12/2(木)アイディアは二度使う
2021年12月 2日 Posted in 中野note
思い起こせば2000年、唐組が『夜壺』や『鯨リチャード』を初演し、
あの第七病棟が『雨の塔』を上演した年の暮れに、
新宿梁山泊のアトリエで、この『吸血姫』が復活しました。
当時は台本を読んだことさえなかったけれど、
初めて観た唐さんの三幕もの。一幕終わりの関東大震災の群れ、
二幕のお風呂の蓋わたり、三幕終盤で行われるヒロインと人形の
目まぐるしい回転に、目眩がしまいた。
当時の自分にはとても細部を捉え切ることはできなかったけれど、
とにかく怒涛の展開に、若き日の唐さんの沸騰を感じました。
アトリエ・満天星は小空間です。
しかし、果てしなく拡がりのある世界をそこに観ました。
その後、2012年秋には唐ゼミ☆でもやりました。
思い出深いの長野公演です。初日では終盤のたたみ掛けが上手くいかなくて、
深夜に工夫のしどころを考え抜きました。
長野の夜は冷え込みます。
寒いテントの番をして、スケボー少年たちが遊ぶゴーゴーという音を
地面づたいに聞きながら修正点を割り出し、その晩は眠れませんでした。
上演すれば2時間半にわたる長編です。
『吸血姫』は読み物としても実に幻想文学的で、
この前に扱った冒頭シーンは看護婦「高石かつえ」の見る悪夢として
卓越しています。
いち看護婦である高石が芸能界に羽ばたこうとした矢先、
足元をすくわれる。過去の男性との過ち、こっそりと産んだ子供。
しかし、それらの過去が、実際にあったことなのかどうなのかは
当の高石本人にさえよくわかりません。
「中年男」というキャラクターの高石への迫り方はほとんど難癖で、
身に覚えのない過去をまくしたて、やがて本人をその気にさせてしまう。
かなり脅迫的です。論理はめちゃくちゃなのですが、
当の高石としては奇妙に後ろ暗く、やがてその気にさせられてしまう。
そして、ふと気づくと、高石の前には中年男の着たコートのみが
電話ボックスにぶら下がるばかりで、ついさっきまでその場にいた
男の姿は無し、という仕掛け。
ああ、『少女仮面』の甘粕大尉だなと思います。
こういう時、唐さんは前に上手くいったアイディアを援用します。
気に入った仕掛けは何度も使い、繰り返しの中に新しいトピックを
盛り込んでいく。こうした積み重ねが唐さん流で、実に堅実です。
突拍子もないようでいて、地に足がついている。
工夫を凝らす人間・唐十郎の面白さが、『吸血姫』トップシーンに
溢れています。
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