2/17(月)わたしの新聞配達①
2020年2月17日 Posted in 中野note
↑椎野が演じた「銀杏」。
この反抗的すぎる造形と眼つきは、「ファキイル」を全く必要としませんね。
失敗です(笑)
昔、唐さんに心底ブチ切れられたことを思い出しました。
2004年の7月に『盲導犬』に挑んでいた時のことです。
これはちょっと長くなるので、
二日間に分けて、この話をしましょう。
『盲導犬』は服従と不服従を巡る物語です。
社会的、政治的な闘争に敗れた男「影破里夫(えいはりお)」は、
自らが憧れる存在として、盲導犬なのに決して人間に従わない犬、
「ファキイル」を探していると訴えます。
「ファキイル」とは、アラビア語で托鉢僧・乞食僧の意味。
要するに、永遠に飢え、渇望し、飢餓感に満ちている者という設定です。
ハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』の主人公、
「エイハブ船長」から引用されたキャラクター「破里夫」の心は、
今や風前の灯にして、社会の多数派の側に折れかかっているわけですから、
「ファキイル」をよすがにして不服従の盲導犬を自分の心の支えに、
気合いを入れ直そうとしているわけです。
一方、夫に忍従を強いられている女「銀杏(いちょう)」が登場すると、
彼女もまた、本当の思い人であるかつての恋人との関係をいじめ抜かれ、
心に秘めた存在にすら精算を迫られていることが判ってきます。
「破里夫」と「銀杏」、
二人の心が徹底的に踏みにじられ、服従を迫られる時、
突然「ファキイル」は登場し、銀杏の首をかき切って飛び去ります。
面白いのは、この首をかき切るという一見ネガティブな行動が、
決して「銀杏」や「破里夫」に対する懲罰などではなく、
「ファキイル」流の、激しすぎる叱咤激励であるということです。
だからこそ「銀杏」は、あくまで歓喜とともに「ファキイル!」と叫ぶ。
ちょっと長くなりましたが、
とにかく、クライマックスのこの場面、
「ファキイル」の登場をどう扱うのかということが、
実際の上演に当たっての難題であり、
演出家をはじめとしたスタッフワークの腕の見せどころともなるわけです。
で、このシーン、
私たちの上演では、唐さんのアドバイスによって「ゴム」が採用されました。
自転車のタイヤのチューブなどに使われる、あの「ゴム」です。
これはもう実に単純な仕掛けで、開場前に舞台裏から客席後方まで、
劇場の天井に、黒くて太くて長いゴムをビーンと張っておいて、
物語が一番盛り上がったところで、
このギュウギュウに引き絞ったゴムをバシッと飛ばすわけです。
この「ファキイル」ゴムが発端となって、私は唐さんに激怒され、
訳あってこのブログのタイトルにあるように、新聞を運ぶことになりました。
続きは後日。
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