10/28(金)桃山さんが亡くなった
↑2017年 横浜トリエンナーレの準備中。
作業中の桃山さんを訪ねるとすぐにビールを出された
水族館劇場の桃山邑さんが亡くなった。
桃山さんが病気だと聞いたのは渡英してからだった。
それから、春の水族館劇場公園には多くの人たちが駆けつけていた。
皆、それが桃山さん現場にいる最後の公演になると知っていて、
自分も列に加わりたかったけど、叶わなかった。
初めて桃山さんと喋ったのは、
入方勇さんの遺品を整理しに行った時だった。
入方さんは北海道出身の役者で、第七病棟の劇団員だった。
この劇団はたまにしか公演しない。だから入方さんは見世物小屋の
主としても活躍し、各地の縁日を賑わせていた。
私たちが初めて『下谷万年町物語』の上演に挑んだ時、
出演者募集に入方さんが応えてくれた。
役者としても面白い人だったけど、持ち前の見世物小屋設営の腕を
活かし、唐ゼミ☆のテントを飾り付けてくれた。
以来、入方さんから教わった方法をもとに、
テント劇場の外観を造作することもまた私たちの表現になった。
知り合ってから一年後、入方さんは亡くなってしまった。
「また出てくださいよ」と頼んでいたのに。
連絡を受けたのは『下谷万年町物語』再演の稽古をしていた時だった。
気持ちのやり場がなく困っているところに、
入方さんが借りていた倉庫の整理をするから手伝いに来ないか
と声をかけてくれたのが水族館劇場の皆さんだった。
入方さんは、"カッパくん"の愛称で親しまれた、水族館の常連だったのだ。
埼玉のどこだったかは忘れたけれど、
指定された倉庫に行くと桃山さんたちがいて、一緒に道具を整理した。
それから入方さんが住んでいたアパートにも行き、
荷物を運び出して作業は終わった。
それから桃山さんが誘ってくれて韓国料理屋に行った。
お酒と料理が並ぶと、桃山さんは「今日は入方の話をしよう」と
言って流れをつくってくれた。
それから、私たちの交流が始まった。
寿町や都内に、三重の芸濃町にも公演を観に行った。
桃山さんたちも唐ゼミ☆公演を観に来てくれた。
特に面白かったのは新宿中央公園で『唐版 風の又三郎』をやった時。
予約して来場した桃山さんは「山谷で揉め事が起きたので
初めだけで失礼させて欲しい。ごめん」と言い、
一幕だけテントの外から見て、台東区に殺到して行った。
自分が良かったと思うのは、
2017年横浜トリエンナーレのスピンオフ企画で水族館劇場が
寿町に夜戦攻城をたてるのをサポートできたことだ。
お世話役を横浜美術館の学芸員Sさんがしていて、
まずは誘致すべき土地を一緒に見立てて欲しいと頼まれたので、
喜んで案内して回った。Sさんは自転車、私はランニングで。
何箇所も候補を出したけれど、もちろん、水族館には寿町でしょう!
と言って、数ヶ月後に実現した。
当時一緒に働き始めていたKAATの眞野館長と一緒に桃山さんたちを
応援した。上の写真は陣中見舞いに行った時のもの。
台本が遅れることについて、
劇も劇場も千穐楽を終えてなお未完成であることについて、
桃山さんはわざとそれらを、信念を持ってやっていた。
そのことを心底理解できるようになってきたのは最近のことだ。
初日に駆けつけると、「なんで初日に来るんだよ!」と
冗談めかして怒られる、いつも桃山さんとのやりとりは
シャイで、優しくて、楽しかった。
帰国したら、また桃山さんに会いに水族館劇場に行こう。合掌。
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