11/20(火)56年前の音源から
2019年11月21日 Posted in 中野note
嗚呼、今日も「その②」に行かれない!
嬉しいこと、面白いことがあったので、「その②」は後日に。
まずは昨日、嬉しいことがありました。
別々に接した二人の方から、このゼミログを読んでいると告げられたのです。
はっきり言って嬉しい!
松本くん、今日も読んでくれているか?
田口さん、本当にありがとう。
書くことは山ほどあるけれど、やっぱり眠い日もある。
が、調子に乗って今日も書きます。
そして、面白いこと。
今日、ここ二ヶ月間、心待ちにしていたCDの発売がありました。
これです!
1963年10〜12月、日生劇場のオープニングを飾ったベルリン・ドイツ・オペラによる、
『ヴォツェック』『トリスタンとイゾルデ』公演のCDです。
この音源はまさに蔵出し秘蔵のデータで、
同時期に上演された四つの演目のうち、
『フィデリオ』『フィガロの結婚』はずいぶん前に発売されていましたが、
今回の二音源は、ニッポン放送の開局65周年を記念して、新たに発掘されたものなのです。
これが私にとって重要なのは、
敬愛する照明家の吉井澄雄さんが、この招聘公演の中心人物のお一人であり、
吉井先生のされたご苦労を、直接に伺っていたからです。
特に『ヴォツェック』の方は大変で、
新設される日生劇場のオケピットに大編成のオーケストラを収容できるか量るために、
先生は銀座にある泰明小学校の校庭に日生オケピットの形や寸法を白線で再現し、
その上に奏者用の椅子や譜面台を実際に並べるという、
まことに原始的な実験を行ったそうです。
日本人がまだ、このオペラを知らなかった頃の話です。
図面上はなんとか成立したものの、
稽古初日はやはり楽団員の巨体が収まらずに、騒動になりかけた。
当時、30歳前後だった吉井先生は気が気じゃなかったそうですが、
芸術総監督グスタフ・ルドルフ・ゼルナーが見事な演説を打ってくれ、
何とか事なきを得たとおっしゃっていました。
奏者たちは皆、身を縮こませて弾いてくれたそうです。
そういう音源ですから、私は発売予定日の今日を愉しみに過ごしてきましたし、
タワーレコードの在庫検索ページに「在庫あり」表記が出たのを確認した瞬間、
すぐに横浜店に駆けつけました。
実際はまだ棚に載っていなかったのですが、
店員さんに相談して納品ほやほやの段ボールの中から出してもらい、
値札も貼られていないそれを鷲掴んでレジに直行しました。
これを聴きながら、今夜の寝不足は確実です。
そうそう。
いま話題にしている浅草および、『下谷万年町物語』ですが、
初演時の照明は上記の吉井澄雄さんです。
吉井先生は、蜷川さんが74年に商業演劇デビューして以来の中核メンバーですから、
美術の朝倉摂さんらとともにスタッフに加わっています。
この時代、
お互いが影響し合いながら仕事をされていた様子を想像するのは実に面白くて、
例えば、『下谷〜』の舞台前面に瓢箪池が設られている、
あれは明らかに79年に初演された『近松心中物語』がヒントになっています。
劇中歌も『近松〜』と同じ作曲家で、
森進一さんの『おふくろさん』で有名な猪俣公章さん。
『下谷〜』に出てくる『♪蛍の列車』『♪なんか、すっぱい匂いがします。』など、
まさに傑作です。
そういえば、82年に初演された『秘密の花園』では、
ブラームスの弦楽六重奏第1番第2楽章が実に印象深く流れますが、
あれも、80年に初演されていた『NINAGAWAマクベス』でかかっているのを聴いて、
唐さんが気に入ったものに違いありません。
唐さんは当然ながら、
ご自身の内に独自の世界を持っていると同時に、引用や本歌取りの名人でもあります。
周りに影響されながらも、完全に自分のものとして情報を取り込んでしまう。
そこが面白いところです。
私など、2011年に『海の牙』に挑んでいた頃、
登場人物「梅原北明」による登場一発目の長科白が、
約2ページに渡って野坂昭如さんの文章の完全な書き写しであったと気付いた時には、
文字通り天を仰ぎました。
それに、執筆当時、万年筆で執筆しながら、とある書籍の一節を丸ごと写す唐さんを想像すると、
なんとなくチャーミングでもあります。
このあたりも、また改めて例を挙げながらお話ししたいところです。
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