10/28(金)桃山さんが亡くなった

2022年10月28日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note

DFhJWK4V0AAc-qL.jpg

↑2017年 横浜トリエンナーレの準備中。

作業中の桃山さんを訪ねるとすぐにビールを出された



水族館劇場の桃山邑さんが亡くなった。


桃山さんが病気だと聞いたのは渡英してからだった。

それから、春の水族館劇場公園には多くの人たちが駆けつけていた。

皆、それが桃山さん現場にいる最後の公演になると知っていて、

自分も列に加わりたかったけど、叶わなかった。



初めて桃山さんと喋ったのは、

入方勇さんの遺品を整理しに行った時だった。


入方さんは北海道出身の役者で、第七病棟の劇団員だった。

この劇団はたまにしか公演しない。だから入方さんは見世物小屋の

主としても活躍し、各地の縁日を賑わせていた。


私たちが初めて『下谷万年町物語』の上演に挑んだ時、

出演者募集に入方さんが応えてくれた。


役者としても面白い人だったけど、持ち前の見世物小屋設営の腕を

活かし、唐ゼミ☆のテントを飾り付けてくれた。

以来、入方さんから教わった方法をもとに、

テント劇場の外観を造作することもまた私たちの表現になった。


知り合ってから一年後、入方さんは亡くなってしまった。

「また出てくださいよ」と頼んでいたのに。

連絡を受けたのは『下谷万年町物語』再演の稽古をしていた時だった。


気持ちのやり場がなく困っているところに、

入方さんが借りていた倉庫の整理をするから手伝いに来ないか

と声をかけてくれたのが水族館劇場の皆さんだった。

入方さんは、"カッパくん"の愛称で親しまれた、水族館の常連だったのだ。


埼玉のどこだったかは忘れたけれど、

指定された倉庫に行くと桃山さんたちがいて、一緒に道具を整理した。

それから入方さんが住んでいたアパートにも行き、

荷物を運び出して作業は終わった。


それから桃山さんが誘ってくれて韓国料理屋に行った。

お酒と料理が並ぶと、桃山さんは「今日は入方の話をしよう」と

言って流れをつくってくれた。


それから、私たちの交流が始まった。

寿町や都内に、三重の芸濃町にも公演を観に行った。

桃山さんたちも唐ゼミ☆公演を観に来てくれた。


特に面白かったのは新宿中央公園で『唐版 風の又三郎』をやった時。

予約して来場した桃山さんは「山谷で揉め事が起きたので

初めだけで失礼させて欲しい。ごめん」と言い、

一幕だけテントの外から見て、台東区に殺到して行った。


自分が良かったと思うのは、

2017年横浜トリエンナーレのスピンオフ企画で水族館劇場が

寿町に夜戦攻城をたてるのをサポートできたことだ。


お世話役を横浜美術館の学芸員Sさんがしていて、

まずは誘致すべき土地を一緒に見立てて欲しいと頼まれたので、

喜んで案内して回った。Sさんは自転車、私はランニングで。

何箇所も候補を出したけれど、もちろん、水族館には寿町でしょう!

と言って、数ヶ月後に実現した。


当時一緒に働き始めていたKAATの眞野館長と一緒に桃山さんたちを

応援した。上の写真は陣中見舞いに行った時のもの。


台本が遅れることについて、

劇も劇場も千穐楽を終えてなお未完成であることについて、

桃山さんはわざとそれらを、信念を持ってやっていた。

そのことを心底理解できるようになってきたのは最近のことだ。


初日に駆けつけると、「なんで初日に来るんだよ!」と

冗談めかして怒られる、いつも桃山さんとのやりとりは

シャイで、優しくて、楽しかった。


帰国したら、また桃山さんに会いに水族館劇場に行こう。合掌。


トラックバックURL:

コメントする

(コメントを表示する際、コメントの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。その時はしばらくお待ちください。)