10/26(木)タルコフスキーの音響センス

2023年10月26日 Posted in 中野note
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↑少年が鏡を見つめる有名なシーン。パーセルの音楽がかかります

最近、タルコフスキーの本を読みました。
ちくま学芸文庫から復刊された『映像のポエジア』という本です。
読むうちに、久しぶりに映画そのものも観たくなって、
久々に『鏡』を観ました。
ロンドンで叩き売っていたDVDを買っておいたのです。

初めてこの映画を観たのは大学1年生の時、
それから大好きな作品になりましたが、
久々に観直してみて、その良さがますます深まりました。

タルコフスキーの生きた20世紀のソ連について
時間がたった分だけ詳しくなったこともあります。
そこここに挿入されているドキュメント部分の意味が
判るようになった。

そしてそれ以上に、タルコフスキーの幼少期への想いや、
彼のお母さんに女性としての人生があったという当たり前の事柄に、
自分もまた想像が至るようになったことが大きい。

冒頭、吃音の少年を医者が治します。
模糊としていた彼の語りが治療とともに噴き出す。
タルコフスキーは自らの追憶を、
こうして現在形にしてフィルムに定着させたのだということも、
今では判りやすく感じるようになりました。

逆に時間の経過とともに、
カメラワークや演者の動かし方についてこちらの想像が
及ぶようになり、作為が視え過ぎるようになったきらいもありますが、
やはり『鏡』は素晴らしい。

そして何より、劇中に流れる音楽の選曲センスが拓跋です。
ペルゴレージの『スターバト・マーテル』
バッハの『ヨハネ受難曲』
パーセルの『インディアン・クイーン』
どれもこれしかないという曲が、これしかないタイミングで流れます。

特にヘンリー・パーセルの『インディアン・クイーン』は
もともとが歌入りの曲を楽器演奏のみに編曲して流しています。
この音源、手に入れたいと思わずにはいられません。

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