
彼らの演奏の中には、古楽器集団の奏法や感覚が息づくようになった。
日本の60年代演劇もこれに似ている。
既存の団体に受け入れられない、あるいは背を向けた人たちが
小さな集団をつくって台頭した。もちろん、唐さんもその中の一人。
今や、大きな劇場で上演される劇にも、
唐さんや寺山さんや鈴木さんや信さんや串田さんのセンスが
生きている。運営そのものを直にする人たちもいる。
そういうことだ。
エイシェント室内管弦楽団の創立者、
クリストファー・ホグウッドはすでに鬼籍に入った。
お客さんの少なさが気になったけれど、後継者たちの演奏は
実にハツラツとしていて、初めて聴くハイドンのオラトリオ
『四季』の面白さを教えてくれた。
日本では滅多に聴けない、
けれどもCDではスタンダードナンバーのひとつである。
今年は一通りの楽曲を聴くというのも目標にしている。
それに自分の周囲に置きかえて、色々なことを考える。
もう10月なので、年明けから始まる日本の生活に片足は戻っている
ような感じだ。体はロンドンだけれど、頭の中で来年の帰国後を
思い描くことが多くなってきている。
2022年10月 5日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑前回のTea Danceの仕込み風景。引っこ抜いてきた木が逆さ吊りに
なったいた。
11/15(火)にAlbanyでもひときわ盛り上がるパーティーが開かれる。
その名もTea Dance。昨日は準備のための会議が行われ、
スタッフ、参加者の代表にあたる人たちが結集していた。
司会を務めるクリスもいる。彼こそこの会のシンボルだ。
歌って踊って演奏をして、司会をする。
その振る舞いは周囲への気遣いに溢れている。
当然、みんなが""クリス!"クリス!"と言って慕っている。
前回は6月に開催され、その光景に驚いた。
それまでやってきた歌や踊りの練習、美術創作が何のためにあったのか
たちどころに氷塊した。みんな、この日のために仕込んでいたのだ。
今度は2度目なので、
準備に加わろうと思って会議への参加を希望したのだ。
みんなが前回からの改善点について話し合っている。
プログラムの順番とか、招聘するアーティストとか、
式次第をプリントして配ろう、とかそういうアイディアも出る。
なるほど、こうして意見交換しながらつくられていくのだ。
思えば、スコーンの食べ方を知ったのもあのパーティだった。
上下で半分にパックリと割り、あるいはナイフで切って、
そこにクリームとジャムを塗りたくって食べる。
自分としては濃すぎるが、こちらの人たちはそれに
ミルクティーを合わせる。
それまで、スコーンは、クッキーだパンだかわからない
中途半端なものだったが、この時に旨さがわかり、以来、
しょちゅうプレーンで食べるようになった。
そういう効能もあったのだ。
会場設営は、テーマに合わせてアーティストがデザインする。
前回はRooted=根付く ことがテーマだったので、
Albanyの庭から切り出した木を逆さに吊るしてセンターに飾っていた。
この辺のゆるさがいい。
横浜国大にいたころ、唐ゼミ☆はよくそんなことをしたものだ。
特に竹はどんどん育つので、気兼ねなくフラッグを作る時の
竿にさせてもらったのだ。
ドレスコードについても話し合われた。
別に正装である必要は全くないが、せっかくだからテーマを決めて
それに沿ったオシャレを目一杯しようというわけだ。
これから40日間。そんな風にして準備が続く。
2022年10月 4日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑生き残った片割れ。これがあれば当座は困らないが。
イギリスでどれくらいの落とし物をしてきただろう。
日本にいるのとは違いリカバリーが難しい。
語学力の不足、旅先での出来事であることが原因だ。
公演前も、こういったアクシデントはよく起こる。
忘れ物や落とし物をしてしまう。
いつもは正常稼働していた機械類が故障する。
運転中に交通違反をして切符を切られてしまうことも、ままある。
それらに対処しつつ、いちいち落ち込まないようにしてきた。
公演準備は非日常のことなので、自分でも気づかぬうちに浮つく。
ちょっとしたトラブルが起こるし、スムーズに運ばないのが普通だ。
経験とともに観念し、アクシデントを想定してやりくりするようになった。
イギリスでも、いくつかのものを失くしている。
耳かき。これはエジンバラで失くした。
地元、天王町の薬局で売っているかなり良いやつで、
ダメージを受けた。イギリスのスーパーや薬局では
そもそも耳かき自体を見かけないのでAmazon.UKで買って補った。
が、もちろん精度は及ばない。
ぜんそくの薬。これはラドローで失くした。
ストックがあるが、ひと月分くらいを失くしたので、
1日2回の吸引をしばらく1回に減らして補った。
文庫本。
これは、ロンドンのグローブ座付近の路上で落とした(と思う)。
岩波文庫に『大した問題じゃないが』という20世紀初めに
イギリスの新聞に載った名エッセイ集がある。
3分の1を読み残して落とした時、続きが気になった。
が、タイトルに励まされて悔しさを克服した。
大した問題じゃない。
・・・『少女仮面』の最後の方で、
ヅカファンの少女たちが春日野に服や髪の毛を返す場面の
せりふみたいだが、このような具合である。
いずれも致命傷を帯びるようなものではないが、
日常の便利や楽しみが少しずつ損なわれてきた。
先週末に、コンセントの変換プラグを失くした。
大小2種類の部品から構成されているこのアイテムのうち、
メインでない小さい方を失くした。イギリスでは残りの大きい方で
機能するので問題ないが、追い詰められた感じはする。
変換プラグについては、警戒して2個持ってきた。
全部失くしたらPCとケータイの充電ができない。死活問題だ。
実は、ラップトップももう一台持ってきている。
何年かに一度、自然に壊れるし、置き引きに遭うかも知れない。
そう思ってのスペアだ。
2006年に『ユニコン物語 溶ける角篇』をやっていた頃、
室井先生はサバティカルで数ヶ月間ヨーロッパに行き、
置引きか何かでパソコンを失くした。
「大問題が起こった!」という悲壮な連絡を受けた覚えがある。
あんな風になるのは絶対にイヤだと思ってもう一台持ってきた。
ただし、スペアは今回のように
グリニッジに定住しているだから可能な技だ。
常に移動しながらの一年だったら荷物が増えて仕方がないから、
スペアを持ち運ぶ余裕は無いと思う。
あと、サバイバル力を磨く機会を失っているのかも知れない、
とも思う。人間、その気になれば現地調達できるはずだ。
あるいは、諦めてそれ無しで生き抜く強さも育まれる。
そういうチャンスを放棄しているとも言える。
残すところ90日を切っているが、まだトラブルはあるのだろうか。
ちなみに今年は厄年だが、折に触れ、イギリスまで厄年は及ばないと
自分を励ましながら生活してきた。
占いにも弱い。ああいう言葉にはなんとなしに縛られてしまう。
2022年9月30日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

初めてチラシを受け取った。
最近、また鉄道ストライキがあるらしいと噂で聞いていた。
それが、昨日、グリニッジから都心に出るために駅に行ったところ、
気の良いお兄さんがこの宣伝チラシを配っていたのだ。
10月1日と5日、8日に実施されるようだ。噂は本当だった。
今年、何回目のストライキだろう。
特に印象的だったのはエジンバラから帰れなくなった8月第3週の
ストライキで、あの時は前日に「数は少ないけど大丈夫!」と駅員に
言われたにも関わらず、翌日になってロンドン行きが全滅、
宿泊を延長する羽目になった。
もっとも、あの素晴らしいスコティッシュ・ナショナル・シアターの
仕事に立ち会えたのは収穫だった。さらに翌日、
疑心暗鬼にかられた私はかなり早朝にエジンバラを発った。
鉄道もまた一寸先が闇、これが日本との違いだ。
郵便についても似たようなことが頻発している。
こちらでもAmazonをよく使う。"JP"ではなく"UK"。
これがしばしば、勝手にキャンセルされるのだ。
最もひどい場合はこんな具合。
「翌日に配送」とあるのでポチる。
翌日に「あと三日かかります」の通達。
さらに二日後に「明日届けます」の連絡。
当日になり「うまく届けられないのでキャンセルしました」
というメッセージが届く。・・・来る来る詐欺。
悔しいのは、待ち続けている期間に、
街のお店で目的の品物に遭遇してしまう時だ。
目の前の品を買うこともできず、かといって、
本当に届くかどうかも怪しい。
体感的には、4回買い物をするとそのうちの1回は勝手に
キャンセルという頻度。これもまた日本との違い。
10月1日(土)はタイムトライアルになりそうだ。
朝のオンラインWSを終えた後、13:30キングスクロスまで余裕を
持って移動するはずだった。が、ストライキにより想定を
変えなければならない。どの電車が止まり、どの電車は動くのか。
混むであろうバスだとどの程度かかるのか。
そんな情報収集と試行錯誤が必要だ。
少し油断するとすぐにピンチが訪れる。日本との大きな違いだ。
2022年9月29日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑英国が誇るメゾソプラノDame Sarah Connolly(左)
伴奏Joseph Middleton(右)もかなりの腕利きだった
ダイアンがギリシャのイタカに旅立った。昨日から一人暮らしである。
出かける前、彼女は何度も施錠や電灯のオン・オフについて
指導していった。ロンドンは危険なのだ。だから注意深く
それを遂行しなければならない。
出かける時にはラジオをオンにする。泥棒をビビらせるためだ。
あとは庭の水やり。けっこう時間が抱えるので、雨が降ると楽になる。
ロンドンの雨の多さが、ここでは幸いする。
朝からAlbanyのボランティアスタッフの茶話会に出た。
彼らの意見を汲み取るために定期的に行なっているらしい。
きめ細やかである。実際、彼ら無しに日々の事業の継続は難しい。
だから大切に耳を傾けて、主体性を持ち続けてもらうのだ。
「The Wating Roomに来て」と言われ、劇場の受付で訪ねたら、
そんな部屋は無いと言われた。結果的に近所にある喫茶店のことだった。
紛らわしい名前だ。語学力と土地勘が揃わないと辿り着けない。
いまだに、こうしてあちこちにぶつかりながら日々を過ごしている。
辛いところでもあるが、少し遅れたっていいやと鷹揚に構えている。
分からない原因が分かりずらいので、焦っても仕方ないのだ。
午後はキッズプログラムを観て、それから都心に出かけた。
2ヶ月前、衝撃だったThree Choirs Festivalの最終夜に登場して
その技量を見せつけたDame Sarah Connollyを聴くのだ。
男性はSir、女性はDame、騎士の称号に女性版があることを
私は彼女を通じて学んだ。
英国一のメゾソプラノだそうだが、完全に納得している。
他を聴いた数が少ないので断言できないが、絶対値がすごいことが
よくわかる。ピーターと大学の同級生らしく、若い頃から抜けていた
と教えてくれた。
数年前に大病をし、手術をして、声量が衰えたということだが、
衰えてなお恐るべき歌手である。今まで持っていたCDの多くに彼女が
登場していることが分かって、彼女を目的に音源を聴きなおすのも愉しい。
彼女の力感と演じ分けの力がフルに発揮されたバラエティ豊かな
リサイタルだった。前半は英語の歌。後半はフランス語やドイツ語の歌。
後半のトップに歌ったショーソンの歌曲の悲劇性が会全体のハイライト
だったが、その後はヴァイルなどを歌ってお洒落に愉しく終った。
最後の方は、彼女の向こうに舞台となる安酒場が視えるのだ。
高級なチープさだった。
2022年9月28日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑野外劇のカーテンコール。普段は加害者の側に回る私だが、
やっと終わったと拍手しながらかなり嬉しかった
昨日は午前中からAlbanyに行った。
再来月のパーティーに備えて、シニアたちは二班に分かれて
準備している。美術製作がしたい人たちは、飾り付けの造花を作る。
アーティストによるお手本を参考に量産していく。
もう片方のチームは、出し物の合唱の練習をしている。
『ブルーベリーヒル』『スカボローフェア』
『ワンダフルワールド』に加え、みんなで作詞して先生が曲を
振ったもう一曲をやる。昨日は3つの既存曲の練習。
パート分けしてハモるのだが、自分は高い方に配属されている。
『スカボローフェア』を歌いながら夏に二度行ったエジンバラを
思い出した。電車の窓から見えたスコットランドの海沿いの景色。
夏だけど寒そうだったあの風景が、サイモン&ガーファンクルの
描いた世界だと思う。
『ワンダフルワールド』の2番を歌っていると、自分の子どもが
生まれて2歳くらいまでを思い出す。
それなりに長く生きて来たので、歌詞が沁みるようになった。
その後はデスクワークをして、夜に野外劇を観に行った。
テムズ川沿いのベニューで、ナショナルシアターのバックアップによる
新作劇の発表があった。
18世紀、産業革命前夜に発見された不思議な牡蠣をめぐる
エピソードに、現在のジャーナリストが北極の様子を
ライブストリーミングする話が絡む、というトリッキーな物語だった。
要するに、気候変動と環境破壊を意識して創作されたストーリーだ。
俳優のレベルが高く、スタッフワークも緊密で唸ったが、
野外に必要なワイルドさには乏しかった。
明らかに膨大なコストがかかっている。
舞台は貧乏臭くてはいけないが、
あまりにテクノロジーを駆使しすぎると、
もはや劇場の中でやれば良いのではないかということになる。
そういうステージだった。
それから、昨晩は寒すぎた。
気温は10度だったのである。もっとマックスの厚着で
行けば良かったと後悔しながら観劇し、1時間50分を震えながら観た。
直前に近所のベトナム料理屋で熱々のフォーを食べたのが幸いして、
風邪をひくことはなさそうだ。一方で、隣の席に座ったおじさんは、
なぜかハーフパンツに半袖Tシャツにも関わらず余裕そうだった。
英国ではこういう人をよく見かける。
極寒なのに半袖短パン、バーの屋外席でギンギンに冷えた
ビールジョッキをあおっていたりする。
多様性という言葉を実感する。彼らは同じ人間に違いないが、
同じ人間には思えない。体感温度にも、かなり個人差があるらしい。
役者は役によって露出度高めだったり、
ずっと倒れている役の人もいて心配になってしまった。
かつて、極寒の中で自分が公演してきた様々な作品を思い出した。
2022年9月27日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑ガラの悪い街ながら壮麗な教会がある。コンサート直前の風景。
イギリス国教会の様式
Croydonという街に初めてやってきた。
といってもロンドン市内、Albanyから徒歩と電車を合わせて
南に小一時間行ったところにある街。
ああ、また一つワイルドな場所に来た。
スリや盗難に遭わないように。ケンカにも巻き込まれないように。
けれども、見るべきものは見たいのでジロジロと周囲を睨め回しながら
歩いてしまう。
目的は9月頭に都心で聴いた合唱集団The Sixteenの公演。
彼らほどの実力者であれば、同じプログラムでも何度も
聴きたくなる。むしろ、違う会場の建築を観て、
そのアコースティックをいかに彼らのものにするのか、
愉しみは膨らむ。それにしても、なかなかの土地柄・・・
こういう新たな土地、しかも経済力や治安が良くなさそうな場所を
訪れるのにも慣れてきた。パウンドランド(英国の100円均一)や
Icelandという量販店スーパーを発見したら、その土地の平均所得は
推して知るべし、ということも分かってきた。
自然に、財布やケータイを仕舞う場所を組み替える。
後ろポケットに入れていようものなら、
ヒョイとつままれてしまうこともあるからだ。
先週末、日曜日は面白かった。
ピーター・フィッシャーの出演するフィルハーモニア管弦楽団が
マーラー1番を演奏するので、この曲が最も好きだというダイアンを
連れて行った。指揮者のサントゥ・マティウス・ロウヴァリは美音で、
精妙な優雅な音楽をやる。
主題の変遷がよくわかり、綺麗な演奏だった。
これがロンドン交響楽団ならもっと躁鬱の激しくなるけれど、
彼らの演奏は温かみがあって、高齢のダイアンを招くに
もってこいだった。
ピーターがお友達割引を駆使して、特等席を格安で用意してくれた。
私たちが座った席の周りには彼の他のお友達もいて、
終演後はその中のご夫妻のご自宅に伺った。
我ながらちゃっかりしたものだが、
ダイアンは持ち前の社交性を発揮し、サウスバンク・センターと
ナショナル・シアターから徒歩5分のところにあるその家を
「ステキな部屋だ!」絶賛しながら、私と一緒にお呼ばれした。
帰り際になって、その家のご主人に、
「昔、日本人の演出家が演出した舞台を観たことがある」
と言われた。アラン・リックマンが出ていた、とも。
ということは、蜷川さんが演出し、清水邦夫さんが書いた
『タンゴ・冬の終わりに』の英語版『Tango at the end of Winter』
に違いなかった。
1991年。プロデューサーの中根公夫さんは勝負をかけた。
それまで、十八番である『王女メディア』『NINAGAWAマクベス』
に向けられた海外での評価は高かったけれど、いずれも各地で
短期に公演したイベント的な公演だった。
その点、『Tango〜』は座組を海外でつくり「興行」を目指した。
日本の演劇人が挑んだ大ジャンプだった。
会場は、ウエストエンドの中心にあるピカデリー・シアター。
結果的には、勝ったとは言えない公演だった。
初日直前にチケット販売を行っていた会社が倒産して
売れていた入場料が全く入って来なくなった。
(それでも中根さんは、わずか当日券が売れる収入や助成金を
駆使し、赤字と闘いながら予定していた公演を全うした)
演目も、西洋のリアリズム演劇の延長にある戯曲をなぜ持ってきたのか
と言われたらしい。期待された"日本"の要素は、確かに弱かった。
けれど、観劇したその人は、面白かったので二度観に行ったそうだ。
これには嬉しくなった。
帰国したら、中根さんに伝えに行きたい。
2022年9月23日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

Albanyに通うこと8か月が経とうとしている。
しかし、まだまだ知らないことは多い。
通い慣れた企画ですら、知らない計画が進行中ということもある。
これが日本語でのやりとりならば、注意して聴いていなくても
会話が自然と耳に入ってくる。「何それ?」と会話に割り込み、
情報を得ることができる。しかし、やはり英語は難しい。
そんな状態ではあるが、先日、
シニアたちを連れて都心に出かけると聞いた。
尋ねれば、数ヶ月に一度そういう外出をしているらしい。
連れて行ってよと頼んだら、ウェルカムと言われた。
結果、昨日は学校をサボって都心に出た。
朝10時にヴィクトリア&アルバートミュージアムに集合。
英国の黄金時代を築いた女王と旦那さんが世界から収集した品々を
展示した施設だ。南はアフリカ、東は中国まで、"帝国"という言葉を
強く実感させる展示品の数々。
10時に行ってみるとスタッフが集まっていた。
シニアたちはタクシーでやってくる。
今現在タクシーがどこにいるかはケータイでモニタリングできる。
それを眺めながら、導線を確認する。
このスロープを使おう、とか。
荷物置き場はここで、学芸員に話を聞く場所はここ。
最後に集合して軽食を取る場所はここ、という具合だ。
運営にあたるエンテレキー・アーツの面々は、サンドイッチや
スナック、フルーツを持参している。まことに余念がない。
今日の目当ては、常設展ではなく、
アフリカ・ファッションをテーマにした特別展だ。
コンテンポラリーにアフリカ色を反映したモードを展示していて、
華やかだった。その上で、常設展のアフリカ部門も見てね、
というコンセプトなのだが、今回は時間を限っているために、
シニアたちはひたすら特別展のみを見る。
果たして、タクシーから降り立ったシニアたちは輝いていた。
ルイシャム地区は移民の街。アフリカやカリブからやってきた婦人たち
なので、アフリカ・ファッションを地でいっているのだ。
展示場では一つ一つを食い入るように眺め、記念撮影をしてゆく。
とにかくじっくりと見て、キャーキャー盛り上がっている。
こういう性質の展覧会だから、おそらくファッションを学んでいる
学生たちが大勢来ていて、彼らもなかなかの洒落者揃いだったけど、
恰好も振る舞いも、うちの組は度外れに派手で周囲を圧倒していた。
ツアー開始前のスタッフ会議でお互いに確認しあったのは、
彼らをミュージアムショップに絶対に近づけてはならない、
ということだった。それだけで2時間過ぎてしまう。
そういうわけでショップには目もくれさせず、目的地まで案内した。
一通り終わった後は軽食を取り、迎えに来たタクシーにみんなで
乗り込み、にこやかに帰っていた。なかなかの遠足である。
2022年9月22日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
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昨日は日本からやってきた鷹野梨恵子さんにグローブ座で会った。
優れた女優である鷹野さんは、
今やGMBH(ゲーエムベーハー)https://www.gmbh0802.com/という集団を
立ち上げ、運営もしている。
ちょっと前にプロデュースしたイエローヘルメッツの『ヴェニスの商人』
を終えたばかりだが、疲労も感じさせずイギリスにやってきて、
シェイクスピア関係の場所を巡り歩いたらしい。
グローブ座のガイドツアーと『ヘンリー8世』を一緒に観た。
鷹野さんを初めて認識したのは彼女がまだ無名塾に在籍していた頃、
当時、よく唐ゼミ☆に出演してくれていた虎玉大介くんが
他の芝居に出るというので観に行ったら、そこに鷹野さんも出演していた。
物語の設定は昭和初期。戦争に向かっていく日本を生きた
若い芸術家たちを描いた話だったと思う。
あだっぽい踊り子役を彼女は演じていた。
持ち前の身体能力を活かしてピョンピョンと跳ねるように
舞台に現れたのが、とても目を惹いた。
それから、他の男の役者たちとせりふを応酬した後、
「あたし、ヌードはしないわよ」と言ったのをよく憶えている。
言葉のインパクトもさることながら、その見栄の切り方、
表情はせりふを凌ぐ押し出しの強さだった。
いかにも勝ち気そうな感じがしたけれど、
3年程前に再会した普段の鷹野さんはおっとりした感じで、
そのギャップに驚いた。しかし、やはり強い。
無名塾に入る前、ドイツでコンテンポラリーダンスを学ぶために
一年間留学した経験もあるという。
そんな風に国際経験もあり、踊り込んでいるから体力も違う。
渡英の翌日にはストラトフォード・アポン・エイボンに行き、
さらに翌日にはロンドン塔を巡りグローブ座に来て、二本の劇の合間に
ガイドツアーにも参加していた。
自分はといえば、渡英翌日はビザのカードを郵便局に取りに行った後は
頭痛がひどい上に買い物の仕方もよくわからなくて、ビクビクしながら
ホテルで寝ていた。実感として三日間は動けなかった。
それに比べると、イギリスでスイスイとでフル稼働し、
1週間くらいで日本に戻っていく鷹野さんは強靭だ。
研修を終えて日本に帰り、再訪したとしても自分には真似できないと思う。
シェイクスピアについての全てにキラキラした視線を送っていて、
この歴史上もっとも有名なイギリス人に、どれだけ彼女が
突き動かされているかが分かった。
それにしても、『ヘンリー8世』こそは渡英以来観てきた
シェイクスピアの中で、一番の自分のお気に入りである。
エリザベス1世の誕生シーンで締め括られるあの劇を、
プラチナムジュビリーの時に観、お葬式の周辺で観たことになる。
出生の場面では場内から大きな拍手が送られた。
幕開け直後だった6月よりも出演者が好き放題に演じていた。
細部に遊びがあって、熱演する場面の燃焼も激しく、両者のメリハリが
効いていた。バカな下ネタの数々を大胆に繰り出す中に、
それぞれの役柄の悲哀を滲ませていた。
2回目だし、作品をよく知っている鷹野さんにも教わり、
どこをカットし、何を足しているのかもよく分かる。
自立した台本としては、他に優れたものはいくつもある。
ここまで押し上げたのは現場の力だとつくづく思う。
やっぱり昨日も面白かった。
↓エリザベス1世(左)を黒人の女優が演じる。技ありのアイディア
2022年9月21日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑2011年のリサイタルより。ステージ上でいつも張り詰める唐さんも、
安保さんが横にいれば安心の表情
昨日、9/20は安保由夫さんが亡くなった日だった。
改めて思い出してみれば、2015年のこと。
もう七年も経ってしまったのかと驚く。
ほんとうに、ちょっと前まで安保さんの肉声を聞いていた
ような気がするけれども、あの時はまだ、今度6歳になる長男が
生まれる前だったから、確かに七年だ。
安保さんが亡くなった日、セレモニーはやらないと聞いたけれど、
居ても立っても居られなくて、高円寺駅南の火葬場に押しかけた。
唐組や梁山泊のメンバーはもちろん、状況劇場で同級生的な
仲間だった十貫寺梅軒さんや小林薫さんも来ていた。
式はないけれど、それに匹敵する人の輪がそこにあって、
僕らも末席に加えてもらった。
あれから、『あれからのジョン・シルバー』や『唐版 風の又三郎』を
二度ずつやった。その度に安保さんを思い出してきた。
ああ、生きていてくれたらなあ、と思う。
紅テント在籍中、卒業後も安保さんが手がけた歌で、
まだまだ知られていない劇中歌があると思う。
『音版唐組(CDで復刻し『状況劇場劇中歌集』)』に
収められたのはいずれもそれぞれの演目中、メインに歌われた唄。
けれど、ちょっとしたコミックソングや、役者たちが群れなして
歌うような記録に残りづらい劇中歌の中にも、安保さんの傑作はある。
ちょうど、劇団員たちとオンラインで『ベンガルの虎』を研究している。
10月後半から唐ゼミ☆WSも同じ演目を読むことにした。
あの中でヒロインが歌う『雑巾の唄』はもちろん良い。
でも、女性劇団員たちが唐行きさんに扮して合唱する
『鬼と閻魔』も傑作だ。
本当に、唐さんを追いかける自分たちにとって、
安保さんが逝ってしまった喪失感は大きい。
もっともっと色んな話と歌を聴きたかった。
安保さんがいた新宿のナジャに行くと、
酒が得意でない自分のために、安保さんは薄い水割りと
食べる物を作ってくれた。長芋を輪切りにしてバター醤油で炒めたもの、
日本らしくもちもちの麺でつくった特性のナポリタン・・・
今こそああいうものが食べたい。
安保さんはちょっとしたものを仕立てる料理上手でもあった。
2022年9月20日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑チェーン店ではないこのコンビニ。ここは開いているはずだと思ったが
昨日はエリザベス女王の葬儀だった。
朝から日本とのZoom会議をしたが、その後は予定が無くなった。
語学学校も研修先も劇場もどこも閉まっている。
本来はケンブリッジまでコンサートを聴きに行く予定だったが、
それも1週間前には中止の連絡が来ていた。
日用品の買い物があったから、家を出て近所を歩いた。
道すがら、あの店は閉まっている、この店も閉まっている、
しかし、やっている店もある。2割程度の稼働だった。
メジャーなスーパーは全部閉まっている。
チェーン店も大概閉まっている。
ロンドンには日本のコンビニにあたる24時間営業の店は稀で、
そのかわり雑貨屋みたいなものは無数にある。
これらもほとんど休みだった。
小さい頃のお正月を思い出した。
当時は昭和の終わりで、現在のように元旦から、
あるいは二日から店が開いているということもなかった。
三が日という言葉が生きていた。
おせち料理やお餅は、それら店舗が閉まっても食事が絶えないための
保存食だった。
小学校に入った頃からコンビニができ、
それに引きずられるようにスーパーも開き始めた。
だから学校に上がる前の、あの静だったお正月を思い出した。
予定から予定を渡り歩いている時の方が、熱心に音楽を聴こうとするし、
本だって読もうとする。今日は早朝のミーティングで燃焼してしまって
なんだか能率の悪い日になってしまった。
洗濯はした。
ロンドンは寒く、もう半袖や薄手のジャケットに活躍の機会はない。
コンパクトに畳んで、近く、日本に送るための準備を始めている。
届くのに数ヶ月かかる安い船便で送る予定。
残り三ヶ月半。100日ちょっとだ。
2022年9月19日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野WS『黒いチューリップ』
↑鉢にはノブコ(Nobuko)の頭文字であるNの文字!
咲いてすぐ散る花の仕掛けは、当時劇団にいた安達くんが開発し、
仕掛けを実験しては盛り上がった記憶があります。
昨日は『黒いチューリップ』本読みの第7回。
2幕の終わりから、3幕冒頭をやりました。
前回に引き続き問題になっているのは、
姉ノブコが獄中からケイコに送ってきた球根入りの鉢です。
エコーがこれに触れたところ、成長は加速し、
もう少しで花開きそうなつぼみまで急激に変化していたことが判明。
これを、花にとって心地よくもとあった鉢に戻し、
いま少し見守れば見事開花、という寸前まで来ます。
途中、エコーを伝説のパチプロと思い込む泡小路の邪魔も入りますが、
彼のエコーへの一途な想いは簡単に黙殺されるギャグも挿入される。
球根が鉢に還ると俄然、身を乗り出してくるのが春太です。
彼は花屋のプロとして、黒いチューリップの生育に
病みついた者として、花弁の色が黒へと向かっていることを確認。
さらに、それが暗闇の中だけでなく、立派に世間(陽の当たる世界)
でも生きていかれるかどうかをテストします。
それこそ、この芝居の全ての場面に底流として流れる善福寺川の
川の水を注射器で含ませることで、黒い花を試そうとする。
このシーンの春太とケイコの問答は、
黒いチューリップと姉ノブコの存在と特質を重ねて見事に展開します。
同じ花を相手にしてそれぞれのせりふを言いながら、
ノブコを想うケイコ、ノブコそっちのけで花に執着する春太を
鮮やかに描き出す。
結局、ノブコの花はシャバの水には耐えられず、
その花びらを散らします。そして、花を試す春太の強行な姿勢を
恨んだケイコは、かねて練習していた毒入りキッスを
春太に食らわせようとする。
が、その時、練習中に誤って虫歯の穴に入ってしまっていた
毒薬が口の中に踊り出し、ケイコはこれを飲んでしまう。
春太は口から吐き出された一粒、自分を襲おうとした丸薬を
すぐにの農薬と見抜きます。
ケイコの遺した書き置きにより、
エコーはケイコの解毒のための景品買いの婆あサキを
訪ねる運命に直面します。これが2幕の終わり。
ここまで、ずっとタクシー運転手の菊地も刑事の泡小路も
舞台におり、しかも、80〜100人からなる警察学校の生徒たちが
それぞれに抱えたチューリップの鉢、すべての花弁が散る
というト書きは、唐さんが現場に託した挑戦状といえる
ト書きが炸裂します。
変わって3幕。
おっかなびっくりパチンコ店「黒いチューリップ」の裏手を
訪ねたエコーとサワヤカ(エコーが加勢として呼んだ)は、
サキをボスに頂く婆あの群れと対決します。
『ロミオとジュリエット(小田島訳)』をパロディしながら
このシーンは展開し、エコーはサキに課されたロミオの
せりふを見事に言ってのけ、解毒の薬の調達まで、一歩前進。
・・・というところまでやって昨日は終わりました。
いつも3幕ものでは、2幕の終わりが緊迫し、時に血を見るなど
苛烈なシーンが唐作品の持ち味ですが、この芝居は特別です。
基本的には非常にシリアスなのですが、
設定の中にはかなり間抜けというか、バカバカしく、
どこまでいってものどかななのです。
心に波風を立てず、ショッキングな要素を控え目にして、
安心して見られるのがこの演目の魅力。それを象徴するシーンの
連続です。その中に、球根の仕込まれた鉢をテストする場面では
唐さんらしく「引きこもり」の心情を描写しています。
次週は、サキがエコーの体を狙って襲い掛かるところから。
ケイコが復活するまで、物語の本質からは脱線し、
縦横に展開する唐さんのお笑い路線を楽しめる場面が連続します。
2022年9月16日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
ダウンロードが隆盛だ。CDを売る店がめっきり少なくなった。
ロンドンでは、私がCDを買う店は2軒に集約されている。
都心のトットナム・コートロード駅近くにあるフォイルズという本屋と
ノッティングヒルにあるClassical Music Exchangeという中古屋だ。
最後の砦として頑張っているこれらの品揃えは良い。
が、たった2軒は淋しい。
フォイルズのジャズコーナーのおじさんと話した際、
彼は元々独立した店舗を経営していたのだと教えてくれた。
それが立ち行かなくなり、この大型書店が中に引き込んでくれたそうだ。
ここからソーホーは近く、有名なジャズクラブがいくらもある。
CDへの需要があると思うのだが、時代の波には勝てない。
最近、遠出した際、お土産物売り場でCDを売っているのを発見した。
懐メロというか歌謡曲というか、そういう類の品揃え。
日本でいうと、高速道路のSAで売っている内容のような感じだった。
そして、ひどく埃をかぶっている。
興味を持ってしげしげと見ていたら、上のCDが1,000円くらいで
売っているのを発見して即買いした。
メリナ・メルクーリはギリシャの国民的女優だ。
私が初めて彼女を認識したのは、蜷川さんの『王女メディア』の
映像を観た高校時代。あの演目をギリシャの古代劇場で上演した
ことにより蜷川さんは世界で頭角をあらわしたのだが、その時の
ギリシャの文化大臣がメルクーリだった。
カーテンコールの映像。
かつては自分も演じた役を、日本人の平幹二朗が演じているのを
涙にくれながら称賛していた。文化大臣だから前列のVIP席で観ていた
彼女は、観客の拍手に応えるステージ上の平さんの前に進み、
何か言いながらキスをしている。
そのキスが、なにやら頭突きみたいな迫力なのだ。
パッチギと言った方が良いくらいの獰猛さ。
興奮して平さんの顔面にゴンゴンやっているようにしか見えない。
あれは印象に残った。
さすがギリシャ悲劇のヒロインをことごとく演じてきただけあると
感心した。ゴツい魅力なのだ。
次に彼女を意識したのは、唐さんとのやりとりの中だった。
唐さんが20代の頃に観て虜になった映画に『Phaedra』という
ギリシャ悲劇を現代化したものがある。邦題は『死んでもいい』。
彼女はその主演なのだ。
※DVDは無いけれど、下記アドレスにフルアップされている
https://www.youtube.com/watch?v=JQVbuCbpZ_c
監督は彼女の夫のジュールズ・ダッシン。
二人の仕事としては『Never On Sunday』の方が有名だ。
邦題は『日曜はダメよ』(見事な翻訳!)。
唐さんは『死んでもいい』の主題曲のメロディが好きで、
その影響は『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』や
『続ジョン・シルバー』『吸血姫』にあらわれている。
ここから先は自分の想像だが。
メルクーリの歌声を聴き、駆け出しの唐さんは彼女の声質を、
隣にいる李さんに重ね合わせていたのではないかと思う。
低音域がよく出るところ、それがちょっとかすれるようなところ、
それでいて音域広く高音まで出るところが、似ている。
ひょっとしたら、野心に燃える唐さんは、
メリナ・メルクーリのような魅力で李さんを押し出していこうと
恰好の好例として捉えたのかもしれない。
・・・というような様々な思いが10秒くらいで過ぎり、CDを即買い。
ギリシャでテレビに出演した際に歌っていた主題歌を集めたもの。
なぜこんなものがお土産物屋の軒先にあったのか、それは謎だ。
2022年9月15日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ゴールデンチッピーのオーナー・クリスさん。
若い時の苦労、商売人としての重厚さが笑顔の奥に滲み出ている。
エリザベス女王の死で霞んでしまったが、
先週は英国に新しい首相が誕生した。リズ・トラス首相。
滞在していた城に新首相を迎えて任命した後、
2日して女王は亡くなった。だから、首相の初の大仕事は
旧国王の葬儀と、新国王の戴冠とを国家代表として仕切り、
立ち会っていくことになる。
外交的に彼女は一気に顔が売れるだろうけれど、
これから女王を頂いていたいくつかの国で
英国王室との距離感をめぐって様々な動きが出てくるだろうから、
これらに対応するのは骨が折れるだろう。
旧大英帝国領の国々にとっては、
ここで動かなければズルズルいってしまうと必死になるだろうし、
英国内の国民だって、あの女王だから許せていた予算の捻出を
今後も維持するモチベーションがあるかどうか。
宮殿7つは多すぎるよ、と英国人の知り合いが言っていた。
日本のロイヤルはそれに比べるとだいぶ質素だよ、と教えた。
マーガレット・サッチャー元首相は現職時、
女性として女王よりも前に出過ぎないように気を遣ったらしい。
それはそうだろう。
主演女優と同じ色の衣裳を二番手が着てはいけない。
若手女優が主演である場合、クレジットの最後に来るような大物女優と
かぶってもいけない。まして、初めて女性として首相になったのだから
先例もなく、大変に気を遣ったと思う。
英国3人目の女性宰相はこの悩みから解放されたとも言える。
トラス首相は地元の人だそうだ。
ホストマザーのダイアンがどこからか彼女の家がグリニッジにあると
教えてくれた。そこでゴールデン・チッピーに行った際にオーナーの
クリスさんに訊いたのだ。
こういうネタは、地元の繁盛店の店主に訊くのが一番。
結果、やはりクリスさんの店の裏手の丘を上がったところに
大きな家があるそうだ。
クリスさんの店は地域ナンバーワン フィッシュ&チップスの呼び声高い。彼は若い時にトルコからやってきて、
働きに働いてこの繁盛店をつくり上げたそうだ。
いつもひっきりなしに多くのお客が出入りするから、
自然とこの界隈の情報は彼に集まる。だからなんでもよく知っていて
「あの辺だ」と指差しながら教えてくれた。
着任後すぐに、トラス首相には若いボーイフレンドがいるという話題が
メディアに抜かれた。夫とは別に、二年間に渡って付き合ってきた彼が
いるらしい。
君主の死がこのニュースを覆ってしまったが、
例え女王の話題がなかったとしても、こちらでは、例えば首相を
辞任させられたりする程のニュースではなさそうだ。
2022年9月14日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑テイト・モダンの前に掲げられたバナー
「用意していた!」
これは、唐さんの作品の中でも80年代の傑作『ビニールの城』二幕に
出てくるせりふだ。相棒である人形「夕顔」を探し続けていた
腹話術師「朝顔」の前に、水槽に封じられた夕顔が現れる。
水に潜って助けなければ!
すると朝顔はポケットから水中眼鏡と水泳キャップを取り出す。
こういう事態を予測し、彼はあらかじめ完璧な用意をしていたのだ。
先のせりふはここで出てくる。なぜこんな周到な準備ができるのか。
もちろん、芝居だからだ。すべて唐さんの思うまま。
しかし、このせりふを言うことで、劇の進行とともに緊迫感に
包まれていた客席に笑いが起きる。
唐さんの、実にズルい手である。
目下、ロンドンはエリザベス女王に染まっている。
至るところに彼女の写真を見る。
娘時代、王位を継いだ頃、貫禄に満ちてきた頃、皆が見慣れた晩年。
それにしても、本当に、驚くべきスピードで、
これらの遺影はあっという間にロンドン中に溢れた。
店先で、バスの停留所で、地下鉄の駅で・・・。
もっとも良いなと思ったのは、テムズ川沿いのテイト・モダンだ。
現代美術を専門に扱うこのギャラリーのバナーも、
いつの間にか、あっという間に女王になっていた。
亡くなってからデザインし、確認し、印刷したのでは
絶対に間に合わない速さで流布したのを見るだに、この国がいかに
女王の死に備えていたのか体感することになった。
不謹慎だから誰も表立っては言わないけれど、
ちゃんと用意してきたのだ。いつの頃からかは分からない。
けれど、実に鮮やかな手口だと思った。
葬儀が9月19日(月)に決まり、その日に予約していたライブは
キャンセルになった。
2022年9月13日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
写真では多く見えるけど、イスの数は300くらい。大きなホールより
かなり少ないので、いつも売り切れる。
朝起きたら、霧がかかっていた。
すっかり忘れていたが、確かに春までのロンドンはこんな感じだった。
必然、やや肌寒い。
こちらでは先週の木曜に女王が亡くなり、
興行が停止するかと思いきや、予定通り行われるものもある。
自分が予約していたものはたまたまそれにあたり、
金土日と夜は何かを観て過ごした。
いずれも音楽がらみだったから、冒頭はGod Save The Kingを捧げる
ところからは始まる。同じ曲のタイトルがQueenからKingに変わった。
土曜に行ったペッカムは、
治安の悪い南ロンドンの中でも札付きの一つだ。
ブリストン、ニュークロス、デトフォード、ルイシャム・・・
ペッカムでは語学学校の友人がケータイを奪われた。
バス停のベンチに腰掛けてスマホを操作していたところ、
ヒョイと持ち上げて逃走されたのだ。
そういう場所の、駅前のビルでフィルハーモニア管弦楽団の
コンサートは行われた。映画館とかゲームセンター、ビアガーデンが
雑居するビルの立体駐車場がライブ会場として使われており、
そこでラフマニノフのピアノ協奏曲2番をやった。
この場所とこのオケの組み合わせは3回目だ。
この夏に行われた演奏会をすべて聴いた。
とにかく会場が好きなのだ。手の届きそうな天井により
増幅された轟音、隣近所で飲む若者たちの声、脇を走る国鉄の
レールの軋み、そういったものがガンガンに闘うのだ。
いつも演目は1曲か2曲で、1時間くらいで終わった。
それでいて入場料は一律4,000円。
都心の立派なホールで2時間半の公演を1,800円くらいの席で
聴くより割高な感じがする。けれど、好きなのだ。
演奏スペース近くの吹き抜けの部分はカーテンで覆っているけれど、
客席半ばくらいからは外の景色とコンクリートの隙間から沢山
のぞいている。なにせ駐車場なのだ。
冷暖房なしだから、夏限定の会場だ。
ずいぶん愉しませてもらったけれど、今年はこれでおしまい。
来年またやるかどうか分からないけれど、やったとしても
自分はいない。今後イギリスに来ることがあっても、
まずは仕事だろうから最後かもしれない。
だから、3回とも行った。
メインシーズンが帰ってくると、こういう遊びの公演も終わる。
2022年9月 9日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑公演するはずだった図書館の受付前に置かれた女王の写真と記帳セット
一昨日にチェーホフの『かもめ』を観て、
これまで鑑賞してきた催し物数が200本になった。
昨日はスタンダップコメディのコンテストを観たので、現在は201本。
今週から、イギリスでは新しい年度が始まった。
だから、各劇場でも次々と新シーズの演目が開幕している。
観たいものがたくさんあるので、まだまだ増えそうだ。
試しに確認してみたら、現在、336日の滞在予定のうち、221日目だ。
鑑賞数300本は無理だろうけれど、それに迫る数字にはなると思う。
あらゆる物価が高いこの国で、なぜかチケットは安い。
正確に言うと、ほとんどの催しが安い席を用意してくれている。
語学学校にも通っているので、学割もしばしば使える。
これには助かっている。
ところで、帰りの飛行機をどうしたら良いか思案している。
ルールとしては、45日前に海外研修の事務局に連絡して航空券を
手配してもらうのが基本なのだが、どうしたものか。
と言うのも、今回の研修期間はビザによって決定した。
文化庁的には350日まで滞在が許されたのだが、
取得できたビザの上限が335日だったので、
それでイギリスにいられる期間が決まった。
残りの1日は飛行機の上にいる。それで336日。
現在のところ今年の大晦日にヒースロー空港を発ち、
元旦に羽田空港に着くつもりだ。
が、何かの拍子に、例えば大雪などで
イギリスを発てなかったとしたらどうなるのだろうか。
ビザが切れているのに滞在し続け、これが問題化すると、
今後10年はイギリスに入れなくなるらしい。
そうなれば、せっかくつくった人間関係や土地勘の意味が激減する。
用心を重ねて12/30に発った方が良いのか、
それとも予定通り12/31まで使い切ろうか、
やむを得ないトラブルであれば許してくれるのか。
ちょっと早いが、そんなことも気にし始めている。
慣れない海外のことだから、何がどんな具合かよくわからない。
何が本当に厳格で、どういう時には許されるのか。
この研修を終えたら、だいたいの落としどころは身につくと
思うのだけれど。
・・・と、ここまで書いたところで
エリザベス女王が亡くなったことが発表された。
新しい首相を任命する際、こやかなに笑って談笑する写真を
今朝の新聞で見たばかり。夕方に不調が報じられた数時間後に
その死が発表された。
Albanyのみんなが騒いでいる。
これから喪に服し、Albanyでは催しをストップするらしい。
新国王はチャールズ3世と
2022年9月 8日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑昨日は観客に合わせてイスを用意。演者が移動するとイスも一緒に移動
最近、雨がちである。
時にはカミナリも鳴る。英語でサンダーというがどうもしっくりこない。
ファイナル・ファンタジーを思い出してしまう。
いよいよ、噂に聞いていたロンドンの本領発揮と思う。
暗くて曇りがちなロンドンという定番の印象が、自分にはない。
1月末に渡英して以来、日々、春に向かって時間が過ぎたし、
何より一つ一つの行動に必死すぎてよくわからなかったのだ。
今、季節は冬に向かっている。
だから今度はロンドン独自の気候を存分に味わえると思う。
そして、もっと暗くて寒い1月を自分はパスする。
日本の予定やビザ取得に難儀してたまたま2〜12月の滞在になったが、
これが9〜7月だとずいぶん印象が違ったと思う。
日照時間が長く活動的で、旅行に向いた季節を失わなくて良かった。
秋の始まりに、シニアたちの本番に立ち会っている。
先週はショッピング・センターでの本番だったが、
今週は図書館に場所を移して、別のメンバーで構成された本番が
始まった。
物語は基本的に同じなのだが、
先週はコミカルだった。メンバーにアフリカ系の陽気な人が多かったし
ショッピングセンターの賑やかさが方向性に拍車をかけていた。
今週は本格派ストレートプレーの趣きで、
聴衆は会話をよく聴き、演者たちはあまり声を張らずに内容を聴かせる。
先週は民族衣装を着てくるというコンセプトでかなり派手だったが、
今週は日常に近い格好で、「移民」「引っ越し」をテーマにした社会派の
匂いがする。こういうのも、演出のレミーはきちんと計算している。
休憩時間の過ごし方も2チームで全く違って、
先週はお茶を飲んでワイワイ歓談し、人によっては食事や買い物に
行っていたけれど、今週の面々は演技の改善に余念がない。
中には、上手くいかなかったところを悔やむ人もいて、
周囲が彼女を慰め、「まだ次がある!」と鼓舞していた。
1日に2回ずつ、週末にも上演する予定なので、
次の回への対策を話しながら、一緒にサンドイッチを食べていると愉しい。
ああ、一年ぶりに劇をつくっているな、と実感する。
2022年9月 7日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ジャマイカ出身の野菜カラルー。花が咲いているが葉を食べる
毎週火曜日は定例となっているシニア向けWSに参加する。
だいぶ慣れてきたが、それでも細部に発見がある。
昨日は合唱の練習が終わり、参加者がそれぞれのペースで帰宅する時、
Albanyの庭で採れた野菜を持ち帰る人がいた。
Albanyには広めの庭があり、ここで植物が育てられている。
英国人が庭を愛することはダイアンやミミの情熱に接して知っていたが
劇場でもそれは同じだ。
よくスタッフが庭を手入れしているのを目にする。
植物に水をやり、必要な栄誉剤をやり、雑草を間引き、掃除する。
温室まである。劇場受付やチケット販売業務の傍らに庭を世話する。
しかも、楽しそうにやっているのが良い。
今日、参加者が持ち帰ったお土産はSpinach=ほうれん草だった。
また一つ英単語を覚えた。
ただのほうれん草ではなく、カラルー(Callaloo)というものらしい。
これはもともとジャマイカの野菜だそうだ。
野菜なのに高たんぱくで、しかも鉄分やカルシウムも
驚異的に含んでいるらしい。
ロイシャム地区にいると、ジャマイカ移民の存在感をひしひしと
感じる。彼らが、ハングリーな生活や日常的な闘争を経て
市民権を獲得してきたことが切実に理解できる。
もちろん、レゲエという音楽も彼らとともにやってきた。
国境を超える時には、水分、植物、動物、昆虫なども
厳格に管理される。生態系に影響するからだが、
(そういえばロンドンではセミを見なかった)
人が動けばそういったものも移動するのだろう。
カラルーが、多くの栄養や効能で大勢の人たちの身体や健康を
支えてきたことを想像すると、野菜ひとつにもロンドンを感じる。
ちなみに、ルッコラはロチェットと言い、
ダイアンのお遣いの際にそれを教わった。
パプリカはペッパー。特にフレッシュ・ペッパーという。
前にペッパーを買うよう頼まれて、胡椒を買いそうになった。
2022年9月 6日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑開演前のリージェントパーク・オープン・エア・シアター
昨日はリージェント・パークというところで野外劇を観た。
演目は『アンティゴネー』。ソフォクレスの原作を
Albanyでポエトリーの催しをしていたイヌラ・エラムスが
翻案したものだ。
彼は移民の問題を背負いつつ、優しい語り口の詩や台本で
ファンを得ている。ナショナル・シアターで2018年に上演した
『バーバーショップ・クロニクルズ』が代表作、
日本語にすると『床屋年代記』、魅力的なタイトルだ。
同じ日に、各国の床屋で起こる小さな事件を集積させることで
この台本は成り立っている。上手いアイディアだと思う。
かつて巨大な帝国を築き、今は移民の街となったロンドンの劇だ。
今回はギリシャ悲劇が原作だけれど、
彼はこれを家族からテロリストを輩出したムスリム家庭の葛藤に
読み替えていた。
反社会性力の最たる者として扱われるテロリストの死を
その妹であるアンティゴーは弔うことができるのか、という問い。
ソフォクレスの原作では国王だったクレオンは首相という
立場になっている。
この公演に興味を持ったダイアンが、
自分の障害者手帳を利用して格安の良席を手に入れてくれて
贅沢な環境で環境で観ることができたし、天気も持ち堪えた。
『アンティゴネー』野外劇といえば、
去年のゴールデンウィークにSPACによる上演を観た。
会場は駿府城公園だった。
こういう観劇を重ねていると野外劇場とギリシャ劇への思いが募る。
小さい頃にアニメ『聖闘士星矢』を見て以来、
ギリシャは憧れの地なのだ。小学校の頃に、
名古屋の科学館に通って星座に関わる神話をたくさん聞きもした。
ギリシャといえば、私にはなんと言っても
蜷川さんのプロデューサーだった中根公夫(ただお)さんだ。
1960年代にパリに留学し、
夏はいつもギリシャに行っていたという中根さんの話を思い出す。
日本人でもっとも沢山のギリシャ悲劇を観た中根さんは
それから20年後に蜷川さんを擁してギリシャに乗り込んだ。
『王女メディア』に出演していた金田龍之介さんのエッセイに、
現場の様子が臨場感をもって描かれている。
今は神奈川芸術劇場の館長である眞野(純)さんも、
2004年に野村萬斎さんがオイディプスを演じた公演で
古代劇場を体験ずみだ。うらやましい。
リージェントパークでさまざまなことを思い出した。
ウェールズにはミナック・シアターという海辺の岩場を利用した
素晴らしい野外劇場があるという。ここにも行ってみたい。
2022年9月 2日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑右から2番目が演出家のレミー。もうすぐ新作詩集が出版され、
ドラマーとしてスペインに演奏の仕事にもいく多才の人。
男性出演者は勝手にどこかに行ってしまい、この写真に写っていない。
昨日はシニアたちによる移動型演劇を公演した。
近所にあるルイシャム・ショッピング・センターという商用施設内の
メインストリート、ギャラリー、事務所スペースを使い、
お客さんを連れ回しながら物語の進行させる。
初めのシーンはかなり往来なのでピンマイクを使い、
そこからは静かな空間に入っていくので、
マイクを外してせりふを通していた。
シニアたちはいずれもキャリアがあり、強メンタル。
高揚はしていても緊張はしていなかった。
衣裳はそれぞれの国の民族衣装という指定で、
アフリカ系の人がほとんどなので、ド派手な格好で家からやってきて
2ステージこなし、そのままの姿で意気揚々と帰っていった。
面白い人たちだとつくづく思う。
とりわけ興味深かったのは、
2ステージあるうちの休憩時間の過ごし方だ。
初回が終わり、皆よろこんでいたが、演出のレミーから
2回目に向けての作戦会議が提案される。
集合時間も告げられた。
皆は1回目のお客さんと喋った後、
思い思いに軽食を取ったり、休憩したりしていたが、
会議の時間になり、女子がビシッそろった。
が、男は来ない。
一人はテイクアウトのコーヒーを買いに行ったまま
なかなか戻って来ず、もう一人はそのカフェで、観に来てくれた
息子さんと娘さんとガッチリ昼飯を食べていたところを後で
発見された。女性たちは演技の工夫と詰めに余念がない。
見事なコントラストだった。
小学生の頃、掃除の時間にふざけていたのはいつも男子だった。
女子はいち早くトレンディドラマを観て大人になっていくのに、
私も含めて、ミニ四駆やガンダムのプラモデルをぶつけ合って
喜んでいた。
場所がロンドンだろうが、年齢が80歳オーバーだろうが、
この構図は普遍だった。2回目の本番、男子たちは段取りを
飛ばしたり勝手なことを喋り始めたりしてスタッフを大いに
焦らせることになった。
明後日も2ステージやる。彼らに幸あれ。
2022年9月 1日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑白い衣裳がジャンヌ・ダルクを演じた俳優さん
バイセクシャルを公言しており、鎧をまとう時の腋毛が印象的。
横浜国大の先輩、黒木香さんを思い出した。
9/1といえば関東大震災。
うちの子どもたちも保育園で避難訓練をしているらしい。
関東大震災は1923年に起こったから、来年で100年が経つ。
自分が生きてきた期間だけでも、
阪神淡路大震災、中越沖地震、東日本大震災と
大きな地震が続いてきた。かなりの頻度だ。
子どもの頃にはわからなかったけど、
親になって避難訓練の大事さがわかった。
災害はいつも不測の事態だけれど、それでも、
訓練があるのとないのとではだいぶ違う。
テント公演をする時にも、私たちは避難誘導訓練をする。
演劇史的には、
関東大震災は築地小劇場の成立に影響を与えた。
震災後は建築基準法がゆるみ、建てられる建物のバリエーションに
幅が出た。その機に乗じて新劇の始祖たるあの劇場は成立したらしい。
第一次世界大戦の敗戦国であるドイツやロシアの貨幣価値が下がり
留学しやすくなったこと。震災の影響。といったもので
演劇ムーヴメントが成立したとは。因果なものだ。
さて、昨日のこと。
だいぶ豪快に間違えてしまった。
グローブ座で新たな演目がスタートしたので観に行った。
ずいぶん前に日本から取り寄せていたシェイクスピア『ジョン王』の
台本も読み、歴史も調べ、予習はバッチリだった。
いつものように、5ポンドの立ち見席へ。
しかし、冒頭シーンからかなり違う。
女の子が出てきて独白を始めた。そして剣を振りかざす。
グローブ座は基本的に原点主義だから、
ここまで原作と違うとは何事かと思った。
カバンに入っていた台本と見比べても、冒頭シーンからぜんぜん違う。
そして気づいた。これは『ジョン王(John)』ではない。
よく見ると、タイトルは『I, Joan』→"わたし、ジョアン"だ。
つまり、ジャンヌ・ダルクの劇。
作者はシェイクスピアですらなく、
現代作家が書いた新作のお披露目だったらしい。
グローブ座では、シェイクスピアでは無い作家もの劇もかけるのだ!
そこからは、必死にせりふを追いかけて内容を追った。
セットはほとんどないから情報源は圧倒的に言葉。難しかったけれど、
有名なジャンヌ・ダルクの一生をベースにしたものだから、
その本案やパロディとして何とかついていけた。
グローブ座に何度も来るうち、何人か顔を覚えた役者もいて、
彼らを応援しながら愉しむやり方もわかってきた。劇団の魅力だ。
それにしても、あまりにも基本的な、こっぴどい間違いだった。
愕然とする。ロンドンではこういうことがたびたび起こる。
かなり情けない気持ちにもなるが、笑ってすますことにする。
2022年8月31日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑投稿内容とは関係がない写真
Albanyの主催でスウェーデンの作家Ruke JerramのGAIAという作品を
展示した。てっぺんとそこの部分から3方向ずつワイヤーを引っ張って
安定させる。良いロケーションだったが、プロデューサーのメグが
仕込みも含めて4日間つきっきりだった。巨大バッタの展示を思い出した
マジでビビっている。
英国での暮らしは気楽で愉しいばかりではない。
まず体が痛い。2013年にKAATでの『唐版 滝の白糸』を
上演した後から、整体に通い始めた。
劇団員だった禿恵の紹介だったが、
あっという間に彼女より通うようになった。
回数券を買い、1ヶ月に一度身体が痛くても痛くなくても行く。
走ったり歩いたり習慣化した頃とも重なり、ルーティンになった。
と、このように、床屋、歯医者、整体、これらに月にいっぺん行く。
日本にいた頃は。
ロンドンではたくさん歩く。街が狭く交通費が高いからだ。
それは良いのだが、パソコンとスマホを見ている時間も長い。
これが結構堪える。そしてシャワーのみで風呂はないから慢性的に
首が痛い。これから寒くなる。大丈夫だろうか。
先ほど歯医者を挙げたが、歯も不安だ。
日本の自宅の隣の隣には近所で評判の歯医者がある。
これにしょっちゅう行っていた。
初め、痛かった奥歯をたちどころに治療してくれて、感激したのだ。
英国の歯医者は劣悪だと聞いた。
ロンドンで歯科治療を受けた場合、噛み合わせが悪くなることも
充分にあるらしい。語学力的に、細かく症状を伝える自信もない。
だから、歯医者に行かないために必死だ。
機会があれば歯磨き、歯磨き。
で、最後の難問は目である。
最近は目がかすむ。視力が落ちてきているのではないか。
基本的に英国の室内照明は暗い。
そしてホストマザーのダイアンは間接照明が好きなのだ。
ロシアとウクライナの戦争による電気料金の高騰は節電に拍車をかけた。
ますます、夜が暗い。
ひょっとして老眼か、とも思う。
早めにきているのかも知れない。
が、とにかく出来ることをしなければ、と思って最近は
スーパーでブルーベリーを買うことにした。
物価が高いのでブルーベリーも高い。
ひとパック400円くらいするが、仕方ない。
薬だと思って買っている。
残すところ4ヶ月である
英語に慣れ、知り合いも増え、色んなものを見聞きできたのは良いが、
この11ヶ月間の後遺症が残らないようにしなければならない。
2022年8月30日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑必ずしもヨーロッパ人が強気で日本人が従順なわけではないと思う。
救急医療で待ち時間4時間44分は、日本では許されないだろう。
が、皆さん、おとなしく待っていた。
研修先 The Albany Theatre のあるルイシャムは悪名高い。
多くの移民が住み、治安が良くないのだ。
知り合ったロンドンっ子に研修先を切り出すと、大概の人に
「気をつけて」と言われる。家のあるグリニッジは高級住宅街だ。
だから住所を伝えると「ラッキーだね」と言われる。
2キロくらいしか離れていないのだが。
そのルイシャムの病院に行くことになった。
ホストマザーのダイアンが私の不在中に救急車を呼んだらしい。
めまいがしてそのようにしたようだ。
Albanyが地区内の公園でやっていた野外の美術展示の帰り、
たまたま近くを通りかかっていた時に、ダイアンから電話があった。
日曜の21時くらい。それで家ではなく病院に向かうことにした。
結果的には何事もなかったが、
診察や血液検査にやたら時間がかかった。
何しろ、待ち時間表示に「あと4時間・・・」などと平気で出ている。
隣に「スタッフには待ち時間の詳細を訊かないでください」という
張り紙も。体調が悪そうな人たちがたくさんいたが、
これではさらに悪化を招きかねない。
ただし、これは日本人感覚だと思う。
スーパーも駅のチケット売り場も、そして病院も、
待っている人を気にすることなく一人一人に時間をかけるのが英国流だ。
待ち時間が長かったので、興味深い人たちをたくさん見た。
待っている間、大いびきをかいて寝ているおじさん。
若い女性は、苦しそうに姿勢を崩して床に倒れてしまったために
看護師たちが足を上げたりして応急処置しながら奥に運んでいった。
ネイルがやたらと長い女性が、高速でスマホを打ち続ける音が
待合室に響く。爪がスマホのモニターにカツカツと当たるのだ。
ずっとヘアセットをし合っている母親と娘。
震え続けている車椅子の老女。などなど。
極め付けは、警官二人を両脇に連れている男。
彼はプリズナー=囚人らしい。体調が悪いので仕方なく病院に
連れてきたらしいが、手錠も無く、一般人と同じ待合室で
待っていることに衝撃を受けた。軽微な罪なのだろうか。
それにしては、左右のポリスマンたちがゴツすぎる。
囚人さんは、あたり構わず周囲の人たちに話しかけていた。
まるで、人と話すことのできるチャンスを惜しむかのように
人の会話に割り込み、コミュニケーションのきっかけを拾い集めていた。
ずっと孤独なのだろうか。
ダイアンは温かいものが飲みたいと希望したが、
ロンドンに24時間営業の店やコンビニはほとんどない。
帰りもタクシーがなかなか捕まらず、夜中の1:30に往生した。
翌日はたまたま祝日だったから良かった。
劇場やイベントに行くより、バラエティ溢れるものを見た。
やっぱり好きだな、ルイシャム。
2022年8月26日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
昨日はシニアたちの移動型演劇 "Monving Day"の
ドレスリハーサルだった。要するに、セットと衣裳を本腰入れてやる
本番直前の通し稽古だ。
この公演には赤組と黄組があって、
赤組は図書館で、黄組はショッピングセンターで、
それぞれの施設の中のさまざまなポイントを
演者と観客で動きながら鑑賞する。
今日は赤組の稽古だった。。
発表初日は9月1日だけれど、出演者であるシニアたちにも予定がある。
だから、昨日やって、手直しを8/31(水)にやったら、
あとは公演当日の朝にさらって本番。
こういう企画のためには知恵が必要だとつくづく思う。
豪華なセットやスタッフワーク、入念な準備というのは
コミュニティワークの一環として行う演劇には余計である。
それらはお金も人のかかりすぎる。
コストがかかりすぎると続かない。継続性が大切なのだ。
かといってチープなだけで良いかというと、絶対にそうではない。
本質的に訴えるものがなければ、
演じる側にも、観る側にも迫力を生まない。
これらをどう両立させるのかがクリエイターに問われる。
運営をしているエンテレキーアーツの面々は達者だと思う。
スタッフの一人、カミラは手作りで段ボール製のバナーを
作ってきた。良い出来だ。こういうのがパッとできる。
とても大事な素養だ。いちいち外注などしていられない。
代表のデイヴィット・スペンサーさんは、
俳優として出演することにした。物語の流れ自体は固定だが
せりふ自体は即興だから可能だとも言えるけれど、
人が足りないなら自分がやると言って自然に演者になる。
組織の代表が身をもって創作の身近さを示しているから、
みんなが安心して演じることを愉しむ。
演技や創作をすることに対する精神的なハードルが低い。
構成・演出を担当するレミーは巧者で、
劇の中に、出演者が個人史を語るシーンを盛り込んである。
誰だって過去には多くの問題があり、多くの問題を乗り越えた
あるいは、乗り越えられなかった経験がある。
真率なエピソードは人に届く。
そういう力を巧みに解放して武器に変えている。
本番では、自分も役割を与えられた。
移動中の演者のマイクの着脱を担当することになった。
こういうこともパッとやるのだ。
日本代表なので"そんなの簡単にできますよ"という風に平然と
引き受けているのだが、心中穏やかではない。
果たして上手くできるだろうか。
2022年8月25日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

昨日は書き物の一日だった。
年明けにケッチさんとテツヤ(岡島哲也P)と作る舞台の準備をしている。
イギリス民話『3びきのこぶた』を題材にしたサイレントコメディの
ステージを作る。それで構成台本を書いているのだ。
いつもとは逆で、自分の書いたものに意見をもらって書き直す作業だ。
自分はせりふの台本は書かないけれど、イベントの構成台本を書いたり、
依頼が来て寄稿したりすることは度々ある。
それぞれに、テレビマンにエッセイストになったつもりで書く。
書くことは苦しいけれど、後から考えると充実する。
震災の後に吉原町内会から頼まれてやった節分イベントの
出し物は自信作で、ステージを見ながら近所のおばちゃんたちが
「よく出来てる!」と褒めてくれた。
吉原なので、『助六』を題材にした。
よく唐ゼミ☆に出てくれている鷲見くんがヒロインの揚巻に扮して
鬼たちが襲おうとすると上半身はだかのレスラー姿になり、
プロレス技でやっつける。彼の立派なお腹に「フライド・ロール」
というリングネームが墨で書かれているという他愛もないもの
だったけれど、よくウケたな。
東京乾電池が初期にビアガーデンでやっていた出し物は
こんな感じだったのではないかと、自分なりに考えた。
エッセイの方は、最近は岩波書店の月刊誌「図書」に書いたものが
来月に出る。こちらは、ロンドンでの生活を読書に絡めて書いた。
語学学校が終わり、Albanyでの用事が無かったので、
ロイヤル・アルバート・ホールに行って夜の演奏会の当日券を買った。
その後、ベンチに座ってZoomでテツヤにアドバイスをもらった。
ハイドパークで書き直し、テツヤの寝起きに届くよう送った。
ロンドンにはたくさんの自然豊かな公園がある。
ハイドパークはその王様だ。ハイドパークに行くということが
休日の立派なイベントになるのだ。
宮殿やモニュメント、池やアミューズメントがある。
それ以上に、やたら広くて伸び伸びとした公園だ。
こういう公園の芝生に敷物を敷いて食事したり寝転がったり
するだけで休日や遊びが成立するのが英国人なのだ。
ハイドパークのベンチで、
周りで遊んでいる子どもたちを眺めながら、
とにかく彼らにウケたい、大ウケしたいと心から願って台本を直した。
その後、夜の演奏会は22:15開演だからやたらと時間があり、
公園の反対側の中古CD屋に久々に行き、厚遇してもらえて気を良くした。
初めてハイドパークやこのCD屋に来たのは渡英直後の寒々しい2月だった。
あの時は不気味で幻想的な感じもした夕暮れだったけど、
今はのどかな馴染みの景色になった。
あと4ヶ月ジタバタして、あっという間に帰国。
帰国後の仕事について、徐々に直面し始めている。
2022年8月24日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑外見からは何の建物かよくわからない。
誰もが気になりながら、
よく実態がわからないあの組織の本部がロンドンにある。
しかも、割と気軽に入れて、お土産物屋まであると言うのだ。
実は、この建物は渡英直後から気になっていた。
教会のような感じだけど、それよりはそっけない。
企業のビルにしては「売店開いてます」的な看板がある。
ロンドンの中心部にあるものだから、
あっちこっちと訪ね歩く際に何だろう?と気になってきたが、
あれがそれだとようやく気付いたのだ。
フリーメーソン。
モーツァルトが入っていたことで何より有名で、
この世界を操る真の黒幕とも、いやいや只の友愛を目的とした
紳士たちの親交団体とも言われている。
正直、自分はよくわからない。
よくわからないけれど、ライトな感じでとりあえず
行ってみた。行ってみておいて日本に帰り、
あるいはこの先、本など読むかも知れない。
その時に「あ、オレはあそこ行ったな」と思えれば、
とりあえずいい。
入口の荷物チェックは他より厳しめだった。
ロンドンでは、色々なところに出入りする際に荷物チェックを受ける。
でも、かなりかったるそうに係員が流し見ているのが実際だ。
けれど、ここはガッチリ、丁寧に、全てのジッパーを開けて
紹介した。
ホールがあって、時にはコンサートをやっているらしいけれど、
今日はその日ではないので、ギャラリーを観て、お土産物屋さんを
眺めた。展示の量はあるけれども、内容は自分にはさらりとした感じで
グッズショップは面白かったけど、節約しているから何も買わなかった。
この素っ気なさは不気味と言えば不気味だ。
何人かお客さんがいて、誰もが自分よりかなりお金持ちそうに
見えて、訳ありな感じに見える。けれど、無効にすれば
自分がそう見えているかも知れない。
謎である。深淵である。どうも底が見えない。
帰ってきてからも気になっている。
2022年8月23日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ほんとうに善い人たちばかりなのだ。決してスノッブでなく、
素朴で人情味のあるご近所さんといった雰囲気の集い
自分がクラシック音楽を好きになったのは明確なきっかけがあって、
唐さんと同時期に横浜国大で私たちの先生だった大里俊晴先生と
許光俊先生の影響である。
大里先生は現代音楽が専門で、許先生はドイツ文学の研究に加えて
クラシックの音楽批評もされている。自分が28歳の時に
大里先生が亡くなって、学生時代を思い出しているうちに
色々と聴くようになり、好きになった。
ロンドンはウエストエンドに象徴される演劇都市だが、
それ以上に音楽都市でもあって、次から次へと世界的音楽家たちの
出入りがある。自然と方々へ出かけることになった。
で、BBCプロムスである。
イギリスを代表するこのクラシック音楽の祭典のことを
自分は3ヶ月前まで知らなかった。
が、何人かの人に「もうすぐプロムスだね」と言われて
その存在に気づいた。7月中旬からの9月中旬は欧米の年度末
=シーズンオフだ。この期間に国営放送のBBCの主催で毎日
コンサートをやり、ライブで観にくるお客さんを集めつつ、
放送にかけるという趣旨なのだ。
すでに自分は何回か行っている。
はっきり言って、超絶的な感動体験はありそうにない催しである。
会場のロイヤル・アルバート・ホールは5000人以上入るデカすぎる
場所だし、どうも音楽的に散漫な感じがするのだ。
でも、シーズンオフだから他はやっていないし、
豪華出演陣だし、珍しい曲もたくさんやる。
何より当日の立ち見席が安いので行ってしまう。
そんな感じなのだ。
昨日も出かけて行った。
ケルン放送交響楽団が目当てだった。
この楽団の印象は、ギュンター・ヴァント、若杉弘、
ガリー・ベルティーニという指揮者たちとともに覚えている。
CDで聴いてきた親近感にかられたのだ。
早めに行って当日券を買い、
アリーナ席の床に座り込んでPCで書き物しながら開演を待った。
すると、自分の周りの人々がやたらとよく喋る。
先に来ている人が、後からやってくる人を迎えて盛り上がっている。
そうこうするうちに、自分を真ん中に置いて5人くらいでお喋りする
恰好になってしまった。たまらないな、と思った。
が、開演が迫ってきたので、トイレに行くために話しかけて
荷物を見ておいてもらうようお願いしたところから、一気にその
均衡は崩れ、用を足して戻ると自分も輪に加わってガンガン喋り始めた。
聞けば、彼らは毎日来ているそうである。
何人かは仕事の都合で飛び飛びのレギュラーだけど、
中には本当の皆勤賞もいる。どうも、そういう通しのチケットが
あるらしいのだ。2ヶ月弱の間に、全部で72のコンサートがある。
ある女性は「本当にくたびれている。あと3週間もある」と
こぼしていた。だったらやめればいいじゃん、というのは愚問である。
とにかく来る。とにかく聴く。聴きすぎて記憶が曖昧になり
何が楽しいのかさっぱりわからなくなった果ての境地があるのだ。
昨日は日曜だったから、朝11時と19時半からの二本立てだった。
その間に何をしていたのか。家は近いのか。色々と気になったが
そこまで話し込む余裕はなかったし、語学力も足りなかった。
中には夜の回に続く、レイトショー的な回もある。
こういう時は23:30頃に終演する。自分も目当てのものがあって
1回行ったが、帰宅はかなり遅くなった。
友情が芽生えているようである。
次を訊かれたので、水曜に来ますよ、と言って別れた。
水曜のレイトショーが、ザ・シックスティーンというすごく良い
合唱団なのだ。常連と知り合ったことによりインセンティブが付き、
これからは今までより愉しめそうだ。初心者の自分としては
興味深い人たちだ。
肝心のケルン放送響は期待外れだった。
ブラームスの3番はあんなに淡白なもんじゃないはずだ。
1曲目の『フィンガルの洞窟』は良いぞ!と思ったが、
だんだん心が離れていくという珍しいパターンの鑑賞体験だった。
ケルンで聴いたらもっと凄そう。
2022年8月19日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑青いドレスの女性はメディアではない。メディアに殺されてしまう
王の娘が、このバージョンでは登場するのだ。女性二人が対決すると
笑いがいっぱい起きた。
結局、エジンバラから帰れなかった。
サヴァール二日目朝のコンサート(プログラムが違う)を終え、
機嫌よくエジンバラ駅まで歩く。悠々13:30には着くと、
電光掲示板のにはロンドン(キングス・クロス駅)行きが示されていた。
余裕じゃねえか、と思ってホームに行くと"電車は来ない"との表示。
おかしいなと思って見渡すと、電光掲示板によって言うことが違う。
ロンドン行きがあったり無かったり、時間も違うし、ホーム番号も違う。
このいい加減さ。
さすがイギリスだと思って駅員に訊いたら、
「今日はロンドンまで行くものはありません。
その手前のヨークやドンカスターで止まってしまいます」との説明。
その二つの街で高速バスを捕まえれば帰れるかも、
ということで駅員二人に協力してもらって粘り強く調べた結果、
ロンドンまで帰る望みは無いと判断し、もう一泊することになった。
現在、先週に泊まったドミトリーの三段ベッド。
真ん中の段でこれを書いている。これまで何度か泊まった時は
いつも最上段だったから、天井の低さが際立つ。
姿勢のバリエーションが少ない。暗いし、強制的に眠い。
朝のサヴァールはもちろん良かった。
1日目はマイク付きだったけど、2日目のコンサートは完全に
アコースティックで彼の演奏の美しさとニュアンスが際立っていた。
1日目を聴いたという高齢者女性に話しかけられて、
彼女がサヴァールと写真を撮るのに協力したりした。
頂いた名刺のメールアドレスに写真を送ったが、
どうやら彼女は画家らしい。ちゃんと届いていれば良いが。
それから、何となしに街をウロウロして
スコットランド国立劇場のギリシャ悲劇『メディア』も観た。
先週とは違い、夜になるとめっきり冷え込む。
北国らしい気候にヒートテックやネックウォーマーも
動員している。この1週間でフリンジに参加するパフォーマーたちは
かなりふるい落とされたようだ。ストライキによる来訪者の少なさも
手伝い、ちょっと路地に入ると閑散としている。
エジンバラは基本的に、落ち着いた渋い街だとよくわかった。
どこか物悲しげだ。
2022年8月18日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑写真を撮ってもらうことができた
昨日から再びエンジンバラに来た。
と言っても、一泊だけして今日帰る予定。
予定、と書いたのは訳があって、またぞろストライキなのだ。
だから昨日、ロンドンの玄関口であるキングスクロス駅で切符を
買おうとしたら、駅のチケット売り場の人に止められた。
明日はストライキだから帰って来れなくなるかもよ、
電車無しとは言わないけれど、数が少ない、
来週にすれば? とか言ってくる。
そんなこと言ったって、
チケットは買ってあるしホテルの予約もしてある。
「帰れなくなったらもう一泊します。ずっと立って帰るのでもいい」
と伝えたら「グットラック」と言って売ってくれた。
そういうわけで、これから帰れるかどうか不安である。
ロンドンに向かう最終が14:30ということは昨日に確認したから、
とにかく早めに来て待っているところだ。
通路でも何でも良いから、乗って終えば勝ちなのだ。
ロンドンまで4時間半。さらにロンドンに着いてから
全部歩く羽目になるかもしれないけれど、仕方がない。
エジンバラに着いたら、まず、先週に置き去りにしたパスポートを
回収しに行った。無事に完了。
それから、ジョルディ・サヴァールのコンサートを聴き、
日本ではソロか、せいぜい3人での演奏を数回聴いていたところを、
今回は彼が率いるエスペリオン21の総力戦を聴くことができた。
初日は14世紀に活躍したイスラム圏の冒険家イブン・バトゥータを
主人公に、彼の行動遍歴を音楽的に追ってみようという試みだ。
西はモロッコを出発点に東は東南アジア、中国まで行っていたらしい。
だからゲスト奏者に中国の琵琶や琴を弾く女性たちを招いて
いるわけだが、彼女らのソロパートにじっと聴き入り、かすかに頷く
サヴァールの物腰は、まるで仙人・達人のようでもあるし、
それでいてかなりエロいことを考えていそうでもある、
という具合なのだ。
↓すごい色男っぽいかった
これまで、東京で彼のバロック音楽演奏を聴いたことはあったけれど、
歴史上の人物や地域にまつわる音楽をジャンルを越えて追究する姿に
初めて生で接することができた。
(ドン・キホーテとかコロンブスとか、アルバムがいっぱいある)
今日、これから、18世紀初めのイスタンブールにまつわる
コンサートを聴いて帰る予定。ひょっとしたら帰れないかも知れないし、
ひどい帰り道になるかも知れないけれど、まったく後悔がない。
サヴァールは81歳、いつまで元気に演奏を聴かせてくれるのか
わからないのだ。
2022年8月17日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野WS『黒いチューリップ』
ワークショップ参加者や劇団ファンの人から
『黒いチューリップ』を読む上で重要でおもしろい情報が寄せられた。
ありがたいことだ。
↑
この写真のように、
かつてはこんな様子で人力で玉を出していたらしい。
今の複雑な構造を持つパチンコ台からは想像しがたいが、
このように隙間を行き来してスタッフが当たりを出していた。
(電話交換手みたいなもの)
↑座ってやるものという印象が強いが、かつては立って打つスタイルも
しかも、人力であるがゆえにこの玉出し係(正式名称は何だろう?)
の気まぐれで、気に入りの客にはちょっと多めに出すとか、
当たり前に行われていたらしい。
そういうわけで、
唐さんが『黒いチューリップ』で描いた描写はかなり
リアリズムであるということがいよいよ分かってきた。
ヒロインのケイコのように、
さすがにその場所に部屋をつくって棲みついている
というのは芝居がかった飛躍に違いないけれど、
エコーをからかってパチンコ玉が飛んでくる場面は
あながち嘘ではないということだ。
それに、天魔が鴉天狗のようにこの台の上の細い面を
駆け抜けてくる場面も、想像できる。
地方ならば1970年代くらいまでこんな感じの店舗が
見受けられたとも教わった。(Hさんに感謝!)
これからも情報があったら教えてください。
昔からパチンコ大好きでやり込んできた唐十郎ファンが
いたら、ぜひ話を聞いてみたい。
2022年8月16日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑今は枯れ果てているが、渡英直後はフサフサだった↓
ここ1ヶ月、ほとんど雨が降らなない。
日本にとってのゲリラ豪雨が異常であるように、英国にとっては
この干上がり方が異常らしい。
8月に入り、週に三日くらいは夜に家にいるようになった。
主だった劇場がシーズンオフになったのと、遠出の際にまとめてお金を
つかうために意識してそのようにした。
英国の就業体制は厳格だ。午後6時にオフィスが閉まる。
だから夕方に劇場を出てスーパーなどに寄りながら家に帰ってくる。
午後9時くらいまで明るいので、途中、公園のベンチに寝そべって
本を読む。2週間くらい前に初めてこれをやって、
我ながら優雅なものだと思った。日本では考えられん。
先週半ばから読み始めた『カンタベリー物語』は中巻に入った。
上巻では、作中の巡礼者たちはロンドンブリッジの南を出発し、
Albanyのあるデプトフォードとグリニッジを通った。
面白いものだと思う。
そんな風に読み進めていると、昨日は8時半頃から雨が降った。
イギリスの公園は大きくて緑が豊富だから、
まるで『トトロ』のように大木の下で雨宿りをして、
雨脚が弱まったところでさっと帰ってきた。
考えてみれば、公園も、家の周りも、あのおとぎ話のようだった
緑の豊かな芝生は、今ではすっかり痩せて、枯れた草が地面に
こびりついたような具合になっている。
明日も夕立があり、明後日は本格的な雨が降るようだ。
同時に気温もガクンと下がって、20度周辺で落ち着くらしい。
明後日にはもう一度エジンバラに行く。
今度こそ、避暑地としてのスコットランドを味わえるかもしれない。
パスポートも早く回収しなければ。
2022年8月15日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野WS『黒いチューリップ』
↑パチンコ台の奥から部屋が現れた瞬間です。妙に安アパート風。
ひどくだらしなく寝ているようト書きの指示を守っています。
(2004年秋の唐ゼミ公演より)
昨日は『黒いチューリップ』本読みWSの2回目でした。
『蛇姫様 わが心の奈蛇』を経て『黒いチューリップ』に入った
タイミングでお久しぶりでご参加の皆さんが帰ってきてくれました。
別に演目のせいではないと思いますが、これはやっぱり嬉しい。
長編をやっていると、どうしても途中から入って来られる方には
敷居が高くなるとも思います。ロンドンにいる間は長いものを
予定していますが、今後、作品を選ぶ際の参考に思います。
あるいは、
以前に単発で『特権的肉体論』に取り組んだ回があったのですが、
一回こっきりで参加できる回を良いなと思います。お試しになる。
例えば、唐ゼミ☆だけでなく、近く上演が予定されている台本に
取り組めば、もっともっと上演が愉しめるようになるはずだ、
とも考えています。
さて、肝心の『黒いチューリップ』2回目。
今日は物語が徐々に動き始める場面をやりました。
前回はトップシーンですから、インパクトが大事だった。
100台が唸るパチンコ屋に100人の客がいる。
その喧騒の中を、声帯模写芸人のエコーがやってきて、
お客や景品ショップの婆さんに絡まれる、という趣向でした。
今回は、エコーがこのパチンコ屋にやってきた理由が徐々に明らかに
なります。
まずは、前回の最後のシーン。
勝手に玉が出てくる不思議な黒いチューリップ(当たり穴)の台の正体を
エコーは見極めようとします。思わず台を掴み、揺さぶる。
すると、この姿がインチキをしていると誤解を生んで、
釘師の「天魔(てんま)」と孫娘の「グリコ」が駆け込んでくる。
この天魔はカイマキ(着物型布団)を着ています。
グリコも薄汚い少女だという設定ですから、このパチンコ屋に
棲みついて働いているらしいことが想像されます。
そんな彼らからすれば、エコーの行為は許せない。
そして、誤解が解ききれず揉めているうちに次の登場人物が現れる。
パチンコについて一家言持ち、あっという間に100人の客を煽動してしまう
男の正体を、天魔は見抜きます。この男は刑事だったのです。
この刑事は伝説のパチプロ「一本指」を追っており、
一本指が自らの目印とした池袋の喫茶店ネスパのマッチを振りかざし、
一本指に憧れる他の客たちをますます煽ります。
実は当の天魔も、同じく一本指に身構えていたのでした。
近所のパチンコ店「アイウエオ会館」「アトム」「三角ホール」を
次々に閉店に追い込んだ凄腕・一本指に備え、ひどく厳しい釘設定を
仕掛け、強敵の襲来に備えていたことが明らかになる。
と、偶然その場にいたエコーを、この刑事は一本指だと思い込みます。
エコーが違うと言ってもそれを信じず、先ほどまで黒いチューリップ台と
親密に語らっていたエコーこそ、パチプロの中のパチプロと決めつけます。
皆の言いがかり、熱狂を恐れたエコーはその場を逃げ出し、
ほとんどの人間が彼を追います。
先ほどまでの喧騒が去り、静寂のパチンコ店内。
そこへ、エコーが忍び足で帰ってきました。
彼は黒いチューリップに再び語りかける。恋をささやくように。
(このあたり『ロミオとジュリエット』的です)
すると、パチンコ台が外れ、中から不思議な部屋が現れます。
ここには女が住んでおり、この黒いチューリップ台の玉は、
この女の人力で供給されていたらしいのです。
(唐さん得意の可笑しな設定!)
ここから、いよいよエコーの主目的が明らかになる。
初めは寝起きだったこの女「ケイコ」が身支度を整えると、
エコーは彼女に封筒を取り出します。営業で呼ばれた結婚式場の
女性用トイレで拾った封筒、その中に入る10万円が入っていました。
封筒に書かれたパチンコ店を頼りに、をエコーはお金を返しに来たのです。
大喜びするケイコ。
しかし、エコーは10万円のうち1万円を使い込んでいました。
前回に読んだシーンで、エコーは同居するサワヤカ少年の数学塾の月謝を
この封筒から失敬していたのです。
お礼の1割だと主張するエコーの理屈は彼女には通じません。
が、使い途が塾代と知った彼女は同情し、エコーにパチンコで1万円稼がせる
ことで穴埋めをしようとします。(ひどい癒着!)
というところまで、昨日はやりました。
蜷川さんと唐さんが気に入って展開してきた「六本指」というモチーフが
ここではパチンコにちなみ「一本指」に変化しているのも面白いところです。
あと、この芝居には「キス」という行為が象徴的な役割を果たします。
蜷川さんの商業演劇デビューだった『ロミオとジュリエット』は
キスばかり登場する芝居であり、「チュウ・リップ」という語呂合わせ
でもあるわけです。
次回は3回目。
血みどろの決闘も、強姦や近親相姦のような悲惨も、この台本にはありません。
この圧倒的なのどかさも、紛れもなく唐さんの面白さのひとつです。
読んでいて朗らかにたのしい。そういう特性を味わってもらえたらと思います。
2022年8月12日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑黒い服に黒い鞄で分かりにくいので、アップ写真も↓

昨日のゼミログを書いたのは帰りの電車の中だった。
エジンバラ〜ロンドン間は4時間半かかる。
東京から九州に迫ろうという時間だ。
日本にいたら長く感じるだろう。
飛行機で行こうかな、とも考えるだろう。
しかし、イギリスでは断固電車だ。
まず、景色に慣れていないから見飽きない。
そして何より確実性。
ロンドンにはたくさんの空港があり、
待ち時間があり、時間の調整があり、燃料代も変化する。
だったら、安定の電車。そう思っていた。
帰りの電車はうるさかった。
座った席が、ちょうど大家族に囲まれる具合だったために、
彼らがひっきりなしに行き来するし、頭越しに会話してくる。
イギリスの電車には必ず大騒ぎする人たちがいる。
どう処したら良いのか。物申して良いのか、自分にはわからない。
そんな中でゼミログを書き終えた。
すると彼らは二つ目くらいのニューカッセルという駅で降りた。
やれやれ。
と、この瞬間、気づいてしまった。
ずっとTシャツの中に忍ばせていた貴重品入れ。あれがない。
中には、これから観る公演チケット、国際運転免許証、
そして、パスポートが入っている。
しばらくゴソゴソやって、いよいよ手元にないことを確認する。
すると、アラン・カミング観劇中にチケットをしまうため、
客席で胸から取り出したことを思い出した。あそこに置き去り!
それから、ミミに電話し、劇場に電話し、
どちらも電話に出なかったので、問い合わせフォームに
メッセージを打った。
ピーターはその夜もエジンバラで演奏している。
明日、彼が回収してきてくれないかな、などと期待したが、
ともかく劇場に連絡をつけることが先決だ。
ちなみに、昨日に観劇したBURNはあの演目の千秋楽で、
夜公演はない。終演後、あの芝居が気になっていたピーターに
「ひどくつまらなかった」と3分くらいかけて悪口メールを打ったので、
自分は一番最後に客席を出た。だから係員以外に発見は不可能。
という好条件ではあるものの、ドキドキする。
結局、ミミにも状況をメールして、昨日はまっすぐ家に帰り、
夜遅かったので、シャワーを浴びて寝た。
ダイアンに「どうだった?」と訊かれ、「良かったよ」と簡単に伝えて寝た。
翌朝になりミミから返事があったので、どんな貴重品入れだったか、
羽田空港で撮った自分の写真などを送って説明した。
朝食時にダイアンに打ち明けると、涙目になって神に祈り始めた。
・・・やはり、昨夜に黙っていたのは正解だった。
ピーターに連絡を取ったが、彼は早朝からグラスゴーに移動していた。
今夜に別の演奏があるらしい。忙しいそうだ。
ピーター「帰りに戻ろうか?」と言ってくれたが、
見つかりさえすれば来週に自分で回収できるから安心してほしい。
そう伝えた。
すると、ミミが通常より早く電話で劇場オフィスをこじ開け、
話をつけてくれた。自分が送った写真も先方に送ってくれたらしい。
さすが劇場関係者。話が早い。あとはアツシで電話するべし、とも。
早速に先方の担当者とスピーカーホンで話し始めたところ、
横から猛烈な勢いでダイアンが喋り始め、あっさりと自分の物だと
確認された。「これはかなり重要ですね」と先方は笑っていた。
イギリス人のいい加減さに知り尽くすダイアンは油断がない。
相手が何日の何時に確かに劇場にいるかを確認し、
「変更があったら私に電話をしてくれ!」と迫っていた。
そういうわけで、今朝9:30をもって問題にはケリがつき、
巻き込んでしまったみなさんに現状と御礼を伝えて、
通常スケジュールに入っていった。
シニアの街頭劇の稽古に立ち会い、日本とZoom会議をし、
Albanyで会議をして、現在に至る。
2010年以来ファンになったフィルハーモニア管弦楽団の面々と
一気に繋がることができたので、浮かれたのだと思う。
ヤキモキした分、今日はやたら小銭を拾う。人生、正負の法則。
旅行時の装備について、もう一度考え直さなければ。
2022年8月11日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑一本目に観た子どもたちのための劇。素朴な感じの二人だったが、
主役の老人人形がフルに活きるよう計算し尽くされた造形だった。
最終日、エジンバラ三日目は二つの作品を観た。
1本目:A VERY OLD MAN with ENORMAOUS WINGS
シルヴプレさんが観たという人形劇を観ようと思っていたが、
道すがら、チラシ配りの女子が渡してくれたフライヤーを見て
ピント来た。開演は10分後だったが、急いで駆けつけて観劇。
しっかり者の女性とトボけた男性のコンビによる、
人形や映像、サンプラーを駆使したキッズプロだった。
と言ってもギミックではなく、マンパワーを主体として、
お客さんの想像力に訴える。ボケてニワトリ小屋に住む
老人に周囲のみんなが困惑するのだけれど、最後にはこの
おじいさんが天に召される。
最小限の規模に考え抜かれた美術の造形ひとつひとつが見事で
さりげない恰好のパフォーマーが周囲を活かしきる姿を
観ている側がどんどん好きになる公演だった。
2本目:BURN(詩人ロバート・バーンズのこと)
スコットランドの国民詩人にまつわる一人芝居を
同じく地元の名優アラン・カミングが演じるという趣向。
しかし、演出家がイフェクトを多用しすぎて、肝心のアランの
魅力が立ち上がってこない。観客は皆、くだんの個性派俳優を
観たくてきているというのに、もったいなかった。
実に嘆かわしい。最後に、緞帳の前に出たアランがカマチに
腰掛け、観客に語りかけるシーンがほんの少しだけあって、
初めからそれをやれよ!と思った。
ライティングとプロジェクションを組み合わせて、
彼の顔がよく見えない。重要なところで、
あまり上手いとはいえないダンスを見せられた。
体は鍛えられているが、そういうことではないと思った。
一本目と二本目の間に、韓国料理を食べようと思った。
学割の効く良さげな店を、昨日のうちに発見していたのだ。
が、開店までに時間があったので、木陰で寝そべってラジオを
聴いた。立ち上がると、近くのカフェからこちらを呼ぶ声がする。
ピーターとフィルハーモニア管最古参の女性奏者だった。
エレナーさんという方。日本に20回以上きたことがあるという。
席を勧められたのでコーヒーをご馳走になり、
かつてのボスであるジュゼッペ・シノーポリの話を聴いた。
昨日『ルサルカ』を観たのでオペラの話になり、歌舞伎について
訊かれたので、現在の市川猿翁が演出して、吉井澄雄さんが
ライティングした『影のない女』の話をして盛り上がった。
ロンドンに帰ったら、リハーサルを観にきなよ、と言われた。
北仲スクールをやっていた2010年にフィルハーモニアと
サロネンによる『中国の不思議な役人』を聴いてクラシックに
興味を持った。これもピーターのおかげだ。
ピーターが主宰するチェンバー・アンサンブル・オブ・ロンドンは
11月にプリマスで公演するということだ。
プリマス〜コーンウォール〜ミナックシアターの旅を
ここに入れようかと思っている。
エジンバラにはまた来週行く。
2022年8月10日 Posted in
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中野note
↑24:30くらい。スリー・クワイヤーズ・フェスからエジンバラへ
ハードスケジュールを嘆くミュージシャンたち
3日間の滞在の真ん中に当たる昨日は、
泊まっているドミトリーに荷物を置き、軽装で出かけることができた。
まず、開園時間にお城に行ったら、すでに予約で入場券が完売していた。
明日もダメ。来週に来るから、持ち越そうか。
ただでさえ有名観光地の最盛期に来てしまった。
そこから朝ごはんを食べて、チケットを買いに行った。
エジンバラに限ったことでなく、英国での買い物は時間がかかる。
スーパーでも、駅でも、ボックスオフィスでも、窓口がフル稼働している
のは稀だし、何人並んでいようが受付の人が常にゆっくりなので
当て込んでいた時間の3倍かかったりする。
時間もできたし、あとがタイトにならないように。
1本目:ウィル・テルと悪い男爵
ケッチさんがアドバイザーに加わった子ども用作品。
女の子版ドン・キホーテみたいな話で、ウィリアム・テルに憧れる
少女が身の回りの品で英雄に扮し、悪の男爵の城を探し当てて
これを倒す。造形や動きで観せる。何回か、子どもたちをステージに
上げて助っ人として活躍してもらうことにより、彼らをどんどん味方に。
最後は全員でゴールした感じだった。
お金持ちの子どもたちが多く観に来ているのか、子どもたちの誰からも
エレガントでゴージャスな感じがした。
2本目:ラッカス(騒ぎ)
当てずっぽうに入ったこれは、女優の一人舞台。
男女のゴタゴタを描くせりふ芝居で、ゆえに置いて行かれた。
ファック・ミーと何度も吠えていた。うっかり最前列に座って
しまったので、眠らないように最後まで頑張って消耗した。
早すぎる英語を聴いていると眠くなる。
終わった後、キットカットを食べた。
3本目:一人でロード・オブ・ザ・リング
黒つなぎに地下たびの男性俳優が例の三部作を一人で、
1時間で演じ切っていた。あらゆる役と情景を声と体の動きで表現。
途中に起こるDVDの交換まで。頭空っぽで大笑いしながら観た。
第一部を映画館で観て、エンディングで三部作だと気づいたこと。
第二部を唐さんも観ていて、オーランド・ブルームについて喋ったこと。
第三部はヨコハマ・ウォーカーの葉書応募で当てて先行で観たことを
思い出した。一人で映画を演じるといえば、マルセ太郎さんも
思い出した。
4本目:歌劇ルサルカ
ドヴォルザークのオペラ。セットと照明、演出が良かった。
歌と音楽が先行するオペラでは、オーセンティックでない演出が
成功することは稀だ。どこか足りなかったり、やりすぎて素材を
邪魔していたり、訳わからなかったりするけれど、これは実に巧みに
一体化していた。巨大な蓋つきのセットで水底の世界を巧みに表現。
コミカルなシーンもふんだんにあって、けれども聴かせどころでは
この作曲家のフォークソング的に単純素朴な魅力が全開だった。
終わった後は、ピーター・フィッシャーの手引きでパブへ。
フィルハーモニア管弦楽団の女性ヴァイオリニストたちと
おしゃべりして、これまで来日コンサートで聴いてきた曲目を
伝えた。なぜかイギリスの地方都市であるポーツマスの話題になり、
昔、大里先生に教わったポーツマス・シンフォニアの話を振ったら
ピーターしか知らなかった。で、YouTubeでこのオケが演奏する
『ツァラトゥストラ』を彼らに聴かせたら、大喜びしていた。
あと、明日はイギリスの名優アラン・カミングの一人芝居を観る
と伝えたら、4人のうち誰も彼を知らなかった。
この人ですよ、とスマホで画像を見せたが、反応薄。
終いに「あ、アランはスコティッシュだ。私たちイングランド
だから知らないんだ」と皆が言い出して、冗談の中にイギリス人たち
の国民意識を知ることになった。
静かにシャワーを浴び、午前2時頃寝る。
2022年8月 9日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑ホルーリード・パークの崖の上
昨日からエジンバラに来ている。
有名なエジンバラ・フェスティバルに合わせてやってきた。
噂には聞いていたが、街に降り立って面食らった。
人、人、人。もう観光客がぎっしり。
街中の至るところにショーのチラシやポスターが貼り出されていて、
大きなものから小さなものまで、千や二千のプログラムが
ひしめいているのだと実感し、眩暈がした。
今回、私が目標に置いてきたものはわずか。
①ケッチさんに勧められブライトンでも観たジュリア・マシリーのショー
②ケッチさんがアドバイザーを務めたシアター・フェデリ・フェデリ
③ピーターがオケに加わっているドヴォルザークの『ルサルカ』
④清水宏さんが激闘したパブThe World's Endに行く
⑤エジンバラ城に行く
と、このくらい。
が、日曜日にロンドンでパントマイム「シルヴプレ」のお二人に
会えたことにより、目標が増えた。名優アラン・カミングが当地の詩人
バーンズの生涯を一人舞台にして公演しているらしい。
そこで、これを⑥に。
さらに、街で『一人でロード・オブ・ザ・リング』というポスターを
発見したので⑦。Summer hallという会場の演目が面白そうなので⑧。
朝からやっているパペットの公演を⑨とした。
到着から3時間で街を歩き、タイ料理屋に入ってこういう計画を組んだ。
その後は、なんだか人いきれにヘトヘトになってしまったので、
焦ってジタバタしないことにした。ジュリアのショーは22時頃に始まる。
3時間以上あるから、近くのホルーリード・パークに登ることにした
丘というか、山というか、崖というか。
数時間かかりそうだなと思ったが、麓で寝そべっているおじさんに
訊いたら「30分かからんよ」ということなので、歩き出した。
かなり簡単に辿り着き、フォース湾と市街地を眺め、
「アーサー王の玉座」と言われる岩肌も発見した。
なかなかの眺望で、『マクベス』のことを考えたり、
メンデルスゾーンの3番を聴いたりして頂上で1時間くらい過ごした。
降りるときに、一回転んで尻餅をついた。
筑波山でも、大山でも、降りるときはいつもこうだ。
ジュリアのショーは完成版というより、
エジンバラで観せるために刈り込まれていた。
ポップになっていて客席はウケていたけれど、
クリエイター力の発揮具合はブライトンの方が上だった。
ここには時間制限もある。なかなかに厳しい環境だ。
2022年8月 8日 Posted in
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中野WS『黒いチューリップ』
↑暴れるラムネ。懐かしい学生時代の上演です。
昨日は『黒いチューリップ』第1回WSの初回でした。
いつも初回は特に準備をして臨みます。
内容以前に、唐さんがどうやってこの台本を書いたか、
経緯や、当時の唐さんを囲む面々について話す必要があるからです。
が、昨日は出鼻をくじかれました。
恐ろしいZoomトラブル。ついさっきまで正常に稼働していたzoomが
いざ時間になって正式に入ろうとしたところ、インストールが必要だ
といきなり言い出し、慌てました。
皆さんに待って頂いて応急処置をし、
ブラウザから入る方法で何とか成立させることが出来ましたが、
冒頭がかなり滞ってしまいました。申し訳ないです。
終了後に最新版をインストールして正常起動を確認しましたが、
便利と思っていたテクノロジーの落とし穴です。怖い。怖い。
さて、肝心のWS内容です。
経緯については、こんな感じの話をしました。
・これまで蜷川さんと作ってきた作品のモチーフが生きている
→「六本指」「大人数の出演」「池」
・根津甚八さんと小林薫さんという看板を失った唐さんの試行錯誤
→李さんの相手役探しでもある
・前年に本多劇場柿落とし『秘密の花園』で活躍した柄本明さんの抜擢
・蜷川さんの商業演劇デビュー作『ロミオとジュリエット』がベース
・1980年に状況劇場が行ったサンパウロ公演から、南米の鳥
グアーチャロ(アブラヨタカ、Oilbird)のアイディアを得たはず
そこから冒頭シーンへ。
100人のお客がひしめくパチンコ屋から劇はスタートし、
主人公エコーのモノローグが始まるのが見事です。
エコーは売れない声帯模写で、パフォーマーとしての腕は
イマイチだが、声無き者の声を代弁するのに長けている。
だから「エコー」という名だとアピールします。
洞窟の奥に棲み、視覚は弱いけれど聴覚でコミュニケーションする
グアーチャロとの共通点にもここにあり、この劇のテーマを強く
打ち出すシーンでもあります。
それから、景品交換所の婆さんとぶつかります。
※後に「サキ」という名だとわかる彼女、「咲き」からきています。
そこから水が異常に噴き出すラムネ瓶と取っ組み合ったり、
エコーがもともと持っていたセブンスターのタバコを巡って、
婆さんに難クセをつけられたりします。
パチンコの玉とお金をいきなり交換することはできないので、
パチンコ店ではキーアイテムと玉を交換、それを少し離れた場所に
ある景品買いに買い取ってもらうことで現金化するシステムについて
話しました。このパチンコ店では「セブンスター」が交換のアイテム。
婆さんの意に従って100人の客がエコーのセブンスターを奪い、
人々の手から手へ渡ります。そして、必死でそれを追いかけるエコーは
一台のパチンコ台を壊してしまう。それこそ、黒いチューリップ
(※「チューリップ」とはパチンコ玉が入る当たり穴のこと)を持つ
壊れた台でした。物言わぬ黒いチューリップに、否応なく惚れ込むエコー。
と、ここに、エコーの同居人である少年サワヤカ君がやってきます。
彼の爽やかさはパチンコ店にたむろする客たちを慄かせ、エコーを守る。
けれど、二人が暮らすアパートの家賃とサワヤカの通う塾の月謝の滞納が
明らかになります。特に塾で学ぶ数学については熱心なエコーは危機感を
募らせ、懐に忍ばせた訳ありの封筒から、一万円を取り出してサワヤカに
渡します。去っていく少年。
すると、一人になったエコーの前に新たな不思議が起こります。
壊れたパチンコ台、黒いチューリップの口からジャラジャラと玉が出てくる。
しかも、まるで生きているように戸惑うエコーとやりとりしながら。
明らかに誰かが隠れている。そう思わせながら冒頭シーンはおしまいです。
ひしめくパチンコ台と大人数の喧騒。
ビンから噴き出るラムネを使ったギャグ。
というスペクタクルから、一気にパチンコ台の当たり口にフォーカスという
極小の対象にフォーカスする唐さんの着想が冴えています。
グアーチャロというモチーフは難しいけれど、それもおいおい明らかに。
次回、第2回のzoomは特に念入りにバッチリにして臨みます!
2022年8月 5日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑Lewisham Shopping Center 内部
昨日は、シニアたちと進めてきた街頭劇の稽古が
(と言っても建物内での公演だが)いよいよ本格化した日だった。
会場は慣れ親しんだルイシャム・ショッピング・センター。
ここが本番の会場であり、中のメインストリートとかギャラリー、
Albanyが今年のフェスティバルに合わせて構えたフリースペースなど
複数箇所を使って劇の各シーンが進行する。
構成・演出のレミーのテキパキとした指示のもと、
まずはどの会場でどの場面を演じるのか、それぞれで動きを
付けながら当たっていく作業が続けられた。
いつもの稽古は90分強だが、今日は2時間半以上やったので
最後にはシニアたちもくたびれていたが、開放的で賑やかな空間に
やって来られたことに誰もが嬉しそうだった。
実際、やりとりも活き活きしてきた。
もちろん、昨日の稽古はセンターの許可を得てやっているが、
普通のお客さんが往来する場所で稽古は進められ、自然と衆目が
集まったり、赤ちゃんに絡まれたりするのも面白かった。
警備員が、それとなく見守っているようだった。
思えば、自分のこのショッピング・センターに対する思いは
この半年で劇的に変化してきた。初めてここを訪れたのは渡英2日目。
中にある郵便局にビザカードを取りに来るというミッションが
あったからだが、あの時ははっきり言って怖かった。
治安への不安、言葉の壁が立ちはだかる。
政府から届けられた郵便を受け取るだけの作業にぐったりした。
それが、ダイアンの家に住み始めた頃から、
この場所はあらゆる買い物が安く便利に住む場所になった。
日用品から衣類、食料品まで、ほんとうに何でも揃うのだ。
この中にあるH&MとTK-Maxxxの服で自分の春夏秋ものを買った。
Wilkoというホームセンターでタオルや傘、歯磨き粉を買う。
他にも、パウンドランドがある。
アイスランドという、いつもオレンジジュースを買う定番の店も
すぐ近くにある。油断は禁物だが、安心していられる場所になった。
本番は9月の上旬、二日かけて3回行われる。
あと3回のリハーサルで公演だ。恐るべきスピード。
2022年8月 4日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑アーネスト・ダウスンの墓参を終えた。
明らかに誰にも顧みられていなさそうだったので、年内に再訪し、
掃除してから帰国しようと思う。
※今日は生々しい話になるので注意してください。
昨日は久々にハードなやつが来た。突然に。
ダイアンには、ロンドンでは道で話しかけられても絶対に相手を
するなと厳命されている。しかし、習慣というのは拭い難いもので、
ついつい立ち止まってしまうのだ。相手もまた、
そういう自分を見透かして声をかけるのか、とも思う。
Albanyの近くで、黒人の女性に声をかけられた。
30歳くらいだろうか。彼女は私を呼び止め、
ワンピースのすそに付いたたくさんの血を見せながら
2ポンドくださいと頼んできた。
生理がきてしまったので生理用品を買いたい。ということなのだ。
オレは英語がわからん!ごめん!
と言って振り切ったが、なかなかの威力だった。
その後、最近ピーターに教わったレバノン料理屋に行った。
鶏肉をタレに漬け込んで焼いたものに、ライスとサラダが付いて7ポンド。
こちらにしてはリーズナブルな値段で味が良く、量が多い。
何より焼き方が優れている。
炭火の管理をせっせとして、うちわであおぎながら焼いてる。
焼き加減を確認するしぐさは日本の鰻屋そっくり。
調理が雑で、基本的に焼き過ぎパサパサのロンドンでは珍しい丁寧さ。
肉がジューシーなまま出てくる。さすがピーターの紹介。
昨日しくじったアーネスト・ダウスンの墓参りも達成できた。
開園時間中の霊園に入ったところ案内がないので、しばらくウロウロした。
物言わぬ墓を探すのは難しい。まして藪の中みたいなところに
いくつもの墓石が見える。暑いし、虫が多いし、植物も棘だらけなので、
そういう場所を探すのは至難の技だ。今が冬であれば!
今日もダメかと思いながら、
向こうからやってきた数少ない通り掛かりの人に訊き、
通常は留守中の管理室に施錠にやってきた係員にも訊いて、
やっと発見できた。
ダイアンからもらったあじさいと文庫本を備えて手を合わ、。
ヘタクソな英語で彼の代表作を誦じた。
昨日の彼の誕生日を祝いに来た者は自分だけのようだった。
清々しい気持ちである。
その後に冒頭の女性に声をかけられ、
今日も一日、ふんだんに人間を味わった。
来週はエジンバラに行く。今週はできるだけ大人しく
リーズナブルに過ごして、エジンバラに備えよう。
2022年8月 3日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この霊園のどこかにアーネスト・ダウスンは眠っている
昨日は収穫なし!
それなりにウロウロしてさまざまなことに手を出したが、
どうも決め手に欠いた。
早朝に日本とのzoom会議をし、
それからAlbanyでシニア向けWSに参加し、合唱の練習をした。
その後、久々に墓参りをしようと計画していた。
「風と共に去りぬ」「酒と薔薇の日々」という言葉を生み出した詩人
アーネスト・ダウスンの墓参り。私は15年くらい前に出た彼の短編小説の
ファンなのだが、彼がルイシャムで生まれ、死んだ人だと渡英後に知った。
生家のあたりも、亡くなった場所も、家から歩いて行ける距離だ。
ライムハウスというテムズ川沿いの街で家業の船着場を
営んでいたらしいが、ここも電車でよく通る。
仲間たちと遊び歩いたソーホーも、簡単に想像できるようになった。
さらに調べると、家から4キロほどの墓地に彼は眠り、
8/2が誕生日ということだった。普通は命日だろうが、
亡くなった2/23は過ぎてしまったから、ひとつ、誕生祝いを
してやろうと思ったのだ。ダイアンの庭からあじさいの花を一輪もらった。
しかし、午後に急に会議に参加することになり、
4時半頃にやっと劇場を出て5時過ぎに霊園に到着すると、
門はすでに閉まっていた。4時閉園なのだそうだ。早い。
そこから、多少はジタバタしたが、結局どうもにならなくて
仕方なく出直すことに。
それから、ロイヤル・アルバート・ホールに行った。
6月にオールドバラ音楽祭でパトリシア・コパチンスカヤの
ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲1番を聴いて凄かったので、
同じ曲を違う団体と共演すると知って行ったのだ。
が、このホールはデカ過ぎ、しかも満員のために音響はさらにデッド。
BBCプロムスに集まるお客の騒々しさで、6月に比べるとかなり
貧弱で散漫なものになっていた。それでも、さすがは彼女の熱演で
多くのお客が熱狂していたけれど、やっぱりあの空間を牛耳ったとは
いえない出来だった。
というわけで、何か煮え切らない1日だった。そういう日もある。
それは分かっているが、期限付きの滞在においてはいかにも無念だ。
2022年8月 2日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑この大聖堂と奥にいる合唱隊が主役なのだ
先週末、7/30(土)は特別な日だった。
ちょうど渡英から6ヶ月。あと5ヶ月を残しているけれど、
こと音楽鑑賞に関してあの日を超える体験はないと思う。
そう断言できる。
2ヶ月前まで、Three Choirs Festivalそのものを知らなかった。
自分がロンドンで聴いて気になった団体がこれに参加すると
知ったところから、この音楽祭の存在を知った。
ヴァイオリニストのピーター・フィッシャーに訊いたところ、
歴史ある音楽祭らしかった。そして、名門フィルハーモニア管弦楽団の
一員として彼も舞台に上がることが分かった。
日曜の朝はWSだから、土曜日の最終日は立ち会うことができない。
そう思っていたところ、ピーターは「絶対に最後の夜のエルガーを
聴くべきだ。コンサートが終わったら、一緒に車で帰ろう」と
言ってくれた。別にエルガーを好きでもなく、聞き覚えのない
曲が演奏されるらしかったけれど、言われるがままに予約した。
↓ピーターよ、ありがとう。
木曜に当地に行き、いくつものコンサートを聴くうち、
演奏の素晴らしさだけでなく、音楽祭のコンセプトもわかってきた。
イングランドとウェールズの間あたりに、
ウスター、グロスター、ヘリフォードという都市がある。
どれも大聖堂を持つ古い街だ。聖堂に合唱隊は欠かせない。
だから、合唱を主体にしたフェスティバルが始まった。
1715年にスタートし、各都市が持ち回りで会場となる。
だから、3年に1回わが街にやってくるのだ。
今年はヘリフォードという街が会場で、そこに行った。
面白いのは、アマチュアの合唱隊が舞台に上がることだ。
ただし、オケもソリストも超一流が集まる。
アマチュア団体が渡り合えるのかと思うけれど、渡り合う。
大聖堂のアコースティックが、彼らを支えている。
それに、8日間の期間中のラインアップがすごい。
1日のクライマックスを飾る曲目だけ並べるとこうだ。
7/23(土)ドヴォルザーク『レクイエム』
7/24(日)マーラー 交響曲4番
7/25(月)George Dyson『クオ・ヴァディス』
7/26(火)ハイドン『天地創造』
7/27(水)Richard Blackford『ピエタ』
7/28(木)Luke Styles『ヴォイス・オブ・パワー』(世界初演)
7/29(金)プーランク『スターバト・マーテル』
7/30(土)エルガー『ゲロンティアスの夢』
現代曲、新作、マイナー曲、何でも来いのラインアップ。
要するに2日目を除いて合唱隊はフル稼働。
メインじゃない演目の中に合唱曲が際限なくある。
教会だから、夕方のお祈りもこなす。
曲を覚え、歌いこなすだけでも大変なのに、
コンサートだから、当退場や演奏中の起立・着席・移動など
段取りも無数にある。それをみんながこなすのだ。
ものすごく厳しいことを言えば、アンサンブルやソロパートが
弱い時もある。けれど、大聖堂という音響装置が彼らを昇華させる。
何より、これだけの過酷な連続技をこなす彼らはゾーンに入っている。
一年をこの8日間のために研鑽しなければ不可能、
というくらいの音楽祭だった。
プロの力と、アマチュアの献身や情熱、
この場所でなければ!という音響空間とローカリティ、
それぞれの良いところが溶け合っていた。
最後の夜に演奏された『ゲロンティアスの夢』は、
死の恐怖に慄く爺さんが神に救われる、という『ファウスト』の
終盤だけをやるような物語だった。エルガーはこの地で全盛期を
過ごしたらしく、銅像もあった。
地元の人たちにとっては、このオラトリオはこの地が誇る聖曲らしかった。
教会だから、見切れどころか、ステージが完全に見えない数多くの席も
びっしりと超満員で、すごいひといきれだったけれど、みんな陶然として
聴いていた。合唱隊が、主人公を導く天使になったり、苛む悪魔になったり
しながら大活躍して、彼らが主役の音楽祭を表現を以って示していた。
終わった後、聖堂の中で、周囲の庭で、合唱隊も、演奏家たちも、
普段は近寄り難いソリストたちも、そこここでおしゃべりしていた。
音楽鑑賞に関して、このイギリス滞在の紛れもないピークだったと確信している。
あれから二日間。夜は家にいておとなしく本を読んでいる。
身体が余韻でいっぱいだし、お金もかなり使ってしまったのだ。
分厚い音楽祭のパンフレットを何度も見返している。
英語の歌詞を読んで、自分が聴いたものの意味をもっと知りたくなる。
特別な夜の力は、今も生きている。
↓ゲロンティアスを歌ったニッキー・スペンス。
強靭な声を生み出す体格だけでなく、ミサイルのような頭のかたちも凄い。
2022年8月 1日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
3人のあやとりが広がっていく。友情に溢れたエンディング!
(撮影:伏見行介)
昨日は『蛇姫様 わが心の奈蛇』WSの最終回でした。
この大長編が、どうやって大団円を迎えるのか
10人で読み込みました。
物語は、ヒロインあけびの父親探しを基調にしています。
自分の父親は誰か。自分はどこから来たのか。
前回、バテレンが過去を暴きたてる場面をやりました。
朝鮮戦争中にアメリカ兵の引き上げ船「白菊丸」の中で起こった出来事、
そこに居合わせた人が誰で、あけびの母を集団で強姦したのは
誰だったのか。それが、あけびの父と思しき人物であるはずです。
本物の伝二が登場し、薮野一家が死に絶えていたことが知れると、
これまで伝二を騙っていた男は李東順(り とうじゅん)を名乗ります。
薮野一家の面々もニセモノが居座っていたと暴露される。
ここからが昨日のシーン。
まず、あけびが畳み掛けます。
肝心の部分がハングルで書かれた母シノの日記を読み解けば、
李東順を名乗り、薮野一家だと言い張る男たちは朝鮮人かと思いきや、
そうではなく、彼らもまた日本人だというのです。
このあたりの事情が込み入って非常に分かりにくいとWS参加者から
問い合わせがあったので、よく整理をして重点的にやりました。
こういう質問というか、オーダーは、こちらも助かります。
細部をいい加減にせずに、まずは筋立てて考え抜くことが大切です。
整理しながら、
朝鮮戦争が起こっていた1950-53年に朝鮮半島から15歳で引き上げて
くる日本人がいるとすれば、それはもう太平洋戦争の残留孤児に
違いない。そういう推理を立てました。
・・・が、唐さんはこの問題に回答を与えていません。
突き詰めて考えていくと、伝二を騙り、李東順を名乗る男、
あけびの父親らしきこの男が何者か、決定的な尻尾が掴めない。
朝鮮人かと思いきや日本人かも知れない。
しかし、やっぱり究極的な正体が判らない。
・・・だから彼は「蛇」なのです。正体不明な「蛇」なのです。
考えた末に、
「蛇」は「蛇」であり、「蛇」は「謎」である、
と今回は結論づけました。
あけびの父親は巨大な「謎」なのです。
これはなかなか唐さんの素敵なところだと感じます。
「蛇」で強引に押し切る。考え抜いて尚、辻褄を合わさせない。
これでいい。これがいい。
結局、この謎の男は大蛇になって天に逃げました。
かなり破天荒で強引な幕引きです。スペクタクルを駆使して、
強硬に逃げ切っている。だからあけびの謎は解けずじまい。
あけびも小林も落ち込みますが、
最後に、もう一度まむしに噛まれたタチションを、
あけびは再び身を挺して救います。
目標の探偵事務所取得は遠ざかる一方ですが
小林はあけびを励まし、あけびはタチションと3人で事務所を
やろうと提案します。これで、タチションを加えたトライアングルが
完成します。
最後は、1幕で小林とあけびの出会いのきっかけになった
スリのやり合いを、今度は3人でやってエンディングを迎えます。
皆、スリへの用心のために赤い紐をつけているから、
3人を頂点に、赤い紐はキレイな三角形を描く。
この物語は終始、どこか子どもじみています。
「お姫様ごっこ」を思わせるのどかさで全体が進行する。
大人の男女関係や友情は複雑ですが、
3人は子どもの世界に生きてるからこそ、このトライアングルが可能です。
友情パワーにより、唐作品の中でもかなり幸せいっぱいのエンディング。
三ヶ月かけてやってきた長編もこれでおしまいです。
皆さん、ありがとうございました。
唐ゼミ☆にとってかなり手応えの大きかった作品なので、久々に思い出しました。
来週から10月の半ばまでかけて『黒いチューリップ』をやります。
唐作品の中ではそれほど有名な演目ではありませんが、
唐十郎流に「引きこもり」を追究する物語です。
蜷川幸雄さんと行ってきた一連の作品群の最終形でもある。
ポップで面白い台本です。ぜひ参加してください!
2022年7月29日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note

↑ヘリフォード大聖堂
昨日から旅行している。ロンドンに戻るのは日曜の早朝。
英国の真ん中あたり、ヘリフォードという街を中心に
行われている"スリー・コーラス・フェスティバル"にやってきた。
この音楽祭、
これまで全く知らなかったが300年以上の歴史を持ち、
周辺の3つの都市が持ち回りでメイン会場を受け持つことから、
こういう名前だという。当然、コーラスに力を入れている。
これに興味を持ったのは、
前にウィグモア・ホールで聴いたフレットワークという
ヴィオール集団がきっかけだった。
面白いと思った彼らがこのフェスに参加する。
それでフェス自体が気になるようになり、
ピーター・フィッシャーにどんなものか問い合わせたところ、
彼もフィルハーモニア管弦楽団の一員として当地に逗留、
演奏を連続的にするということだった。
こういう話を聞く過程で、メインが合唱ものだとわかったし、
スケジュール的な事情もあって、当のフレットワークは諦め、
フェスティバルが最高潮に達する最終3日間を狙うことになった。
問題が多かったのはホテルの予約だ。とにかく予約が取れない。
超高額か、車移動なら宿泊が可能なテント泊というのを音楽祭が
推していた。それとて、結構な値段だ。
考えてみれば、ヘリフォードの人口は5万人。
そんなところに普段からたくさんホテルがあるわけはない。
それに、出演するミュージシャンたちが先に近場を押さえている
に違いない。そのような事情から、自分が泊まるのは電車で
30分ほど移動した先にあるラドローという街に落ち着いた。
こちらは人口1万人強。さらに田舎だが、古城で有名らしい。

↑ラドロー城
まずはラドローに着いて古い城を見物してから、
ホテルにチェックインして荷物を置き、ヘリフォードに来た。
ラドロー城は良かった。先日に観た『リチャード3世』。
あれに殺されてしまう二人の少年王子が出てくる。
兄の方が、主人公であるグロスター公リチャードの兄
エドワード4世の長男にあたる。
彼はこのラドロー城で帝王学を学んでいたところ、
父の死の報せを受け取り、王位を継承するためにロンドンに向かった。
そしてロンドン塔に幽閉され、例の叔父さんによって殺されてしまう。
また、『ヘンリー8世』で離婚させられてしまう賢妻のキャサリン。
あの人もこの地の出身なんだそうで、なかなか高貴な場所のようだし、
実際に行ってみて、その雰囲気はかなり伝わってきた。
そしてヘリフォード。コンサートのメイン会場である大聖堂の立派さ。
これは規模と美観において、渡英以来随一と断言できる。
こんな田舎に、忽然とこんな立派なものがあるなんて。
そういえば、神奈川県には寒川神社がある。
相州一宮というくらいだから県内で格式が高さは抜きん出ている。
そして寒川町はこの神社を頂くことで、横浜市民の私から見ても、
かなり自信満々な感じがするのだ。

↑寒川神社(去年の12月)
似ている。
ちょっとした中庭なども古い建物と植物が一体になり、
よく手入れされていて抜群に美しい。
フェスティバルのために周囲に建てられた運動会用テントや
仮設トイレは美観を損なっているけれど、それにしても壮麗だ。
帰るのは日曜の早朝。あとまるまる二日間、滞在する。

↑ヘリフォード大聖堂のコンサート開演前
2022年7月28日 Posted in
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中野note

↑ウェストミンスター寺院は11世紀に造られた。パーセルが生きた
時点ですでに500年の伝統を持っていた
ヘンリー・パーセルの生没年は1659-1695年だから、
約36年の短い生涯だった。
衛生環境、医療、栄養、あらゆる条件が劣悪だったから、
子どもが成長するのが大変だった時代だ。
実際、パーセルの子どもたちは1歳に満たず何人も亡くなった。
彼の父親もウェストミンスター寺院に勤めた音楽家で、
ヘンリーの息子も同様だったらしい。職業選択の自由はない。
面白いのは、要するに国家公務員的ミュージシャンである
彼の一生が条件闘争の連続だったことだ。
さして多くはない給料はすぐに未払いになる。
さらに、国王に随行して音楽演奏する際、移動費が自費負担に
ならないよう交渉したともいう。
つまり、それまでは出張費を自分で出していたのだ。
出かけたがるのは王様なのに、あまりに理不尽だ。
このように、当時の労働条件はなかなか過酷だったらしい。
制服にあたる衣裳が擦り切れると、これを新調するための折衝が始まる。
17世紀後半といえば、エリザベス1世の統治時代を経て、
国王が斬首されたクロムウェルのピューリタン革命も乗り越え、
王政復古がなされた時代だ。王室の財政も不安定だった。
王が旅先から帰ってくる時、パーセルは様々な詩人の詩に曲を
つけて王を迎えた。オード(頌歌 しょうか)というやつだ。
くだらない詩もあれば、優れた詩人の作もある。
それからもちろん、教会でのセレモニーのために
アンセムをつくった。讃歌とか祝歌とかのことだ。
今回のロンドン滞在中、
沢山の教会のイブニング・コラールに参加してきた。
オルガン演奏からスタートし、開会の挨拶、懺悔の言葉、
ここから合唱と神父(牧師)や会衆(氏子総代?)による
詩篇朗読が繰り返される。合唱団と神父さんが対話的に
歌う時もあって、まだ規則性や手続きの順番を完全には
掴み切れていない。
こういう時に立つ。こういう時は座る。
こういう時はひざまづく。一緒に歌を歌う。
最後に寄付を(自分はほんの少し)する。
全部見よう見まねで、ワタシは外国人です!
という空気を振り撒きながら参加している。
いずれ立派に手順をこなせるようになってから帰国したいけれど、
この時点でも、パーセルが何のために曲を作り、オルガンその他の
楽器を演奏し、時にはバスとカウンターテナーで歌ったのかが
想像できるようになった。
彼は一生をずっとウェストミンスターの周りに住み、職場とした。
ロンドンを離れるのは国王の随行時だが、上記のことから想像するに、
そんなに生やさしいものではなかっただろう。
食事中の演奏を所望され、聴いても聴いていなくも演奏し続ける
という習慣が当たり前だった時代だ。
パーセルは劇場用の曲も作ったから、これまではそちらに惹かれてきた。
『ディドとエネアス』の他に、『妖精の女王』『アーサー王』
『テンペスト』『インディオの女王』などを好きで聴いてきたけれど、
今回の滞在を通じてオードやアンセム、王や女王の死に捧げた葬送曲を
もっと聴いてみたくなった。
作曲の経緯が経緯だから、似たり寄ったりの曲がたくさんあって、
駄作も傑作も入り乱れているらしいけれど、とにかく聴いてみたい。
生で聴いて、録音で確認して、そういう繰り返しの残り5ヶ月に
なると思う。
2022年7月27日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑ようやく訪れたウェストミンスター寺院の入り口で
ロンドンに住んで足跡を訪ねてみたい人が何人かいる。
①ウィリアム・シェイクスピア(劇作家、俳優)
②ウィリアム・ブレイク(詩人、画家、彫版師)
③レジネルド・グッドオール(指揮者)
そして、④ヘンリー・パーセル(作曲家)である。
もともと、パーセルのことは、
横浜国大でお世話になった茂木一衛先生に教わった。
先生は私が大学入試を受けた時の面接官の一人で、
おかげで唐さんに師事できたと思っている。
だからという訳ではないが、先生の退官講義の時にはお手伝いを
させてもらった。そしてその講義についてあれこと打ち合わせする中で、
『ディドとエネアス』というオペラがあることを教えてもらった。
それから幾つものCDを聴いて、今をときめく
テオドール・クルレンツィス指揮のものを気に入った。
彼の指揮もさることながら、ヒロインのディドを演じる
シモーネ・ケルメスという歌手に惚れ込んでしまったのだ。
唐さんはよく、歌いすぎたら語れ、と言う。
せりふが流暢になってくると、ついつい歌い上げてしまう。
劇中歌もやはり、メロディに飲まれて歌いすぎてしまう。
それでは良くない。
それでは、言葉が言葉としての意味や魅力を失ってしまう。
役者の喋り方、歌い方というのはやっぱり言葉が基本だ。
優れた役者はリズムは韻律を持って聴かせるものだけれど、
心地よいだけでなく内容が観る人の胸に迫るためには、
語ることが必要なのだ。
そこへいくと、このシモーネ・ケルメスという人の在り方は
そのお手本のような感じだ。確かに歌っている。
けれども、まるで話すように、喋るように歌うのである。
メロディと詩が一体になって攻めてくる。
だから、いつか彼女の実演を聴いてみたいと思い続けている。
で、ヘンリー・パーセル。
先日、椎野からパーセルの伝記を含む荷物が届いた。
数年前に、神田の中古レコード屋で見つけて買ったものだ。
渡英前に日本でも読んだけれど、正直あまり面白くなかった。
彼が生きた17世紀後半のロンドンや教会がまったく想像できなかった。
内容が入ってこなかったのだ。
が、今はこれがめっぽう面白い。ロンドンに住んで多くの教会に行った。
コラール・イブニング(夕べの祈り)に行くと、本当に珍しい合唱や
オルガン曲が山のように聴ける。しかも、ところによっては無料。
メディア的に有名な音楽家でないにせよ、
腕達者なオルガン奏者や歌手がゴロゴロいて、しかも、
教会建築という音響装置にかかると、その魅力が何倍にも増幅される。
そうこうするうちに、本に書かれているアンセムやオードが
どういう歌で、教会のオルガニストがどういう仕事か、
体感的に想像できるようになってきた。親しみが湧くようになった。
パーセルはイギリス王室の寺院であるウェストミンスター周辺で
生まれ、暮らし、この寺院を職場とした。
長くなったから二日に分けよう。
また、明日。
2022年7月26日 Posted in
2022イギリス戦記 Posted in
中野note
↑少年少女のためのプレイグラウンド。日本だったら"危険"とみなされる
に違いない。
今、馴染みのカフェDeli-Xで暗然としてこれを書いている。
長らく愛用してきたリュックサックのジッパーが壊れたのだ。
これは、椎野が彼女の父からプレゼントされたもので、
それを借り続けているうちに自分のものになった。
5年以上は世話になってきたと思う。それが、ついに壊れた。
英国に来て以来、特に荷物を満載にする機会が多かったのが
負担だったのだと思う。ダイアンに訊いて、修理してくれそうな店を
何軒か訪ねたが、いずれも無理だと言われた。残念だが仕方がない。
週半ばから遠出するし、アウトドア系の店で大きくて丈夫なやつを
買いたい。都心のあたりでセールとかやっていれば良いが。
ところで、先週末のAlbanyは壮絶だった。
二つのフェスティバルに同時開催するというスタッフ泣かせの
スケジュールが強行されたのだ。
一つは、"Liberty Festival"。
ロンドン市長の肝入りで予算がついた障害者のための祭典だ。
パフォーマーたちは皆どこかに障害がある。彼らによる表現を
立て続けに観せようという企画だ。
どのプログラムも周到に組まれたスタッフワークがあって見事だった。
自分の観たものを挙げると、
①2038年時点の地球の環境破壊をSFテイストで物語る、知的障害者たちに
よる自由奔放な野外劇。その完璧なコスプレの絶叫の破壊力。
②芝居がかったガードマンの案内で、音楽学校の教室を巡りながら
聾者、聴覚障害者、少年たちのダンスを見て回る移動型上演。
③車イスの男性ダンサーと、その上に乗った女性ダンサーの
アクロバティックなダンス。また、雲梯を駆使して足の不自由なダンサーの
上半身のパワーを最大限に活かした振り付け。
④義足の女性ダンサーが複数の義足や車イスを操りながら見せる
脅威のスローモーションを展開。
⑤トランスジェンダーかつダウン症のコスプレ5人チーム
その名も「ドラッグ・シンドローム」による歌とダンス。
⑥車イスと聾者の女優二人が、映画俳優としてデビューする過程を描く
ストレートプレイ。
⑦劇場周辺の高架下などで、瞑想やフォークソングをくり広げる
視覚障害者のためのお散歩企画
⑧稽古場に完全なリラクゼーション空間が出現し、そこで全ての人々を
リラックスさせる瞑想企画
など。全ての企画に立ち会えた訳ではないが、粒ぞろいだった。
そして、二つ目はルイシャム地区が主導する"Climate Home"。
これは、温暖化をはじめとする異常気象を強く訴える
青少年たちのプログラムで、この夏いっぱいをかけて開催される。
そのフェスティバルのオープニングが、金曜に行われた。
会