12/5(土)祠(ほこら)の時間②
2020年12月 5日 Posted in 中野note
『唐版 風の又三郎』と同じく、あの頃も白の上下。
黒澤明の『野良犬』による唐さんへの影響が色濃い。
唐十郎ゼミナールが始まったばかりの頃。
唐さんが執筆をされる11〜12月にかけての「祠(ほこら)の時間」に、自分たちがわずかなりとも影響をもたらしていると思えたことは
私の密かなよろこびであり、誇りでした。
2001年4月。私が晴れて大学3年生となり、
正式に唐十郎ゼミナール生となる資格を得た時、
初めて教授から下されたお題は
『腰巻お仙〜義理人情いろはにほへと篇』という台本でした。
これは、1967年8月、唐さん率いる状況劇場が
初めて紅テントという上演システムを開発して花園神社に
進出した時にかけた演目です。
何か、唐さんに感じるものがあったのか、
それとも、単に初演以来、再演の機会のなかったこの作品を
振り返ってみたかったのかはわかりませんが、
そのような記念碑的戯曲に私たちは挑むことになったのです。
あの年の夏、室井先生が横浜トリエンナーレに出品した
「巨大バッタ」で燃焼していた私たちは、その勢いを駆って
秋に稽古を本格化させ、12月の公演に臨みました。
上演の結果について、だいぶ手加減をして頂いた上で
唐さんはかろうじて褒めて下さった、
そのような苦さを孕んだものでしたが、
3幕で禿恵の分する「美少年」役が放った
「海辺をひとっ走りさ・・・」というせりふだけは、
せりふに溢れる推進力と、それに呼応して覚醒した感のあった
禿の活躍で、一定の成果を得たように思います。
ともかくも、強烈に"母"を題材にしたこの作品によって
私の唐十郎遍歴がスタートした時、唐さんが翌2001年の唐組春公演
にむけて執筆されていたのが、「代理母」という制度を取り上げて
同じ"母"をテーマにした『糸女郎』という演目でした。
あの芝居の終幕近く、ヒロインはこのようなせりふを云います。
「わたしは、ちりぬるをあわかですから。」
観客のほとんどに対して唐突の感を否めないこのせりふを聴いた時、
その前段で「いろはにほへと篇」を上演していた私は、
密かなうれしさに充たされました。
藤井(由紀)さんがヒロインとして台頭、大活躍したこの芝居の観劇後、
私は胸を張って帰途についたものです。
〜つづく〜
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