1/20(月)ホントに三週間で!?

2020年1月20日 Posted in 中野note
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↑2011年に行った「大唐十郎展」準備の際に伺った時に撮影した「乞食城」

唐さんはいつか、
『唐版 風の又三郎』を三週間で書いた、と仰っていました。
台本を作ってみて、私が体感したのは、
これが実に、驚異のスピードだということです。

『少女仮面』の二日間はそれに輪をかけますが、
『風又』は登場人物の入り乱れ方がまるで違う。はるかに複雑です。

もちろん、私の場合は他の仕事を同時にしているとはいえ、
書き写すのに18日間かかった身としては、
これを三週間でか!? というのが率直な感想です。

考えながら書いていると、まず三週間では書けない。
頭の中から湧き出る奔流を書き留めた、
というスピードでなければ、ちょっと考えられない。
そういうことが、実際に追っかけてみて判るのです。

自分が知り合った1999年以降の唐さんは、
年に一本を基本に、多ければ二本、というペースで書かれていました。
春の唐組公演は新作、秋の唐組は旧作を改訂。

そこに、第七病棟に書いた『雨の塔』があったり、
大学で行ったゼミがきっかけとなって『鯨リチャード』が生まれたり、
他にも、
新宿梁山泊のために書いた『風のほこり』や『紙芝居』、
唐組が『二人の女』と抱き合わせて上演した『姉とおとうと』、
2011年8月には、
私たちのために『木馬の鼻』をプレゼントして下さいました。

そういう例外を除いては、年に一本を基調とし、
だいたい11月に執筆するというのが基本ペースでした。

一方、『唐版 風の又三郎』を書いた70年代の唐さんは、
状況劇場のために春も秋も新作、しかも往々にして大長編。
さらに、『盲導犬』や『唐版 滝の白糸』など、外部への作品あり、
文芸誌を中心とした媒体への小説やエッセイの寄稿あり、
映画にも取り組んだりしていますから、とにかく多作でした。

ですから、
唐さんは一座で山中湖畔にあるアトリエ兼倉庫、通称「乞食城」で合宿し、
書きながら稽古していた、とも聞いたことがあります。

早朝、唐さんが乞食城の天守閣(というか物見櫓?)で執筆し、
書けたところまでを、そこから劇団員で稽古、
そんな具合だったと伺ったことがあります。

70年代に書かれた作品の内容から、
脱稿してからから稽古した劇か、執筆と稽古が同時に行われたものなのか、
想像するのは面白い作業です。

一番は内容ですが、内容をもとに見当をつけ、
当時の唐さんのスケジュールを出来る限り調べたり、
初演に関わった方に訊いて、それを裏付けます。

私は今のところ、『唐版 風の又三郎』は前者だと思っています。

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