9/19(土)安保さんに捧ぐ⑥

2020年9月20日 Posted in 中野note
6DFFD93E-44EB-459E-A2D9-8C9F08774D9F_0.jpg
↑ちょうど日付が変わる頃、禿とNADJA(ナジャ )に伺ってきました。
最後はやっぱりここ!!

『唐版 風の又三郎』に挑む者にとっての大いなる味方、
劇中歌作曲の安保由夫さんとの思い出をつづる日記も今夜が最終回。
御命日の前夜は、安保さんご自身に関する私の大好きなエピソードから。

後に状況劇場を支える一人になった安保さんですが、
劇団の入団試験には落ちてしまったのだそうです。
しかし、試験翌日に安保さんの姿は劇団の稽古場にあった。
自分が入ると決めたからここにいる。そういう理屈であったようです。

試験の当落に関わらず安保さんが貫いた姿勢は
やがて認められるところとなり、晴れて劇団に加わることができた。

私はこの挿話がとにかく好きで、安保さんから幾度となく伺いました。

紅テントとか、70年代とか、
どちらかといえばマッチョなイメージが強く、
大声で怒鳴り合う闘争の雰囲気が漂いがちですが、
この姿勢こそが安保さんの真骨頂だと、私は常々思ってきました。

安保さん独特の強さ。それは、静かな、決然とした強さです。

これは私の想像ですが、
きっと安保さんは声を荒げることなく稽古場の隅にいたに違いない。
いぶかる先輩たちに何と言われようとそこに居つづけたに違いない。

第一夜目に書いたように、
安保さんはいつでも、静かに私たちを助けてくださった印象があります。
この静けさと、震えるような神経の細やかさこそが、私たちの安保さん。

あるいは、紅テントの宴会で、唐さんが開く稽古場での集まりで、
安保さんが曲を付けた中原中也の『サーカスの唄』を聴き続けてきた
からかも知れません。静かで震えるような、安保さんの歌声。

実は、私はかつて一度だけ、
自分には唐さんの劇をつくる資格が無いのではないかと思ったことがありました。
その頃は少しの力も湧かず、ただ呆然としていたものです。

そのような時にお電話したところ、安保さんはこう言われました。
「やりたい人が、ただやればいい。
 中野が唐さんの芝居をやりたいならば、やれば良いと思う。
 ボクの劇中歌も、歌いたいなら歌って良いよ。」

じわりとこみ上げてきました。
大声を上げて他人と渡り合うような闘争心や元気は無かったけれど、
当時の自分にも、ただしがみつくつくことならできそうでした。
そして実際、ただしがみつくことにしました。

安保さんには多くの恩を受けてきました。
その中でもとりわけ大きな恩は、『蛇姫様-わが心の奈蛇』の後と、
そして、静かに励ましてもらったこの時でした。

きっと、11月に臨む『唐版 風の又三郎』は3番目の大恩になります。
さらにこれからも、自分で力が湧かないような時には、
安保さんに教わった静かなやり方で自分を貫くと思います。

それにしても、自分には何故か、
見られたはずもない状況劇場入団1日目の安保さんの姿が目に浮かびます。
きっと梃子でも動かない意志のこもった眼差しで、
安保さんは静かに、そこに座っていたと思います。

DSC_0129.JPG


トラックバックURL:

コメントする

(コメントを表示する際、コメントの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。その時はしばらくお待ちください。)