11/21(木)音二郎と唐十郎〜その②

2019年11月21日 Posted in 中野note
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音二郎の描いた日清戦争 舞台画

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『二都物語』のソウル 西江(ソガン)大学での公演

やっとです。
三日ぶりに、この話題に戻ります。
音二郎と唐さんには、似ているところがあるという話です。

優れて興行師的なアンテナが二人を同じような行動に導くのか、
それとも、唐さんは含羞の人ですからあまり公表しませんが、
実に勉強される方でもありますので、
ひょっとしたら完全に知っていて、参考にしていたのかも知れません。

日清戦争が始まったらすぐに従軍記者にくっ付いていく。
さらには、本当か嘘かは別にして、
戦場で拾い上げた軍服を衣装にしてしまう。
この手つきは、
1972〜74年に果敢な海外渡航に挑み続けた唐さんに、
通じているのではないでしょうか。

72年、朝鮮半島と日本を題材とする『二都物語』の時は、
実際に戒厳令下のソウルに実際に行く。
73年『ベンガルの虎』の際は、本当にバングラディッシュに赴き、
劇のモチーフの一つである旧日本兵が敗残した街道に佇み、芝居をかける。
74年『唐版 風の又三郎』に至っては、
率直に言ってもはや公演の内容とは全く関係ないと私は思うのですが、
中東の紛争のど真ん中であるパレスチナに向かい、アラブの人々の中に分け入る。


私が面白いと思うのは、
これがすこぶる壮大なプロモーションだと言うことです。
遠征していくことも重要ですが、
そういう冒険を背負って帰ってくることがさらに重要だと、
唐さんは考えていたのではないか。

これらの渡航は、
当時の劇団員だった山口猛さんのエッセイや、
渡航費の捻出のために唐さんがアサヒグラフに書いたルポルタージュなど、
多くの資料を産み出し、その一つ一つが面白い。

けれども、一方で、
唐さん率いる一党がそれぞれの土地で、
土地の核心に迫る冒険を繰り広げるだけでなく、
何もすることがなくて無為な一日を過ごしたり、
皆で、ただ夕暮れまでを過ごす日もあったのではないか。
そう想像することも、大変に愉快だと思うのです。

そこは、運動家ではなく芝居屋ですから。
例え大した冒険をしなくとも、現地であったことを盛りに盛って帰ってくる、
これもまた、一つの卓越した手腕だと思うのです。

こんなことを想像していると、唐さんに、
「オレは本当に本当の窮地の連続をくぐり抜けてきたのだぞ!」
と怒られてしまうかも知れませんが。

火のないところに煙を立てる、は言い過ぎですが、
焚き火を山火事に変え、伝説を造り上げてしまう腕力もまた、
優れた創造力に違いありません。


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