11/20(土)禁じられた戯曲

2021年11月20日 Posted in 中野note
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↑『状況劇場劇中歌集』。もとは『音版唐組』というタイトルの
カセットテープでPARCOから出ていたCDです。


劇団員たちと『二都物語』を研究し始めました。

私が作った台本をもとに皆で本読みをする。
文字校正をしたり、単行本や全集など版の違いも確かめながら
上演台本データを完成させる。何より内容を追究し、理解する。
劇団唐ゼミ☆のルーティンです。

かなり昔、まだ学生だった頃、
唐さんに『二都物語』の上演を希望し、却下されましたことがあります。
確か2004年のお正月、唐さんのご自宅にお年始に伺った時のことです。

唐ゼミ☆が上演する演目は、
1回目の『24時53分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』
2回目の『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』を唐さんが決定されて以降、
私は唐さんに申し入れをし、唐さんがそれを許可することで決まってきました。

基本的にはOKしてくださる唐さんですが、時にはそうでないこともある。
例えば、『腰巻お仙 振袖火事の巻』をお願いした時も断られました。

「何を言い出すのかと思っちゃった。あの芝居は、南下興行の帰りの
東京に帰ってくる巡業の時に、客から『つまらなくなったぞ!』と
掛け声をかけられたんだ。」そう、唐さんは言われました。

大きな傷心が唐さんの仰りようから伝わってきたので、
私はその場では諦めながら、いずれ必ず上演しようと誓いました。
あの面白さを復活させて、痛快な作品であることを証明しよう。
そのように、かえって使命感を感じたものです。

一方、『二都物語』の却下の仕方は、それとは全く違いました。
こちらに気を遣われながら断り「あれは李のものだから」と言われた。
その時、やはり『二都物語』は別格だと痛感しました。

確かに筆を動かしたのは唐さんです。
しかし、『二都物語』は飛び抜けて、当時の李(礼仙)さんの
パーソナリティに立脚した演目です。

あの時、唐さんにお願いするために、
私と椎野は『ジャスミンの唄』を練習して唐さんのお宅に伺いました。
椎野がうたう唄を聴いていた時の、あの唐さんの複雑な表情を
私は忘れられません。

最近、『四角いジャングル』がCD化されたつながりで、
私は2011年に復活したCD『状況劇場劇中歌集』をよく聴いています。
『ジャスミンの唄』はとりわけ聴きます。

「♪ああ おまえを見たら 誰が忘れよう」という部分、
何度聴いても胸をしめつけられるような思いがします。

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