12/22(木)会心のフィナーレ
2022年12月22日 Posted in 2022イギリス戦記 Posted in 中野note
↑光るパペットとともに歩く4,000人強の人たち
昨夜はAlbanyのメンバー、ソフィー、メグらと連れ立って
Beckenham Place Parkに行った。
ルイシャム地区の南の方にある大きな公園だ。
発音が難しい。カタカナにするとベッケンハム・プレイス・パークとなる。
しかし、私にはどうしてもバッキンガムパレス・パークに聞こえてしまう。
打合せ初期、私はずっとバッキンガム宮殿の前の公園で
何か催しをやるのだと思い込んでいた。
同時に、一年間行ってきた地域のフェスティバルの終幕を
どうしてルイシャム外でやるのか?マークで頭がいっぱいだった。
が、チラシを見て得心した。
確かにルイシャム地区には似た発音の公園があったのだ
公園に着くととても暗かった。
こちらも日本での野外イベントの経験が多数あるが、
安全管理上、日本だったら明らかに問題がある暗さだった。
足元が見えないし、好き放題に走る子どもをすぐに見失ってしまいそうだ。
その中で、各所でリハーサルが進行していた。
合唱したり、楽器が演奏されたり。霧がかった広くて暗い公園のあちこちで
ポツリポツリと人々が動き、合唱したりしている光景は、
UFOを呼ぶ儀式のようだった。
スタート1時間前だから、まだ人の気配は薄い。
この公園でのメインコンテンツはサーカスである。
若手のフィジカルパフォーマンス系のサーカス団がテントを建て、
12月半ばから1月上旬まで興行を行う。
それを土台に、先ほど道すがら見てきたフィナーレが展開するという趣向。
まずはテントに入り、セレモニーに立ち会った。
今年一年間のフェスティバルを記念して、Albany代表のギャビンや
ルイシャムカウンシルの偉い人、代表的なクリエイターが次々と登壇し、
スピーチを行った。面白いのは、こういう場で、皆さんはポケットに手を
突っ込んで喋ったりする。これが普通なのだ。
ギャビンの紹介で、これまでやってきた数多くの、
ほんとうに数多くのイベントの映像がダイジェストされた。
その場にいた中で、自分は最も多くそれらに立ち会ったのではないか。
まるで走馬灯のようだった。それぞれの場にいた聴衆、スタッフ、クリエイターを
思い出して、各地各時間に繰り出された莫大なエネルギーの総量を思った。
ほんとうに途方もない。
イベントの中には数千人を集めて大いに熱狂したものもあった。
が、中には、荒削りなもの。チラシが完成したのはやっと10日前だったもの。
聴衆がさっぱり集まらなかったものも多数あった。
けれども、こちらのメンバーはそういったことを引きずることもなく、
とにかく乱打戦を制するように協力しあって前進してきた。
聴衆がほとんど関係者だけだった時も、限られたメンバーで
熱心に拍手して、胸を張って一つ一つのイベントを凌いだ。
ダイジェスト映像に見入っていると、
自分にはなぜか、そういう爆発しきれなかった光景の方が胸に迫った。
よく凌ぎ切ったスタッフたちへの敬意が込み上げてくる。
小一時間ほどそんな会があって外に出ると、驚いた。
その前まで閑散としていた公園に、4,000人超の聴衆が溢れていた。
自分はこの企画にはノータッチだったから、あまり内容も知らず、
本当に初見の一人として驚きながらこれに加わった。
最後のイベントは、こんな具合。
林の中から、光るパペットが生まれて、それは小学校一年の子どもの大きさくらい。
彼が別に光る球体を追いかけて、公園の歩道を進む。聴衆はその周りをゾロゾロと
ついて行く。途中、合唱や、ライトを振り回すダンスや、この地区の皆さんによる
パフォーマンスに遭遇し、コミュニケーションしていく。
ある地点までいくと、光るパペットは成長し、巨大な4メートルくらいの大きさになる。
彼は多くの人たちにハイタッチしながら、木を愛でたり、鼓笛隊と絡んだりしながら
公園中を闊歩し、やがて大きな教会の前まで来て皆に仕草で挨拶をした。
そして、その光を失い、建物の中に消えていった。
その前のテントでのセレモニーが終わった時、すでに気温は4度くらいだった。
初め、あまりに寒かったので、風邪を引かないかどうか心配だった。
このイベントは1時間くらいあると聞いていたから、かなりビビった。
けれども、始まってすぐに時が経つのを忘れた。
4,000人以上の人々を引き連れて霧深い闇の中を光る人形が先頭をゆく。
大行進だった。ルイシャムらしく、あらゆる人種の人たちがいた。
子どもも、赤ん坊も、お年寄りも、車イスの人も。犬もいた。
そういう人いきれが大移動していく光景に見惚れながら歩くうちに
あっという間に終わってしまった。寒さも感じない。
高揚して、風邪など引こうはずがない。
終着地点の教会の前で熱狂する人々を見て、
気がつくと代表のギャビンが立っていた。
普段から、こういう場所でギャビンはいつも傍観しているのみだ。
実際に手を動かしているのを見たことがない。
そして、けっこうな割合で一人ポツンと立っている。
ここに集まった人たちはそれぞれによく働き、よく楽しみ、
熱狂の中で自分を燃焼させていた。
けれども、ここにいる人たちの中で、
一番基礎になっている人物こそギャビンだった。
彼がAlbanyを背負ってからの20年以上がなければ、
このイベントも、聴衆の集まりも、すべてがないのだ。
感動して後ろから彼の写真を撮っていたら、
振り返って自分に気づいたギャビンがこちらを指さして笑った。
彼の姿を、自分は一生忘れないでいようと思う。
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