7/17(土)好きなせりふを言ってみて③

2021年7月17日 Posted in 中野note
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↑2001.12『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』三幕。
自分が手掛けたひとつ目の名せりふが、
この後にやってこようという場面です。

昨日書いたような大学一年生を経て、
二年になると唐十郎ゼミナールがスタートし、
ただしメインの参加者は当時の三年生の先輩たちなので、
私はこれを手伝うようになりました。

そして、自分が三年生になると、
『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』を皮切りに、
本格的に唐さんの戯曲の世界に入っていきました。

当時は、現在では考えられないスケジュールを生きていました。
とにかく時間だけはあったので、何ヶ月も稽古をして、本番は数日。
中には、稽古をして、本番を二日間やって、さらに一月稽古をして、
その上で二日間の公演をしたこともあります。

セオリーも何もなかったものですから、
どうやって芝居を向上させれば良いか分からずに、
めくらめっぽう時間を費やしていました。
それが、当時の我々に許された特権だったようにも思います。

そのうち、初期の紅テントを借りて公演するようにもなり、
現在に至る唐さんとの関係の基礎が出来上がりました。
同時に、演劇青年でもなんでもなかった禿と椎野が主演をし、
彼らを頼みにするようにもなっていました。

こうなると、今まで見上げていた、
唐さんによる役者たちへのリクエストが、
こちらにもやってくるようになったのです。

「あのせりふを言ってみてよ」
「あの劇中歌を歌ってみてよ」

唐組公演終了後に行われるテントの中での宴会で、
稽古場に関係者が集まって行われる飲み会や忘新年会で、
唐さんは事もなげに言われるのですが、
時には演劇界の大先輩方を前にせりふを言い、歌をうたうのです。
唐さんのところに行く時、私たちは常に緊張していました。

特に唐ゼミの公演直前ともなれば、
唐さんには、通し稽古に立ち会った際に気に入った場面や歌を
いくらもあります。だから、私たちは時に、
リクエストされそうなせりふや劇中歌を練習してから都内に向かいました。

ある時は、コンパクトに進行するために、
実際の芝居にはない、劇中歌→せりふ→もう一つの劇中歌
という進行まで編み出したことまであります。

そんな風に、楽しみ半分、緊張半分の時を過ごして、
私たちは夜遅くの電車に乗り、横浜に引き揚げていました。
車中ではどっと疲れて、やれやれという感じ。

もう、いち観客として面白がってだけ芝居に接する時期を
私たちは過ぎていました。

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