9/10(金)立ち稽古の中の本読み

2021年9月10日 Posted in 中野note
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本読み(読み合わせ)を大事にしています。

以前は本読みに時間をかけませんでした。

あれは稽古を始める時の儀式であって、サッと読んだらすぐに立ち稽古。
台本は身体で読むものだ。だから本読みに時間をかけない。
蜷川さんはそういう主義だと聞いたことがありました。
唐さんも数日という感じ。だから尚のこと本読みを手短にしていました。

20代の頃の自分にとって、
本読みは理屈っぽく、稽古場での時間稼ぎのようにも感じました。
いわば机上の空論。唐さんたち肉体派の世代が否定した、
それより前の時代の演劇人たちの悪しき風習のように思えたのです。

が、30代に差し掛かる頃から、この考えが変化します。
稽古のはじめに膨大な本読みの時間を必要とするようになりました。
理由は単純で、台本を読めるようになったからです。

内容を汲み取れるようになり、全体に張り巡らされた伏線、
構成の妙にも敏感になると、多くの時間が必要になりました。

本読みを重ねず浅い理解のまま立ち稽古に突入すれば、
俳優はあまりに多くの情報を身体を動かしながら処理しなければ
ならなくなります。
動きを考え、小道具をさばき、その上でせりふの意味を理解する。
過酷な作業です。体にかなりの負荷がかかます。

いきおい稽古場は凄惨になります。
昔ながらの稽古場、怒声に満ちた稽古場は
いきなり立ち稽古に突撃することにより生まれるとさえ、
今の自分は考えています。
同時に、そんなことは全くの無駄であるとも。

まず自分が本をよく読み、
自分が起点となって皆と本読みをしながらさらに理解を深め、
今度は説明を尽くす。それぞれの役者のピンとくるポイントは
おのおの違います。
だからこそ、様々なアプローチで相手に迫りながら理解を促す。

そうして出来た「頭での理解」を「体での理解」に変えていくのが
立ち稽古。そして、立ち稽古も上手く後半に進めば、
その「体での理解」が体全体で発する表現に変わっていきます。
だからこそ、本読みが大事なのです。

現在の稽古は立ち稽古が中心ですが、時折、本読みに立ち戻ります。
今日の稽古がまさにそうでした。
皆でもう一度台本を開いて、せりふとト書きの細部までをも確認し直し、
役柄と物語が何を伝えようとしているか、
それを受けた俳優が何が伝えたいかをとらえ、もう一度立ち稽古に戻る。
まるで、大工さんや左官屋さんが設計図を確認するような作業です。

遠回りのようでいてこれがやっぱり近道なのだと、自分は確信しています。
今回のメンバーの中には何人か、本読みが少なかった人がいます。
こういう役者たちをいかに丁寧にケアできるかが、
終盤の伸びしろを決めるはずです。

自分の逸る心を、押さば引け、急がば回れと抑えつつ稽古を続けています。

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