6/3(水)『唐版 風の又三郎』と『ガラスの少尉』

2020年6月 3日 Posted in 中野note
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唐ゼミ☆での『ガラスの少尉(08)』上演。
この公演から重村大介は劇団員になりました。

今日はラジオドラマ『ギヤマンのオルゴール』から派生した
戯曲『ガラスの少尉』についてのお話です。

唐ゼミ☆がこの台本の上演を計画していた2008年当時、
私たちが話題にしていたのは、果たしてこの台本は
上演されたことがあったのだろうかということでした。

唐さんによると、どこかの学生劇団が上演したことがあると
おっしゃっていましたが、どうもよく分かりません。

内容としては、もとがラジオドラマですから、
場面があっち行ったりこっち行ったりしてなかなか突飛な設定です。
会話とか対決といった要素は少なく、モノローグが多様されているのも、
舞台上演に立ちはだかる壁でした。

状況劇場の写真集には上演の記録はありませんから、
単に唐さんがインスピレーションに駆られ、
当てもなく書いてしまったのかとも考えました。
当時、唐さんは戯曲の他に小説やエッセイも含め、
書きまくっていましたから。

この謎を一端を解いてくださったのは、
かつて状況劇場に在籍していた俳優・田村泰次郎さんでした。
『唐版 風の又三郎』で三腐人のひとり「淫腐」を演じた方です。

1974年の初夏、唐さんたちは『唐版 風の又三郎』パレスチナ公演に
赴きました。日本国内で大絶賛を浴びての遠征です。

田村さんによると、その時の状況劇場のメンバーは、
パレスチナ組と日本に居残り組は別れたのだそうです。
もちろん皆さん、パレスチナに行きたかったでしょうが、
全員を帯同するわけにもいきませんから、
唐さんは配役も含め、劇団員に一定の条件を課したのだそうです。

結果、残念ながら田村さんは選に漏れ、留守を預かることになった。
そして、本体が海外に行っている間、国内組に与えられた課題が、
『ガラスの少尉』だったそうなのです。

しかし、これをどのように稽古し、どのように発表したのかは、
私もずいぶん以前に田村さんからこの話を聴いたこともあり、
かなり曖昧です。唐さんの帰国後に稽古総見があったのか、
その後に対外的な上演があったのか、相変わらずの謎です。

しかし、留守中に宿題となる台本を執筆して行かれるあたり、
唐さんはかなりキメ細やかな座長と言えます。

私たちの上演では、突飛な設定を克服するため、
かなりスタッフワークに凝りました。
何しろ、墜落する飛行機の中で起こる走馬灯のような物語ですから。

思えば、先んじて書いた『ギヤマンのオルゴール』の「ジェット機」が
『唐版 風の又三郎』の「ヒコーキ」に結び付いたのではないか、
そんなことも思わせます。

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