7/27(火)川西町公演の思い出(『ガラスの少尉』WS 最終回)

2021年7月28日 Posted in 中野note
山形テント建て ゼミログ.jpg
↑数少ない写真の中から。田んぼの中にあるフレンドリープラザ。
地元の方々の作ってくださる食事に、私たちがどれだけ元気になったか。
椎野は今でも時折遊びに行き、物産展などで関東に出てこられる際は
訪ねて行くなど、交流が続いています。


一昨日、日曜の夜は『ガラスの少尉』WSの最終回でした。
7月いっぱいをかけて皆さんと研究しながら味わってきたこの作品の
エンディングを迎えたのです。

6月まで取り上げていた『海の牙 黒髪海峡篇』は
文字通り大団円を迎える終幕でしたが、同じ1973年に書かれた
『ガラスの少尉』は正反対の趣きです。

何しろこの劇、一切がジャンボジェット機の内部を舞台に展開します。
高度経済成長の日本からバリ島に旅行に出かけた人々、
その中にいる一人の少女と中年男が
ジャンボジェットの墜落の中で、
戦時中の悪夢を走馬灯のように追体験する、という構成です。

舞台は、ジェットの中、東京の往来、ガラス工場、喫茶店、
アパートの一室、バリ島と、様々な場を往き来します。
こんな風変わりな構成なのも、
本作がもともとラジオドラマとして仕立てられたからに他なりません。

そして、演劇の公演より遥かに多くの人が聴取者である
ラジオドラマだからこそ、唐作品の中でも屈指の分かりやすさで、
この物語は進行します。ですから今回は、いつもWSの約2倍の速度、
全4回でこの演目を踏破することが出来ました。

唐ゼミ☆では、2008年に公演した演目です。
川崎や京都、横浜など、期間をおきながら様々な場所で公演を行いました。
川崎では、川崎市市民ミュージアムの中庭。
名物トーマス転炉の横での上演は、屋台くずしの際に
館内の照明施設まで動員して頂き、かなり華麗なエンディングを
実現することが出来ました。
京都では、四条河原町にある立成小学校の校庭が舞台。
横浜では、今は取り壊されてしまった日本郵船の倉庫の中を
バリ島のジャングル化して上演しました。

どれもこれも思い出深い。

さらに思い出深いのは、山形県にある川西町での公演です。
井上ひさしさんが幼少期を過ごしたこの町には、
川西町フレンドリープラザという施設があり、
図書館や立派な劇場を備えています。
近くには小松駅という駅があり、
この地域名が「こまつ座」の由来とも云います。
このプラザの駐車場で、私たちは青テントを建てて公演を行いました。

『ガラスの少尉』の終盤はなかなか怖ろしい内容です。
バリ島に駐屯した日本人兵士たちに抵抗する地元の
少年少女たちは、日本軍の飛行機の窓ガラスを破壊して回ります。
これを取り締まるため、兵士たちは子どもたちを襲う。

しかし、ヒロインの少女ガランスが歌う主題歌とともに、
首だけとなった少年少女が宙を飛び、日本軍へのさらなる復讐を
果たすのです。

この首が舞うシーン。私たちとしては相当に凝って、
首をつくり、フライングの仕掛けをつくったのですが、
これが大勢で観に来てくれた地元高校生たちの中にいた
一人の少女の琴線に触れてしまったのです。

終演後、怖かったと言って泣かれてしまいました。
それもただ泣いたのではなくて、テントから飛び出しきた少女が
地面に片手をついて、もう片方の手で地面を叩きながら号泣しているのです。

彼女の友人たちは笑ったり、不思議なものを観たと感慨深そうでしたが、
私は申し訳なく謝りつつ、この世代な多感さと、川西町に育った
彼女らの純朴さに感動しました。

その光景を唐さんに電話して伝えると、
「少女が地面に拳を突き立てながら泣いたのか!」と驚き、
唐さんも声を上げて感慨深そうでした。

唐さんのことですから、頭の中でものすごい光景を妄想していそうで、
今度は私の方が、空恐ろしいような思いをしました。


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