9/17(木)安保さんに捧ぐ④
2020年9月17日 Posted in 中野note
↑21世紀リサイタルでは『ユニコン物語』より、思い出の『八房の唄』を
リクエスト。バックコーラスを唐ゼミ☆メンバーが担当しました。
ちなみにこのシリーズは9/19(土)、御命日の前夜を以って完結する予定です。
2006年秋の唐ゼミ☆『ユニコン物語 溶ける角篇』以来、
安保さんと交流が生まれて判ってきたことは、
安保さんをはじめ唐さんの周りの恐そうな方々が、
実はみな優しい、ということでした。
それはそうです。
唐さんの芝居は荒っぽくておどろおどろしいと思われがちですが、
その中心にはいつも繊細さ、傷付きやすさが潜んでいます。
そういうものをキャッチして惚れ込んでいる面々ですから、
やっぱり温かいのです。
しかし、そういう優しさを頼りに安保さんと交流しながら、
自分には大きな課題がありました。
『ユニコン物語(06)』『鐵假面(07)』『ガラスの少尉(08)』と、
唐ゼミ☆で安保さん作曲の劇中歌の力を借りながら、
未だ肝心の芝居を認められていなかったのです。
私が礼を正して接していれば、安保さんは相手をしてくださいました。
でも、劇は認められていない。そういう自覚がはっきりとありました。
口惜しく、避けては通れない大問題です。
人間的には優しいけれど、こと芝居には厳しい。当然です。
これもまた唐さんの周囲で出会う全ての方々との、どうしようもない真実でした。
この間、唐ゼミ☆にも初期メンバーの離脱など様々な変遷がありましたが、
09年の大作『下谷万年町物語(劇中歌作曲は猪俣公章さん)』を経て、
2010年春、四たび安保さんの劇中歌の力をお借りする日がやってきました。
演目は『蛇姫様 わが心の奈蛇』。
以前にこの「ゼミログ」でも書いたことがありましたが、
この公演をきっかけに、自分は劇のつくり手として一定の感覚を掴んだように思います。
稽古の頃からその予感はありました。
唐さんの芝居が、もっと言えば、劇のつくり方そのものについて、
自分が一定の基準を体得できつつある感覚があったのです。
例えば、1幕の序盤。
青年「山手線」と仲間の「タチション」、
ヒロイン「あけび」はいずれもスリ同士、商売敵として出会います。
そのうち、悪役による罠から「タチション」は毒サソリに手を噛まれてしまう。
すると、「あけび」は咄嗟に自らの口で毒を吸い取ることで、「タチション」助けます。
身を挺してを「タチション」を救う姿を目撃した「山手線」は、
その瞬間に信頼と恋心を「あけび」に寄せ始めて主人公チームが完成、
ドラマは大きく動き始めます。
ですから、この場面はせりふやト書きが与えられた「あけび」や「タチション」に加え、
「あけび」の行動に心打たれる青年「山手線」の変化をこそ、
観客に見せ、感情移入してもらうことが重要になってくる。
・・・とまあ、こんな具合に登場人物たちの有りようや見せるべきポイントが
たちどころに判り始め、劇として立ち上げられるようになったのです。
↑思い出深い『蛇姫様 わが心の奈蛇』の1幕
観客にも唐さんにも本当に申し訳ないことなのですが、
以降に比べれば、それまでの唐ゼミ☆はせりふや場面の羅列に終わっていました。
唐さんに教わって約10年、何か判ったぞ!掴んだぞ! そういう感覚でした。
以来、台本を読むことが、劇をつくることが、いよいよ愉しくなりました。
さらに嬉しかったことは、『蛇姫様』を観に来てくださった安保さんが、
終演後に初めてきちんとした感想を下さったことでした。
「泣いちゃったよ。3幕(終幕)には、
ただ『あけび』がんばれ、『山手線』がんばれっ、て観たよ。」
嬉しかった。あの安保さんに認めてもらえたことが心底うれしく、感動しました。
『蛇姫様』の時点から、自分の考えには変化がありました。
中途半端な自己主張を戒め、自分を透明にして唐さんを押し出そう、
唐さんの登場人物たち、唐さんのせりふ、唐さんの物語を、
出来るだけさり気なく、そっと押し出そう。そう思えるようになったのです。
台本を読み、劇のつくり方が判るとは、つまりそういうことでした。
そこへきて安保さんは、
ご自身が自然に物語の中に入ることができたと伝えてくださったのです。
自分の実感をずばり汲み取ってもらうことができました。
この感想は、これまでに私が体験してきたお客さんからのご意見すべての中で、
最も大切なものの一つです。
自分が安保さんに演劇人としても認められたと思えた、それが最初でした。
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