3/11(水)それぞれの対応

2020年3月12日 Posted in 中野note
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↑2011年はこれに取り組んでいました。

震災から9年目です。
あの時は、妙によく揺れるアパートに住んでいました。
周りの建物より明らかに敏感で、
普段に起こる震度3くらいの揺れにもかなり反応していましたから、
家に帰ってみると、本棚の上に置いてあったプリンターがダイブして
ノートパソコンのモニターをゴツンとやっていました。

印象深いのはそこからで、
早速修理しに行こうと翌日に向かった渋谷はガラガラで、
アップルストアにもすぐ入れ、修理代は無料。
中二日ほどで完璧に直った現物が届いた速さに驚きました。

最近、夜に仕事で都内に行くと人通りの少なさに愕然としますが、
3月という時期も重なり、あの頃のことが思い出されます。


震災の日は、夕方から、
初夏の初日に向けて『海の牙』という演目の稽古中でした。

都内にいたメンバーもいましたが、
他にできることもなく、たどり着くことができたメンバーだけで、
横浜国大の研究棟に集まりました。

ここも、やはり揺れにはひどく敏感な建物でしたから、
天井まである本棚が倒れて散乱した本やCDを整理し、
それが落ち着くと、せめて、少しでも何かを前進させようと
劇中歌の部分だけを繰り返し歌いました。

それは、主人公を青年を誘いかける事になる怪しげな娼婦の歌で
こんな具合でした。

いたずら男が「ダン」とやりゃ
尻をモジモジ彼女が「トン」
「ダン」と「トン」の調子が合って、
眉にシワよせ 目元ほんのり ダダダンダン
舌を鳴らしてトンタンタン

唐さんとしては、
ギロチン台の露と消えた革命家「ダントン」をモチーフとしたため
このような歌詞になったのですが、
私たちにはこれがすごく長嶋茂雄的で、
わけもなく高揚し、何度も何度も繰り返して、夜まで過ごしました。

ネットで被害の状況を見て話をしては、歌う。
また、ネットで被害の状況を見て話しては、歌う。
そんな状況でした。


翌日、唐さんに電話すると、
ご自身は震災時、家の近くの駅前で揺れを感じたとおっしゃっていました。

唐組春公演の初日が翌月末に迫ってはいましたが、
何日か稽古をお休みにして、世情を伺っておられるご様子でした。
唐さんは大胆な方ですが、極めて用心深い方でもあります。

ですから、
「昨晩は何もできず、せめて劇中歌だけ大声で歌いました」と伝えると、
「中野はよくやるなあ」とも言われました。

何ヶ月か経って、初夏に『海の牙』が初日を迎えると、
唐さんは、「震災の時に買って使わなかった、これをやろう」と、
「力王たび」の、足首まで覆う紺色を下さいました。

「まちが瓦礫の山になっても、これなら歩けると思って買った。
何かあったら中野が使って」と言われました。

唐さんが震災を受けてすぐさましたことは、地下足袋の購入だったのです。
たいそうな贈り物に、かなり勇気づけられたのを憶えています。

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