9/30(木)佐藤さんが亡くなりました
2021年9月30日 Posted in 中野note
佐藤さんが亡くなりました。
佐藤さんは演劇人でも芸能人でもない、一般の方です。
けれども、私たちの舞台を縁の下で常に支え続けて下さった方でした。
佐藤さんは着物屋さんで、お家は上越の高田にあります。
20代の中頃、私は佐藤さんと大学院の先輩からのご紹介で知り合い、
以来、佐藤さんは劇団の味方になって下さいました。
佐藤さんのご商売というのは、実に広範囲に渡るものです。
ハイエースに商品を満載にして、各地を走り回ります。
上越を起点に、西は瀬戸内、東は東北まで行っておられるようでした。
しかも、それら全てを一人で。
「単騎、千里を走る」という言葉があります。
もともとは、三国志に出てくる関羽将軍を表す言葉です。
主君・劉備の妻子を連れてたった一騎で千里行を果たした関羽は、
転じて、移動=商売の神様となりました。
佐藤さんはまさに、この「単騎〜」を地でいく方でした。
恐るべき移動距離と強行軍。
でも、いつ会っても佐藤さんはへっちゃらという感じでした。
横浜に来た時には、よくトンカツをご馳走になりました。
各地に顧客がいて、よく着物を引き取るのだと伺いました。
お客様たちにとって、着物は処分しづらいものなのだそうです。
親の代から受け継いだ着物を、おいそれと捨てられない。
そこで佐藤さんは着物を引き取り、新たな着物を売る。
けれども、引き取った着物はといえば、やはり処分するしかない。
それで佐藤さんは、それらを私たちに譲ってくださるようになったのです。
劇団ならば役に立てるだろうという佐藤さんの読みは当たりました。
私たちはこの頂き物を駆使して、多くの舞台をつくってきました。
その最たる例は『下谷万年町物語』。
私たちが初めて浅草花やしきにデビューしたあの公演です。
『下谷〜』の舞台には多くの男娼が登場する。
一人一人が煌びやかな着物をまとって女装する。
それらのほとんどが、佐藤さんから送られてくる品物に依っていました。
時代が経ったものとはいえ、明らかに高価そうなもの、
全く古びていないものも多くありました。
演歌歌手が着るような豪華な打ち掛けも舞台で大活躍しました。
たまに芝居を観ては
「あいかわらず変なことをやっていますね。私にはちっともわからない」
と笑って、すぐに車に乗って帰って行かれました。
それがちっとも嫌な感じでなく、思わずこちらも笑ってしまう方でした。
いつの頃からか、佐藤さんは大病されて、もう死にます、もう死にます、
とおっしゃるようになりました。それを、とても明るくおっしゃる。
私たちの佐藤さんへの想い、感じていた恩義は強く、
いつだったか手術を乗り越えてご商売を復活された時には、
船橋まで駆けつけました。
久々に再開した椎野と私は、ちょっと泣いてしまった。
そして、まるで片見分けのように、椎野に不相応な贈り物を下さいました。
しかし、そこから佐藤さんは元気になりました。
「新薬がどんどん生まれているから」と佐藤さんはおっしゃっていました。
その頃から、佐藤さんと電話するたび、
「まだ生きております」「死ぬ死ぬ詐欺の佐藤です」が枕詞になった。
だから、私たちは佐藤さんはいつまでもいてくださるものだと思うようになりました。
相変わらずいきなり届く巨大な段ボールに「あ、また佐藤さんだ!」と。
迂闊でした。
いつの間にか佐藤さんは、8月に亡くなっておられたのだそうです。
それを今日知って、呆然としています。
最後に佐藤さんから荷物が届き、LINEでメッセージが寄せられたのは4月でした。
いつも通り巨大な荷物。LINEメッセージには冒頭に上げた写真が添えられ、
「数年に一度の景色です」とありました。
今年、佐藤さんが過ごした春が絶景でほんとうに良かったと思います。
もう着物がたくさん出てくる舞台ができないなあ。
今、そう思いながら、この気持ちをどうして良いのか分からないでいます。
今日はやっぱり気持ちの整理がつかず長くなってしまいました。
ご冥福をお祈りします。佐藤さん、ありがとうございました。
2009年10月『下谷万年町物語』より
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