4/19(月)『ベンガルの虎』終幕へ

2021年4月19日 Posted in 中野note
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↑初演時のポスター画像を得たくてネットサーフィンしたら、これ!
すごい迫力だ!

月曜の朝は劇団集合。
秋の公演へ向けた準備の進行、
ワークショップや劇団員募集の進捗について確認します。
必要とあらば議論や、めいめいの近況報告をして、45分程度。

あとは、台本を読みます。
2月頃から『ベンガルの虎』をずっと読んできましたが、
それが今日、三幕終盤までいきました。
手元の台本にして208ページ。なかなの長編なので、
約3ヶ月を要しました。

ちょっと分かりにくいところもあったので、
来週もエンディングをやり直すことにしました。
自分にとっては、劇団員たちの反応を見ながら、
彼らが納得して腑に落ちるように話せるかどうかの試行錯誤です。

『ベンガルの虎』の面白さは、
究極的にヒロイン・水島カンナの怪しさにあります。
それは別に、キャバレーのホステスだからアヤシイ女だ、というのではなくて、
存在自体が怪しい。ちゃんと生きているのか怪しい。
ちゃんと生まれてきた人間なのかが怪しい。そういうレベルの怪しさです。

だって、いわゆる「からゆきさん」として東南アジアに売られた女が、
現地の男と駆け落ちして妊娠したという設定になっている。
そのカップルが心中をはかって崖から飛び降り、女は木の枝に
引っかかって生き延びた。そのショックで産み落とされた女が、
水嶋カンナということになっている。

それが、行李に詰められて船で九州に運ばれ、九州から陸路で東京に運ばれた。
私も人の親ですでの、そんな環境で赤ん坊が生き延びられるわけがないことは
よく分かっています。

そんな水嶋カンナは、自分はお婆ちゃんに育てられたと、
台東区入谷町三で育ったのだと、言い張る。
しかし、それを証拠だてるものは、とっくに有効期限の切れた定期しかない。

だから、この『ベンガルの虎』は、この世界に生まれてこられなかった女が、
なんとかこの世にしがみついて、生きていようとする話です。

直近の年末年始、私は台本づくりをしながらそのような仮説を立て、
この本読みをしながら検証を重ねました。結果、やはり見立て通りでした。

そのようなわけで、ヒロイン・水嶋カンナの周りには、
いつでも"死"が口を開けています。すぐに亡者たちが彼女を迎えにくる。
三幕の舞台である「入谷朝顔市」のにぎにぎしさも、
朝顔の鉢がズラリ並んでいるのを見立てて「♪夕べに吊った 母の首」と
劇中歌が歌うように、首吊って亡くなった人が群れなす世界に他なりません。

唐さんは上演に際して、この芝居に「白骨街道魔伝」という副題を付けています。
文字通り死屍累々のバングラデシュにあって旧日本兵の骨という骨が入り乱れ、
灼熱の太陽が照りつける景色を思い浮かべると、この劇の底に流れる死の臭気が
理解できるように思います。

来週、もう一度エンディングにトライ!

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