4/14(金)滝沢先生の棲家
2023年4月14日 Posted in 中野note
↑坂本小学校跡地の角から撮ったパノラマ写真。右手が言問通り
渡英前に2週にわたって大掃除に加わって以来、約15ヶ月ぶりです。
唐さんの卒業した坂本小学校は一面平らなコンクリートになっていました。
もともと校庭だった場所はフェンスで囲われ、
ずっとそうであったようにサッカーのクラブ活動が継続されていました。
が、他はガランとして、変わり果てた平らな土地が広がっていました。
ロンドンから、facebookでの投稿を見ていましたから、
小学校が解体されるプロセスも知っていたつもりですが、
やはり感覚的にはあまりに一足飛びで、愕然としました。
立体的にあったものが、こうまでさっぱりしてしまった。
坂本小学校をはじめ周辺の小学校は、
1923年に起きた関東大震災後に建てられた建物がいくつもあります。
そのために頑強につくられていて、当時の日本の勢いを反映し、
さまざまな意匠も凝らされていました。
太平洋戦争中は福島に疎開していた唐さんは
戦後に下谷万年町に戻り、この場所にあった坂本小に通いました。
相当に内気な少年だったらしいのですが、それが、担任の滝沢先生に
朗読をするよう命じられ、これをうまくやってのけて褒められたところから、
芸能開眼したとのことでした。
当時、滝沢先生は校舎に住んでいたそうです。
それが戦後の混乱期の日常なことなのか、宿直的なことなのか
分かりませんが、夕方、校舎の窓から下校する子どもたちを見送る
滝沢先生を、唐さんはよく憶えているそうです。
それに影響されて、自分もまた坂本小学校を訪ねると、
滝沢先生はどのあたりにいたのだろうか、と想像を膨らませたものです。
ああ、あの校庭と校舎を使って『黄金バット〜幻想教師出現〜』を
上演する機会は永遠に失われてしまったのだと実感しました。
これまでの間に、もっとやっておくべきことがあったのではないかと、
後悔が募ります。
トラックバック (0)
- トラックバックURL:
コメントする
(コメントを表示する際、コメントの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。その時はしばらくお待ちください。)