5/10(水)透明人間は囁く
2023年5月10日 Posted in 中野note
林麻子と丸山正吾、この二人と観に行きました!
唐組『透明人間』の花園神社初日を観ました。
良かった。だから、あれからずっと『透明人間』とは
どんな劇だったのか考え続けています。
今までの上演も良かった。
タイトルを変えて上演された『水中花』も『調教師』も含め、
何度も再演されてきた『透明人間』はいつも傑作だったけれど、
今回は特に、ただ面白さに流されるだけでなく、
この劇を真正面から読み解いてみたい、
そういう風に誘いかけてくる上演でした。
この劇は、戦中の中国と1990年初演当時の日本にいる、
二人の「モモ」という名の女性を軸に展開します。
一人は太平洋戦中を生きたモモ。
もう一人は、バブル期のさなかに日本にやってきたモモ。
両方とも、モモは中国に生まれた女性です。
"女性"と書いたのには理由があって、
特に太平洋戦争下のモモは、犬の名前でもあるからです。
唐組が2003年に初演した『泥人魚』のヒロイン・やすみは
「ヒトか魚かわからぬ女」でしたが、戦下のモモは
「ヒトか犬かわからぬ女」として書かれています。
ここがこの芝居の唐さんらしい不思議さであり、面白さです。
1989年に当時10代の木村拓哉さんをフーテンに配して再演された
『盲導犬』の痕跡が、ここに感じられます。
あの劇は、ヒロイン・銀杏が犬になぞらえられる物語だからです。
ともあれ、どちらのモモにも共通するのは、
彼女らがアジアに進出する日本によって組み敷かれた存在であること。
過去には軍事的な力により。1990年当初は経済力により。
ただし、その中には真実の情愛が宿ることもあるわけで、
「辻(つじ)」という男は父子二代で彼女らを利用し、
同時に心底愛しもする。
今回、過去に連なる「モモ」を大鶴美仁音さんが演じ、
現在のモモである「モモ似」に藤井由紀さんが扮しました。
この配役が素晴らしい。
まず、美仁音の優れたところは「犬」を濃厚に体現したことです。
隠喩としての「犬」でなく、「犬」そのものとして舞台にいた。
辻の父親との種を超えた愛を表現する佇まいに驚きました。
そして、藤井さんはリアリズム。中国から日本に
出稼ぎにやってきた水商売の女の哀しさと強かさを演じ切ります。
その上で、今回の上演が優れていたのは、
タイトルが『透明人間』であることを存分に考えさせてくれたことです。
二人のモモだけなら、この芝居は唐さん自身が一度は改題したように
『水中花』でも良い。また、この劇の元になった小説のタイトル
『調教師』でも良い。けれど、この芝居はあくまで
『透明人間』として書かれたのです。
どうしてなのか。そのヒントを
この劇にとって第三の女性である「白川先生」が与えてくれます。
欲求不満の分裂症である彼女には「透明人間」が見える。
悪意や情愛という相反する情念に私たちをけし掛ける透明人間。
2幕エピローグ前の暗転時に彼女が黒板消しを投げるのは、
その寸前に起きたカタストロフの元凶を、彼女が突き止めようと
しているからに他なりません。
典型的な保健所員=小役人を自覚する主人公・田口、
腸が長いだけのつまらない日本人であることを嘆く田口が
二幕の後半になって突然に「経済」を口にする時も
やはり「透明人間」がカギになります。
(思えば、序盤に合田が田口をからかって言う、労働とは何か?
というせりふが終盤でグッと生きる仕掛けになっている)
経済や軍事を推進する人間、同時に情愛に満ちている人間。
人間の得体の知れなさ、乱反射する人間の欲望を突き動かす
存在「透明人間」を唐さんは描いている。そう実感しました。
唐さんにとって、バブル経済を生きる人々、
人々を駆り立てる欲望は得体が知れなかった。
日本を戦争に駆り立てた衝動もまた得体が知れない。
その正体を見極めようと、唐さんは『透明人間』を書いた。
『透明人間』の輪郭を見極めるには白墨の粉が必要だ、
そう思って、黒板消しを白川先生に託した。
もちろん白川先生は、幼少期の唐さんにとって
「すべてを識る者」だった女教師・滝沢先生の面影があります。
・・・と、これが今現在の私の『透明人間』です。
明日になれば、さらに深化した『透明人間』に気づくかも知れない。
もう一度観れば、もう一つ『透明人間』に接近できるかも知れない。
そんな風に観劇後も頭の一部を侵されることこそ、
唐十郎作品の醍醐味です。この優れた劇の正体に向かって
自分もエイヤッと黒板消しを投げたい。
そういう衝動に自分を突き動かしてくる。
これぞ傑作の効能と言えましょう。
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