1/5(水)電車と唐さん④
2021年1月 5日 Posted in 中野note
↑『ジョン・シルバー』のエピグラフを語るためにステージに立つ唐さん
(2004年4月25日(日)の唐ゼミ☆青テント公演より)
今日は「鉄道と唐さん」でいきましょう。
唐さんの母方の姓は「田口」であったそうです。
ですから、唐十郎作品の主人公の青年は「田口」であることが多い。
その田口方のおじさんは、名前を「耕三(こうぞう)」といって、
戦争中は満州に渡り、後に国鉄職員となって田町駅の助役を
されていたそうです。
唐さんにとってこの耕三さんは親族の中でも特別な存在だったようで、
唐さんが20代の半ばで書いた『ジョン・シルバー』には、
こんなエピグラフが出てきます。
おじさん
ぼくの血を待つ間もなく死んでいった一鉄道員の―
あの朝は雨でしたね
2リットルの血をにぎりながら病院の階段をかけ上っていった時
ぼくは、あなたがもうあのベッドにはいないのを知っていたんだぜ
ベンチャーズの好きだったおじさん
あの夜更け
病院を抜け出して、遠い町のどさ廻りの一座にあなたは加わっていた、という
ここから浮かび上がってくるのは、
かつての希望や野心については黙して語らず、
淡々と働いて死んでいったおじさんの姿です。
おじさんは、ほんとうは役者になりたかった。
翻って振り返るに、彼がベンチャーズに差し向ける視線には、
単なるファンやテレビ視聴者を越えた、
もう一つ別の熱っぽさがあったように思えます。
実際の耕三おじさんがどんな方だったかを別にして、
駆け出しの唐さんが身近な存在をこのように書き上げ、
このまま役者として大成せずに同じようになってしまうかも知れない
自分の不安、同時に、夢破れた人間への愛着を示していることは、
私にはすごく重要に思える。
私たちが初めて『ジョン・シルバー』に挑戦した20代初めの頃、
わけも分からずにこのくだりを上演していましたが、
同じような年齢で、すでに唐さんには、
黙々と働いて生活している人間への共感や慈しみがあったわけです。
「若い頃の方が意識が老いていたなあ」
いつだったか、唐さんがそう私に話してくださったことがありましたが、
鉄道員だったおじさんを偲んで書かれたこのエピグラフを思い出す時、
若くしてすでに"人間"を識っていた唐さんに驚かされます。
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