9/27(火)Croydonの教会から
↑ガラの悪い街ながら壮麗な教会がある。コンサート直前の風景。
イギリス国教会の様式
Croydonという街に初めてやってきた。
といってもロンドン市内、Albanyから徒歩と電車を合わせて
南に小一時間行ったところにある街。
ああ、また一つワイルドな場所に来た。
スリや盗難に遭わないように。ケンカにも巻き込まれないように。
けれども、見るべきものは見たいのでジロジロと周囲を睨め回しながら
歩いてしまう。
目的は9月頭に都心で聴いた合唱集団The Sixteenの公演。
彼らほどの実力者であれば、同じプログラムでも何度も
聴きたくなる。むしろ、違う会場の建築を観て、
そのアコースティックをいかに彼らのものにするのか、
愉しみは膨らむ。それにしても、なかなかの土地柄・・・
こういう新たな土地、しかも経済力や治安が良くなさそうな場所を
訪れるのにも慣れてきた。パウンドランド(英国の100円均一)や
Icelandという量販店スーパーを発見したら、その土地の平均所得は
推して知るべし、ということも分かってきた。
自然に、財布やケータイを仕舞う場所を組み替える。
後ろポケットに入れていようものなら、
ヒョイとつままれてしまうこともあるからだ。
先週末、日曜日は面白かった。
ピーター・フィッシャーの出演するフィルハーモニア管弦楽団が
マーラー1番を演奏するので、この曲が最も好きだというダイアンを
連れて行った。指揮者のサントゥ・マティウス・ロウヴァリは美音で、
精妙な優雅な音楽をやる。
主題の変遷がよくわかり、綺麗な演奏だった。
これがロンドン交響楽団ならもっと躁鬱の激しくなるけれど、
彼らの演奏は温かみがあって、高齢のダイアンを招くに
もってこいだった。
ピーターがお友達割引を駆使して、特等席を格安で用意してくれた。
私たちが座った席の周りには彼の他のお友達もいて、
終演後はその中のご夫妻のご自宅に伺った。
我ながらちゃっかりしたものだが、
ダイアンは持ち前の社交性を発揮し、サウスバンク・センターと
ナショナル・シアターから徒歩5分のところにあるその家を
「ステキな部屋だ!」絶賛しながら、私と一緒にお呼ばれした。
帰り際になって、その家のご主人に、
「昔、日本人の演出家が演出した舞台を観たことがある」
と言われた。アラン・リックマンが出ていた、とも。
ということは、蜷川さんが演出し、清水邦夫さんが書いた
『タンゴ・冬の終わりに』の英語版『Tango at the end of Winter』
に違いなかった。
1991年。プロデューサーの中根公夫さんは勝負をかけた。
それまで、十八番である『王女メディア』『NINAGAWAマクベス』
に向けられた海外での評価は高かったけれど、いずれも各地で
短期に公演したイベント的な公演だった。
その点、『Tango〜』は座組を海外でつくり「興行」を目指した。
日本の演劇人が挑んだ大ジャンプだった。
会場は、ウエストエンドの中心にあるピカデリー・シアター。
結果的には、勝ったとは言えない公演だった。
初日直前にチケット販売を行っていた会社が倒産して
売れていた入場料が全く入って来なくなった。
(それでも中根さんは、わずか当日券が売れる収入や助成金を
駆使し、赤字と闘いながら予定していた公演を全うした)
演目も、西洋のリアリズム演劇の延長にある戯曲をなぜ持ってきたのか
と言われたらしい。期待された"日本"の要素は、確かに弱かった。
けれど、観劇したその人は、面白かったので二度観に行ったそうだ。
これには嬉しくなった。
帰国したら、中根さんに伝えに行きたい。
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