12/12(土)祠(ほこら)の時間⑤

2020年12月12日 Posted in 中野note
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↑2019年 唐ゼミ☆上演時に「小男」を演じた重村大介は健忘派


閑話休題を挟んで続けている「祠(ほこら)の時間」。
つまり、唐さんが執筆をされている時の様子を綴ったこのシリーズですが、
④で取り上げた『ジョン・シルバー』の小男を再発見した唐さんの
よろこびようは、今でもはっきり覚えています。
ほんとうに、心から嬉しそうでした。

ちなみに『ジョン・シルバー』という演目は、
1965年に初演されてから数年の間に再演されています。
後年、紅テントを発明してからの状況劇場が
ほとんど再演をせず、何より唐さんご自身が果敢に新作を
送り出し続けていったことを考えれば、再演という営み自体に
1967年以前の試行錯誤を読み取ることができます。

その中で、まずこの役を演じたのは『日本むかし話』の
ナレーションで有名な常田富士男さんでした。
常田さんと唐さんとは、唐さんが明治大学を卒業した直後に入団した
青年芸術劇場(青芸)以来の友情があったようで、
後に、唐さんが脚本・監督をしてお蔵入りなったドラマ
『追跡・汚れた天使(1973)』の主演として、二人は相まみえます。

常田さん独特の語り口を持ってすれば、
戦後の暮らしの中で次々と家族を喪い、
ついに孤独の身となって父母との思い出の品々に固執をする「小男」が、
深い情感をもって演じられたに違いありません。
いわば偏執派。戦争直後を体験した人々に共通する
哀しみを盛り込んだ小男が想像できます。

一方、再演時には同じ役柄を唐さんが御自分で演じられました。
こちらは健忘症を全面に押し出した演技だったと、
ご自身でおっしゃっていました。
リヤカーや虫取りあみ、一升瓶に犬の血のついた石まで、
様々な品々を後生大事に持っているのだけど、
何故それらを抱えて生きているのか、
当の小男はすっかり忘れてしまっています。
芝居の進行の中で次々とそれらが思い出される時、
その過剰さはコミカルですらあります。

自分はエキセントリックに演じたが、常田君には敵わなかったと、
唐さんは謙遜気味に仰いました。

ちなみに、この「小男」にはモデルがいます。
『特権的肉体論』の中に出てくる「ドルイ氏」がそれ。
唐さんが敬愛するMr.シュルレアリスム、アンドレ・ブルトンの主著
『ナジャ』に登場する健忘と偏執の固まりのような人物です。


「ドルイ氏」は物忘れがひどく、
自分が宿泊するホテルの部屋番号を常に忘れてしまう。
そこでフロント係に依頼し、帰るたびに番号を教わる習慣を持っています。

ある日、帰ってきたドルイ氏にいつものように番号を教えたホテルマンは、
直後に傷だらけのドルイ氏が入り口からフロントに進み、
番号を質問するのに驚きます。
聞けば、ドルイ氏は部屋に帰るなり窓から外に落下し、
またしても部屋の番号を忘れてしまった、というエピソードです。


・・・こういう背景があって、『泥人魚』の中の登場人物、
まだらぼけの詩人・伊藤静雄は生まれました。
舞台上で披露されるあの健忘は演技者・唐十郎の真骨頂でしたが、
同時に、遠く故郷の諫早の海を懐かしんで遠くを見つめ、
目を潤ませる唐さんの姿は、役者としてのキャリアと想像力の深さを
感じさせるものでした。私が俳優としての唐さんを、特に大好きな場面です。

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