7/21(火)『下谷万年町物語』を2回もやったのは

2020年7月21日 Posted in 中野note
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↑2010年秋『下谷万年町物語』2幕の終わり

今日、さっそく『恋と蒲団』の台本を作りました。

やると決めたらすぐに自分なりの台本を作ります。
書き込みをしたり、付箋を貼ったりしながら研究するためです。

昨日のゼミログをきっかけに、2009年と2010年に渡って
『下谷万年町物語』を二度も上演した経緯を思い出しました。

2009年の上演時、唐さんは大よろこびで「またやってよ!」
とリクエストされました。唐さんにそう言われると弱い。
それに、何よりも嬉しい。

膨大なコストのかかる芝居でしたが、勢いで再演することにしました。
けれども、『蛇姫様』を稽古するうち、
自分が台本を読めるようになった実感が湧くことで、
再演へのスタンスは急激に変化していきました。

例えば、『下谷万年町物語』2幕の終わり、
子ども文ちゃんとヒロポンの注射器を持つヒロイン・キティ瓢田は、
お互いの手を併せて幕を閉じます。
ああいうことの意味が、たちどころに判ってきた。

判らないうちは、自分が判らない状態にあることに気付きません。
判って初めて、人は自分が判らない状態にあったことを知ります。
そういう実感でした。

しかし、一挙に視界がひらけるということは、
同時に前回の不具合が吹き出すように露呈するということでもあります。
それを徹底して克服するため、自分は芝居の骨格を堀り下げることに
没頭しました。

結果、上演は一定の満足がいくものになりました。
この芝居を二度に渡って観てくださった朝倉摂さんは、
「ドラマとしてずいぶん良くなったね」と再演を褒めてくれました。

しかし、直後から気づいていたことなのですが、
あの芝居に決定的に必要なお祭り感は減退してしまいました。
さらに、あのドラマをさらに正確に研ぎ澄ませるためには、
どうしても階段状の客席にして、舞台前面に設えられた池を
お客さん全員が覗き込める必要があると、ずっと思い続けています。

願わくばもう一度あの演目をやりたいという切望が、
私にはずっとあります。
自分にとって『下谷万年町物語』は、特別な作品です。


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