10/3(日)浅草との馴れ初め〜後編
2021年10月 3日 Posted in 中野note
ハンディラボに4トントラックを入れ、
荷台にテント資材やセットを積み上げました。
局地戦なので倉庫番の様相にもなりますが、皆、元気で働いています。
嬉しかったのは、
今年の初めに劇団を去った重村と熊野が助っ人に来てくれたことです。
重村は唐組に移籍して変わらずに唐さんを追いかけています。
久々に会った熊野は映像の仕事に取り組んでいるとのこと。
元気そうで、古巣を支えに来てくれました。
一方、私はといえば、
ハンディラボを後にして一人浅草へと向かいました。
明日の早朝に現場入りする前に、然るべき方にご挨拶しておきたかった。
緊急事態宣言が明けて、浅草は活況を取り戻していました。
外国人旅行客がいないことを除けば、私には浅草のあの人いきれが
戻ってきたように感じられました。
思えば、2009年に初めて現場入りした時にも浅草は賑わっていました。
人・人・人。しかもそれぞれが圧倒的にキャラ立っている。
横浜市内での公園や墨田区のスカイツリー予定地、池袋の西口公園。
それまでにも私には様々な公演地での経験がありましたが、
浅草の人々の、こちらに話しかけてくる頻度といったらありませんでした。
この劇団は何者なのか。ここで何をしようとしているのか。
とにかく話しかけられるのです。極論すれば、この街の人たちは、
浅草寺だって花やしきだって自分の土地だと思っている。
そんな雰囲気を感じました。
だからテキ屋さんにも、人力車夫さんにも、近所の商店主さんとも、
道ゆくおじさん・おばさんとも、とにかくお話ししました。
リハーサルが始まってからは、大所帯で大騒ぎしている私たちが
ご迷惑をおかけしてしまったこともありました。
本番に向けて現場のボルテージは上がる。
しかし、すぐ隣には皆さんの生活やご商売があるわけですから、
うるさかったに違いありません。
でも、毎日顔を合わせていると、評判を読んで観客が増えていくことや、
大学の先輩であるサトウユウスケさんにつくってもらった
エンディングの曲を褒められたりもしました。
「芝居が終わるときにかかる音楽がいいねえ」って。
早朝、今は無くなってしまった観音湯に行くと
必ず会うご近所さんもいて、だんだん親しくなっていく。
私はそうして、『こち亀』や『寅さん』の中で行われているやりとりが、
この世に実在することを知ったのです。
今回、直前で新宿から浅草に切り替わったことで準備は突貫、
ここ1ヶ月はほんとうに目まぐるしく過ぎました。
そんな中でも、私たちのことを覚えていて下さった方が何人もいました。
明日からの浅草での生活が始まります。
テントには夜間警備が必要なので、
なるべく多く引き受けて、あの場所での暮らしを愉しもうと思います。
幸い気候も良く、去年に買った寝袋もあるので、安心です。
当然、芝居には自信あり。明日からは現地レポートを始めます。
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