8/3(木)薛珠麗さんが亡くなった

2023年8月 3日 Posted in 中野note
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↑一緒に大和のベトナム料理屋「タンハー」に行った時の写真です
左から津内口、タンハーのママ、珠麗さん、私です

演出家・劇作家・翻訳家の薛珠麗さんが亡くなりました。
7/30のことです。それから二日後の8/1に津内口がSNSでの発表に気づき、
今日がお通夜だということで、先ほど二人でお別れに行きました。

珠麗さんと知り合ったのは、ここ4年ほどのことです。
津内口が珠麗さんのワークショップに参加したのをきっかけに
紹介してもらいました。

私は高校3年の終わりから5年ほど、
ずっとベニサンピットでのTPT公演を追いかけていたので、
過去に観た公演の中で気に入った劇のパンフレットを引っ張り出し、
珠麗さんに見せたりもしました。

私が特に痺れたのは1999年12月から2000年1月にかけて上演された
ディヴィット・ルヴォー演出の『令嬢ジュリー』で、あれには5回
通いました。TPTの創作の秘密を話してもらう貴重な存在でした。

また、珠麗さんと会うようになったのは、
ちょうどラウンドシアターに来日していた『WEST SIDE STORY』
を観に行った後であり、日本側の演出としていた珠麗さんに、
あの劇場や座組を取り仕切る苦労について聞いたりもしました。

そうして珠麗さんと知り合うようになってから、
実は、神奈川ならではの劇を作れないかという話もして、
珠麗さんの出自を活かした、珠麗さんにしかできない劇を
一緒に構想してもらっていた矢先の発病でした。

それからは、容態が良くなるたびに会って話をしてきました。

最後に会ったのは自分がロンドンから戻った後で
「書きたい気持ちと、書くと自分の全てが燃え尽きてしまう気がする」
と言っていたのが、今も自分に突き刺さっています。

無念の死であったと思います。
もっともっとやりたいことが溢れて仕方ない様子が自分に
焼きついています。最後に珠麗さんのお顔を拝見して失礼しました。

明日もハンディラボに集まって稽古です。

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