10/27(火)通し稽古〜まずは1幕から
2020年10月27日 Posted in 中野note
↑今回は一部、私が音響を担当するので、オペ席が稽古場の真ん中にある。
通し稽古の直前、私は必ず沈黙の時間を取るようにしています。
ある時期から、どんなに切羽詰まった公演準備の時にも、
必ずそうしてきました。
それは10分程度で充分なのですが、20人からの人間が押し黙っていると
確実に緊張感が漂います。それで身が硬くなる人もいれば、
集中の後に弾けるようパフォーマンスに突入する人もいる。
ぜひ後者になって欲しいというのが、私の願いです。
みんなを鎮めると、今まで聴こえなかった日常の雑音を耳が捉えます。
遠くの工事とか、道路を往く車とか信号の音など。
そうして、サッと本番に突入します。
結果、1幕の上演にかかったのは約1時間。
その後、衣裳や小道具をケアしつつ休憩を取り、4時間ほど手直しをしました。
これまで観客として接してきた『唐版 風の又三郎』に比べて、
我ながらかなりスピーディーな上演だと云えます。
もちろん、私は基本的にノーカットが信条なので、
唐さんの台本に手を入れることはしません。
このスピードにはいくつかの理由が挙げられますが、
判りやすさを求めていくと速くなる、というのが私の考えです。
何事もゆっくり説明された方が判りやすい、というのはウソです。
重要なところをじっくり聴かせるのは大切ですが、
逆にそれ以外の部分には時間をかけない方がかえって判りやすい。
要は、メリハリです。
唐十郎作品は感じるものであって、理解するものではない、
という意見をお持ちの方が、特に昔からのファンの中に多くいらっしゃいます。
私としては、反対と賛成が9:1の割合いです。
唐さんの作品は、唐さんなりにリアリズムで書かれている。
ご本人に接する中で、私はそう思うようになりました。
ですから9割は反対。
多くの点で、きちんとロジックはあります。
ただし、1割残したのは、どう考えてみても理屈では解決できないのに、
どうしようもなく感動的な瞬間があるからです。
私はこの部分をこそ、唐十郎の"天才"だと言いたい。
速くて、判りやすくて、勝負どころではむせぶような情感に溢れている。
そして、謎中の謎はそのままに放り出してある。
これが私の理想です。
通し稽古が始まると、木を見て森を見て、もう一度木を見て・・・、
という作業の繰り返し。そうするうちに、メンバー一人一人が
唐さんの考えたことを体現するのを目指します。
明日は2幕。必死にその準備をするメンバーを残して、
私は先に稽古場を出ました。
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