3/20(土)わたしの記念日
2021年3月20日 Posted in 中野note
2011年のコンサート冒頭では、唐さんがボクサーの扮装で私はセコンド役でした。
これができたのも、受験が上手くいったおかげです。
高校三年生の終わり、横浜国大への合格発表を受け取った日でした。
唐さんが横浜国立大学の教授に就任したのが1997年10月。
その情報を私がキャッチしたのが1998年の初夏だったと記憶しています。
現在、YouTubeにはその頃のBS深夜番組が上がっています。
https://www.youtube.com/watch?v=EkJuulmYkUs
扇田昭彦さんが司会を務め、80年代に上演された劇と
その公演に関わる演劇人をテーマに、トークと芝居を放送する番組でした。
私はこれを観て、横浜国大に行けば唐さんに会えること知ったのです。
高校三年生は、私にとって最も台本をよく読んだ時期でした。
受験勉強が嫌な私は、そこからの逃避として台本を読みました。
ギリシャ悲劇も、シェイクスピアも、チェーホフもイプセンも、
近松も南北も、片っ端から1〜2日に一本ずつ読みました。
当時の読み方は浅く、今では内容を忘れてしまったものが大半ですが、
私には現在も、その時の猛勉強により毎日を凌いでいるという実感があります。
国立大学の試験は2/25頃と3/10頃に二度チャンスがあり、
後ろの方は受かりやすいと聞いていました。
受験生の側でも、一年間がんばってきてこの頃には息切れをしてしまう。
先に決まった私立でいいやという気になり、手薄だという噂がありました。
それに、自分が受けた学課の後期試験は面接だけでしたから、
唐さんに学びたいという意志がすべてで、あとはジタバタしても仕方がない。
かえって気楽なものでした。
果たして、3/13に試験を受け、3/20の結果発表を待ちました。
発表当日は、愛知芸術文化センターで蜷川さんの『リチャード3世』公演を
観劇する予定でしたから、父には、結果が封書で届いたらすぐに空けて良いと
伝えました。私の帰宅までとても我慢していられないだろうと思ったのです。
その変わり、合格していたら家中の電気を点けてくれるよう頼みました。
劇冒頭から馬が降ってくる『リチャード3世』に満足して家に帰りながら、
さすがに最後の角を曲がる時はドキドキしました。
煌々と光る実家を見た時の嬉しさを、3月20日になると思い出します。
22年前、こうして私は唐さんのもとで学ぶ切符を手に入れることができました。
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