8/7(土)音楽をたよりに②

2021年8月 8日 Posted in 中野note
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↑終演後に鳳さんと本願寺の前で。

『シーボルト父子伝』が後半戦に突入しました。
若いメンバーが多い座組みで熱っぽく、上演を重ねるごとに
練り上がっていく彼らを観ているのは痛快ですが、
時世が時世ですから、日々、薄氷を踏む思いでもあります。
今、中止に追い込まれた公演、出演を断念せざるを得ないキャストが
たくさんいると聞いています。

シーボルト事件で有名なフィリップ・シーボルトの二人の息子たちと
明治期の日本、二つの青春を重ねるように描いた本作に、
初々しい俳優たちがマッチしていますが、常に危うさもある。
病気やケガにならないように、優秀なスタッフの面々が
そこを支えてくれています。

一方で、来週には、太田省吾さんの台本『棲家』のリーディング公演を
控えていますので、こちらの準備も進めています。

『シーボルト〜』の青春とはうって変わり、
『棲家』は、昭和を生きたある男性の晩年を描いたもの。
白秋よりもさらに進んで、玄冬に至った男の晩年。そういう感じです。

この台本には、音楽に指定があって、
ト書きには、『アリオーソ(バッハ作曲チェロ演奏)』とはっきり書いてある。
ですから、この劇の準備をする時には、ずっとこの曲を聴いています。

ただし、途中のト書きにも、
「ここで流れる」と指定があるので、けっこう演出家泣かせでもあります。
作者である太田さんに、ほとんど先に仕事をされてしまっている。
そんな気にもなってきます。

悔しいので、様々なバージョンを揃えることにしました。

この曲はもともと、バッハのカンタータ156番の序曲を、
チェロ用にアレンジしたものです。
ということは、おおもとのオケバージョンがあるわけで、
古楽界の巨匠たち、エリオット・ガーディナーや
シギルヴァルト・クイケンのものを揃えました。

また、同じチェロでも、カンタービレ多めで味付けの濃いもの、
少なめでさっぱりしたもの。状況によって使い分けようと思っています。
珍しいところでは、いかにも優雅なヴァイオリン・バージョンもある。

太田さんに指定されっぱなしだと仕事にならない。
かといって、唐さんという巨大な"作者"の教えを受けて育った自分は、
やはり作家が大切。だからこういう感じの動きになるわけです。

ちなみに、このバッハの第156カンタータのタイトルは、
「わが片足は墓にありて」というもので、
太田さん、ちょっと分かりやす過ぎるぜ!
そんな対話を繰り広げながら、夜な夜な台本と向き合っています。
https://stage.corich.jp/stage_main/92459
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