11/18(金)大里先生の命日
2022年11月18日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
↑大里先生は極度のシャイだったから、こうして極端な守銭奴を演じなければ
忘年会の参加費用を徴収ができなかった。会では、大里先生のギター伴奏で
唐さんが歌を歌ったことも。
亡くなったのは、室井先生を中心にスタートした7大学連携サテライトスクール
「北仲スクール」のオープニングパーティーの日だった。
朝のうちに東中野の葬儀場に行き、司会をしたような記憶がある。
その後は急いで馬車道に戻って、宴会の支度をした。
おつまみを並べ、大量のウィンナーを茹でて、お客さんに配った。
アサヒビールの横浜支社がいつも手厚く協賛してくれて、
飲み物も潤沢だった。お客さんが歓談に入ったところで、
奥の台所に引っ込み、身内でやれやれと話したのを覚えている。
やはりスクール運営の中心メンバーの一人だった梅本洋一先生が
台所を覗いて、「ほんとうはパーティーしている場合じゃないんだけどな」
と呟いたのを覚えている。その梅本先生亡くなってしまった。
大学一年生の時から、一番親しく接してくれた先生が大里さんだった。
年長者ぶったところも、権威ぶったところも無くて、
「はいはい、オレはダメ人間ですよ」という物腰でいつもこちらを
安心させてくれていた。それが、大里先生の正義感だったと思うし、
"正義"なんて言葉を嫌がる、ほんとうの正義漢だった。
大里先生の研究を多少なりとも理解できるようになったのは
むしろ亡くなった後で、そういう不躾な自分でも、多くを識る大里先生は
こちらの興味に合わせて大らかに接してくれた。
荷物の片付けや、引っ越しなんかも手伝った。
レポート採点時期になると東京まで帰るのが面倒な先生は研究室に
泊まってしまっていたから、その作業を邪魔するかのように遊びに行った。
先生はベジタリアンだったから、
大学近くのコンビニまで歩き、梅のおにぎりやあんまんを買って、
帰りに歩きながらそれらを食べて夕食を終了させていた。
それが、引っ越しを手伝った時には、西荻窪前の食堂で
野菜てんぷら定食をご馳走になったことがある。
持ち前の高潔さから美食を遠ざけていた大里さんが振る舞ってくれた、
先生の豪華料理だった。美味かったな、あれ。
大里ゼミのこととか、先生の好きなゲストを呼んでやった特別講義とか、
先生が学課の宴会の幹事をしていたこととか、新宿駅南口に買った
ペントハウス「オフィス・オオサト」のこととか、書いていたら際限なく
吹き出してきて仕方がない・・・・・。このくらいにしておきます。
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