水は血よりも濃い

2019年11月 5日 Posted in 中野note
『少女仮面』についての話は、まだまだあります。

ある時、唐さんが、
自分も『少女仮面』は何度かやったけれど初演の鈴木忠志の演出には叶わない、
とおっしゃったことがありました。

例えば、「水道のみの男」という役は脇役ながらとても魅力的な役で、
心ある男性の俳優なら誰もがやりたがる役なのですが、
彼に関わるシーンの処理に、鈴木演出は圧倒的に長けていたと言うのです。

この男は何度も喫茶店にやってきては、手を変え品を変え、水道の水を飲もうとします。
何の注文もせずに、盗むように水道の水をガブ飲みして去っていく、
いかにも謎めいた、それでいてコミカルなキャラクターで、
戦争直後の日本人の渇きを思わせつつ、
結果として、男装した「春日野八千代」がただの女であると暴き立てる。
そういう重要な役どころでもあります。

しかし、そのために彼は殺されてしまう。
そして、舞台裏で殺された彼の血が、それまで飲んでいた水道の水を赤く染めるのです。
配管が壊れて血が入ってしまったという設定です。

この場面の処理が、鈴木演出は傑出している唐さんはおっしゃっていました。
曰く、自分を含め、たいていの上演は実際に水を赤く染めるが、
鈴木忠志は透明な水のままで勝負する、と。

ここで注意しなければならないのは、
これは、流水を眺める人々が狂気を得てそこに血が流れていると錯覚する、
という心理的な処理では決してなく、周囲の演技によって、
観客を含めた劇場全体がその水を赤いと感じてしまう磁場と化していたのだそうです。
透明な水のままで、誰もがそこに赤い血が流れるのを見る。

二人の美学の差、当時の鈴木演出の強度をよく表す、私の好きなエピソードです。

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