11/30(土)ゲンを担ぎたい日もある
2019年11月30日 Posted in 中野note
↑パントマイム「シルヴプレ」の柴崎岳史さんには、
笑顔の向こうにいつもピンと張り詰めた狂気、
本物の創作家であるという誇りに満ちた緊張感があります。
私の尊敬するパフォーマーの一人です。
目当ては、柴崎岳史さんソロライブ、
実力折り紙付きのスタンダードナンバーの後、
腰砕けになるような音楽付き紙芝居でフェイントをかけ、
最後は、完全燃焼の長編で攻めてきます。
さすがタケシさん、納得のひとり舞台でした。
このライヴ、中野富士見町にあるplan-Bという劇場で観てしました。
JR中野駅から少し距離があるところを、
中野通りを走るように歩いて辿り着きましたが、
この中野駅に行く度に、ふと思うことがあります。
ご存知のように私の名前は「中野」と言いますが、
これは御先祖様には悪いのですが、あんまり良い名前ではありませんね。
小さい頃から「中野」の枕には「アデランス」か「サンプラザ」があって、
いつも物足りなさを感じてきましたが、
特に演出家や劇団代表としては、一層、切れ味も迫力も不足しています。
名前といえば、劇団を始めた頃、何人かの関係者は、
うちのトクちゃんの名前「禿恵(とくめぐみ)」を、
「いかにもアングラ好きそうな女子が付けた名前」と思っていたそうです。
が、あれは本名です。
話を戻すと、「中野」ってどうかなあとずっと思ってきました。
しかし、ある時、私は唐さんと接する中で、
なんだかこの苗字を悪くないなと思い始めた。
特に20台半ばくらいまで、私が抱えていたコンプレックスのひとつに、
自分は大学という、ある種守られた環境で唐さんに出会った、
というのがありました。
先生と生徒からスタートしたのでかろうじて相手をしてもらえたけれど、
演劇界や、あるいは、唐さんが血気盛んだった若い頃であれば、
歯牙にもかけられなかったのではないか、などと、とにかく自信が無い。
誰彼となく、実際にそういうことを言われたこともありましたしね。
現在では、まあ手加減してもらっていたなあ、ありがたいなあ、などと、
コンプレックスでなく、何割かの事実としてこれを受け止めていますが、
まだまだこれが生傷で、時折ひどくしみるような時には、
それまでイマイチだった苗字が役にたちました。
だって、初期の唐さんの周りを固めていたのは、
「大久保」鷹さんに「四谷」シモンさんです。
じゃ、麿さんはどうかと言えば、
あの方は御子息・大森南朋さんのお名前からも判る通り、
本名を「大森」というのです。
麿さんが「少女アセトアルデヒド」役として、
唐組の紅テントで大活躍した『電子城Ⅱ』のラストシーンでも、
「本名はオオモリ」という、
完全に悪ふざけとしか思えない断末魔をあげて舞台を去ります。
どうです?
駅名シリーズとしては、「中野」は悪くない!
唐さんと一緒に物づくりをする資格、完全に大アリです。
生意気ですが、自信の無さの裏には、
師匠と弟子だけでなく、作家と演出家の関係でも付き合ってんだ!
そういう気概もある。
もちろん、普段からこんなことを思っているわけではありませんが、
打ちひしがれるようなことがある時、
こんな、どうでもよいことまで持ち出して自信の足しにした日々を、
あの駅に行くと思い出します。
トラックバック (0)
- トラックバックURL:
コメントする
(コメントを表示する際、コメントの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。その時はしばらくお待ちください。)