下町の塔

2019年11月 7日 Posted in 中野note
ここ二日間は『少女仮面』を通して、
鈴木忠志演出の抽象性についてお話ししました。
何せ、透明の水が真っ赤に見えてくるくらいですから。
それはそれは凄かったのだと思います。

一方、私の知る唐さんは、
単に仕掛けによって水を赤く染める人、というだけではなくて、
徹底した具体性の創作家だと思っています。

唐さんの作品は訳がわからないとか、
エキセントリック、あるいはシュールだとか思われがちなのですが、
よくよく向き合っていけば、
ひとつひとつの設定や科白が、
どこかしら具体性に根ざしていることが判ります。

例えば、唐さんが23歳で初めて書いた台本は、
『24時53分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』
という長いタイトルの芝居なのですが、
これは要するに、
下町の真ん中に謎めいた塔があって、
長屋の住人たちはひたすらにその塔をぐるぐる回りながら登り、
ただ身を投げ出して死んでゆく、という物語です。

もちろん、中にはそれ以降の唐さんを想わせる少女のリリカルな科白や、
塔の番人めいた謎の男なども登場するのですが、
"無為"と"死"を基調とした、若書きらしい観念的な設定、物語性は希薄です。
いかに唐さんといえども、そこは、未だ何者でもない若者が書いた台本という感じで、
これから何を為すでもなく、ただ無為に時を過ごして死んでいく事への恐れや苛立ち、
青年特有の諦めの態度が、この処女作には溢れています。

ところがです。
何年頃だったかは忘れてしまったのですが、
ある時、例によって唐さんと居酒屋に行った帰り、
酔って気持ちよさそうに道路に寝そべった唐さんはこちらにも同じ姿勢になることを勧め、
面白がってそれに応じた私にこう言ったのです。
「下町の長屋は、自分が横になると"塔"に見えるよな...‥」

この言葉を聴いた時、
私は処女作に込められたリアリズムをまざまざと理解したように思いました。
下町には、確かに"塔"がある!


ちなみに、この作品の上演こそ唐十郎ゼミナール一期生に課せられた課題でした。
2000年度のことです。
この時の私はまだ2年生で、3年生から参加資格を持つこの公演には参加していません。
当日はまだお手伝いをするのみで、観客誘導の担当でした。


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