4/8(水)続・物書きのひそむ場所

2020年4月 8日 Posted in 中野note
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↑2012年秋に唐ゼミ☆が公演した『吸血姫(きゅうけつき)』2幕
伏見行介さん撮影

初めに宣言しておきますが、
明日のワークショップは『唐版 風の又三郎』の1幕終盤をやります。

昨日の記事を書いてみて一晩経ち、
唐さんから教わったある詩人のエピソードを思い出しました。

紅テントの公演には、いつも多くの文化人が出入りしてきました。
初期から関わりの深かった澁澤龍彦さんや寺山修司さんがそうですし、
柄谷行人さん、山口昌男さん、大江健三郎さん......
それこそ枚挙に暇がありません。

今年、没後半世紀を迎える三島由紀夫さんには
ついに自分の芝居を観てもらえなかったと、
唐さんは残念そうにおっしゃっていました。

その口ぶりからすると、どうもあと一歩のところだったようです。
土方巽さんという共通の知り合い、強力な媒介者がいたわけですから、
唐さんが初期に書いた『アリババ』という劇のタイトルを
三島さんが気に入って、気にかけていた、
などといった情報を唐さんは得ていたようです。

野心溢れる唐さんが、アンテナをビンビンに立てながら、
さて、誰に自分の才能を認めさせようと
手ぐすね引いている当時の様子が眼に見えるようです。

本題に戻ると、1971年に『吸血姫』を上演していた頃、
『どくろ杯』『ねむれ巴里』で有名な詩人の金子光晴さんが
紅テントにやってきたそうです。

金子さんと言えば、1895年のお生まれですからすでに70代半ば過ぎ。
唐さんは座長として緊張しながら"詩人"をお迎えし、芝居がハネた後、
どんな環境で詩作をされているのか金子さんに質問したそうです。

返ってきた答えは「台所のまな板の上」。

これに唐さんはいたく感動したといいます。
先日のドトールコーヒーもそうですが、
唐さんにはそういう地に足のついた状況をむしろ誇るところがあって、
私はそういう部分をすごく尊敬しています。

かつて室井先生が、横浜国大に唐さんを招聘された時、
横浜駅から大学まではタクシーを拾ってください
とアクセス方法を伝えたら、
僕はバスを使います、というような返事があって、
その答え方にある種の凄みを湛えていたそうです。

私が出会った時、
唐さんの好きなお酒は、並居る高級酒を無視して一途に「いいちこ」。
"下町のナポレオン"。まさにそういう感じです。

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