11/28(木)勝負は「池の蓋(ふた)」①

2019年11月28日 Posted in 中野note
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ひと月ほど前、舞台美術家の濃野壮一さんから届きました。
これまでの氏の数々の業績、ロシア・アヴァンギャルドと舞台美術、
その日本への影響に対する考察に溢れた素敵な冊子です。



昨日ご紹介した都橋商店街のバー「はる美」への来客ですが、
募集していた出演者の他にも、
強烈な印象を残して行った方が何人かいました。
その筆頭が、濃野壮一さんです。

濃野さんこそ、『下谷万年町物語』初演の演出助手、
唐ゼミ☆上演の際、さまざまな知恵を授けて下さった恩人の一人です。

そもそも濃野さんは、初めて私たちが東京で公演することができた、
2006年頃からのお知り合いでした。
前にこのゼミログで、東京スカイツリー建設予定地で公演した時の話を
書きましたが、その時からのご縁です。

私たちが2008年の春、翌年の『下谷万年町物語』上演を宣言した折、
真っ先に反応して下さったのが濃野さんでした。
濃野さんは、70年代に京都の美大を卒業して東京にやってきた方で、
蜷川幸雄さんに関わりを持つ中で81年の『下谷〜』初演の座組みに加わり、
以降、状況劇場の美術も手掛けたデザイナーさんです。

オカマ100人芝居を謳い、出演者が多すぎるゆえに、
当時はまるで映画のように4人の演出助手がいたそうですが、
濃野さんはそのサード(3番手)だったと伺いました。

あの演目を上演する苦労を熟知するがゆえに、
私たちの募集チラシを見て大いに心配し、連絡してきて下さったのです。
ならば、という事で早速「はる美」にお招きし、
当時の劇団員で濃野さんを囲むことにしました。

濃野さんのお話は、初演時の資料も持ち出しながら多岐に渡りました。
オカマ軍団の頭領「お市」を演じた塩島昭彦さんの話題から、
蜷川さんのお遣いとして、唐さんのもとに原稿を取りに行ったエピソード、
後に手掛けた状況劇場での舞台美術、
唐十郎×蜷川幸雄×パルコ劇場の第二弾『黒いチューリップ(83年)』など。
豊富な話題にご本人の話芸も加わり、いずれも爆笑の連続でした。

で、肝心の『下谷〜』の美術を構想する時の注意点についてなのですが、
濃野さんが口を酸っぱくして言われるには、
この演目の勝負どころは意外にも長大な長屋の造作でなく、
「池の蓋(ふた)」にあるらしい。

「池の蓋」!?......明日に続きます。

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