7/28(水)『ガラスの少尉』によって湧き起こる記憶

2021年7月28日 Posted in 中野note
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昨晩、川西町公演のことを書いたら、様々な記憶が噴き出してきました。
エメロンシャンプーのCMのパロディから劇がスタートするので、
横浜駅近くにある岡野公園で映像の撮影を行ったこととか。

トップシーンで手頃な飛行機の模型が必要だったのですが、
またまた川西町公演の時にお世話になった玉庭の宿舎に
もってこいのものを発見し、お願いしてツアー中ずっと拝借していたとか。

あとは、とにかくあの公演はスタッフワークのオンパレードなので、
最後の最後、12月の横浜公演に至るまで、私たちは寒空の下、
屋外にたてた掘建て小屋のような作業場で作業していたことだとか。

先日、ワークショップをしていたら、
参加してくださっている方の何人かが、YouTubeに上がっている
横浜公演のエンディングを観たと言ってくれました。
https://www.youtube.com/watch?v=653f-BCh6DM

「あれはすごいですね」と言ってくださるのですが、
自分には正直に言って、何か苦さのようなものがあの演目にはあります。

あの公演に挑んだ前年には様々なことがあったのです。
2007年の『鐵假面』公演を以って、何人かの劇団員が抜けました。
唐ゼミは学生時代からの延長で来ていますから、
卒業後に何年か経った時、必ず起きる別れが、
起こるべくして起きたのです。

けれどやっぱり、一人一人のことが痛恨事でした。

そういう事態があったので、私は二つの演目を目標にしました。
一つは、唐戯曲の中で唯一まともに上演されてこなかった『ガラスの少尉』。
もう一つは、あまりにも巨大すぎる演目『下谷万年町物語』。

相当にジタバタしていました。
その上で、後に上演した『下谷万年町物語』はともかくとして、
『ガラスの少尉』はかなり不思議な演目でした。
もとがラジオドラマなので、場面の行き来がやたらと多い。
それに圧倒的にモノローグなのです。

結果的に、ストーリーの進行はリニア、
スタッフワークは表現主義という、かなりいびつな作品が生まれました。
よろこんでくれた人も多かったのですが、
同時に、役者たちにはかなりフラストレーションが溜まったと思います。
芝居はやっぱり役者のもの。
ダイヤローグして、対決して、死力の限りを尽くして凌ぎを削り合う。
その熱は、道具や仕掛けによるスペクタクルを超えるのです。
一人一人の完全燃焼には宇宙的広がりがある!
(まるで小さい頃にハマった『聖闘士星矢』みたい!)

今後、大空間で公演をすることがあれば、
自分はまたスペクタクルも大いに活用すると思います。
けれど、劇の基本はまず役者。
『ガラスの少尉』はその点で、燃え盛るには難しい演目だったと思います。
いくらかの痛みとともに、そういう基本の基本を自分は思い知りました。

あれから10年以上です。
現在、自分の中にはいつも『唐版 風の又三郎』がありますが、
あの物語の中でずっと空を飛んでいる幻のヒコーキは、
前年に書かれた『ギヤマンのオルゴール(『ガラスの少尉』の原型)』
の墜落する飛行機と、何かつながっているような気がしています。

自衛隊機とジャンボ旅客機、ずいぶん大きさは違いますが、
空に舞い上がる浮遊感、急降下する際の転落の疾走感は、
やはり唐さんの中で繋がっていると、自分には感じられてなりません。

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