1/12(水)最後の焦らし

2022年1月12日 Posted in 中野note
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↑『鐡假面』初出の文芸誌「海」1972年11月号
半世紀前の文芸誌なのにすこぶる保存良し。あと少し一緒に過ごします。

『鐡假面』の台本づくりが佳境を過ぎ、明日終わります。
二幕後半は裁判シーンですが、せりふにどんどん先へ進ませる力が
満ち溢れていて、ここ数日は特に充実して過ごしました。

2007年以来この台本と向き合いましたが、
まずはかつて一緒に劇をつくった劇団員たちの声が聴こえて、
さらにその向こうに、当時の未熟さを越えて、
この劇が本当に語っていることが見えてきました。
秋公演のマイナー作品ですが、痺れます。もういっぺんやりたい!

と、ここで、一気呵成に最後までいきたい気持ちもありますが、
雑になるので寸止めして、明日に1時間ちょっと向き合えば
終わる分量を残しました。丁寧にいきたいので、自重です。

そういえば、大学時代に三島由紀夫さんについて
書かれた文章を読んだ中に、三島さんは1日に2枚までしか原稿を
書かない、という記述があったことを思い出しました。

三島さんの著作は膨大です。
例え休み無しに書いたとして、1日にたった2枚であれだけの分量が
積み上がるものかどうか、疑わしい気もしますが、
言わんとすることはよくわかる。

四方田犬彦さんが三島さんの弟の平岡千之さんと交流した際、
お兄さんがいかに苦労して執筆と向き合っていたかを
聞き出したとも云います。そのような苦労は三島さんのイメージには
合いませんが、その証言は2枚/1日もあながち嘘ではないと
思わせます。

また、別役実さんが同じようなことを書いていたと記憶しています。
別役さんは著作を書き上げる際、あとがきを焦らして書くのだそうです。
本編はもう書き上がっている。だから勝利は見えている。
ここでひととき手を止めて、新たに誕生した物語の余韻をたのしむ。
そういう感覚なのだそうです。

自分はもちろん、お二人のようにオリジナルを書いたわけでは
ありませんが、それでも充実します。
明日の早朝、フレッシュな頭で最後の場面と向き合います。




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