鈴木さんは『少女仮面』をどう思ったのか。

2019年11月 4日 Posted in 中野note
いま、コメダ珈琲店で、これを書いています。
名古屋出身の私は、この店に時々吸い込まれてしまう。
小さい頃はよく長ぐつ型のグラスに入ったクリームソーダを注文し、
到着した瞬間にソフトクリームにストローを挿しては、
下からソーダが吹き出してテーブルの上をメロンソーダまみれにしていました。
もう大人なので、今日はコーヒーです。

さて、名古屋といえば、
1968年の夏、地方巡業中の唐さんが名古屋から、東京の鈴木忠志さんに電話を掛けた、
という記録があります。
唐さんは巡業に出発する時点で、二日で書いた『少女仮面』の原稿を鈴木さんに託しており、
その感想を確かめたかったようです。
「どうだい?」「面白くできそうだ」
そんな二人の会話が聞こえてきそうです。
私は帰省の際、当時、唐さんが紅テントを建てていた若宮大通公園の近くを通る度、
このことに思いを馳せます。

また別の資料で唐さんは、
『少女仮面』を早稲小にいる「アルレッキーノのような女優」に当てて書いた、
とも書いています。
これは明らかに白石加代子さんのことなのですが、
イタリアの喜劇「コメディア・デラルテ」に登場する「アルレッキーノ」、
つまり「道化」に白石さんをなぞらえるところが、唐さんの独自性だと感じます。
唐さんに目に20台後半の白石さんがどう映ったか、
この言葉をもとに想像するのは愉しいものです。

ところで、鈴木忠志さんはこの『少女仮面』をどう感じたのでしょうか。
この作品の終盤には、
「春日野八千代」を名乗ってきた女、女優として芽の出なかったただの初老の女、
春日野をサポートしてきたボーイ主任は、喫茶店という小世界で演出家ぶっていただけの夫
と知れるシーンがあります。
春日野が繰り広げる深夜の稽古なども、早稲田小劇場へのオマージュであると同時に、
茶目っ気たっぷりの唐さんが、鈴木さんを茶化しているようにも感じます。
演劇仲間の親しみと、つばぜり合いの緊張感が、ここには漂っています。
喫茶「肉体」という設定も、早稲小が喫茶店「モンシュリ」の二階にあったことが影響していそうです。
まあ、「モンシュリ」は二階、「肉体」は地下室ではありますが、
ともに「アンダーグラウンド」と評されてどう感じていたか、
このあたりを考えるのも面白いところです。

単なる作家とそれを受ける劇団や演出家、女優の仕事、というだけでなく、
そこにある両者の対話を感じます。

自分も、唐さんが『木馬の鼻』を書いて下さった時には、
物語を追いかけると同時に、
台本や科白を通じて唐さんは自分たちにどんなエール送り、挑戦を求めているのか考えました。
この問題は、いまも折に触れて考え込むことがあります。
今日も長くなりました。これはまた別の機会にしましょう。

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名古屋からきた喫茶店は、横浜駅の近くにもある。


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