10/22(木)唐さんの原点回帰

2020年10月22日 Posted in 中野note
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↑唐十郎ゼミナールで私は一度だけ役者をやりました。
演目は『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』。
"ドクター袋小路"という役でした。


劇団員たちが分散して下北沢に通っています。
もちろん、唐組の『さすらいのジェニー』を観るためです。

そして観終わった者から、どんな話だったか、どこが面白かったか、
稽古や作業の合間に話すのは愉しいものです。
目下、自分たちが取り組んでいる劇と、何が同じで、何が違うか、話す。
すると、これから挑む劇の姿がよりくっきりと浮かんできたりします。
これを書いている今、千秋楽が終演して皆さんホッとされているところでしょうか。


ところで、『ジェニー』を観た者ならば誰もが目に焼き付く
敵役「ベロ丸」を、今回は久保井さんが演じていました。
名前の通り人智を超えた舌を持ち、
人工甘味料のなんたるかを峻別する重要な役どころです。

本来、ああいうものの所管は「厚生省(現在は厚労省)」のはずですが、
劇中、何故か保健所が司どっているところが、唐さんのご愛嬌。
ともあれ、タキシードに山高帽という出で立ちだった「ベロ丸」こそ、
『ジェニー』という芝居の中で最も厳格な役人中の役人というわけです。

あの役、初演時に演じたのは麿赤兒(当時は"赤児")さんでした。
久保井さんの垂らすあの"ベロ"は誰にとっても印象深かったはずですが、
元祖はズバリ麿さん。

さらに、"麿さん"と"舌"といえば、
思い出されるのは『腰巻お仙 義理人情いろはにほへと篇』。
あの劇で麿さんの演じた"ドクター袋小路"は実に口八丁な怪しい医者ですが、
その虚言癖を咎められた際、「二枚舌なんです」と言って、
口中に仕込んでおいた小道具のベロを出す。

時は1967年8月。
状況劇場が初めて紅テントを発明した時のことです。
そして『腰巻〜』から21年、1988年に打ち出した新機軸「下町唐座」で、
袋小路の"二枚舌"はベロ丸の"人工舌"となりました。
それが再び、32年後の2020年に初代紅テントの下で炸裂する
久保井版"ベロ"になってお目見えしたわけです。

どうです? なかなか感動的ではありませんか。

同時に、「状況劇場」を解散したばかりの唐さんが
「下町唐座」で心機一転しようと、盟友の麿さんを頼りに
再びその舌先三寸を駆使して世間に挑みかかろうとした心中を推し量る時、
その思いにこちらも胸が熱くならざるを得ません。

紅テントと同じ色をした"舌"に翻弄される愉しさを、
観劇して数日後の私は今日も味わって生きています。


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