4/1(水)『秘密の花園』と志村さん

2020年4月 1日 Posted in 中野note
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写真は2017年4月1日に撮ったものです。
この日、私は神奈川芸術劇場の館長付として仕事をするようになり、
SANEYOSHIは保育室に初めて登園しました。新人同士でした。

あれから3年が経ち、昨日SANEYOSHIはその保育室を卒業、
さらに新人のRINKOと一緒に今日から二軒目の保育園に通い始めました。

あの当時、
新たな境遇の中でどうやって劇団を続けていこうか、五里霧中でした。
現在も活動の持続は容易ではありませんが、どんな状況にあっても、
芝居や唐十郎の世界を追究することが出来ると思っています。


話は変わりますが、残念ながら志村けんさんが亡くなりました。

自分は小さいころ、スイカ人間が怖くて仕方ありませんでした。
家族は大笑いしていましたが、自分はテレビを見ていられなかったのを
よく覚えています。

一年半ほど前、座間市のホールで『志村魂』の稽古を覗く機会があり、
ナマの「バカ殿」や「変なおじさん」を観ることができました。
彼らは実在したのです。ありがたいことでした。


ある時、唐さんの口から「志村けん」の名前が出たことがあります。

1982年、下北沢にある本多劇場のこけら落としシリーズで、
唐十郎、別役実、斎藤憐が立て続けに連作をしました。
その時に唐さんが書いたのが、名作『秘密の花園』です。

聞けば、唐さんは主人公のアキヨシを、
当初は志村さんにお願いしたかったのだそうです。

アキヨシは、女性に貢ぎ続けながらも手も握らず、
正座で黙って相手を見つめているような一途さが特徴なのですが、
テレビで喝采を浴びる志村さんの中に、
唐さんはそういうキャラクターを見出したのだそうです。

プロデューサーが掛け合ってはみたものの、
当時のいまにも増して志村さんは超売れっ子、
メディアの世界ではるかに多くの人やお金を背負う存在でしたから、
硬派な舞台への出演などとても無理だったそうです。

若き日の志村さんのアキヨシを想像すると、
やっぱり良かっただろうなと思わずにはいられません。

一方、結果的に柄本明さんがアキヨシとして迎えられ、
『秘密の花園』出演が現在に至る柄本さんの大活躍の端緒のひとつと
なるのですから、面白いものです。

後年、ご存知のように柄本さんは志村さんとの名コンビを組みました。

唐さんにそんな裏話を聴いた私には、
コントで手練の芸者に扮する志村さんと柄本さんが、
二人のアキヨシに見えてなりません。

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