10/2(土)浅草との馴れ初め〜中編

2021年10月 2日 Posted in 中野note
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↑09年『下谷万年町物語』二幕の終わり

今日はハンディラボに集合し、荷造りをしました。
明日にこれら荷物を積み込んだら、明後日の朝には浅草入り。


さて、昨日に続く2009年『下谷万年町物語』の話。
舞台となる瓢箪池は今では場外馬券売場(WINS)のあたりに
あったということでした。

その近くにある空き地といえば、浅草寺の裏手か花やしきの駐車場。
ご相談したお蕎麦屋「十和田」の女将さんは花やしきを紹介して
下さいました。すぐに花やしきの社員さんを呼んで、話をして下さった。

その時、自分が何より嬉しかったのは、
「この子たちは劇場じゃなくて、テントじゃなきゃダメなんだ」
と熱心に言って下さったことでした。

私たちのテント芝居に賭ける思い、使命感はあまり理解されません。
それはそうです。演劇をやりたければ劇場でやればいいじゃないか。
至極もっとな感覚です。それまでも、別に邪険にするわけでなく、
親切心から、公演場所を探しているといえば、「良い劇場がありますよ」
と何度も言われてきました。

どだい、世の中に「テント芝居」があるということを知る人は
圧倒的に少ないというのが実感です。
ところが、女将さんはたちどころに理解して下さった。
そして、一緒になって花やしきの方々を説得してくれました。

聞けば、かつて第七病棟が常盤座で公演した『ビニールの城』や
下町唐座が上演した『さすらいのジェニー』を、女将さんは
よく覚えていたのだそうです。

程なく花やしきの皆さんは私たちの企画を受け入れてくださり、
テント演劇が周辺の民家に及ぼす騒音にまで心を砕き、
一緒にご近所を一軒々々廻って下さいました。

また並行して驚いたのは、社長さんの対応でした。
チラシにコメントをお願いしたところ、台本を持ってきて下さい
と言われます。知っての通り、唐さんの台本は演劇人が読むにも
難解です。そこで、私がかいつまんで粗筋をお伝えしようとしたところ、
「いや、台本を」と。ピンときてすぐにお届けすると、
社長さんは最初から最後まで読んで、メッセージを寄せられました。

「やはり難しいね」とおっしゃっていましたが、
そこには企業人トップの迫力、緊張感がありました。
私たちのためにわざわざ台本に向かい合って下さる。
こちらの活動に興味を示し、正対してこられる相手に対し、
安易なアイディアを提案した自分を恥じました。

こうして浅草・花やしきという会場を整えながら、
芝居の中身もまた完成してゆきました。
数ヶ月かけて、桜木町のバー「はる美」で募り続けた役者は、
劇団員と併せて60名を超え、テントも柱を買い足して天井高く改造しました。

同時に、台東区の助成金申請や開国博Y150から請け負ったイベントの仕事、
建築会館でのシンポジウムで上演した『恋と蒲団』など資金集めもしました。
もちろん、着物屋の佐藤さんが衣裳を送り続けてくださった。
歌舞伎の皆さんを真似て、お練りもやりました。
(他のイベントに衣裳を着てちゃっかり便乗)

全てを結集させながら、唐ゼミ☆は浅草の地に突入していったのです。

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